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1999remember  作者: 板空六花
人喰いジャックの夜
30/48

「三日前から、シーコが家に帰ってないらしいの」

 それからの二週間は平穏な日々であった。

 新たなバラバラ死体がでたという知らせはなく、僕らの昼間の活動にも特段の進展はなかった。街の暗がりに赴いても、偽ジャックに襲われた時のような緊迫した状況に陥ることも二度となかった。それはロリ子の力によるところが大きいのだろう。たまに心臓のバッジをつけた少年たちとすれ違い、クロエやレオに気づかれない程度に目礼を受けた。僕らは真剣に事件を追っているつもりでいて、その実、蚊帳の外へおかれているようだった。

 そろそろ二学期の開始が近づく頃になって、一旦、非日常からは離れた。理由は半ば手づかずのまま放置していた宿題にあった。さすがの魔女も、積みあがるプリントの山には絶望を感じたらしい。〝人喰いジャック〟探しは、また学校がはじまってからの放課後に、と約束を交わしてチームは解散となった。

 ところが、始業式の朝にその魔女から電話がかかってくる。

 妹の美咲が渡してくれた受話器を耳に寄せると、地獄の窯の底のごとき、おどろおどろしい呻き声が聞こえてきた。

『人間を四十度のお湯の中につけこむと、どうなると思う?』

 どこかで聞き覚えのある台詞だった。

『……ちょっと、返事くらいしなさいよ。あなた、すごく愛想が悪い』

 おまえにだけは言われたくないよ、と僕は呻く。

 クロエの声は気だるげな猫を彷彿とさせる。口調もひどくつっけんどんで、彼女を知らない者が聞けば、いったいどうしてそんなに怒っているのかと不思議に思うだろう。僕もこの時代に戻って間もない頃には、口をきくのもおっくうなほど嫌われてしまったのかと落ちこんだ日があった。

『で、四十度のお湯の中にね』

「いや、それはさっき聞いた」

『真面目に聞いていなかったような気がして』

「え、真面目な話だったの?」

『そうよ、実に』

 本当に人と話すのが嫌いなら、そもそも僕らの出会いはなかったし、こんな風に朝っぱらから電話をかけてくる仲にはなれなかったろう。

 はじめこそ戸惑ったが、よくよく見ていれば、教室での彼女は誰に対してもこんな感じだった。どうやら生来の話し方であるらしい。それが中学では多くの誤解を受けて、あげくに〝魔女〟だなんてあだ名をつけられてしまった。

 よく知ればこんなにお茶目な女の子はなかなかいないのになと、受話器を片手に、この一年と少しの間、彼女とつきあってきた感想を思い浮かべていた。

『ところで、あなた〝ミサキ〟って知っているかしら』

「それは、これから飯を食って登校しなきゃならん朝に、わざわざ電話してくるほどの話か?」

『とても重要な話よ。これからのあなたの行動に影響をおよぼすわ』

「マジで?」

『そうマジで。なので、今日はミサキについてお話をしましょう』

 丁寧語になったクロエは必ずと言っていいほど、身の毛がよだつ話をする。そのことは過去の経緯で十分に承知していたので、慌てて「まきでお願いします」とつけたした。

『わたしね、これまで話してこなかったと思うけど、生まれは四国の方なのよね。親戚もむこうにばっかりいるから、昔は長い休みになると飛行機にのっておばあちゃんちに遊びに行ってたな。ミサキの話を聞いたのも、そのおばあちゃんからよ。なんだか懐かしい気分になるわ』

 ミサキ。

 その名にはやや戸惑いを感じていたのだが、少なくともこれは僕らの知る誰かの話ではないようだった。

『というより、あなたの知りあいにミサキなんて名前の子がいるの? わたしの周りには小学校の時も中学校の時もクラスメイトにはいなかったけど。ミサキなんて名前をつけられた子は』

「前うちにきた時に紹介したよな。僕の妹が美咲(みさき)っていうんだが……」

『……それは可哀想ね』

「可哀想ってなんだよ! 僕の妹だぞっ」

 思わず叫んでしまってから、はたと気づいて横を見た。居間へつながるドアの隙間から、お姫様カットの女子中学生がこちらを覗いている。じぃと見つめられてしまい、耐えきれず背をむけた。必然とクロエに対しても小声になってしまう。

「おい、頼むよ。頼むから要点だけ伝えてくれないか。そろそろおなかもへってきた」

『あなたの妹には悪いけれど、ミサキっていうのはあんまり縁起のいい名前じゃあないの』

「いや、僕の妹の話はもういいよ。見られてるんだよ、今。すっげー監視されてる」

『もしかしたら最近の流行なのかもしれないけど、でもね。あなたのお父さんやお母さんが生まれた頃には、誰も子どもに〝ミサキ〟なんて名前をつけようとは考えなかったはずよ。時代が変わって、いつのまにか忘れ去られてしまったのね」

