顎の門《あぎとのもん》
離職者の多い職場だった。
仕事を覚える前に辞めていく者も多く、業務が滞る事が悩みだったが、主任を務めていた栗原来夢には、時間がもったいなかった。
教えられるより覚えろ式のやり方で、仕事を叩き込まれてきたからだ。
ついてこられないのは、捨てていくしかないと、業務をこなす。
携帯がメールを受けて鳴る。
勝手に読み上げる様に設定してある。
《気分が悪いので、病院に寄ってから、出社します。》
まただ。
決算が近く、残業が続くと、ひとり、ふたりと、脱落して行く。
人事に掛け合い、派遣を急遽、二人補充したが、足りないかもしれない。
データ入力は地味な作業だが、滞ると、とんでも無い事が起きる。
期日厳守は絶対だ。
栗原にとっての目下の悩みは、頭痛や風邪で体調を崩す部下だけでは無かったが。
それでも、目の前の仕事は減らないのだから、誰かが抱えなければならない。
年末は過ぎたから、3月末をどうにか抜ければ落ち着くはずと、自分で自分を洗脳するだけだ。
1時間後、携帯が話す。
《インフルエンザA型でした。
どうしましょう。》
どうって、休めとしか、答えようがない。
ウィルスを撒き散らせに来られても、迷惑なだけだ。
人事に派遣の追加を頼むが、人手不足この上ない。
悪評が、立っていてここに来る派遣は、かなり少ないらしいのだ。
人使いが荒いって言うなら、社員の俺らはなんなんだろう。
今回は、流石に派遣会社をチェンジしたらしい。
翌日、来たのがエルサレムだった。
日本人なら、京都御所とか東大寺とか天皇陵とかって、凄い苗字だ。
まあ、誰も拝んじゃいないが。
色白で、髪や眼が、尋常じゃなく黒い。
豆腐に佃煮を乗せて描いた似顔絵みたいだ。
あっけにとられていると、コッチに気がついたらしく、勢いよく立ち、頭をペコんと下げてきた。
「おはよう、ございます。
エルサレム、です。」
日本語は、大丈夫らしい。
挨拶もソコソコに、俺のデスクから、エルサルムの机に移動させた。
インフルエンザの中島の席だ。
立ち上げたモニターを見ながら、ここの入力
の書類を教える。
「漢字は、読めます。
へんや作り、わかります。」
全ての漢字に、偏や草冠がついてるわけではないが、仕方ない。
一応、漢字のスキャンのやり方を教える。
そこらの紙に、平仮名多投して、書いてやった。
「わたし、もっと漢字、わかります、よ。」
わかってるさ。
しかし、何処までか、なんて調べてる暇はないんだよ、今は。
中島の隣の前田が、出社してきたので、エルサレムを頼む。
和気あいあいと、話出した。
かまっていられない。
自分の仕事が、待っている。
即戦力を、頼みすぎたかと、不安が頭をよぎるが、昼までにあげる為に気分を切り替え、仕事に向かった。
一息つくと、昼休みまで、あと少し。
途端にエルサレムが気になる。
頭を巡らし、前田と目があったので、呼ぶ。
片手を上げると、前田も応えて片手を上げ、こちらに来た。
エルサレムの事を聞こうとしたら、彼が後ろに付いている。
「エルサレム君は、どうかな。
数字はまあ、大丈夫だろうが、文章入力への対応はどうかな。」
俺にあるまじき、言葉のチョイスに、前田が固まっている。
メール便の兄ちゃんにだって、こんな柔らかな物言いはしない。
「問題ない、ですよ。
前田、さん、教えるの、上手いですね。」
前田より先にエルサレムが答えやがった。
前田は、我に返ったらしい。
「コミニュケーション力は、あります。
ここの書類への理解度も高いです。」
良し、と思ったら、変な言葉が出た。
それぐらい、率先力が嬉しかったのだ。
「ランチ、行こう。」
前田が又凍りついた。
エルサレムはニコニコしてるし。
「ついてくる者は、他にいるか。」
サッと、他の奴らの顔色が変わった。
弁当を理由に、結局前田とエルサルムの3人でランチに出た。
まずは、何が食えるかだ。
エレベーターを待ちながら、聞く。
「食べられない食材ってあるのかな。」
「なまものが駄目です。」
