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1999remember  作者: 板空六花
人喰いジャックの夜
23/48

「うそつきの舌は切り落としてやろう」

 広間のソファーに座り、買ったペットボトルで頬を冷やしていると、脱衣所から浴衣姿の彼女が姿をあらわした。

 ロリ子は僕の前までやってくると、恐ろしく無表情に囁いた。

「跪け」

「い、いやもう座ってますし……。それにあれは不幸な事故というか」

 鼻先まで顔を近づけられ、彼女の甘い吐息を感じる。

「跪け」

「あ、はい。わかりました」

 椅子から降りて、そのまま地面に膝と手をついた。

 ちょうど彼女に頭を差しだす形となった。すると、柔らかな感触が髪をとおして伝わってきた。足だった。彼女はその全体重をもって僕の頭を踏みつけた。

 ぎゅむ、ぎゅむ、と彼女はそのまま僕の上を歩いていく。蹂躙。人の体の上というのはひどく不安定なものだが、その鍛えあげられた体のバランスをもって、彼女は僕の背中に立った。

「人の記憶を完全に消去するには、どうすればいいのだろう」

「い、いきなりなにを言っているのですか、ロリ子さん」

「頭蓋への一撃はこの場合、はたして有効なのだろうか。今からそれを試してみたい」

「待って! お願いだから思いとどまって!」

 背骨のあたりをぐりぐりと踏まれる。痛い。マジで痛い。やめて、なんか目覚めちゃう!

「クロエちゃんからさ。レオくんなら絶対に混浴にくるからって、千載一遇のチャンスをもらったっていうのに……。それなのに、どうしてあなたがいるのよ!」

「え、えっと。君の王子さまじゃなくて、本当にすまない……」

「忘れろォォォ!!」

 凄まじい衝撃が、頭にきた。床板におでこが叩きつけられる。

「や、やめて。頭は筋トレできないから……」

「あたしの! 一世一代の告白を! どうしてあんたなんかにぃ!」

「ひぃ!」

 二撃め、三撃めはかろうじて両手の甲でガードした。今さらながらに理解する。柔道は最強の格闘技じゃなかった。だって、背面への攻撃なんて想定していないんだもの!

 ひとしきり嵐が通り過ぎるのを待って、僕は身をよじって下から彼女を見あげた。彼女は泣いているようだった。だが、それを確認しきる前に、ぎゅむぅと顔を踏まれてしまう。鼻をすすりあげる音だけがしばらく聞こえてきた。

「ごめん。ほんと、なんか、ごめん」

「君ね、今度邪魔してみろよ……。必ず殺すからな。必ず」

「わ、わかったから。次はちゃんと協力するからさ、誓うよ」

「本当に……?」

「ああ。約束する」

 僕は男の表情をつくって力強くそう言った――が、思いきり顔を踏まれていては、それも彼女には見えないんだなぁ。いつ爆発するかわからないダイナマイトを抱える気分で、はらはらと次の展開を待った。

 と、そこで救世主が舞い降りる。

「なにしてんの、あなたたち……」

 とたんに彼女の体重が僕の上から消えた。膝をついたままの体勢で顔だけを横にむけると、見知ったシルエットが二つ、廊下のむこうから近づいてきていた。

 クロエはなんとも言えない表情で僕らを見ている。隣ではレオが申しわけなさそうに視線をおくってきていた。

「ロリちゃん。その……なに? オズくんと喧嘩?」

「ち、違うよ! ほ、ほら、あれなの。オズ君が突然『椅子になりたい!』って叫びだして」

 その、仕方がなく、とロリ子は言った。

「いや、椅子は足蹴にするモノじゃないわよ……」

「そうね。そういえばそうね」

 実際になにがあったのかは問われぬまま、僕らは夕食をとりにむかった。

 道すがら聞いたのだが、あの露天で倒れる者がいたというのは本当の話であったらしい。ただ、原因は幽霊ではなかった。混浴だ。いい歳をした爺さまが、裸の女の子がやってくるのを今か今かと待ちつづけた結果、のぼせて救助されるという事案が多発しているとのこと。一様に『急に胸が苦しくなって』か。己を振りかえれば、いやまぁ、コメントは控えよう。

 豪勢な食事のあとは、いくらかお菓子と飲みものを買って男部屋に集まり、しばし四人でゲームに興じた。定番のトランプ、UNO、それから僕が持ってきたのは『ハゲタカのえじき』だ。マイナス五からプラス十までの点数カードを、一枚ずつ一ターン限りの入札で奪いあう、または押しつけあうという内容で、単純ながらこれがなかなかに盛りあがる。四人でやると読みあいがいい具合に複雑になるものだから面白い。使うのはカードだけなので持ち運びもしやすく、なによりも、そのとっつきやすさから僕のお気に入りの一品であった。本当なら『操り人形』くらいは持ってきたかったのだが、こちらはまだ発売されていなかった。たぶん、大人になって覚えたボードゲームは、まだほとんど手に入らないのだろう。自分が時間遡行者である事実を、こんなことからも思い知らされる。

 四人で輪になって、今、正面にはクロエが座っている。浴衣姿の彼女を見て、なんというか、突然だが僕はカードをきる瞬間について語りたい! 彼女が前かがみになる。すると、はだけた浴衣から胸元がこぼれ落ちて……ああ! どうしてあの混浴でロリ子とクロエをとり違えてしまったんだ。己の至らなさをふがいなく思うほどの、このなまらすごいおっぱい!

