第五話 初心者への手向け
冒険者協会の裏手は簡易的な訓練場になっている。広い土の大地に幾つかの丸太が突き刺さっており、それが破壊可能な標的として間隔を持って並んでいる。他にもランニング用のトラックが存在し、自分とソフィーヤ以外にも動きの練習、或いは訓練の為にこの訓練場を利用しているのが見える。もっとちゃんとした設備が欲しければ相応の施設があるのだが、冒険者である以上、ここは無料で開放されている。
金を持たない冒険者は基本的にこういう協会持ちの施設を利用し、実力を少しずつ上げて行く。
そんなところに自分とソフィーヤも進んでくる―――金を払ってもっと上等な施設を利用してもいいのだが、そうやって何でもかんでも自分からエスコートするとソフィーヤの為にはならない。まぁ、一番の理由は自分がお金を使ってやるほどの理由を見いだせないという所が大きいのだが、
ともあれ、メインシナリオの進行をするというのであれば、
「―――戦闘力が必要になって来る」
「は、はい」
標的の横に立ち、腕を組みながらソフィーヤの方へと視線を向ける。視界の中で連れてこられたソフィーヤは明らかに緊張した表情を浮かべており、体が強張っているのが見える。そのまま動いてもあまり良い成果は出せないだろうと、そう判断しながら緊張が抜けるまで、適当に話を進める事にする。こういうのは一旦、違うことに集中させればそちらの方で勝手に緊張感を流してくれるものだ。
「ともあれ、まず最初は痛覚に関する設定を弄っておこうか。左手を右から左へとスワイプすれば基本メニューが出現する。その中の設定項目に痛覚に関する設定がある。まずはそこで痛覚切っておけ、経験のない人間には色々と辛いからな」
実演する様に組んでいた手を解き、左手を右から左へとスワイプすれば、ホロウィンドウが―――つまりはメニュー画面が出現する。不可視設定にしてある為向こう側からは見えないだろうから、設定で不可視を解除し、ウィンドウを削除してからもう一度実演し、ソフィーヤにメニューの表示方法を教える。それを見たソフィーヤがメニューを操作し、設定を確認していく。
「基本的にこの世界には食欲、睡眠欲、疲労と痛覚が存在する―――存在しないのは性欲と排泄関係だな。まぁ、性欲に関しては十八歳未満は解禁されねぇし、されるとしてもIDの提示とかで設定解除は面倒だから考えなくていい。それよりも重要なのは痛覚だ」
うん、と頷く。
「―――痛みは慣れてないとマジで吐くからな」
「えっ」
「そう驚く事でもないと思うけどな―――俺も割とVRゲーは黎明期から手を出しているし、痛覚設定の細かい設定が聞かない時代でも遊んでた。初期のころはオンかオフの二択だったからな。初めて食らったゴブリンの棍棒の一撃は凄まじかったぞ。肋骨が折れて肺に突き刺さる感覚をリアルに感じるんだ。吐くぞ。俺は吐いたぞ」
そして現実ではショック死寸前の状態だった。あのころは酷かった。リミッターや細かい調整が聞かなかった故に、事故やバグは基本の時代―――それがあるからこそ今のVRゲームの業界が存在しているのだが、苦い思い出はかなり大量に存在する。まぁ、それでもその経験があるこそ今、このNew Edenでトッププレイヤーの一角に食い込めているのだが―――。
「まぁ、ともあれ、痛覚は切っておくことをお勧めする。最初の内は剣を握ったりふるったりするのにも痛みを感じるしな」
PSを磨きたいのであれば痛覚設定は100%の状態でオンにしておくのがオススメされるのだが、メインシナリオの一章部分のみの攻略だったらそこまで凝る必要はないし、わざわざ痛い思いをして苦労する必要もない。ソフィーヤが終わりました、そういってホロウィンドウから顔を持ち上げたのを確認し、腕を組み直し良し、と呟く。
「では戦闘に関してアレコレを始めるが……現実の方で何か、武術とか護身術とか……ネットで他の戦闘経験ないよな?」
「あ、完全な初心者です。はい」
そうなると逆に話は簡単になって来る。”一般人”という生き物がどういうものであるか、それをよく理解していれば結論は簡単に出せる。いや、そもそも三か月以内に一章を終了する事が目的なのだから、最初から選択肢はなかったというべきなのだろうが。
「近接戦闘は完全に捨てて遠距離で行こう。というか武器全般はオススメしない。特に厳しい訓練とか必要のない魔法とかオススメだぞ」
