「食べもので釣るなんて、ひ、卑怯よ!」
一九九八年五月二十日。僕らは彼女の住処を訪れた。
「猫の話がしたい」と僕は言い、「あれは、あなたたちの仕業だったのね」と彼女は肩を竦めた。
アパートの扉を開けると、待っていましたとばかりに、とてとてと彼が歩いてきた。
「あの五日前、わたしは確かに袋を埋めたけど、中に詰めたのは偽物の人形だった。それだけで十分に騙しとおせると思ってたのに、まさか、わたしよりも悪いやつらがいたとは」
床の上で首元の鈴を鳴らし、気持ちよさそうに尻尾を立てて伸びをするのは、あれ以来、姿を消したはずの子猫だった。痩せぎすだった体つきも、見るからに健康的になっていた。
「代わりを詰めたのは、あなたたちね。前に冷蔵庫に入れすぎた豚の肉が、ちょうどあんな臭いをしていたわ」
「まぁ、五日も地中に埋めればね。正直、あそこまで腐るとは思ってもいなかったけど。後始末をしたレオなんて、帰り道にげえげえ吐いてたぜ」
「悪かったな。そう言うなら、おまえが掘りかえせばよかったんだ」
ふてくされるレオを横目に、魔女は部屋にむかい、ベッドに腰をおろした。
可愛らしい柄のパジャマに身を包む、そのしどけない寝起き姿に目を奪われてしまう。風邪でとりつくろう余裕がないのか、そもそも気がまわっていないのか、どちらにしてもこんなボサボサ頭の黒田を見る機会は二度とないだろうな……と考えていたら、うしろからこづかれた。
レオめ。魔女を狙うなら弱ってるところだぜ、と言ったのはおまえじゃないか。
「まず、質問」と黒田が手を挙げる。「あれがフェイクだとわかったのは、なぜ?」
「そりゃあ、あれだ。おれの名推理が炸裂し――」
「たまたまだよ。君が人形詰めの袋を埋めているところを見たんだ。僕ら三人でね」
阿呆な台詞を吐くレオの頭にはおかえしをくれてやり、隣のもう一人の彼女に指をさした。
「なんだ、わたしはてっきり、あなたの灰色の脳細胞が火を噴いたのかと」
「キミもか! キミもチョップが欲しいのか!」
わたしたち同じ中学なのよ、と彼女は珍しく八重歯を覗かせた。
やれやれ。この人、こんなにノリがよかったのか。ちょっと想像とは違った。
「あの日も三人で遅くまで部活の見学をしてたんだ。軽音部に楽器を貸してもらったら意外にハマって――その所為でうっかり忘れ物をしてしまった。バス停からひきかえした頃には辺りは真っ暗でさ、そこでザクザク土を掘る君を見かけた時にゃ、心臓がとまるかと思ったよ」
「なるほどね……。少し掘りかえすだけだからって、早めにはじめたのは失敗だったな。わたしってば、いつも詰めが甘いのよね」
そういえば写真の時も、ほくそ笑む彼女を見さえしなければ、疑いもせず皆と同様に怯えるだけだったろう。教師があの写真を、目の錯覚とか偶然の産物とは考えず、〝いたずら〟だと宣言したのだって、一度盗みだされたことに気づいたからに違いない。
言うとおり、彼女は悪さにはあまりむいていないのかもしれない。
「にしても、スコップを振るう姿を見かけただけで、どうしてこの子を連れ帰ったと考えたの? 本当にその、いたしちゃった可能性もあったわけじゃない。なにせ、わたしは中学からこっち、知らないやつはモグリってほどの恐怖の魔女様だぜ。猫の血をすするなんて朝飯前なのに」
悪ぶってそんな台詞を口にしながら、彼女はベッドのそばにおいてあった牛乳パックをとり、床にある小皿に注いだ。オンコの樹の下で寂しそうに鳴いていた黒猫は、今や部屋を横切るのも我がもの顔で、僕らのことなど忘れてしまった風に夢中で皿に顔をつっこんだ。
「よくよく考えてみると、理屈があわなかったんだよ」
「理屈ときたか」
