「〝人喰いジャック〟を倒しに行こう」
後年再訪した際に気づかされたのだが、新谷市が小さな街だというのは純粋に規模の話ではなかった。札幌への通勤を想定して開発されたこの街は、むしろ広大な土地が整備されている。ただ、住民の数がそれに見合っていないのだ。十年後の世界では空き家も増えてきていると妹から聞いた覚えがある。それゆえ店舗数も少なく、〝人喰いジャック〟から逃れた僕らが最寄りのコンビニへ辿りつくまでには、あまりに時間がかかりすぎた。
通報を終え、公衆電話のボックスからでた時には、胸に後悔が質量をもって渦巻いていた。
ざんざん降りの雨の中、腕時計を見る。
今から警察がきたとしても、もはや間にあわないのではないか。
いつのまにか地べたに座りこんでいた。頭を抱え、虫のように丸まる。いつか、過去へ戻ってきたのには理由があると考えた。この世界には、やりなおさなければならないなにかがあって、その問題を解決しなければ先には進めないのだと。だけど、僕にはできなかった。すでに〝人喰いジャック〟はシイを食し、レオとロリ子も、もう……。
これから僕はおそらく平然とこの事件を忘れ、受験をして、遠く離れた大学に通い、就職をして、またつまらない会社生活をおくる。そうして妹の結婚式を迎える前に、再びこの過去へと戻ってくる。何度でも、何度でも、何度でも。
これが単なる夢だったらよかった。
どれだけ繰りかえしても、愚かな僕は失敗する。
やりなおしたって、まったくの無意味なんだ。できないとわかりきっているのに、どうして僕をここに連れてくる? いったいこれ以上、なにを望むんだ。この先、またあの地獄を見なければならないなんて、気が狂ってしまいそうだ!
「警察は呼んだんだね」
見あげれば、魔女が髪を濡らして佇んでいた。
ふと思う。もしかしたら今回は、以前よりもましなのかもしれない。少なくともここにいる限り、クロエだけは守ることができる。己の額をぬぐって気づく。未来の御厨浩平はここに何針も縫った傷痕を遺していたが、今の僕にはそれがない。それはこの失敗ばかりしてきたリテイクの中での唯一の成功なのではないか。
なのに、彼女はまつ毛から水滴を滴らせながらも、その黒目がちの瞳に意思を灯して。
「なら、戻らないと」
そう言った。
「……駄目だ」
意気地なしと笑ってくれたっていい。だけど、ただ一つ手に入れた彼女の無事を、どうしてここで手放せる? それに戻ったところで、僕らにできることはもうなにも。
「なにもしなかったって後悔を、この先未来まで持っていくつもりなの?」
公園の暗闇で自失していたはずの少女はすでにどこにもいなかった。
彼女の右手には、僕が通報している間にコンビニで仕入れたのだろう、刃の長い大ぶりのはさみがあった。だけど、はさみなんて、どうして。
傷のないはずの額が、ずきりと疼く。
「彼を化け物にしてしまった責任は、わたしにあると思うから」
あの教室の窓際で、日差しを浴びて艶やかに輝いていた黒髪を、クロエはひとまとめに掴みとり、そっとはさみを入れた。水気を含んで重たくなったそれは、ばさり、ばさりと音をたててアスファルトの上へ落ちた。
とめる間もなかったと言えば嘘になる。ただ、僕は彼女の持つ雰囲気に飲まれてしまっていたのだ。あのオンコの樹の下での対決を不意に思いだした。そうだ、彼女はたとえひとりでも、一度やると決めたならどんな方法を使っても必ずやりとげる、僕らの教室の魔女だった。
すっかり短くなった髪を頬に揺らして、彼女は白く細い手で僕をひいた。
「〝人喰いジャック〟を倒しに行こう」
あれほど強く体を打っていた雨も、いつしか小降りになっていた。