前田、お前じゃないし、寿司なんかつまみにしか、ならないんだよ、俺は。
「ラーメン。」
満面の笑みで、エルサレムがラーメンを所望した。
「豚とか大丈夫なんですか。」
馬鹿前田、後輩に敬語か。
「心配、ありません。
私、郷に入れば郷、です。
国遠い、しばられないです、ね。」
衝撃。
どう見ても俺らより信仰心ありそうな外見をしている。
そう言えば、人事にそんな項目もあったのかも。
就業中に信仰心に振り回されては、たまらないし、残業アウトはこちらがアウトだったからだ。
前回の英國人は、色々とアウトだった。
ラーメンは、前田に任せた。
分厚いチャーシューが男好みのガッツリ系。
牛骨辛味噌大盛りが、汗を呼ぶ。
食い終わったら、ソファが優しいカフェに移動した。
意外とこういった場所が好きなんだな。
部下とは、まず行かないので、カウンター内で、ざわめきがおきていた。
前田は緊張して、アイスコーヒー。
エルサレムは、チーズケーキのセットで、ベリーのソーダー水をチョイスしやがった。
俺は、安定のアップルパイとレモンティー。
前田が慌てて、セットに変更。
ミルフィーユを追加したのには、笑えた。
エルサレムの日本語理解度はかなり高いのが、わかった。
笑いをこらえながら、注文をまとめると、一息ついた。
「どうかな。
仕事の質問はあるかな。」
真っ白な手に水の入ったコップが、透けるようだが、いかんせん指毛が黒い。
髭剃りあとも、透ける肌の中に青い陰を作っている。
「ありません、です。
前田、さん、の、ジョークもわかります。
漢字、1級、あります。」
ニヤリと笑うと、眼を細め前のめりになった。
「言葉も普通に話せますが、求められてるのは、たどたどしさらしいので。」
前田と2人、馬鹿になった気分だ。
「あら、早すぎましたか。」
エルサレムはニコニコしている。
「最初は、変なアクセントの日本語、使いますけど、疲れます。」
注文した物が次々とテーブルに運ばれてきて、話の続きは二の次になった。
アップルパイにはメープルシロップがかけられ、塩バニラアイスと小ぶりの四角いドーナツが付く。
ミルフィーユには、脇に苺やブルーベリー、ミルクのジュレが、かかっている。
チーズケーキに至っては、ベイクドバナナにバターソースが添えられていた。
ここのデザートは、一皿で何種類もの味が楽しめるのだ。
その上、量が多い。
ワンホールを6分の1カットで出してくるから、テーブルが皿で埋め尽くされる。
バターソースの香りにメープルシロップの匂いが混ざり、美味そうだ。
何時もながら、黙々と食べてしまう。
ケーキが終わる頃、小さな耳なしの食パンが、運ばれて来る。
3人に一枚ずつ。
馬鹿前田が、キョトンとしているのを尻目に、同じタイミングでパンを取り、皿を拭う。
ソースの最後の一滴が、腹に入った。
俺とエルサレムを見て、パンをとり、ジュレをすくって口に運んだ前田が、唸った。
ここのパンは、層になっているのだ。
白いパンの間に、レモンシュガーの層が挟まっている。
それが、かすかに砂糖のザラメ感を舌に残すのだ。
美味いものを食って満足だった。
携帯が喋らなければ、だが。
メールが、読み上げられた。
《祖母、危篤、早く、危篤。》
来たか。
食べ終えていてよかった。
社にとって返すと、今後の指示。
1時間後には、タクシーを捕まえて、病院に向かっていた。
俺らには育ての祖母だった。
身持ちの悪い父親が、取っ替え引っ替え女を連れ込んでいたので、実の母親の、記憶は無く、腹違いの弟や妹と祖父母にそだてられていたのだ。
その祖父も父も今はいない。
妹の綺羅が、目を腫らして待っていった。
泊まり込んでいる、弟の童夢も泣いている。
「キラ、やばいか。」
綺羅が頷く。
しゃっくりで、言葉が出ない。
「早く、来て。」
童夢が、ベットの脇から、声を絞り出した。
ばあさんは、縮んで、布団に埋もれていた。
厚みが無く、まるで生首だけ、浮いてるように見える。
グッと詰まるが、こらえた。
