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高嶺の花子さん

作者: kunai

 恋はするものじゃなく落ちるもの。

 ありふれた、使い回されたその陳腐な言葉をなぜか急に思い出した。

 そんなものに落ちた瞬間がもしあるとするならば。

「泣くわけないじゃん。メイクが落ちるでしょ」

 笑ったあいつのその台詞で、俺は落とされたんだろう。





「今週も載ってるよ、守山さん」

「相変わらずキレーだよね~。性格めっちゃ悪いのに」

「人気ナンバーワン読モに選ばれたんだっけ? クラスじゃぼっちなのにね」

 称賛と悪口を込めた言葉は当の本人にももちろん聞こえているだろう。

「……ひどい言われようだね。人気ナンバーワン読モさん」

 俺、椎木奏多しいきかなたは隣の席の女子に笑い交じりに声をかけた。

「勝手に言ってればいいのよ」

 冷たく切り捨てつまらなさそうに窓の外に目をやるこの女子はただの女子じゃなかった。

 十代から二十代にかけて支持されるファッション雑誌『ホワイトイノセント』。その雑誌の人気ナンバーワン読モと称されるのがこいつ、守山愛葉もりやままなはだった。メイク次第で可愛い系にも綺麗系にも化けられる顔と、身長155センチと決して見栄えのする長身ではないもののどんな服でも確実に着こなすセンスをもつファッションモンスター。それがこいつだった。

 しかし読者モデルはあくまで副業であり本業はごく普通の高校生である。そして何の縁だか隣の席に座るクラスメイトである。

「もっと性格よければ他の女子とも仲良くなれただろうに」

「どいつもこいつもみんなあたしのこと腫れ物に触るみたいに接してきてムカつくし。あっちがあたしを避けるならあたしもあっちには近づかなきゃいいだけのことだし」

 美人だけど性格が悪い。クラス内での守山の評価はこれだった。

 話しかけても冷たくそっけない態度でしか対応しない。クラスの輪に入ろうともしない守山は確実に浮いていた。

「可愛いからって調子乗ってるよね、守山さんって」

 そんな影口が流れ始めたのはすぐだった。それを否定できる存在はクラスにはいなかった。

「あたしにこんな絡んでたらあんたまで除け者にされるよ、椎木」

「俺はお前をからかうのが楽しいからいーの」

 くくっ、と意地悪く笑う。守山が冷めた声で「あ、そう」と切り捨てた。

「あ、結城」

 瞬間、守山の肩がぴくりと跳ねる。それを視界の隅で認めてまた笑いが込み上げた。

 教室に入ってきたのはクラス委員を務める男子、結城蒼真ゆうきそうまだった。真面目でクラスメイトからも教師からも人望の厚い、黒縁眼鏡の下で温和に笑う青年だった。

 ずっと窓の外を見ていた守山が結城を見つける。険しくも冷たい表情を浮かべていた守山が、仄かに目元を緩ませ口端を持ち上げていた。微笑む姿がこれほど絵になる女子もいない。こういうところでこいつがモデルであることを再認識させられる。

 思わず鞄の中に手が伸びた。そして。

 ————カシャッ。

「……ちょ、肖像権の侵害なんだけど」

 気づけばスマホのカメラで撮っていた。

「……昨日の倫理のノート、貸してやったろ。あれでチャラにしてよ」

「肖像権と倫理のノートって釣り合わなくない? 却下」

「読モっつったって本業は学生だろ。読モはバイト。で、学生の仕事は勉強だ。バイトのせいで寝不足で、授業放棄かまして寝てた奴と真面目にノートとってた奴。常識的に考えて? どっちが偉いと思う?」

「く……っ」

 多分平均的な男子よりも俺は口達者な方なんだと思う。そして平均的な女子よりも守山は馬鹿なんだと思う。だから簡単に言いくるめられる。その単純な馬鹿さ加減も面白くて俺はこいつに話しけるのをやめられない。