 一方で……僕は慈愛に満ちた視線をロリ子の胸元に投げる。いや、正確には胸板と呼ぶべきか。小さな体に相応なつつましい膨らみ。いやはや、本当にどうして、これをクロエのものだと思ってしまったのだろう!

「そこはかとなく、卑猥な視線を感じるのだけど」

 浴衣をかき抱いて、ロリ子が半眼で呟いた。

「クロエちゃん、気をつけた方がいいよ。男の子なんてみんな狼なんだから」

「失礼な。僕らほど紳士な人間はいないぞ」

「うそつきの舌は切り落としてやろう」

 その素足で踏まれたあとだと、凄まれたところで妙な気分になってしまうから本当に困る。

 緩やかな時間が流れていた。酒もいれずにこういった時間を過ごせるというのは、なんとも感慨深い気持ちになる。いつか話したように、素面でも笑いあえるのは未成年だけに許された特権だと思うのだ。

 そんな折、BGMとして流していたテレビに、ふと耳がひき寄せられた。

『つづいてのニュースです。新谷(しんがい)市で起きる怪事件。その続報です』

 アナウンサーが読みあげたのは、僕らの街の名前だった。手元のカードから顔をあげれば、その場の全員が動きをとめて、ブラウン管に目を移していた。

『また、遺体が発見されました。閑静な住宅街が広がる新谷市の北部。そこで、バラバラになった女性の遺体が新たに発見されたのです』

 今月にはいって、この事件を聞くのはもう四度目だ。初出はゴシップ誌であったが、この事件はいつのまにか地上波でも、ある名前で報道されるようになっていた。

『人喰いジャック事件』

 初めは野犬の仕業だと考えられていたらしい。建物と建物の狭間で見つかった被害者の残骸は、あちらこちらに四散し、しかもなにものかに喰われた形跡が残っていたという。家なき者にはまれにある事案であったが、亡くなったのがうら若き女性であったことが必要以上に世間を賑わした。そして、二つめの死体がでる。今度は少し事情が違っていた。それはまた女であったが、剛性のある下半身のジーンズがばっさりと切りとられていたのである。頭を喰らう獣はいても、衣服までは餌にならない。もしやこれは人の仕業なのでは、と囁かれだしたところに三つめの死体がでた。

 バラバラにされた人間の四肢。それは前の二つの事件と変わらず街の陰に打ち捨てられていたが、その頭部だけが寂れた自販機の上にのせられていた。切断された首を下に、まるで花を活けるがごとく、それは直立して――。

『ついに四人目の被害者がでてしまいました。そのあまりに無惨な遺体に、野生の熊が街におりてきているのではないか、という声もありますが』

 スタジオのアナウンサーが、有識者を集めて意見を問うていた。白髭の大学教授が顔をしかて答える

『可能性はないとは言えませんが……。熊のように大きな野生動物には、確かに人間の体をひき裂く力はあります。しかしですね、獣が遺体を飾りたてるでしょうか』

『遺体には歯形が残っていたという情報もありますよ』

『言いにくいことですがね。それこそ、獣でなくとも……』

 これまで遺体はすべて市内で見つかっていた。こういった話は隣の札幌でしか起きないものと、誰もが思っていたことだろう。だけど今、この小さな街を大きな事件が揺るがしている。

『すべてに共通しているのは、犠牲者が皆、高校に通う十代の少女だということです。犯人が捕まっていない以上、我々は皆さんに注意を呼びかけることしかできません』

 テレビの画面を、僕らの教室の魔女がじぃっと見つめていた。

 その姿に気をとられたのは、きっと予感があったからだと思う。

「今、〝犯人〟と言ったわね。確かにそう聞いたわ」

 彼女はカードを手放し、その口元に薄く笑みを浮かべていた。

「人間の仕業なのね。人の体をバラバラにして、喰らう。そんな所業をできる人間がいるだなんて、わたしにはとても考えられなかったけど……放送でここまで口にするとなれば、彼らには警察にリークされた確たる情報があるのでしょうね」

「クロエちゃん、駄目だよ。これは幽霊の仕業なんかじゃないんだよ」

 ロリ子が少女の声で囁くのを見て、この旅行にくる前に聞いた彼女の台詞を思いだしていた。『近頃、この街は物騒なんだから』――あれはもしや、この事件を指していたのか?

「なに言ってるのよ、ロリちゃん。()()()()()()()()()()()()()()()()興味深いと思わないの?」

 と言って細められた魔女の瞳には、これまでにないほど昏い色がたたえられていた。ロリ子がそれ以上、口を挟めなかった理由が僕にもよくわかる。こうなってしまった彼女は、もう誰にもとめられないのだ。一年前のオンコの樹の下でも、彼女は同じ表情で笑っていた。

 こうして、僕らは〝人喰いジャック〟に挑むことになったのだ。

 思えば一九九九年の、七月の夜であった。

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