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1999remember  作者: 板空六花
七不思議を撃破せよ
15/48

「も、ももも、もう、おトイレ、いけない」

 二階の渡り廊下で再会したシイも、見る影もなく怯えきっていた。

 いつかはあんなに仲が悪かったというのに、隣を歩く魔女にすがりついて、手を握ってもらっている。その上、僕らの顔を見た途端に、泣きそうな声でこう訴えた。

「も、ももも、もう、おトイレ、いけない」

 素敵な台詞だった。

 あの座敷童子の足跡を見たあとでさえなければ、思わず結婚を申しこんでいたことだろう。レオもロリ子も気持ちは同じらしく、彼女の様子にわずかに笑うも、それ以上はなかった。ご機嫌なのは魔女のクロエ、ただひとりだけだった。

 また、クロエの仕切りでチームが分かれた。「ぐーちーぐーちーあったひと!」と彼女の元気のよい声が夜の校舎に響き渡る。そういえば、このかけ声も北海道をでてから聞いた覚えがなかった。「さいしょはぐー」とさして変わらぬはずなのに、地域性とは不思議なもんだ。

 いや、話は七不思議の方だったか。

「シイ、そっちじゃなにがあったんだ?」

 尋ねてみたものの返事はない。彼女はうつむいて、自分の身を守れるのは自分だけだと言いたげに、両の腕で己の体を抱えている。

「おーい、ドロシーさーん? 委員長ー?」

 目の前で手を振ってみても反応はなかった。

 重症だ。あいつらと別れてからずっとこんな状況であった。今度のチームは彼女と二人きりで、こう無言でいられると、落ちつかない気持ちになって困る。

「あー、僕らの方はな」

 仕方がないので、構わず話を進めた。

「教室の天井に足跡があったよ」

 同僚の間では、僕は鮫のような男と呼ばれていた。

 泳ぎつづけなければ、呼吸ができなくなって死ぬのだ。

「どうやら、あれが座敷童子のやつらしい。まさか逆さに歩くとは」

「なにそれ……私を怖がらそうとしてるの?」

 ようやく顔をあげてくれた。薄明かりの中でもわかるほど顔は青ざめているものの、まずはここから一歩ずつだ。

「ところで、今も僕らの上にあるこの天井は、タイル状になってるよな。あれはもとの木組みの上から貼りつけてあるんだ。見た目をよくするためもあるし、防音効果や耐火機能もある」

「突然、なにを話すかと思えば……。そんなの見ればわかるわよ」

「あれはどうやって貼ったと思う? 一枚一枚、はしごを使って持ちあげたとか? それにしては枚数が多すぎるし、天井までも高すぎやしないか」

「む……」

 考えはじめさせたなら僕の勝ちだ。もはや否応がなく、彼女も会話にのる他ない。

「じゃあ、まとめて貼る方法があるっていうの」

「そうじゃないと面倒だな、と思ってね。たとえば教室みたいに広さが決まってる場合には、あらかじめタイルをつなぎあわせておくんじゃないかな。――床の上でさ」

 シイが「あ」と声を漏らした。

「つまり、あの足跡は人間のものだったんだよ。この建物をつくったか改装したかの時に、誰かが床においたタイルの上を歩いちまったんだ。それによってできたくぼみが、今日みたいな明るい夜には、月の光を反射してぼんやりと浮かびあがるんだろうさ」

「なんだ……。じゃあ、私の方も似た理由からだったんでしょうね。あんなにブルっちゃって損したわ。ちくしょお」

 また魔女に一杯食わされちゃったか、と彼女は悔しそうに僕の背中を叩いた。

 暗闇の中、足下に注意しながらゆっくりと歩いてきたが、そろそろ図書室につく。僕はまだうっすらと残る背中の痺れを意識しながら、考えていた。いつ覚めるかもわからない夢だ。彼女と二人になれるタイミングなんて、これが最後かもしれない。

 意を決して、彼女の肩に触れた。

「シイ」

「え……」

 彼女は反射的に身じろぎをしかけたが、相手が僕であると思いだしたのか、足をとめ、不安と他のなにかを織りまぜた目でこちらを見つめかえしてきた。

「な、なに……?」

「前から言おうと思ってたんだ」

「オズ君……?」

 僕は言う。

「シイって実はいいやつだよな」

「な」

 どうしてか彼女は急激に肩を落とし、おさげの頭を抱えた。

「なによそれぇ……」

 溜息のような台詞のあとで、こちらにむかって眉をあげる。僕は慌てて手を振った。

「いやさ。今日、教室で皆を見て気づいたんだよ。あの猫とオンコの事件があってさ、普通ならクラスのやつらはクロエを嫌ったり、無視してもおかしくない。でも、皆の反応はそうじゃなかった。笑ったりもしててさ。あれ、シイがうまくやってくれたんだろ」

 あの日記を読んでから、ずっと疑問に感じていたことだった。

 これが過去をなぞる夢だというのなら、ある程度は現実に沿っているはずだ。この七不思議をめぐる冒険も、あの学校での一幕も、まったく同じとまではいかないまでも、昔、似たような出来事があったのだろう。会社で嫌な汗を流す日々の中では思いだせなくとも、心の奥底では溶けずに残っていたエピソードに違いない。そして、何事にもそこへと至る理由がある。

