「オズ君。本当に怖ろしい人間というのは――」
「――という話になってね」
連休明けの学校で、僕はシイに旅行の顛末を聞かせていた。場所はいつもの図書室で、あの七不思議で使われた窓際の席である。生徒が遠巻きにちらちらと視線をおくる中、彼女は今日も優雅に本を開いていた。
「ああ。それ、私の姉さんだわ」
「はぁ!?」
叫んでしまってから、慌てて口を押さえる。ここが静かな図書室であるという以上に、僕らは注目を浴びやすい立場だ。
彼女が周囲に目をやって首を竦めたところで、僕はトーンをさげて囁く。
「さすが委員長だな。まさか世間を賑わす怪人まで身内とは」
「馬鹿ね。そっちじゃないわよ。私が言ってるのは、あんたたちが廃墟で出会ったっていう方」
「なんだ、驚かせるなよ……って、ええ!?」
二度目の過ちに、シイから強めのチョップをいれられてしまった。
でも、これが驚かずにいられるだろうか。あの三つ編みの少女、確かに僕もレオも似ているとは感じていたけれど。
「姉さんといっても従姉なんだけどね。昔は洞爺湖の近くで旅館をやっていたって聞いた覚えがあるわ。しっかし、まさかあんたたちと会うとはねぇ。偶然にしても、すごい確率」
首筋にかかる亜麻色の髪をかきあげて、彼女は言った。
「っていうか、住居侵入は重罪よ。私の姉さんの家になにしてくれてんのよ」
「それは申しわけないと思ってるけど……。それにしてもびっくりだよ。今から思えば二人ともそっくりだよな。もしかして、髪型が同じだったら見分けつかないんじゃないか」
「うん。小さい頃はね、姉さんが遊びにくる度に服をとりかえっこして遊んだわ。大人たちも見分けがつかなくて、一度なんて私が車にのせられて連れ帰られそうになったくらい。双子みたいねってよく言われたなぁ。最近は久しく会ってないけど――なるほど、今でもそうなのか」
感慨深げにシイは呟く。僅かな合間があって、僕はふと腕時計に目をやった。そろそろ昼休みが終わりそうだ、彼女には悪いがそろそろ話をもとに戻さなくてはならない。
「で、人喰いジャックなのだけど」
「ん? ああ、そうだったわね。まぁ、面白そうな話だとは思っていたのよ」
彼女は手元の本を立てて、その表紙を僕に見せた。
そこには『世界の凶悪事件』なる文字が踊っている。意外だ。長年委員長をやってるとこんな本まで読むようになるのか……って、いかんいかん。またもチョップをいれられてしまうところだった。
「それって絶対にクロエの悪影響だよね」
「あら。幽霊のお尻ばっかり追いかけてたあの子と一緒にしないでくれる? これは私が先。あの子が私に追いついたのよ」
なぜか誇らしげに言ってくれるのが僕のツボをつく。彼女もにやりと笑って、その本でテーブルをこつんと叩く。
「本当に怖いのは人間。私はそう思うのよ。人の皮を剥いで衣服をつくった男、少年の頭蓋をくり抜いて塩酸を注ぎこんだ男。ああ、人喰いジャックの名前のもとになった事件についても、この本には書かれていたわ」
「そのくらいは僕だって知ってるさ」
「猟奇殺人って言葉があるわよね。殺すこと自体を目的として起きた殺人を、そう呼ぶらしいわ。特定個人への怨恨でなく、愛憎でもなく、快楽やなんらかの強迫観念によって人を殺しつづける……そういう鬼がこの世にはいるのよ。そいつらは幽霊と違って、本当にいる」
やれやれ、どこぞの魔女さんに聞かれたら大変な目にあわされそうな台詞だ。
ところで、シイには一つ癖がある。それは三つ編みをしていた頃の名残りで、前かがみになった時に首元に手をそえるというもの。かつておさげが垂れてこないように気をつかっていた仕草が、髪をばっさりと切ったあとでも忘れられないと見え、話に夢中になりだすとよくこのポーズをとった。
今も、彼女は首元に手をそえている。
「死体をバラバラにして食べた、ね。もしあの事件が人間の手によるものなら、そいつはこの本に載ってもおかしくない、ご立派な猟奇殺人鬼さんよ」
「野生の熊とどっちが怖いだろう」
「オズ君は、野生の熊さんにでくわしたことがあるの?」
「いや、ないけどさ。そりゃあないけど」
なら、あんたたちが気をつけるべきはなんなのか、よくわかったよね?と微笑まれる。その唇には、かつて夜の魔女に見た、あの真っ赤なルージュがひかれている。
「どうせ、あんたたちのことだから、事件現場をまわったりするんでしょ。あのね、今までと同じように考えてたら痛いめを見るかもよ。今回相手にするのは、幽霊なんかじゃない、現実の鬼なんだから」
「君はつきあってくれないのかい」
「私にはもう、素敵な彼氏がいるからさ」
もう鬼退治なんかには興味はないのだろうか。大人びた表情をする彼女に、僕は一抹の寂しさを感じる。
「しかし、人喰いジャックか。人喰いジャック、ねぇ」
と、不意にそんな呟きが漏れ聞こえた。
「私ね、思うのよ。このジャックは少し惜しい。十年も二十年も未来まで、彼がこの街の怪人として語り継がれるには、まだ足りないものがあるって」
打って変わってなんとも悩ましげ声だ。再び首筋に手をやり、なにやら考えに夢中な様子。はじめて会った時、クロエとは水と油の位置にいると感じたものだったが、こういう姿を見ると二人はまるで姉妹のようにも思える。あれはもしかしたら質の近しいものを嫌っていただけなのかもしれない。
それはそうと、人喰いジャックに不足しているものとは? その意を問うてみると「ああ」と吐息交じりに口が開かれた。
「オズ君。本当に怖ろしい人間というのは――」
そこで無粋にも室内にチャイムが鳴り響いた。授業の開始を知らせる予鈴に、シイは残念そうに口をすぼめる。話は途中だったが、彼女はすっかり気がそがれてしまったらしい、このつづきはまたにしようねと言い、本を抱えて立ちあがった。
「ま、あなたたちも事件を追うなら、十分に気をつけるのよ」
それはなんでもない、ただの忠告として聞こえたが。
なぜだろう。一方で心にわずかなひっかかりを残した。シイが本を戻すのを待ってともに図書室をあとにしたが、教室につくまでの間ではその違和感の正体に気づくことはできなかった。