「今すっげー恋する乙女の顔してたぞお前」

「んな……っ」

 図星だったのか一気に顔が赤くなる。表情の変化が豊かなところがまた面白い。

「前々から何となく気づいちゃいたけど。あーゆーのがタイプなんだ?」

「……だったら何なの。笑うの? 似合わねーって?」

 守山は学校側から特例で染髪やピアスを認められていた。バイトをしているクラスメイトは何人かいるが髪を染めたりピアスを開けたりは校則違反で認められていない。守山だけ認められていることに特別扱いだ贔屓だとまた女子に叩かれる。

 きちんと校則を遵守し真面目に授業も委員会も取り組んでいる結城と特例での校則破りと授業放棄をかます守山では真逆すぎる。

「いや別に? 誰が誰を好きになろうとどんな容姿や性格してようと勝手だろ」

 あまりにあっさりと否定した俺に守山が意外そうに瞬きした。

「けど、」

 スマホを操作しながら、さらりと釘を刺す。

「あいつを好きになるのはやめとけ」

「は? なんで」

「あいつを好きになったって、お前が傷つくだけだよ」

「何それ、意味分かんないんですけど」

「意味分かりたいの?」

 いつものからかいで釘を刺したわけではないことに守山も気づいたのだろう。微かに眉を寄せ不快そうな表情で俺を睨む。

「いい。知りたくない」

 ふい、と首を回し再び守山は窓の外に目を移した。

 つい先ほど撮った守山の恋する乙女写真を見ながら、俺は誰にも気づかれないようにため息をついた。





『あいつを好きになるのだけはやめとけ』

『あいつを好きになったって、お前が傷つくだけだよ』

 あたしがその言葉の意味を知ったのは、それからたった三日後だった。





 その日は放課後に撮影のない日だった。

 スタイル維持やニキビ予防のため、日々の運動やスキンケア、食事管理に余念はない。きついと思ったことがないわけじゃなかったが、それでもこの仕事が好きだから続けてこれた。

 誰かから可愛いと言われること、綺麗と褒められること、通りすがりに振り返られること。どれもこれもが嬉しくて快感で、だから続けてこれたのだと思う。

「愛葉ちゃん最近一段と可愛くなったよねぇ。好きな人でもできた?」

 スタイリストの女性に冗談交じりにそう言われ、本気で否定も出来なかった。

 だって好きな人がいるのは本当だから。

 恋をすれば女の子は綺麗になる。

 使い回され、使い古されたその言葉はあながち嘘ではないのかもしれない。

 たとえ好きな人が自分とは真逆の存在だとしても。

「…………ぅわ、寝てた……。今何時よ」

 放課後、夕日がいい感じに差し込んであたしの席は程よく暖かった。だからつい眠気に襲われた。どうせ家に帰っても暇だしちょっと寝て帰ろう。そう思って寝てからいま目が覚めた。教室内の時計の示す時刻は十七時十分。そろそろ終わる部活もちらほら出てくる時間帯だった。

