第八話 平凡の次に平凡
―――まず最初に息を吸い込んで、そして感じる新鮮な、汚染されていない空気の感触に、味にここが源逸ではなく仮想の世界である事を悟る。現実の自分の部屋はもう少し空気が澱んでいた気がする。
「……次ログアウトしたら掃除するか」
そんな事を呟きながら起き上る。
そうやって起き上らせた自分の視界の中に飛び込んでくるのは宿屋の一室の姿だった。自分も完全にインナーシャツとトランクスの下着姿になっており、ここで泊まった事を思い出す。なんで商会の方の部屋を使わなかったんだ、なんてことを一瞬だけ考え、そして思い出す。
「あー……憂鬱だな……」
初心者に宿の取り方や部屋の選び方を教えて、ついでに隣の部屋を取ったのだった。離れようとすると直ぐに不安そうな表情を浮かべるので、払いのける事も出来ない。アレが計算されたものなら簡単に看破して放っておくのだが、生来の気質らしく、商会のメイドの様なワザとらしいあざとさがない。その為、振り払い辛いのだ。なんというべきか……そう、どことなく無垢さを感じさせるのだ。それがどうにも苦手だ。
頭を軽く掻いてからベッドから体を持ち上げて、下す。西洋式の建築である為、室内では靴を履くのが基本だ。だからベッドの横にはブーツが置いてある。それに足を通さず、室内用スリッパの方に足を通し、しまっているカーテンを広げ、その向こう側の朝の陽ざしを体に受け入れる。
「―――うっし、シャワー浴びて気合入れるか」
◆
シャワーと言えるほどの設備でもないが、それでも寝汗を流し終えればこちらでいつも着ている制服とも言える姿へと着替え、被っている軍帽の位置を微調整しつつ、部屋から出る。すぐ隣の部屋がソフィーヤの部屋となっており、起きているかどうかを―――確かめたりはしない。さすがにデリカシーが足りないと言われてしまいそうだ。まぁ、今日からは本格的に体を動かす予定なのだから、眠っている時ぐらいは自由にしてやろう。そう思いながら一階へと階段を降りて向かい、そのまま食堂へと入る。
食堂の中にいる人の姿はまばらで、適当に席を選んで木椅子に座る。朝食の方はセットで固定されているため、頼まなくても座っていれば適当に持ってくる。だからそうやって朝食がやって来るのを待っている間に、左手でホロウィンドウを展開し、そこからネットワークへ、New Edenの外部ニュースサイトへとアクセスする。New Eden内で高速で情報を獲得しようとすると、内部では遠距離の通信方法が非常に限定されるため、どうあがいても外部のサイトを利用しなくてはならない。
ある意味、中途半端ではないかと思う。
通信手段まで制限して世界観を守ろうとするならなぜ外部サイトへのアクセスを禁止しなかったのだろうか。
まぁ、どうでもいい話だ。朝食のスープ、パン、そしてサラダが運ばれてくるのを片目で確認しつつ、直ぐに視線をホロウィンドウの方へと戻す。トップニュースを確認し、そこから自国に関連するニュースへと視線を移す。災獣の被害によって小規模な村が一つ壊滅したというニュース以外には特に大きなニュースはなく、今日も比較的平和だな、と感想を抱きながらパンを千切り、スープにつけてそれを口の中へと押し込む。味は悪くなかった。
「……イベント告知があったから矢弾や薬がちょい需要上がってる感じか」
ここら辺はいつもの事だし自分が気にしなくても勝手に回るだろう。そもそも自分の分野は戦闘の方ばかりだし―――そう、接客とかサービスとか、レベリングとか、そういうのからは縁遠いのだ。やはり度し難い。そんな事を思いながら朝食を食べ進めていると、階段から降りてくる見知った気配がする。そちらの方へと視線を向ければ、少しだけ眠そうに目をさすりながら服装を昨日とは違う、汚れても目立たない灰色の上下に鉄の胸当てという駆け出し冒険者らしい恰好のソフィーヤの姿が見えた。その髪が少々ぼさぼさに見えるのは、環境に慣れていないからだろうか。パンを口に咥えたまま、軽くおはようと声をかける。
「おひゃようございまふ……」
「ダメだこりゃ」
よろよろと対面側に座り、そのまま頭をテーブルに打ち付け、眠りそうになるソフィーヤの姿を眺め、眠気覚ましに軽く話し相手でも務めるか、と決める。
