ネオンの街
目をうっすらと開ける。
目の前で花火が起きているようなちかちかとした視界は少しずつ元に戻り、やがて真っ直ぐに伸びる一本道が見えた。背後には先程入った森がある。
ネムは僕の一歩手前に立ち、周りを訝しげに眺めていた。ネムの足元には、未だ不機嫌そうに耳を伏せている黒猫もいる。
「何だか不思議」
ネムは小さく呟いた。
「何が?」
ネムに倣って辺りを見回す。
そこにあったのは僕の世界では目の当たりにすることが無いような不思議な物体の数々だった。
地面に刺さっている月。その周りに散らばる星々。
土星の輪っかは木に引っかかって揺れ、木の木目は木星の模様のように横向きに靡いていた。
「ここがあなたの住む世界?」
首を傾げながら問いかけるネムに視線を戻し、慌てて否定する。
どうして。何故だ。道を間違えたか。いや、確かに同じ所に入ったはずだ。ならばどうして僕の世界に繋がらない。
「急いで戻ろう」
僕はネムの手を取って元来た道を引き返した。
兎に角、この世界から抜けて僕の世界に帰らなければ。ネムの表情も曇り始めている。
森の奥で必死にあの空間を探したが、どこにもそれらしい場所は見つからない。確かにこの森で、そう遠いわけでも、分かりにくい訳でもない。
それなのに、森にあるのは直径一メートルもありそうな蜘蛛の巣や、フンコロガシの残した糞のみだった。
飢えたカラスは今にもこちらに襲いかかりそうで、奥から狼の遠吠えも聞こえる。長居は出来ない。それに、あんまり行き過ぎると、道に迷って遭難してしまう。こんな得体の知れない世界で、助けが来るかも分からないというのに、危機的状況に陥るわけにはいかない。
どれだけ探しても空間は見つからなかった。
日はとっぷりと暮れ、もうこれ以上の森での散策は困難になった。
仕方なくネムと先程の道に引き返したが、今日寝る場所も、それ以前に帰れるかどうかも怪しくなり、僕達は途方に暮れてしまった。
仕方なく禍々しいこの世界を進むしか無く、幸いにも
目先には街があった。言語が通じるか、よそ者は受け入れてくれるかとかなり不安を抱えている僕とは裏腹に、隣を歩くネムは何だか楽しげだ。見るもの全てが目新しく、興味津々に辺りを見回しては指を指している。
街に着くや否や、紫や赤のネオンに目が眩んだ。ギラギラの蛍光看板が街の奥の奥まで並んでいる。
ロサンゼルスよりも遥かに目に悪い街並みもそうだが、ここで暮らしているであろう人々もヘンテコリンだ。
街ゆく人々は皆亀のような顔をしていて、スーツ姿の男性の背中には細い羽か生えていて、疲労とストレスでやつれていた。ネオンと同じ色の露出の極めて高いドレスを着ている女性は、また同じ色のアイシャドウとリップを顔に塗りたくっている。僕達が珍しいのか、男性は哀れみの表情で、女性は汚らわしいものを見たかのような表情で睨みつけてくる。
早いところ出た方が良さそうだ。宿を探して、次の日には解決策を見出さなければ。
人々の視線に物怖じせず堂々と歩いていくネムの腕を掴んで、路地裏に見を滑らせ人混みから一旦脱した。
長い長い溜め息を吐きながら、路地裏の奥に目をやる。
地面には、ごみ、ごみ、ごみ。
穴の空いた袋から散乱する腐った食べ物。山を作る犬の糞。転がる空き缶から溢れた色の濁った飲み物。そして立ち上る様々な種類の悪臭。自然と僕は眉を寄せた。
「酷い場所だ」
「きっと、ここに住んでる人達はそう思ってないわ。これが普通なんだもの」
ネムの方に顔を向けると、澄んだ瞳が少しも揺らぐことなく真っ直ぐに僕を突き刺した。僕は内心凄く焦っていたが、軽く息を吐くと、ネムの左手を強く握って弱々しげに笑いかけた。
「行こう、あそこにホテルがある」
そうして、いつまでも途絶えることのない人波を逆走して、チカチカと点滅するホテルに向かっていった。