「訓練とか……必要になるんですか?」
「まぁ、普通はな」
このVRゲーム、New Edenにはシステムアシストが存在しない。それはつまり素人は素人の動きしかできない、という事だ。レベルが上がれば能力による暴力も可能となるが、それはやはり鍛えられた上で生まれてくるものだ。基本的に、初めて剣を握った人間がそれを振るおうが、
それをまともに振るう事が出来る訳がない。
剣とはつまり”鉄の塊”でもあるのだ。それは重く、片手で握ろうとすれば手首を捻ることだってある。恰好ばかりの剣術をまねしようとすれば無理な動きに体が激痛に吠えるだろう。剣だけではなく槍、斧、短剣、近接戦を想定した武装の数々は少なくとも年単位の鍛錬を想定して存在している武装だ。ほかのVRゲームでシステムアシストを通し、基本的な動きを直接体に叩き込んだプレイヤーなら話は変わるが、完全な初心者となってくると鍛錬なしで近接武装には触らせたくない。
次に遠距離武装―――銃や弓の類になって来るが、これもこれで構え、狙い、そして”真っ直ぐ放つ”という技術が必要になって来る。競技用アーチェリー道具に触れたことのある人間であれば、それがどれだけ難しいものかを理解できるだろう。たとえ一般人だろうと普通に使える武器と言ったら自動小銃ぐらいだと言われているが―――技術的に存在しないので、最初から話にならない。
そうなると深い技術が必要にならない、そういう武器が好ましくなってくる。
そうなると、一番お手軽なのは魔法だ。基本的に相手と距離を開けて戦い、武器で戦う必要はなく、そして多種多様な役割を果たすことができるため、飽きを感じ難い。ともあれ、インベントリを左手の動きで開き、そこか紙のスクロールを取り出す。リボンによって開かないように結ばれているそれを取り出し、此方へと視線を向けているソフィーヤへと向けて投げ渡す。
「あ、と、と……えーと、これは―――」
「魔法習得用のスクロールだよ。New Edenではレベルアップで技や魔法を習得する事はない。魔法はほかのプレイヤーからこうやって教えてもらうか、或いは店舗から魔法が封入されているスクロールを購入し、習得するんだよ。と言う訳でそれは俺が愛用している魔法の中でも一番簡単なやつを軽く改造した奴が封入されてる。とりあえず開いて中を読めば習得できるはずだ」
「あ、はい……って改造ですか?」
「このゲーム、生産活動の一環で魔法の作成とか改造できるから……まぁ、当分は関係のない話だし、とりあえずそういうもんだと認識すればいいよ」
解りました、という返答を貰いながらソフィーヤへと視線を向ければ、彼女がスクロールを開き、その中に記録されている内容を読むことによって魔法を習得しているのが見える。その間にターゲットから数歩横へと離れる様に移動し、再び両腕を組んでソフィーヤの姿を待つ。数秒後、魔法を習得し終えたソフィーヤの手の中からスクロールが燃えて消えて行く。その姿に小さく悲鳴が漏れるが、直ぐに悲鳴を漏らした事に気づき、恥ずかしそうに口を押えていた。
なんというか、初心というか―――新鮮なものを見ている気分になる。
さて、と声をかけるとひゃ、と声を漏らしながらソフィーヤが反応する。
「……さて、これで【爆発】の魔法を取得してくれたと思う。これで魔法を発動する前提条件が揃ったって事だ。魔法に必要なものは基本的にMP、そして魔法を習得している事だけだからな。杖とか魔道書とかは基本的に威力を上げるためのブースターだから持っている必要はない」
ソフィーヤから視線を外し、何もない、誰もいない空間へと視線を向ける。右半身を前に出すようにし、右手を胸元まで引き、肘を突き出すような恰好で魔法を放つ為の態勢に入る。
「やり方は簡単だ。魔法を発動したいと念じればシステムがそれを感知して自動的に発動したい魔法の詠唱時間に入る。詠唱時間はそれぞれの魔法に設定された発動前の準備時間だ。詠唱時間に入るのと同時に不可視設定のホロウィンドウで詠唱完了までのカウントダウンが出現する親切仕様だから”あと何秒?”って考えなくて良い」
【爆発】、そう念じると0.2秒とホロウィンドウが表示され、一瞬で詠唱時間が完了する。見た目、一切の変化はない。詠唱を開始したから光った、魔法陣が出現した、そういう目に見える変化は一切ない。
「詠唱時間が完了したら魔法名を口にする。それで発動は終わりだ。こんな風にな―――【爆発】」