 必死の懇願はあっさり無視されてしまって、とても悲しい気分になる。

 かちかちと壁時計の秒針が音を立てていた。はたして僕は始業式に間にあうのだろうか。

『ある夏休み、おばあちゃんちで熱をだして、そのまま三日間ほど寝こんでしまったことがあった。むこうの八月は気温が高くてね、こっちとは比べものにならなくらい蒸し暑くて……布団の中でずいぶんとうなされたわ。そんな眠れない夜におばあちゃんがしてくれたのが、ミサキの伝承だった。彼らは山や川から、風にのってやってくるという』

「幽霊のようなものか」

『そうね、それに近い。もう少し言うと、ミサキとは怨霊よ。不幸にあって死んでしまった者が、まだ生きている者を妬んで災いをもたらす。だけど他の伝承と異なる点は、決して目には見えないということ。ミサキにあたった人間は、まず悪寒を感じてその事実に気づく。でも気づいた時にはもう遅い。次の日には原因不明の高熱が襲うの』

 電話越しにクロエが囁いた。

『わたしはどうやら、またミサキに憑けられてしまったみたい』

「――なんだって?」

『四十度の熱がでて、本当に危ないところだったの』

 か細い彼女の声に、僕は数秒をかけて天井を仰ぎ、かえすべき言葉を探した。

「それって、ただの風邪じゃね?!」

『死にかけたわ』

「いや風邪だろ!」

『頭痛がする……は、吐き気もだ……』

「お大事にしてください!」

 言うと彼女は一転、調子をとり戻して早口でまくしたてた。

『どちらかというと、腸に菌が入ったみたいでね。えらい目にあったわよ。とても言葉にはできないくらい陰惨な出来事もあったわ。……そんなわけでここ三日ほど入院してるの。わたし』

「えっ……おまえ、本当に大丈夫か」

『なんとかね……。点滴まで打たれたのには参ったけど。着替えとかもシイが持ってきてくれたし。あの子、トトの面倒までみてくれて』

「なんだ、仲いいんじゃないか」

『弱みを握られたわ』

 そう言うなよ、とかえしつつも、二人のつながりが途切れていないのを知って、なんだか安心した。あれから心配していたが、シイも勝負は勝負と考えていてくれたのだ。

『というわけでね、退院は今日のお昼らしいんだ。今も病院からかけていて、始業式にはでれそうにない。そこであなたにお願いなのだけど、学校が終わったらシイと一緒に迎えにきてくれないかしら。着替えが増えすぎちゃってさ。……帰りまであの子に荷物を持ってもらうのもあれだし』

 美味しいものでもおごるわよ、と言われて、確かにこれで僕の行動は決まったのだった。

 その日は式だけで授業はなく、レオやロリ子に事情を離すと皆で彼女を迎えに行く流れになった。病院は市の外れにあり、学校からはバスでむかった。ただ一つ予定と変わったのは、シイまでもが学校にきていなかったことだ。もしかしてクロエから感染(うつ)されてしまったのかもなと、道すがら考えていた。

 病院の敷地内にはオンコが植えられており、早くも小さな実をつけていた。その独特の匂いは学校の生徒の間でも不評であり、名前を一字入れ替えて、なんとも品のない呼ばれ方をしている。僕らはなるべく呼吸を抑えて広い駐車場を横切ると、院内へ足を踏み入れた。

 クロエはロビーのソファーにちょこんと腰をおろして、僕らを待ってくれていた。

「ありがとう。皆してきてくれるだなんて、やっぱり持つべきものは心の友ね」

「やっぱ教室におまえがいないと、僕も調子がでないよ。体の方はもう平気なのか」

「おかげさまでね。……ところでシイは? 昨日、電話できてくれるって言っていたのだけど」

 今日は休みであった旨を伝える。彼女は一瞬ぽかんとした表情になったが、「もし感染(うつ)してしまったのなら申し訳ないわね」と嘆息した。風邪の潜伏期間も三日と聞くし、今頃彼女も高熱に苦しんでいるのかもしれない。まだ、そんなことを考えていた。

 その時だ。

 ロビーの奥から足早に歩いてきた女性が、クロエの肩にぶつかった。背後から押され、体力も失っていたためだろう、バランスを崩して手をつく余裕もなくそのまま床とキスしてしまう。