「もし、キミが血も涙もないホラーマニアの猟奇野郎だとしたら、さ。猫の死体を埋めてしまうだなんて……こう言うと不謹慎だけど、そんなもったいない真似はしないと思ったんだよ。自分の手でやっちまったとすれば、なおさらだ。楽しむのが第一の目的なら、わざわざ墓をつくって、掘りかえされないかもしれないリスクは避けるだろうなって」
それに写真のこともあった。
見れば壁際のパソコンラックには、案の定プリンタとスキャナが設置されていて、写真用の印刷紙まで散らばっている。担任が回収したはずの写真を委員長に渡したところで、もはや間違いないと踏んではいたが、今ではなぜあんなに悩んでしまったのかと悔しく思う。
「あの心霊写真だって、あとから考えてみればおかしかった。百年ものの大樹なんて格好のネタじゃないか。なのに、そこから遠ざける仕込みをするなんてね。そういうなんとはなしに感じてた疑問が、穴掘りにいそしむ黒田の姿を見て、一気につながったんだ」
「なかなかやるじゃない……。あなたたち、才能あるわよ」
「ありがとう。まぁ、それに、なんつーか」
「うん?」
これはちょっと言うのが気がひける。
「あー、一番の理由はだな」と口ごもり、彼女から視線を逸らせば、隣でレオがわざとらしく口笛を吹いた。もう一人の彼女も目頭を揉むふりをしてまで吹きだすのをこらえている。
こいつらめ。やけに背中を押すなと思ったら、こういうことか。
「なに、もったいぶらないで教えなさいよ」
「……黒田はさ、わけもなく人を脅かすようなやつには見えなかったんだよ」
「へ……?」
恥ずかしくて顔を覆ってしまいたくなる。
ああもう。でも、嘘は言っていないぞ。あのジャングルの奥地を連想させる教室で、最初に挨拶をかえしてくれた黒田のことは、どうしても悪いやつだと思えなかったんだ。
「ざ、残念だったわね。わたしは理由なく人を恐怖のどん底に陥れるのが大好きよ!」
鼻が詰まった声でそんなことを叫ぶ彼女には、やっぱり魔女なんてあだ名は似合わなかった。
僕らは彼女の許可を得て、部屋の中央でだしっぱなしになっているコタツに座り、そろそろと足を差し入れる。いつだってコタツには魔力がある。春もそろそろ終わるという時期なのに、なぜか火がついていて、とたんに動きたくなくなってしまう。
あのドアをノックするまでは、あんなに緊張していたっていうのにな。
手の内を明かしてカードをめくっていくことが、こんなに楽しいとは。
「それにしたって、あなたたちも人が悪いわ。この一ヶ月、うちにくるならいつでもよかったじゃない。なのに、わざわざこんな死ぬや死なざるやってタイミングで」
ずずず、と鼻をすすりティッシュの箱をつかむ黒田。我慢していたのか、立てつづけにくしゃみが放たれる。
「こんな時でもないとキッカケがつかめなくて……いや悪かった。具合はどうなんだ」
「人間を四十度のお湯の中につけこむと、どうなると思う?」
「おい、そいつはバグだ。すぐに病院へ行くぞ」
彼女は「峠は昨日よ」と、けだるく手を振った。
すでに医者には行ったらしく、枕元におかれた錠剤を示される。そのむこうには雑多に本が積まれ、いくらか知ったタイトルが見えて親近感が沸いてしまう。
「しっかし、弱ってる女の子の部屋に押しかけるなんて、よくやるわ。あなたもそう思わない?」
「確かに犯罪の匂いしかしないよねぇ」
話を振られたもう一人の方の彼女が、ようやく会話に入ってきた。
こちらも黒田とは知った仲である。中学も一緒だったと聞いている。
「村瀬さん……よね。わたしたち、もしかして初めて話すんじゃない?」
「かもね」
彼女は村瀬雪という。たぶん、制服を着ていなければ、すれ違う十人が十人とも小学生と見紛う容姿をしている。綺麗に切りそろえられたオカッパが幼さをより強調しているのだが、それを指摘すると烈火のごとく怒ることは体験済だ。レオのやつとも親しいらしく、部活まわりには何度もつきあってくれた。