言葉を放つのと同時に右手を正面の空間を薙ぎ払うように振るえば、正面にある何もない空間に直径一メートル程、球状に爆発が発生する。小規模の炎しか発生しない、爆発の衝撃そのものに重点を置いた破砕向けの初級魔法だ。多少の炎は巻き上がってもそれは反動で肌に熱を感じさせる程でもなく、環境を”染め上げる”様なものでもない。
振るった腕を組むように戻しながら、ソフィーヤへと視線を戻す。
「と、まぁ、こんなもんだ。ほかにも色々とあるけどぺちゃくちゃ説明したところで全部覚えるのも億劫だろ。とりあえず一発二発、魔法をターゲットに当ててどんなもんかを聞かせてくれ」
ソフィーヤがその言葉に頷きを返し、そして動きを止める。自分の様に装備で極限まで詠唱時間を削減していれば一瞬で済む作業だが、初心者にそういう装備やスキルは存在しない。数秒ほど、棒立ちでターゲットを見ていたソフィーヤの表情が険しくなる。おそらくは詠唱はを終えたのだろう。魔法を放つ為にターゲットへと視線を向け、
ちらり、と此方へと不安そう人表情を浮かべた。口が動き出す前に、全力で横へ転がるように跳んだ。
「【爆発】!」
「トゥ!」
直後、爆発が発生する。規模や範囲は自分が放った一撃目と変わりはなく、魔法は成功した―――ただ一つ、数舜前までは自分の頭がそこにあったという事実さえ抜けば。ターゲットには傷一つなく、むしろ危なかったのは此方だった。
横に転がり、片膝を付いて爆発で発生した火の粉を片手で払いつつ、立ち上がり、
「殺す気か! このゲーム頭か心臓ブッ飛ばせばHP関係なく即死するからな! 死ぬぞ!!」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさーい!!」
息を吐きながらいいか、と言葉を置く。言わなかった自分にも責任はあるのだから。
「―――魔法に便利な必中属性とかはない」
俯いていた表情をソフィーヤが持ち上げる。
「基本的に魔法は”空間指定”するか”地点指定”するかの二種類だ。前者は範囲魔法、後者は単体向けの魔法だ。そして共通として魔法は”見える範囲を間合いとしている”からな。つまり放つ前にターゲットじゃなくて俺をチラ見したからこっちに飛んできたんだよ」
「あの、その、なんか本当にごめんなさい」
「気にする前に次の打て、次の。おっと、今度はこっち見るなよ。フリじゃないからな」
レベル300―――つまり限界レベルに到達しているが、耐久力に関しては完全に無振りだ、レベル300としての最低限の防御能力しかない。それでもレベル差の暴力があるからある程度は大丈夫なのだが、やはり、頭や心臓への攻撃は身に付いた習性として反射的に行動してしまう。だからちょっと言い過ぎたか? なんてことを考えてしまうが、危険な事は最初に危険だと解らせなくてはならないから、これで問題ないだろうと判断する。
そんな思考に没頭している間に、
「今度こそ……【爆発】!」
ソフィーヤが魔法を発動させ、それを成功させるようにターゲットを攻撃に当てていた。発生した爆発に飲み込まれ、少しだけ煤けるが、対魔法加工が施されているターゲットに大きなダメージは見えない。まぁ、当たり前だ。初心者が何度も練習に使う仮想標的なのだ、簡単に壊れてしまってはそもそも困るだろう。だけどそんなことを考えず、使った魔法がちゃんとターゲットに命中したソフィーヤは純粋に嬉しそうな表情を浮かべており、小さくガッツポーズを作るようにこぶしを作っていた。
その姿を眺め、小さく笑みを作って息を吐く。
それだけで楽しそうにできる彼女の姿に少しだけ、嫉妬を覚えながら。
「さて、余ってるというか腐らせてる未使用スクロールはまだまだあるから基本的なのはサクっと習得して、使ってみようか。使いやすいのをメインウェポンにして、ちょいと訓練しよう」
「はい!」
勢いよく答えるソフィーヤの姿を確認し、まだまだ仕事が始まったばかりなんだよな、と少しだけ、素直に受けてしまったことに後悔を感じ始める。
初心者が! 剣とか弓とか握って戦えるわけないだろ! というお話。もの凄く簡単なお話、慣れてない事をさせるには訓練必要だよ? という常識的な話で。システムのアシストがなければ世界はさらにシビアになるわけで……ではメリットは? となるとその話はまた今度で。