「帰ろうかな……」

 鞄に教科書を突っ込み席を立つ。ゆっくりしたペースで廊下を歩いていると、ふいに声が聞こえた。

「————……う、くん、結城君」

 歩く足が止まった。どうして、何で、いまその名前を聞くの。

 廊下に立っていた女子生徒がとある教室の窓から声をかける。教室の窓から顔を覗かせたのは結城蒼真。あたしの好きな人だった。

 この位置からは何を話しているのかまでは聞き取れない。それでも女の子と結城の表情とで一目で分かった。分かりたくもないのに分かってしまった。

『あいつを好きになるのだけはやめとけ』

『あいつを好きになったって、お前が傷つくだけだよ』

 そう釘を刺した椎木の台詞の意味が分かってしまった。

 ふいに結城が上体を少し前へ傾けた。同時に女の子の顔が隠れる。

「…………っ!」

 見てはいけないものを見てしまった罪悪感と、分かりたくもないのに分かってしまったこの気持ち。

 どうしてこんな単純なことに気づけなかったんだろう。

 自分の好きな人に彼女がいないなんてそんな保障、誰もしてくれてなどいなかったのに。

 両目にじわりと涙がたまる。嗚咽がこぼれそうになって慌てて口を塞ごうとした、

 その時————。

「…………っ!?」

 いきなり背後から手が伸びてきて口を塞いだ。そして近くの教室内に引っ張り込まれる。音もたてずに教室内のドアが閉められ、そのまま床にしゃがみ込んだ。

「……だから言ったろ。あいつを好きになるのだけはやめとけって」

「……しい、き」

「結城、彼女いるんだよ」

「みたいだね……」

 空の教室に引っ張り込んでくれたのは隣の席の男子、椎木奏多だった。静かに口を押えていた手が外される。

「お前が結城を好きなの知ってたから、出来る限り気づかなきゃいいなって願ってたけど」

「彼女じゃなきゃされないようなことされてるとこ、目の当たりにしちゃったけど」

「みたいだな」

「いつから付き合ってたの。あの二人」

「中学からじゃなかったっけか。幼馴染なんだと」

「そんなの、あたし、入る余地ないじゃん」

 あはは、と自分のものとは思えないほど乾いた笑いが出た。

「……泣いてる?」

 隣にしゃがみ込む椎木が顔を覗き込み前髪を払った。

「……はあ?」

 本当は椎木がここに引っ張り込んでくれてなかったら廊下で涙こぼしてたけど。そんな無様な姿、絶対に知られたくない。だから強気に笑って見せた。

「泣くわけないじゃん。メイクが落ちるでしょ」

 撮影の時ほどではないが、学校でも日焼け防止に化粧下地とファンデーションは薄く塗っている。泣いてメイクを崩すなんて、そんな素人みたいな真似しない。だってあたしは読モだ。

「……さすが」

 少し目を見開いた椎木は面白そうに笑った。

「あーあ、恋とか似合わないことすんじゃなかった。あんなの思春期に患う精神病よ。気の迷いよ。あたしはそんなものに罹ったりしない。絶対に」

 未だに乾かない涙を誤魔化すようにそんなことを言ってみる。

「じゃあ俺もその精神病患者かな」

「え?」

「お前が好きだって言ったら俺も精神病?」

「…………」

 思わぬ告白に固まった。容姿に騙されて告白されたことなら数えきれないほどある。しかし大抵の男はあまりのあたしの性格の悪さや口の悪さに勝手に告白して勝手に振って去っていく。それの繰り返しだった。 こんな性格を知った上で告白してくるキチガイなんか、いなかった。

「治してくんないの?」

「……どうやったら治んの」

「俺の告白に対して『うん』って答えてさえくれれば」

「……ちょっと、時間ちょーだい……」

「それはなに、俺にも脈ありって期待していいってこと?」

 うわ、なんか、そう言われると急に恥ずかしくなってきた。

 ぶわわ、と体温が上がっていく感じが気持ち悪い。

 無言でぶんぶん首を縦に振るあたしに椎木はため息をついて「じゃあ」と続けた。

「明日。土曜。昼からなんか予定ある?」

「え、ないけど……」

「どっか遊びいかない?」

「……告った瞬間、急にグイグイ来るね……」

「そりゃあ俺に落ちてほしいもん」

「落ちるって」

「俺は落とされたからねお前に」

「……どこで?」

「それは秘密」

 くくっ、と相変わらず意地悪く笑う。こういう笑い方をするとき、こいつは意地でもその理由を教えてくれない。

「じゃあとりあえず明日午後一時に天ヶ崎駅に待ち合わせでオッケー?」

 あれよあれよという間に椎木と遊ぶ予定が出来上がった。





 土曜。午後十二時四十五分。

 十五分前に着けば大丈夫だろうと思っていたら、なんと守山は先に待っていた。

 読者モデルなんてものをしているだけあって、ただ駅で立っているだけでなんか様になる。容姿は抜群にいいので通りかかる女も男もちらりと守山に一瞥をくれていた。本人は気づいていないのか気づいていてもいつものことだとスルーしているのか、スマホの画面に貼り付けである。

