予定外の来客
セロは驚いた。
驚いてとっさに振り向こうとしたが、刃がさらに首へ近づけられ「動くなと言った」と強く言われたので、そのとおりにした。首元に釣り針をつかみ損ねた時のような痛みが走る。刃が肌に触れているのだと分かった。しかし、そんなことはどうでもよかった。この塔で誰かに急に話しかけられる。そのことが一番重大で、信じられないことだった。世界の事はまったく分からないが、まさか人間が湧いて出てくるようなことはないはずだ。一体どこから来たのだろう。
「お前はここで何をしている?海賊の仲間か?」刃の主が言った。
「俺はここに住んでいる。海賊じゃない」聞かれたことに答える。
「本当か?」
さらに聞いてくるので、しつこいな、と思ったが「本当だ」と答えた。この人間は海賊を恐れているのだ。確かに「海賊」というのは他人の物を奪うよくない人間だと聞いている。恐れる理由はある。
「俺はここで守り人をしている」こちらから話してみる。そう言えば握っていた竿が軽くなっている。せっかくの大物に、逃げられてしまって残念だった。
「守り人?何を守っている?」
「この下に眠っている竜神」
「リュウジンだと?」
「そうだ。この塔の下に眠っている竜の神様とやらが、目覚めて海を荒らさないように、俺が見張っている」
竜神という言葉に、後ろの気配が変わった気がしたが構わず話を続ける。早くこの状態から解放されて、振り向きたかった。
刃の主は「なるほど、風土信仰か」と呟くと、切っ先を首から離して海の方へ向けた。フウドシンコウという言葉を知らなかったので、なんのことか聞こうとしたとき、
「ユーリウス、もういいだろう」と声がした。刃の主ではない。
思わず振り向くと、また切っ先を向けられる。動かずに相手を見ると、飛び込んできたのは驚くほど綺麗な色をした髪の毛だった。胸のあたりまで伸びたそれは、日の光を反射してキラキラ光っていた。
「動いて良いとは言っていない」
顔にかかった髪の隙間から、こちらを睨んでいる瞳が見えた。空と同じ色をしている。
「ユーリウスもういい、剣をしまえ」
塔の影から声がする。おそらく目の前にいる人間がユーリウスと言う名前なのだろう。
「しかし…」
「よい、お前この人間が危険だと思うか?」
その言葉に目の前の刃がゆっくりと退く。そしてそのままユーリウスの腰に下げてあるものに収められた。それは本の挿絵で見たことがある、剣というやつに違いなかった。
すると塔の影から、声の主が姿を現した。
「失礼を詫びよう。脅すような真似をして申し訳なかった」
そう言って頭を下げる。顔はまだ幼く、背も小さかった。子どもだ。見たこともない装飾が施された服を着ていた。真っ黒な長靴を履いている。布にしては固そうな素材だ。
彼がもう一歩前に出ると、反対にユーリウスが彼の後ろに下がった。よく見ると、2人ともずぶ濡れだった。
「まさか、海から上がってきたのか?」
ひょっとして、という思いが口から出ていた。
「そうだ」とユーリウスが答えた。
「私たちは…」とユーリウスが続きを言おうとしていたが、そのまま2人の横を通り過ぎて、南の水平を見に行く。水平線に目を凝らしても、先ほどまで浮かんでいた丸太のようなものはどこにもなかった。
「おい」ユーリウスが背後から声をかける。
「そうか…丸太じゃなくてお前らだったのか…」
「お前とは無礼な。言葉を慎めこちらは…」
「つつしむって?なんだ?」振り返りながら言うと急にユーリウスの背後から笑い声が上がった。
「ははは!ユーリウス、こいつ面白いぞ!」
「王子、笑いごとでは…」ユーリウスが子どもに言っている。
何が面白くて笑っているのかよく分からなかった。そもそもどうして漂流などしていたのだろう。聞きたい事が山ほどある。
黙って見ていると、こちらに気付いたのか、子どもは急に真面目な顔になって「失礼」と姿勢を正した。
「私は中つ国第3王子、ハンス・クロエ・アッシュベルトだ。こちらは従者のユーリウス。ちょっとした事故で船から落ちてしまったところ、ここに流れ着いたのだ。溺れるところを助けられたな」
「なかつくに?だいさん…おうじって、王様の子の王子か?」
以前カムリに聞いた事があったのを覚えていた。国の中で一番偉いのが王様でその子どもの事を王子と呼んでいるらしい。どんな人たちだと聞くと、とにかく偉いのだと言っていた。
「じゃあ偉いのか」と言うと、「いかにも、そうらしいな」と子どもが頷いた。長くて名前は瞬時に忘れていた。
「分かったか。貴様、少しはわきまえろ」
ユーリウスの言葉に、わきまえるってなんだ?と聞くと、子どもがまた声を上げて笑った。