 夢の登場人物に答えを訊くというのは妙な気分だが、目が覚めてからでは遅すぎる。あの世界では、彼女の顔すら忘れてしまってたんだ。今を逃せば二度と機会が訪れないかもしれない。

「……それは」

 シイはそこで言葉をとめたが、正解と言ってくれたようなものだった。

「ありがとな」

 もう会えないかもしれないのなら、せめて今だけでも感謝しておこうと。

 そう考えたのだけど、彼女は口をへの字にまげて、下をむく。

「ど、どうした。なにか変なこと言ったか」

「なんでそんなこと言うのよ……」

「いや、ほら、大変だったんじゃないかって思ってさ。こんな馬鹿なやつらに、そこまでしてくれるなんて」

「そんなの決まってるじゃない」

 彼女は顔をそむけ、首筋をかいた。それから、なぜか怒った調子でもう一度僕の背中を叩く。

「そんなの、あんたたちといるのが楽しいからに決まってるじゃない」

「あ……」

 言われて、急に頬が熱くなるのを感じた。

「私たち、もう友達でしょ」

「ごめん。くだらないことを言ったな、僕」

「やめてよね。ただでさえ、あんたたちといると時折、自分ひとりが遅れてきたみたいな気分になるんだから」

 トーンを落として呟く彼女に、僕は惑う。

 なんでそんなことを言う? 最後に訪れたのは僕じゃないか。シイは元々ロリ子の親友で、僕がレオと知りあえたのも、思えばおまえがきっかけだった。おまえがいなければ、五人でこうして肝試しにくるもこともなかったんだ。

 喉まででかかったその台詞を、でも、すべて飲みこんだ。

 僕が高校生だった頃なら、勢いでまくしたててしまっていたかもしれないが、二十歳を過ぎて何年も経った今なら、もうちょっと馬鹿な台詞を用意できる。

「僕らはみんな、おまえが大好きだぜ」

 ぽかんとした表情で、また見つめかえしてくるシイ。一瞬の間があって、今度は思いきりすねを蹴られた。痛い。とても痛い。でも少し嬉しくなってしまうのは、やっぱりなにかに目覚めてしまった所為なのか。

 あさっての方向をむいて、彼女は言う。

「……オズ君って、本当に馬鹿なやつね」

「生まれつきなんだ。許してくれよ」

「いいや、しばらく考えておく」

 他に誰もいない廊下で僕らは笑いあった。月の光と非常灯だけが僕らを照らしていた。

 やがて図書館へたどりつく。学校のこういった資産のあるフロアは施錠されているものなのだが、こちらには魔女特製の鍵があった。クラス写真を偽造した際に手に入れたマスタを二本ほど複製していたらしい。それをポケットからとりだそうとしながら、うしろのシイに尋ねた。

「そういえば、そっちはどんなおばけにでくわしたんだ? 『トイレの花子さん』なんて、ありきたりで、いかにもって感じだけど」

「一階の、私たちのクラスとは反対側の女子トイレにさ、前々から()()って噂だったのよ。もちろん場所が場所だけに、女の子だけの間にね。赤いスカート、白いブラウス、まっくろなオカッパ頭……夜の間だけ開かない三番目の個室には、花子さんが現れるという」

「それだけ聞くと、ロリ子みたいだな。髪型がそうだし、格好もそのままうちの制服だ」

「案外、本人が見間違えられたとか、そんなところなのかもね。噂っていい加減なものだから」

 ようやく目的のものを探りあてた。レオから譲り受けた懐中電灯を左に持ちかえ、図書室の鍵穴を照らす。

「でも、なんであんなに怖がってたんだよ。もしかして『はーなこさーん』って呼びかけたら、まじで返事がかえってきたとか?」

「かえってくるわけないじゃない。ただ、ね……さっき、クロエと二人でトイレに入った時には、確かに三番目の個室が閉まっていたの」

「え?」

 鍵を挿しこんだまま、固まってしまった。

 どこも一緒と思うが、少なくとも僕が二十八年間見てきたトイレは、内側からしか鍵がかからない仕様だった。そして、鍵をかけなければ扉を閉めたままにはできないはず。つまり――。

「先客でもいたのか?」

「クロエが『花子さんよ』とか言うから、のせられてたまるかって思って声をかけたのよ。『誰かいるの?』もちろん応答はなかった。でも……音が聞こえだしたの。トイレの紙の、なんていうの? ロールが回転する、から、から、からって音が」