そう、あの放課後に一緒にいた彼女だ。深泥を押さえる役をやってくれた。
「椎子ちゃんと違って、中学じゃ別のクラスだったからさ。魔女については怖い噂しか聞かなかったよ。でも、話してみるとなんか、意外って感じ」
「ふふ。女の子は化けの皮を何枚も被ってるもんさ。村瀬さん、あなただってそうじゃないの?」
「さて、どうでしょ」
彼女は薄く微笑んで、頬を卓の上にのっけた。
「でも、今日のお化粧の薄いあなたは結構好きだよ」
目を丸くする魔女の彼女。
「ま、まさか家にあがったくらいでカノジョ面しちゃうタイプ? いるわよね、そういう子」
「男の子を二人も連れこんじゃう人は言うことが違うなぁ。でも、次からは気をつけた方がいいよ。今日だって、あたしがいなかったらどうなっていたことやら」
「信用ないな、僕ら」
「男がみんな狼だと思ったら大間違いだぞ」
二人して文句を言ってみたが、村瀬は犬でも追い払う手つきで僕らを黙らせる。
「あたしが男の子なら、今頃ベッドに縛りつけて、喋れなくなるまで可愛がってあげてるところだけど」
なんか凄いことを言いだした!
「もち冗談だよ」と村瀬は目を細める。しかし、なぜか手をわきわきさせながら「あたしたち、友達でよかったね?」なんてつづける。
黒田は己の体を抱きしめるようにして彼女から距離をとった。
「と、友達なんて気が早い。せいぜいまだ、お知りあいってところじゃない」
「あれだけ熱い夜を過ごしたっていうのに、黒田さんったら、まだそんなこと言うの?」
「身持ちは固い方でね」
「おやおや。その威勢がいつまでもつか試してあげよう」
村瀬がコタツから抜けだして、立ちあがる。びくっと体を震わせる魔女の彼女。しかし、村瀬は小さな体を揺らしながら、そのまま玄関へとむかった。そこにおきっぱなしにしていたのは、とっておきの秘密兵器だ。
彼女はぎゅうぎゅうに膨らんだ買い物袋を抱えて戻ってきた。ここまでの途中でスーパーに寄って仕入れてきたもので、肉やら野菜やらポカリスエットやらがいっぱいに詰まっている。
「男の子って気が利かないからね。あたしが言わないと、手ぶらで押しかけるつもりだったのよ、この人たち」
「な……」
それを聞いた魔女は、しばし口を開けたままでいると。
「あなたたちって、まじでイイヤツだったのね……」と呟いた。
そして、村瀬のその勝ち誇った顔ときたら。
「ククク、これであたしたちは友達だ」
「食べもので釣るなんて、ひ、卑怯よ!」
「なんとでも言うがよい。シチューつくっておいとくから、食欲なくてもちゃんと食べておくんだよ。こういう時は栄養をとらないと駄目なんだから」
それだけ言い残すと、彼女はくるりとターンをきめ、食材を抱えて台所にむかった。両の腕をめくり、冷蔵庫を開けたり調理器具を確認しはじめる姿は、なんとも頼もしく映った。
隣のレオを見れば、彼もこちらに視線をやって苦笑している。教室では自己主張の少ないウサギのイメージであった村瀬雪だが、今日のことといい、あの夜の作戦にのってきたことといい、人は見かけによらないもんだ。
まぁ、それを言うと、この部屋の主もそうなのだが。
「……どうやら、わたしたちは急遽、友達になったみたいだけど」
「シャイなたちでさ。本当は一ヶ月前にきりだしたかった」
「まったく、面白いやつらね、あなたたちって」
魔女はベッドから降りると、近くの本棚をあさりだした。目的の品はすぐに探しあてたらしく、何事かと見あげる猫をひとなでしたあと、卓の上にそれをおいた。彼女はそのまま僕らと顔をつきあわせてコタツにもぐりこんでくる。
