出発
小鳥の囀る声で目を覚ました。
薄水色のカーテンから暖かな日差しが真っ白なシーツに一筋の光を作り出している。
低血圧の影響で頭を朦朧とさせつつ、僕はゆっくりと体を起こした。髪の毛を手ぐしで整えていると、木製に草木の模様が縁どられたドアからこぎみの良いノックが響いたので、僕はそちらに目線を向けた。
「おはよう、起きてる?」
ドアの向こうからネムの遠慮がちな声が聞こえた。返事を返すと、またも遠慮がちに薄くドアを開け、顔だけをひょっこりと覗かせた。
「もう、行く?」
薄ピンクのコスモスで彩られたワンピースの上から、黄色のカーディガンに身を包むネムの姿からは、寝起きの様子は一切として見当たらない。しかしいくら着飾っていても、そのキラキラと輝いた瞳の下にうっすらと見える隈は隠しきれていなかった。
自分が認められる世界を目の当たりに出来るのが楽しみで眠れなかったのだろう。
身支度を適当に済ませてネムの待つリビングに向かう。ネムは海外旅行向きの大きなキャリーケースを開けて、ひたすらに指折り荷物の確認をしていた。
「歯ブラシに替えの服、水筒でしょ、それからお弁当。お菓子もあるよね...」
まるで遠足にでも行くのだろうか。ネムの楽しげな、明らかに生活必需品では無い品々の数々を挙げていく声を僕はそれ以上聴かないことにした。
ネムの荷物は最終的に先程のキャリーケースと登山用リュック一つ、手提げの鞄が二つになっていた。それに比べ僕はポケットに元々入っていた小さなキャンディ一つくらいだった。
もう少しくらい軽くしたらどうかと提案してみたが、女の子は色々必要なものがあるからとあっさり流された。一体そんなに大量の荷物の中には何が詰まっているのか。僕にも姉か妹がいれば分かったのだろうが、生憎むさ苦しい男兄弟のみ。理解しようがない。うきうきと軽やかにステップを踏む華奢な身体は、重荷を担いでいる様には到底見えなかった。
黒猫は尻尾を床に叩きつけながら彼女の後ろを付いていく。何やらブツブツと呟いているようであったが、漠然気にも止めなかった。
背景から家は消え、僕らは濃い森に差し掛かった。
昨夜は暗すぎてよく分からなかったが、こう見ると結構不気味だ。
大木の木目は怪物の目玉に見えるし、目線を落とせば毒々しい色のキノコが生えムカデやゲジゲジが這っている。
そんなこと気にも止めず、足場の悪いごつごつとした道をリズムを刻んで飛び跳ねるように歩いていくネムに逞しさを覚えたと同時に、男であるにも関わらずこの道一本すら満足に歩けないことに恥ずかしくなってきた。
歩く度緑は更に濃くなり、日差しは枝と葉で遮られていて、日中でも真っ暗だ。
「ねぇ、こんなところに本当に違う世界に繋がる場所があるの?」
疲れが出始めて弱々しくなったネムが僕の方へ振り向きざまに尋ねてきた頃に、その場所は姿を現した。
まるでその場所を木々が避けているかのような、人一人分のぽっかりとした空間。
そこに、太陽が目いっぱい光を降り注いでいる。
ネムは恍惚の笑身を浮かべて、その空間に歩み寄った。その瞬間、太陽が落ちてきたかのような眩しさに襲われ、ネムは即座に目を袖で覆い隠した。急いでネムの元へ行こうと足を踏み出した。
目の前は、白。白。白。
たまらず、僕は目を閉じた。