「はは……嘘だろ?」

「その時は、相当に参ってたんだな。だから『もしかして本当に、花子さん……?』って、よりにもよってクロエの前で、呼びかけてしまった。そうしたら突然――」

 バン!と扉が内側から叩きつけられたという。それからゆっくりと扉が開いていった。蝶番がキィ、ィ、ィと鳴き声をあげ、二人の少女の前にその中身を晒した。

 彼女らがまず目にしたのは、床に散らばった大量のトイレットペーパーだった。

 それから、次に見たものは。

「蓋があげられた便座があるだけだったわ。中には誰もいなかった。そんなはずはないって確かめようとしたのだけど、どうしても足が動かなかった。隣で魔女が嗤っていたわ。『あなたは花子さんを怒らせてしまったみたいね』『はたして、今夜は無事に帰してもらえるのかしら』……あとは、あなたも見たとおりよ。泣きながら逃げてきたってわけ」

 先から鍵を挿しっぱなしであったことに気づく。

 僕はとり急ぎそれをまわすと、懐に戻し、笑顔をつくってシイを振りかえった。

「世の中の不思議なことはすべて、論理的な思考によって撃破できるものさ」

「そうね」と彼女も微笑みをかえす。「私もそう思う。座敷童子の時と同じでしょ?」

「ああ、間違いない。どういう理屈か、とっかかりのようなものはつかめたよ」

「へえ! すごい。どこかの私立探偵みたい。教えてよ、オズ君の推理」

「駄目駄目。こういうのは最後まですっかり見通してからじゃないと。小だしにしていくのは探偵の作法じゃない」

 そう言って、僕は図書館へとつづく扉を開けた。

 寒くもないのに一筋の汗が額をおりていった。背中の彼女に悟られないように、さりげなく腕でぬぐう。シイが純真な少女でよかったと思う。

 懐中電灯を左右に振って、室内を探った。反対の手でこめかみを小突き、記憶のひきだしを漁ろうとする。むかって左手は広くスペースがとられ、奥には貸出カウンターが見えた。高校時代なら僕もホームズやポアロの本を持って度々並んだはずだ。右手には書棚が並び、暗闇が深い。たとえ棚の影になにかが潜んでいたとしても、ここからではわからない。一歩足を踏みだすのには少なからず勇気が必要だった。用があるのは正面のテーブルの群だ。

「図書室の影、と言っていたな。あの魔女さんは」

「いつの話かは知らないけど、昔、恋に破れた文学少女が、あの窓から飛びおりたそうよ。以来、彼女が愛した日あたりのいい席には、雲がない日でもしばしば深い影が差すようになった」

「この席だけに影が? よせよ。僕が少女なら、想いを寄せた相手の部屋に化けてでる」

 チーム分けの際にクロエが指定したテーブルにたどりつく。近くの窓にはカーテンがなく、星空の明かりのおかげで、懐中電灯を使わずとも特段そこが他の席と変わりないと知れる。

「あるいは僕が文学少女なら、一番好きな本にとりついてみせるさ」

「一番好きな本って」

「さて、なんだろうな……。昔はそれこそ探偵小説が好きだった気がするのだけど」

 テーブルから離れ、すぐそばの窓辺に立った。昼間ならば中庭が一望できるのだろう。覗いてみて気づいたのだが、左右には桜の樹が植えられており、外を窺うのならこの位置しかない。窓越しにライトをおくり目を凝らすと、噴水に花壇、それにベンチが見えた。若者が時間を過ごすにはいい場所と思えた。

 仮にくだんの少女には交際していた男がいたとしよう。男は少女に隠れて、別な相手とも密会を重ねていた。ある時は彼の部屋で、ある時は休日の映画館で、しかしそういった行動は往々にして一線を越えたがるものだ。

 あのベンチで、手をつなぐ二人を、少女は見てしまったのかもしれない。

 あるいはそれをずっと見張っていたのかもしれない。

 飛びおりる最高のタイミングをはかるために。

「……空想にもほどがある」

 苦笑して、シイを振りかえった。彼女もまた窓の外が気になる様子で、こちらへ歩いてきたところだった。制服のスカートが揺れている。不意に、そのむこうに奇妙な影が映りこんだ。

「シイ、ちょっと」

 彼女に一言詫びてから、その体を脇へ避けさせた。

 テーブルにライトをあてる。

 そこには一冊の本がおかれていた。先ほどまではなかったものだ。

「なんだ、これ……」

 思わず手にとって、彼女にも問いかける。「私、知らない……」という小さな呟き。視線を本に戻す。分厚いハードカバーであった。タイトルは――わからない。表にも裏にもなにも書かれていない。そんな本などありえるのか?

 脳裏に座敷童子の足跡がよぎった。どうしてこんな時にと思うが、一方で心に蓋はできないとも感じている。天井の足跡について僕は現実のくぼみだと指摘した。その凹凸に光が反射したという仮説だったが、だけど、乏しい光源に対してあれは、あまりにくっきりと浮かびあがってはいなかったか。シイが経験したトイレのくだりもそうだ。説明できない事象が多すぎる。

 懐中電灯を持ちなおし、ハードカバーに顔を寄せた。すると、真っ白だとばかり思っていた表紙に小さく文字が書かれていると気づく。隣からおそるおそるシイも覗きこんできた。僕ら二人はとうとう、その一文を読んでしまう。

『おまえは もう かえれない』

 この夢は、もしかしたら、ただの夢ではないのかもしれない。

 僕はシイの手をひくと、図書室の出口にむかって走りだした。

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