「委員長に、最初に猫の声を聴かせたのはわたしよ」
黒田が僕らの前において見せたのは、MDのカセットだった。
「いくらハッタリが大好きなわたしでもね、あの墓にナマモノを埋めるなんて思いつきもしなかったから、いざという時はこいつで脅かして皆を追い払うつもりだったのよ。なのに、そこのライオン君がスコップなんて持ちだしてくるから、本当にひやひやしたわ」
「ライオン君っておれのことかよ」とレオが唸る。
他に誰かいて?とおどける黒田。教室ではなかなか見がたい魔女の姿だ。
「スコップはおれが用意したんじゃないぜ。ああなるのは想像しておいて然りだった。おまえはいつも大事な時に一つ抜けてるんだ。樫木のやつの時も、それで失敗したの忘れたのかよ」
「樫木って?」
僕が問うと、レオは片目をつむって黒田を示した。
「おまえの前にこいつの隣に座ってたやつさ。確か四月に話したろ。あんなに真面目だったのに、魔女にかどわかされて、以来すっかり不登校の不良になっちまった」
「わたしは柳を幽霊に見せるやり方を教えてあげただけよ。……最初はうざいから追っ払おうとしただけなのに、妙に目ざとくて。おまけにハマっちゃったのか、あのあと、散々くだらないことにつきあわされたわ」
「なんだ、そうだったのか。――ま、樫木の件もあったから、おまえとはずっと話してみたかったんだ」レオはキザったらしく両手を広げて言う。「案の定、面白いやつだった」
台所から包丁がまな板を叩く心地よい音が響く中、僕らはコップを失敬してきて、ポカリで乾杯をした。むこうで村瀬が料理してくれているというのに、菓子の袋を開いたりもする。そのうちレオのやつが「猫の鳴き声って、あれ黒田の声だろ?」なんてことを聞く。「自分で録音してて恥ずかしくなかったのか?」
魔女はまだ少し赤みを帯びた顔に手をやって「五回目からはハイになってきたわ」と答えた。その矛先が、今度は僕にむく。
「あなたはどうだった?」
ポケットからウォークマンをとりだし、彼女たちの前に放った。ワイヤレスで再生できる優れもので、今年のお年玉はすべてこれに消えた。ビニールで包んでいたというのにまだ臭いがとれないが、それ以外に支障はない。普段はホロヴィッツのピアノなどを入れて楽しんでいる。
あの夜には、暗い穴の底から黒猫の断末魔を響かせた。
「僕がハイになったのは、二十を過ぎた頃からかな」
ぷっと吹きだし、三人ともが腹を抱えて転げた。
さて、村瀬の鍋からいい匂いが漂いはじめた頃のことだ。ポーンとドアベルが鳴った。こんな時間に誰かしら、と黒田が寝癖頭をかきあげる。僕とレオは顔を見あわせた。予定どおりのタイミングだった。
台所にいる村瀬が代わりにドアを開けた。この位置からではうまく確認できないが、そこには僕らに馴染みの顔があるはずだ。とてもとても、よく知っている。
「や」と僕は挨拶をおくった。
横で黒田がまた、その特徴的な目を大きく見開いていた
訪れた彼女――深泥椎子は、台所を抜けて部屋までくると、コタツに居並ぶ面々を順に見た。最後に部屋の隅で耳の裏をかく子猫の姿を発見し、呆れたとばかりに深々と溜息をついた。
「裏切り者が三人もいるわ」
釣りあがった瞳が僕らをねめつける。
「そして魔女が一人、いなくなったはずの黒猫が一匹」
うしろから姿を現した村瀬が「ごめんね、シイちゃん」と彼女の肩に手をおく。
深泥は村瀬の頭を軽くこづくと、僕らの横を通り、猫の元へむかった。床に膝をついて手を伸ばす。一月ぶりに会うにもかかわらず彼は憶えているようで「にゃあん」と彼女の手のひらに頭をこすりつけた。鈴が綺麗な音を響かせる。
「あー……それ、すごく気持ちいいでしょ」と黒田が言う。
「多幸感を感じる」