「眠そうだな」
「一々質問するのもなんか迷惑かけてて嫌ですし、実は遅くまでWIKIで勉強してまして……」
「あー……成程な。まぁ、悪い事じゃないな。ただ、量がかなり多いだろ?」
その言葉に眠そうにはい、とソフィーヤは答えた。それもそうだ、この世界はゲーム的な”概念”の要素が非常に薄く、現実で見る様な物理法則などがほとんどを支配しているのだ。
たとえば火の属性と水の属性が相対した場合、炎を水で消火する事は出来るが、それがイコール炎が水に弱いとはならない。炎が水に弱いというのは概念的な考えであり、概念的に生み出された属性相性である。そもそも水の量が増えれば水が炎を消すだろうし、炎の熱量が上昇すれば水を蒸発させるだろう。そんなものケース・バイ・ケースとしか言いようがない。
と、New Edenはこういう細かい所まで”めんどくさい”のだ。
魔法を一つ使う事だって万物を構成する架空元素エーテルを空気中から取り込み、それを体内で精製して魔力へと変換させ、それを魔法のリソースとして利用しているなんて設定もあるし、一度WIKIに記載されている設定や豆知識を参照し始めたらキリがない。それでもどんなゲームであっても、基本的な知識があっても困らない。そうなると読み始めなくてはならないのだ。やはり、めんどくさい。
だけどこういう設定関連は割と読んでいて楽しいという所もある。少なくとも自分はそうだった。
「ま、俺が説明する手間が省けるならそれでいいさ。それよりも今日もひたすら基礎練習だから食べたら訓練場に向かうぞ」
「最初は楽しんですけど同じことを続けているとだんだんと飽きてくる気がしまふ……」
「訓練が楽しく感じるのはマゾだけだ。諦めろ」
「え、えー……」
楽しくなきゃ長続きしないとは言うが、そもそもからして楽しかったら成果が出るか、という話でもある。訓練というものは楽しい云々よりも作業的なものなのだから、無意識的にこなして刷り込んで終わらせるようなものだ。まぁ、それはそれとして、
「やる気はあるようだな」
「はい! WIKIを見たらスキルがたくさんあってもう目移りしちゃって。とりあえず色々調べてみた結果、武道経験者でもないので。魔法路線このままでINT極でステ振りは頑張ろうかと思ってます」
ふんす、と息を吐きながら気合を入れる姿を見て、小さく苦笑する。面倒であることに変わりはないが―――それでも少しでも自分で調べて動くのであれば、此方も多少は楽になるだろう。しかし、自分が一々調べながらレベリングやスキルの取得とかを考えたのは一体いつの事だったのだろうか。レベル上限の300に到達し、描いたプラン通りにキャラクターが完成してからはあまりWIKIで調べながら遊ぶような事もなくなった。
朝食を食べながらもソフィーヤの視線は時折虚空へと向けられている―――典型的な不可視設定のホロウィンドウを眺めている動作だ。だからきっと、今も朝食を食べながら調べているのだろう、どうしたいのか、どうなりたいのか。
やる気は十分、後は面倒な作業に耐えられるかどうかだ。
◆
朝食を食べ終えれば昨日と同じ訓練の続きをするために冒険者協会へと向かう。昨日は初日だったから軽い魔法練習程度だったが、今日からはもっと時間をかけ、徹底的にスタミナを消費させながら”疲れを感じる”というところを重点的にやっていく予定だ。魔法練習の方式はこの王国でも採用されている初期のトレーニング方式を簡略化したものだ―――ちゃんとこなせば実力はついてくる、というのは実証済みだ。
年単位での鍛錬が前提だが。
ともあれ、ソフィーヤを伴い、冒険者教会へと向かう道中、大通りを鎧姿の集団が抜けて行くのが見える。全身を覆うフルプレートのメイルは動かしやすさを重視しており、体にある程度フィットするようにスリムに出来上がっているのが見える。先頭を行く鎧姿は他の者たち同様ヘルムとアーマーで姿を隠しているが、隊長身分を解りやすく見せるために緑色のマントを背に、王国の紋章とともに背負っている。ハルバードに盾、剣、弓、と装備を整えた状態で大通りを抜けて行く十人ほどの姿がソフィーヤとともに歩くこちらの姿を捉え、軽く頭を下げ、街の外を目指して再び歩き続ける。