「ぐええ!」

「ごめんなさい! 私、よそ見をしていて……」

 慌ててクロエに手を差し伸べるその女性。僕らは息をとめていた。なぜならば彼女は黒髪を左右に三つ編みでまとめ、やや釣りあがった瞳には眼鏡をかけており――。

「……シイ?」

 クロエの呟きに同調しかけたが、いやしかし別人なのだと悟る。

 あの委員長はもうおさげを残していない。かつての彼女を彷彿とさせるこの人とは、以前遠くの土地で出会っていた。

「あなたたちは――」

 むこうも気づいてくれたらしい。クロエの手をとってひきあげると、ずれた眼鏡をかけ直し、僕らを順に見渡した。

「あの時の、確か」

「御厨です。こちらは黒田に村瀬、それに浅井です。その節はどうもお世話になりました」

辺見(へんみ)利恵(りえ)よ。椎子(シーコ)から聞いたわ、あなたたち、あの子のクラスメイトだったのね」

 シイの従姉だった。こうして見ると、やはり顔の造詣が極めてよく似ている。だが、昔の彼女と同じ髪型であれど、目の前の辺見さんの方がやや大人びて感じられた。化粧慣れしているというか、知りあった時には見なかった口紅が、彼女に年上の女性の雰囲気を与えていた。

 そういえば、と僕は問いかける。

 置き去りにしたままの複線を回収しなければならない。

「ずっと気になっていたんです。あの日、僕らもあなたの家の下階から外にでてみました。でも、そこには道はなかった。あったのは背の高い草木だけ。あなたが帰ってからさほど時間が経っていなかったのに、そこにはわけいった形跡もなかった。どうやってあそこから脱出したんです?」

 すると辺見さんは「え」と声をだし、やや考えるそぶりを見せた。それから「ああ、そういうことね」と手を叩く。

「突然なんの話かと思えば……あれは上から帰ったのよ。あなたたちも出入りした表口から」

「どういうことです?」

「そのままの意味よ。あの部屋をでたあと、私は勝手口にはむかわず、階段をあがった。だって、やってきた道を考えれば、表からでた方が楽なんですもの。それをあなたたちは勝手口に戻ったと勘違いをして……ふふ、なるほど。おばけにでもでくわしたと思っちゃったんだ」

 笑われてしまい頬が熱くなる。先をつづけたのは、まだ納得がいかなかったというより、照れ隠しに近い。

「行きに草木をかきわけてとおった跡は、僕らと話してる間に消えたってことですね。でも、なんであんなところから入ってきたんです? 大変だったでしょうに」

「それは、あー……あれよ。前にきた時は春先だったからよ。まだ雪が溶けたばかりで、あそこらへんは枯草ばかりだったから、通るのに問題はなかったのよね。でも、夏場に行ったらあんなぼうぼうになってて、とても苦労したわ。わざわざ上までのぼって、建物の中をおりてくのはしんどかったから、そのまま突っ切ってしまったけど」

「……そう、だったんですか」

 世の不思議な現象も、大抵はこんな理由があるのだろう。隠し通路は二つもなかったと知って、浅慮な自分に恥ずかしくなってしまう。

「あ、すみません。どこかへお急ぎだったんですよね」

「そうだったけど……ちょっと手間がはぶけたかもしれない」

 その台詞には不思議な引力があった。

 手間がはぶけた? どういうことだろう。あれから一月以上が経つというのに、僕らを探しつづけていたのか。……いや、まさか。それなら僕らの話を聞いたというシイを通せばすぐに連絡がとれたはずだ。

 状況把握に戸惑う僕と三人をまっすぐに見据えて、辺見さんは言った。

「三日前から、シーコが家に帰ってないらしいの」

 それは僕らの息をとめるのに十分すぎる一言だった。

「あなたたちは、彼女からなにか聞いてなかった?」

 互いに顔を見あわせる。脳の処理が追いつかなくなれば人はこういう顔をするのかと、どこか遠くで考えてる。特にクロエはその特徴的な目を一層大きく見開き、呆けたように口を開いていた。

「あの子のお父さんから連絡をもらってね。あの人はただの家出だと言っていたけれど……私もそう思いたいけど、でも、事件にでも巻きこまれてたらって、病院をまわっていたの。今日も学校にきてなかったでしょう。あなたたちが最後にシーコと会ったのはいつ?」

「いえ、その……」

 一息でまくしたてられて、クロエはなにも答えられずにいる。代わりに僕が間に入った。

「それって誤解じゃないですか? だって昨日もクロエ、いや、この黒田が彼女と電話をしています。確かに今日はここに一緒にくるはずが、会えませんでしたが……でも、三日前というのはおかしいですよ」