「そ、そうでしょう……」
見つめあう二人の間を割って、僕とレオは解答編をはじめることとした。事実にいくつかの想像を交えた、ここまでのストーリーだ。
あの学校には猫に餌をやる二人の少女がいて。
互いに互いをよく知ろうとしてこなかった所為で、不幸な結末を迎えようとしていた。
雪が降るこの土地では多くの野良が冬に死ぬ。そのことは皆、承知していて猫との間にラインをひいた。家で飼うつもりがないクラスメイトたちは、ただ彼の頭をなでるだけ。飼いたくても飼えない委員長は、里親を探すまでを己の立ち位置と決めた。一方で、魔女は遅々として進展しない状況に苛立っていた。ひとり暮らしの自分なら猫を飼える。だけど過去の悪行のため、真正面からひきとると言っても、委員長は許してくれないだろう。
「そこで考えたのが、まず写真のいたずらだったんだよな」と僕は言う。
「……うん。やるには、まだ気が早いとも思ったんだけどね。学校の鍵を盗んだところで、なんか、もう気分が盛りあがっちゃって。写真も一晩でつくった割によくできてたでしょ?」
「まぁ、ね」
「あれでみんなオンコの樹を敬遠してくれれば、あとはこの子をひきとるだけだったのに。委員長のしつこさには、マジで参ったわ」と魔女はばつが悪そうに答えた。
なにせ端から見ても犬猿の仲とわかる二人のこと、たとえこっそり猫を連れ帰っても、犯人として名指しされるのは目に見えていた。だからこそ、彼女は企んだ。
「どうせ疑われるなら、いっそ派手に暴れてごまかしちゃえと思ったの。墓をつくって、幽霊の声でも聞かせてやれば、うやむやにできるかなって。……今から考えれば浅はかだったけど」
「まさか、おれたちが見ていたとは思ってもいなかっただろ」とレオがにやける。
夜の学校でひとり土を盛る彼女の姿を見て、僕は事のあらましに気がついた。聞けばレオも村瀬も、薄々そういうことではないかと考えていたらしい。ただし、それを正直に委員長に伝えても信じてはもらえないと思われ、黙っていても心ない人間に墓をあばかれてしまう可能性があった。そうなれば事態は悪い方向にしか進まない。
だけど。
登場人物のすべてが僕らであったなら?
「僕は電気屋にウォークマンを、村瀬はスーパーへ豚肉を買いに走った。レオは黒田が帰るのを待って墓を掘りかえした。予想どおり猫の死体なんて埋まっちゃいなかった。その夜のうちに筋も粗方決まったよ。これからなにもなければ、それでいい。なにかあったとしても黒田の仕掛けだけで話が済むなら、それでもいい。でも、そこで終わらないなら――僕らのターンだ」
深泥と親しい村瀬は、彼女が無茶をしようとしたらとめる役を名乗りでた。また、大声で叫んで皆の腰を砕き、帰らせる役も。誰かがスコップを持ちだしたら、レオが率先してひき受ける手筈にし、僕は猫の断末魔を自作して、それを流すタイミングをただただ待った。
「あとは知ってのとおりさ。でも、あれだけじゃ後味が悪すぎると思ってね。どこかで解決編をやりたいって、機会を窺っていたんだよ。……深泥にも悪いことをしたから」
「悪い探偵もいたもんね」と深泥が頬を膨らます。「あんた、ノックスの十戒を知らないの?」
「ごめん」
僕とレオも立ちあがって、深泥に頭をさげた。
彼女は「ちぇっ」と顔をしかめ、目を閉じる。拳が振りあげられ、己の額を叩く。
「でも、本当に悪いやつは私ね。黒田を魔女なんて呼んで……もっと話をすればよかったのに」
そんな彼女を見あげて黒田が言った。
「そうね! 深く反省するがいいわ、委員長!」
「てめぇ、クソ魔女がぁぁ!」
コタツにふんぞりかえる黒田を踏みつけようと荒ぶる深泥。それをうしろから抱えてとめる村瀬。僕とレオは笑う。出会った頃には、こんな風に集えるなんて想像もしなかった。