「おう、勝って来いよ」
聞こえはしないだろうが、去って行く姿に沿う言葉を投げかけ、そして再び、冒険者教会へと向けて歩み始める。此方のその姿にソフィーヤが横に並び、
「物々しかったけど、アレはいったい―――」
「ん? あぁ、装備からして災獣の討伐だよ」
昨日は冒険者協会の方で調査を行っていたから何事かと思ったが、最終的に個々の兵士で処理することになったのだろう。歩き出そうとすると、ソフィーヤが少しだけ心配そうな表情を浮かべている。
「大丈夫でしょうかね……あの人達、NPCですよね」
「失敗したらしたでメタ張って徹底的に次の連中で殺すだけだ。この国だけはハイペースで災獣がポップするから、他人の心配をしている暇なんてないぞ―――」
ソフィーヤの前の前で両手を叩き、ビクリ、と体を震わせる。
「……ある日、突然町の中に災獣が突っ込んできてそのまま滅んだケースとか割とザラだからな」
「ひぃっ」
軽く笑い声を響かせながら再び歩き始めれば、走ってソフィーヤが追いかけ、ついてくる。不服そうな表情を見る分に、こちらに対する怒りのほうが先ほどの出来事よりも大きくなっているらしい。まぁ、心配するといっても所詮はその程度だろうな、などと考えつつ寄り道もせずに、昨日も利用した冒険者協会へと到着する。時間が時間である故に、昨日よりも冒険者の姿は多く見える。その視線も即座にソフィーヤへと向けられるが、威圧するように気配を向ければ敏感な連中はすぐに視線を外し、なんでもなかったかのようにふるまい始める。
これが年頃の娘を持つ父親の気持ちなのだろうか。違うか。
胸中でセルフ突込みを叩き込みつつ、さっさと訓練場のほうへと足を延ばそうとし、
「あ」
「お」
訓練場へと向かう前、掲示板へと視線を向ければ知っている顔がそこにはあった。インナーは黒だが上下は赤く、金の短髪を持つ、顔だちでアメリカ人だとわかる男の姿だ。片手を上げれば、反応するように向こう側も手を挙げ、
「よう、トム」
「君、アメリカ人男性全員がトムって名前だと思ってない?」
「じゃあクリス」
「なにが”じゃあ”だよ。じゃあで人の名前を決めないでよ」
「仕方ないなぁ……クリントン・イーストウッドでどうだ? ん?」
「突っ込みどころ多くて返しに困るなぁこれ……!!」
軽い茶番を挟みつつ、歩み寄るようなことはせず、そのまま誰か、ということを聞き出そうとするソフィーヤの背中を押すように訓練場へと向かう。
「おら、俺のことはどうでもいいからさっさと訓練始めるぞ。三か月以内にシナリオクリアしたいってなら余裕はあんまりないんだからな」
「うっ、うーん……そう言われると何とも言えないんですよねー……」
「おら、そんなことよりも今日の訓練を始めるぞ。別に今レベル上げをしなくてもいいけど、今のうちに先頭のいろはを覚えたほうが後から楽ができるからな」
「はーい」
よろしい、と言葉を付け加えつつ訓練所へと到着する。鍛錬に熱心な者はすでにウォーミングアップにトラックで走り始める姿が見える、が、その数は多くはない。基本的に発展したとはいえ、辺境の街だ。中央へと向けばもっと設備は整っているのだから、当たり前だがメインシナリオで王都へと向かえるようになると、向かったまま帰ってこないという連中のほうが圧倒的に多いここにいるのはプレイヤーよりも成長率が低く、遅い、NPCキャラクターぐらいだろう。
とはいえ、無料なのはいいことだ。適当なターゲットの前に距離を取らせて立たせ、
「そんじゃやることは昨日と一緒だ―――今日は倒れるまでやるぞ!」
「は、はい!」
ソフィーヤから帰ってきた返答は昨日買い物をしたからか、あるいはWIKIを読んで何かに楽しみを覚えたからか、前よりもはっきりとしており、はきはきとした返答だった。その調子でさっさとメインシナリオをクリアしてくれたら俺も子守をせずに済むのに。
そんなことを思いながらも、また一日が始まった。
だいたい週1ペースぐらいですかねー、この感じ。まぁ、今はちょいと忙しい感じもあるのでちょっと更新速度低下中ですが。忙しいのを抜けるか安定したらまたズバババっと更新連打しますなー。
それはそれとして牛にリアルに追いかけられると死を覚悟しますな。