「黒田さん、あなたがシーコの家に電話をかけたの?」

 直接問われ、彼女は一度だけ視線を僕とあわせると、細い声で答えた。

「……いいえ。わたしが電話を受けました。病院の人にとり次いでもらって」

 なるほど。それでは彼女がすでに家に帰っているとは言い切れない。だけど、事件に巻きこまれてないかという辺見さんの心配は、和らげられるのではないだろうか。

「あの、わたし、三日前からここに入院していたんです。でも家では猫を飼っていて、世話をしてあげないといけなくて、それでシイに……椎子さんに頼んだんです。病院にもきてもらって、合鍵を渡しました。もし彼女が自宅以外からここへ電話をかけてきたのなら、きっとわたしの家からです」

「それは本当に? 本当なの?」

「おそらくは……」

 やりとりを終えて、辺見さんは思案している様子。こんな時に気づくのもどうかと思うが、シイがよくやるのと同じく首元に手を添え、三つ編みのおさげが垂れてくるのを押さえていた。そうして、ぽつりと呟かれる。

「あの子、最近ずっと親と喧嘩していたみたいなの。父親からは理由までは教えてもらえなかったけれど……たぶん、原因は男の子よ。最近は帰りも遅かったみたいだし、髪も染めて、昔とはすっかり別人だったらしいから。そういうのって大抵、そうよ。だから、友達の部屋が空いたのをいいことに家出なんかしてしまったのかもね……」

 迷惑をかけてしまってごめんなさい、と辺見さんは深く頭をさげた。

 クロエが「いえ、そんな」と声を漏らす。トトの世話をしてくれて助かったのは、むしろ自分の方だと弁明する。でも、内心ではやりきれなさを感じている風だった。帰りが遅いという話には少なからず勝負の件が絡んでいるはずで、僕も責任を感じてしまう。

「みんなには悪いけど、黒田さんの家まで案内してもらえるかな。シーコと話をさせて欲しいの。いきなり親がでてくると、こういうのって一層こじれてしまうから……どうか、お願い」

「わかりました」とクロエは頷いた。「ここからうちまではバスで一本ですから、二十分もあれば着くはずです」

「いえ、私は車できたの。五人なら全員のれるから、ここで待っていて。すぐまわしてくるわ。白のセダンで、ナンバーは――」

 言うなり辺見さんはロビーの出口へとむかい、自動ドアをくぐって、焦る様子で駐車場をかけていった。すぐに視界から消えていなくなる。

 困った話になってきたな、とレオと視線を交わし、それから腕時計を見た。二時を少し過ぎたところだった。半になる頃にはクロエのアパートへ到着し、家出少女と対面することだろう。彼女はどんな顔で迎えるのだろうか。今から居心地の悪さを感じてしまう。

 いや、それにしてもだ。多少いまどきの少女らしくなったとはいえ、あの委員長が親と深刻なトラブルを抱えていたとは、どうしても信じがたかった。元々真面目なタチだし、あるいはもっとうまく立ちまわれるイメージもあったのだが……人は誰しも、心の奥底に熱情を秘めているのかもしれない。

 想いに沈んでいるうちに、五分が経ち、十分が過ぎた。

 辺見さんが帰ってくる様子はなかった。

「どうしたんだろう」

 と、ロリ子が不安げにこぼした。

「なにかトラブルでもあったのかもしれないな。オズ、ちょっと見てこようぜ」

 レオに促され、結局は全員が病院の外へでた。

 足元をふらつかせるクロエのかわりにレオが荷物を持ち、身長が近い僕が彼女の肩を支えた。駐車場は広く、目的の車を探すのには骨が折れた。ナンバーを手掛かりに隅から隅まで探し歩いたところ、白のセダンは一際大きなオンコの樹の下にひっそりと停められていた。年老いた樹が、幾枚もの落ち葉をボンネットの上に降らせていた。

「辺見さん、いないな」

 セダンは頭から駐車されており、まわりこんだレオが無人を確認したようだった。

「どこへ行ったんだろう」

 僕とクロエが近づいていく途中で、車中をのぞきこんでいたロリ子が「あれ」と呟いた。

「おかしいなぁ、鍵が差さったままになってるよ」

「本当か、ロリ子」

 おそらく反射的な行動だったのだろう。

 レオが運転席側のドアに手をかけた。あっけなくそれは開いてしまう。そして。

「ん――」

 ごろり、と。

 シートからなにか丸い物体が転がり落ちた。

「あれ、なんだこれ――」

 レオの言葉に、他の三人の視線も地面へ集まる。

 不規則な軌道で転がり、ゆるゆると動きをとめたそれは。

「あ」

 それは。

「ああああっ」

 先ほどまで僕らと話していたはずの。

 辺見利恵の。

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