騒ぎが一段落したところで、レオがわざとらしく咳をして、手をあげた。
「これは、中学で部活に入ってすぐやらされたことなんだが」
「あれ、初耳。なんの部活だったんだよ」
「野球さ」僕の問いに、彼は耳の裏をかきながらつづける。「まぁ、そこでな。一年の面子だけ集められて、互いにあだ名を考えろって言われたんだ。おれの〝レオ〟もそれだよ。チームメイトとしてうまくやるためには、あだ名で呼びあうのが一番だって話だった。なぁ、ロリ子?」
彼は村瀬を指してそう呼んだ。体を表すぴったりの名であった。とはいえ、さすがにこれは怒られるんじゃないか……? そう思われたのだけど、意外にも彼女は小さな肩を竦めるのみに留めた。どうやら今にはじまったあだ名ではないらしい。
「こんな風にね。おまえらにも、ちゃんとしたあだ名が必要なんじゃないか。いつまでも〝魔女〟に〝委員長〟じゃ、うまくいかねーだろ。――おい、まず深泥!」
黒田を組み伏せようとして下から三角締めを食らってもがいていた深泥が、うざったげにこちらをむいた。……あれ? さっき一段落したところじゃなかったっけ?
「なに?! ちょっと今忙しいんだけど!」
「おまえ、今日からドロシーな」
「は?」
「深泥椎子で、ドロシーだ。我ながらいいあだ名だと――」
「思うかぁ!」
叫んだ勢いで黒田を振り払うと、ドロシーこと深泥は立ちあがってレオに詰め寄った。今にも噛みつかんばかりの形相であったが、それも彼がぼそりと吐いた言葉に威勢を失ってしまう。
「誰のために?」
「ぐ……」
「やっていると?」
「う、ぐぐ……」
二人だけの内緒話のつもりか、声を潜めて手などをあてているが、最寄の僕には駄々漏れだ。
「あの穴を掘りかえすのは辛かったなぁ」
「よ、余計なことを」
「おれたちが御厨にのったのは、中学の頃からおまえらを見てた所為だぜ」
ぬう、と彼女の唇が固く噛みしめられる。わなわな震える両手が、内なる葛藤の凄まじさを物語っていたが――最終的には、がっくりと項垂れて呟いた。
「わかった……。わかったから、せめてシイって略して。ロリ子からもそう呼ばれてるし」
それから、猪木アリ状態のまま警戒を解かずにいた魔女にむきなおる。
「で、あんたはクロエよ」
「く、クロ……?」
「黒田絵里子でクロエリっていうのも、なんか普通でムカつくし。せいぜい、この恥ずかしいあだ名で三年間、私とともに悶え苦しむといいわ」
「え、おれは超かっこいい名前だと――」
「黙れよぉ!」
最後のツッコミは、なんと二人そろってのものだった。
む、と口を押さえて深泥――いや、シイは相手を見つめる。クロエと呼ばれることになった彼女も身を起こすと、おずおずと歩み寄る。自然と手が差し伸べられて、握手の形となる。
「あのアホのライオン君はいつか殺そうね、シイ」
「気があうわね、クロエ」
感動の瞬間であった。
そこにもう一人のあだ名つきが加わる。ロリ子だ。彼女は満面の笑みで二人に駆け寄ると、そのまま遠慮なしにダイブした。「ちょっ」「うげえ」少女たちの声が重なる。床の上に転がっても、なお嬉しそうに頬をすり寄せるロリ子の様を、黒猫がまんまるの目で注視していた。
「ね。せっかくだから、みんなでご飯食べようよ。もう少しでシチューができるよ」
「いいけど」シイが横の彼女に問う。「クロエは大丈夫? 今さらだけど、風邪だったんでしょ」
「あなたたちの馬鹿につきあってたら、どっかに吹っ飛んじゃったわ」
彼女はおばけのように広がる黒髪をかきあげながら、僕とレオに振りむいた。
「ほら、なにやってんのよ、男子ども。早く食器を並べなさいな」
色素のない唇を横にひきのばして、クロエは不器用に笑ったのだった。