「声かけずれぇ……」

 改めて自分の告白した対象が高嶺の花であることを思い知らされる。

「よう。来るの早いなお前」

「……椎木より遅れて来るの、なんか腹立つから」

「なんだそれ」

 予想外の答えに思わず笑った。高嶺の花だろうとこいつはずっと隣の席だった守山愛葉だ。変に緊張する必要なんてない。多分いつも通りでいい。

「遊ぶったって何するの」

「んー、王道は映画とか? なんか見たいのないの」

「じゃああれ見たい。『君恋』」

「あー、絶対感動する映画ってCMでやたら言ってるやつね」

「なに、嫌なら椎木が選んでいいよ」

「いいよ、それにしよう」

「……意外、椎木が恋愛映画見るなんてー……」

「こーゆー状況でもない限り見ないけどな」

 ああ、いつもの守山だ。通りすがりのどこかの誰かに振り返られることを除けばいつものクラスにいる守山と何ら変わりはない。

 映画のチケットを二人分購入し、上映まで少し時間があったので近くの飲食店で軽く食べることにした。守山の強烈な押しで男子だけならまず絶対に入らないであろうファンシーなカフェに連れ込まれた。周りの客は女子とカップルばっかりでどの層が狙いの店なのか即座に分かった。

「そういえば、昨日なんであんな教室に一人でいたわけ?」

 あんな教室、というのは守山を引っ張り込んだあの教室のことだろう。

「俺、広報委員なんだよ。昨日はその委員会があって、俺はじゃん負けで黒板消したり机戻したりの片づけさせられてたの。さー終わった帰ろって思ってたらお前が廊下に直立不動、その先には想い人のラブシーンで、とりあえず引っ張り込んだ」

「ああ、そういうことね」

 納得したのかそれ以降昨日のことの質問はなかった。注文の品が届いて食べ終わるまで、あの店員が可愛いだの、目が微妙だの馬鹿みたいな会話で時間を潰す。

 守山の選んだ感動必須と謳われた恋愛映画はまあ想像していたオチだったが、隣で守山はえらく感動していた。

「やばい、感動したんだけど。泣きそう~」

「泣くなよー。メイクが落ちるぞー」

「ほんと椎木性格悪い!」

 次の日は朝から撮影の予定が入っているらしい守山の希望で六時前には解散することにした。と言っても待ち合わせをした駅までは一緒なのだが。

 駅に向かう途中、近くの店から最近流行りのアイドルグループの曲が流れてくる。

「あ、この曲好き」

「最近すごいよな、このアイドル」

「サビがめっちゃ好きでさー、あ、ここ」

 守山が風に溶けるように細く歌う。その表情は守山が結城を見つめていた時のそれと限りなく似ている。

 また思わずスマホを構えた。こんないい表情かお、撮らないなんて選択肢あるわけない。

 シャッターを切ろうとしたまさにその瞬間、スマホの画面が暗転した。

「……っ」

「二回も同じ手に引っかかんないよ」

 守山がスマホのカメラ部分を手で押さえていた。

「……学習したじゃん」

「この顔、好きなんでしょ。盗撮じゃなくて正当な理由と立場で撮りたくない?」

「……つまり、どういうこと?」

 守山の言いたいことが何か分かっている。分かっていて、それでもこいつから聞きたかった。

 意地悪く笑う俺に守山が赤い顔をして睨む。

「……あたしと付き合わない? って意味よ!」

「はい、喜んで」

 返事をした瞬間、スマホから守山の手を外しシャッターを切る。やばい、今すごいいい顔撮れた。

 安堵したような嬉しいような、それでいて泣きそうな、何とも言えない顔がめちゃくちゃ可愛かった。

「それと、いっこ訂正」

 守山の左腕を掴んで引き寄せる。よろけつつも一気に縮まる距離。

「俺が好きなのはお前の顔だけじゃなくて性格も含めた全部だから。顔だけに釣られたそこら辺の奴らと同類にされるのは心外」

 一瞬で守山の顔が赤くなる。こいつ、性格もこんな可愛いのに勿体ない。今となっては顔だけに釣られ、性格に引いて振ってくれたどこぞの男に感謝だ。そのおかげで俺にこいつが巡ってきたのだから。

「恋は盲目。落ちるもの。精神病に気の迷い。それでもいいじゃん」




「よろしくね。高嶺の花子さん」






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