九十八話『私好きですよ、変わった人』
「ここまで来れば大丈夫かな?」
森に隣接する街。雨が引き続き降るその街で、時雨は息を切らして言う。
そして申し訳無さそうに答えたのは、その時雨の背に背負われる琥珀だった。
「私なんかの為に……すみません。弟様だけならもっと楽に逃げられましたよね……」
雨雲に姿を隠す太陽は既に大きく傾いており、雨雲に覆われている事もあってか、早くも日が暮れ始めていた。
近くの宿の前で琥珀を背中から下ろしながら時雨は尋ねる。
「ねぇ、琥珀ちゃんは僕が怖い?過去には酷い事しちゃったしさ。……狂人だと思った?」
宿の軒下で、琥珀は首を横に小さく振って否定する。琥珀の頬の水滴がその体積を大きくさせながら滑っていった。
「怖くなどありませんよ。確かにあの時の弟様は少しおかしな人だと思いましたが、今は誰よりも家族を思っている人だって知りましたから」
時雨は後頭部を擦る。
「いやー……まあね。家族を思うのは普通の事でしょ? ……それにしても……はは、琥珀ちゃんも言うね。おかしな人か……」
琥珀は思わず口を両手で押さえる。
「あ……! すみません、デリカシーがありませんでしたね……。その……悪い意味では決してなくて! 狂人なんて事はありませんよって意味で……。言うなれば……変人?私好きですよ、変わった人」
そう言って笑顔を浮かべる琥珀。
時雨はそのまま視線を横に逸らして返した。
「……えーと。まぁ変わってる事は否定しないけどね。身長も低いし、女の子みたいな顔してるし。声だけはちゃんと男の子だしね。でも良かったよ。そう言って貰えて」
「こちらこそ……色々とありがとうございます」
琥珀はそこで大きく頭を下げる。そんな琥珀の手を取って、時雨は言った。
「ひとまずここで休もう。これからの話は中でしようか」
「よいこらしょっと……」
宿に備え付けられている寝間着に着替えを済ました琥珀が、洗濯機の中に腕を突っ込みながら呟く。
相変わらず人に聞かれたら少し恥ずかしい台詞だが、当の本人である琥珀はまったく気にしていない様子だった。
そうして琥珀は洗濯機の中から乾燥した自分の衣服と、時雨の衣服を取り出し、それらを広げ始める。
「やっぱ良い服は違うなー。乾燥機なんかに掛けたら普通もっと形が崩れてもおかしくないのに」
琥珀は衣服を広げ終えると、そのままそれらを持って部屋を後にする。
そして訪れたのは隣の時雨の部屋だった。
ノックをして返事が返ってきたのを確認し、琥珀は中へ入る。
「弟様、お洋服の洗濯が終わりました」
「え!? 早いね。それに、わざわざ僕の分までありがとね」
「いえ、当然の事です」
琥珀はそう言って時雨の衣服を掛けると、椅子に腰掛けて深刻そうな表情をする時雨の隣に立った。
「あの……弟様」
「ん? なーに?」
「えと……宿の前で仰られたこれからの話とはいったい、なんでしょうか……」
「あぁ、そうそう。それなんだけど」
時雨はそこで立ち上がると、そのまま洗濯したばかりの自分の衣服に手を伸ばして続ける。
「明日、僕は家に帰ろうと思ってた。非禁禁忌教によって大変な事になってるぽいしね。だから、君はどうするのかな? って思って」
「……私は……どうすれば……良いのか分からないのです……」
胸元に手を置いて不安げな表情をする琥珀。時雨はそんな琥珀に微笑んで返した。
「まぁ、そんなに深く考え込まなくて良いと思うよ。今は兄貴も居ないしさ。君の自由にすれば良いんだよ」
「……でも私は契約に縛られている身です。それに……もしかしたら……を考えると一人になるのは怖いのです」
胸元にある手をそのまま腹部に滑らせて琥珀は俯いてしまう。
時雨はそこで素早く着替えると、すぐに琥珀の腹部の手を掴んだ。
「じゃあさ! 一緒に来る? ほんとはさっき言ったように明日向かう予定だったけど、洗濯もすぐ終わった事だし、今から行こうと思ってるんだ!」
「……良いのですか?」
「もちろん!」