脇に優しい看護師の森谷さんと、研修医の常盤先生。
俺の後ろから、担当医の加賀先生が、走りこんできた。
誰の目にも明らかだった。
祖母は小さく、頭をめぐらせ、周りを見てから、俺に笑った。
100歳を超えていたが、丈夫で元気な人だった。
1番下の童夢がまだ23歳だったから、つい四、五年前まで、子育てに奮闘していたことになる。
そのまま、通夜、葬儀が、待っている。
3人で語らうこともなく、葬式に追われた。
3日ぶりに出社出来た。
どうにか、決算に間に合わせ、ホッとした頃、インフルエンザが、出社して来た。
エルサレムに俺のパソコンを、使わせることにし、俺は書類に判子を押すため、長椅子のコーナーに座っていた。
エルサレムの仕事ぶりは、前田の評価を聞かなくても、かなり良かった。
書類に判子を押す単純作業をこなすと、あろう事か、眠気が押し寄せてきた。
携帯にアラームをセットし、仮眠を取った。
こんな事は、入社以来、初めてだ。
そのまま、夢の中にいた。
亡くなった祖母が、透明の鬼の頭蓋骨の中に立っていた。
言葉が無いのに、祖母のことがわかる。
俺は一歩も動けず、鬼の口の中から、出るように、叫ぶだけだが、声が出ない。
鬼の下顎から、長い牙が伸び、上顎に刺さり、この世との境を見せつけているようだ。
水晶で出来たような鬼の顎が閉じ、中が曇ったのか、霞んで見えない。
《鬼籍に入ったんだ。》
そばに立っていた自分が、寝てる俺に教えてくれた。
見えないものに、なったんだ。
10分後に鳴ったアラームが、夢の世界から、押し戻してくれた。
ボンヤリ眼を開けると、エルサレムが立っていた。
「夢、観てましたね。」
頷く。
身体を起こし、書類の束を見る。
「鬼をしってるか、エルサレム君は。」
「知ってます。
追儺の鬼も、桃太郎の鬼も。
鬼って、目に見えないものって、意味もあったんですよね。」
流暢な日本語に、癒される。
「鬼籍に、入ったんだよ、我が祖母が。
それを夢で見たんだが、、、、。」
涙が溢れた。
エルサレムが、テッシュを箱ごと渡してくれた。
「鬼籍に入ってしまったら、しばらくは会えませんね。」
静かに泣く俺に、他のみんなは気づいてないようだった。
「優しい人、だったんですね。」
エルサレムの言葉は、静かだった。
俺は、涙をうっちゃり、仕事モードに戻っていった。
そして、彼に仕事を与えた。
エルサレムがパソコンに向かってる間に、書類を片付け、一息つけた。
こんな、心穏やかな時間は、久しぶりだ。
窓の外を、春の風が、吹き抜け、花びらを散らせている。
暖冬だとか、寒冷だとか、右往左往した今年の天気予報を裏切って、桜が早い。
人の生き死には、誰にも決められないが、行くべき場所には、信仰に関係なく行って欲しいと、思った。
エルサレムは、くえない奴だった。
ヘッドハンティングして歩いてる、外資系の会社の回し者だったのだ。
確かに、信仰心はいらないはずだ。
おかげで俺は、週休2日と年休30日を手に入れた。
年収は、2倍近い。
そして何より、働きやすい。
個人の集まりで、指示待ちなんてのは、存在しないからだ。
俺は時々、エルサレムとランチに行く。
あのカフェで、前田と出くわすこともあった。
ライムと、呼ばれてる俺を見て、びっくりしていたが、俺もイムズと、エルサレムを呼んでいる。
全ては分けられるのだ。
いくつもの扉や門で。
彼の名が聖地ならば、俺の名はまさに来世の夢だったのは、何処からの贈り物だったのだろうか。
次の休みに、祖母の納骨に三人で行く。
今までより、綺羅と童夢に時間を割いてやれる職場なのだ。
虚ろになりかけていた、俺の人生が変わった。
それもこれもインフルエンザのおかげか。
暖かさに誘われて、グルリと公園を歩く。
いつか、鬼籍に入れば、会いたい人に会えるだろう。
俺の鬼の口は、何処に開いているのか、今は知る気もないが。
新緑が、風に香りをつけて、俺からコートを奪って行った。
今は、ここまで。




