4-12.オリエンテーリング8
鹿は意外に強かった。
うん、思ったよりは。
「わうぉぉお…んッ」
ペーちゃんが前傾に身を伏せて唸り声を上げる。
その姿は見る間に青みがかった銀毛に覆われ、獣の性を露にする。
――【完全獣化】
獣になったペーちゃんの姿は、成獣になりきる直前の…幼さと精悍さの挟間にある若獣に見えました。
鹿、獣の性で怯えちゃえ。
「ペーちゃん………GO!」
「がぁあう!!」
吹き飛ばされ、弾き飛ばされた私達。
次の突撃への間を保たせるため、ルイ君が1人で奮闘しています。
でもやっぱり体が軽いから、簡単に弾き飛ばされそうになっちゃう。
それをどうにかこうにか堪え、回避に努めながらも偶に痛烈な一撃を入れる。
私、ルイ君のことを随分と見縊ってましたー…。
色男予備軍じみた気障な印象に惑わされて、全然思いもしなかったけど。
ルイ君、見た目によらず凄い根情…!
人は見かけによらないって本当です。
でもその踏ん張りも限界みたい。
鹿は上級生だけあって、大きな体の鹿です。
さっきから私達は、3人それぞれ順番に鹿に投げ飛ばされているような状況下にあります。今はルイ君が踏ん張ってたけど、さっきはルイ君と私が吹っ飛ばされたり、ペーちゃんとルイ君が吹っ飛ばされたり。
鹿は、本格的に3対1の図式が完成して以降、戦略的に『投げ飛ばし作戦』を敢行していました。
やってることは超単純。
殴ったり蹴ったりしたら怪我をさせるかもしれないので、とにかく遠くの方に投げ飛ばすというもの。
それも体を強く打ちつけたりしないよう、私達が受け身を取れるように調整した柔らかさで。
………そんな気遣いが出来る鹿だとは思いませんでした。
投げ飛ばしてる時点で、大人げは全くありませんけどね!
鹿の腕は2本なので、どうしても一度に投げ飛ばせる人の数が限られます。
近寄る→投げられるのパターンが出来上がっちゃってて、こっちも攻めあぐねているのが正直なところ。
ヴェニ君に思いっきり容赦なく投げられ慣れている私やぺーちゃんはあんな温い投げ方じゃ堪えないけど、接近戦しか出来ない私達にとっては、近場に留まれない投げ飛ばし作戦は分が悪いモノがあります。
だってぽいぽい放り投げられて、決定打になるような攻撃を入れられないし。
ヴェニ君の家の道場に長く通っていたというだけあって、鹿は対人戦………それも安全に戦うことに慣れていました。
ヴェニ君だったらこうはいかない。
こっちに対応できるギリギリの危険度で組手をしているので、今まで安全に考慮して戦うなんて経験積んだこともありません。
こっちが本気で向かっていっても、ヴェニ君にはいなされるだけ。
それでもヴェニ君はちゃんと向き合ってくれました。
………こんな、相手と同じ土俵に立たせてもらえない試合は初めてです。
ルイ君なんて、投げられ過ぎてちょっと疲れ気味。
疲労が滲み出て、ふらふらし始めてる。
ルイ君の足下の危うさが心配です。
「…あっ」
………と思ってたら案の定!
ルイ君がまた投げられたー!
いくら身体の軽いルイ君でも、そう何回も何回もぽいぽい投げられて平気であれる筈がありません。
現に今だってふらふらしてたんだし!
これ以上投げられるのを、静観している訳にはいきません。
「ペーちゃん!」
「うぉおんっ」
………ペーちゃん、喋れるのになんで喋らないんだろう。
ノリ? 勢い?
ペーちゃんが完全獣化すると、時々野生に返ったのかと思っちゃうよ。
それでも思考回路はやっぱ元のままで、意思疎通に困ったことはない。
狼へと変じたペーちゃんは吹き飛ばされたルイ君の真下へと素早く回り込み、その襟首を咥えて引き寄せました。
「ルイ君、少し休んでて!」
「でも…っ」
「じゃあ俺の背中に乗ってろ…!」
あ、ペーちゃんが喋った。
ふらつく足で戦闘続行は無理と見たのか、ぺーちゃんはぺいっとルイ君を自分の背中に放りなげ、そのまま走りだしました。
うん、ペーちゃんって器用だよね。
私も負けじと、頑張らないと!
私達の勝利条件は、破格の好条件。
何しろ絶対に打倒さなきゃいけないって訳じゃないし。
あの立ち位置から、鹿の身体をずらすことが出来れば、それで…!
「そう簡単に負けて堪るかぁぁあああああっ」
「アンタ鹿の獣人って嘘だろ! 本当は熊かなんかだろ!」
「やだ、一緒にしないでよ」
「あ、おねーさんすんませんっス!」
嫌らしく背後から襲いかかる、ペーちゃん。
その背に身を伏せながらも、ペーちゃんの援護に努めるルイ君。
放りなげようと伸ばされた鹿の手を、ルイ君が叩いて弾く。
その隙に、注意の逸れた横合いからメイちゃん突撃…!
ヴェニ君に猪呼ばわりされた、安定の突撃力を今こそ発揮してやるー!
「あ」
ひょいって。
私の胴に、回された腕。
「ひゃぁあああああああっ」
ま、また投げられたぁぁああああっ!!
悔しいー!!
何度も突撃を重ねる中で、私やペーちゃんには手加減無用とでも思ったのかな。
さっきから結構な勢いで投げられてる。
投げられても、その度に見事な着地を決めて、神経逆撫でしてやってるけどね!
そうそれは、今回も。
………そのつもりだった、ん、だけど。
丁度いい位置に、カルタ君がいたから。
「カルタくーん! 手ぇ出して!!」
「えっ!?」
「ついでに右足踏ん張って! そんで身構えよう!」
「え、え、えぇっ!?」
うん、なんて丁度いい位置!
私は戸惑いながらも伸ばされたカルタ君の腕をひっ掴み、そのまま勢いで…
流石は職人さんの卵、カルタ君!
見た目以上の安定感ある体は、私の指示に忠実に従ってくれていて。
心の準備は足りなくて、ちょっと足下がふらついたけど。
真正面から少し横にずれた位置にいた、カルタ君。
本当は私の身体が壁とか床にぶつからないよう、庇って受け止めるつもりだったんだと思う。
その優しさが、衝撃への備えになって。
私の指示で止まっていた足を、軸にして。
私はくるりカルタ君の身体を振り回す形で、真横に一回転。
それはさながら、ジャイアントスイング…!
「カルタ君、手ぇ離してー!」
「えーっ!?」
狼狽えながらも、従ってくれるカルタ君の素直さは一財産だと思う。
「喰らっちゃえ、遠心力の力ー!!」
私の体は、カルタ君の助けで速度を増幅され、再び元いた方…
………の、上の方へ飛びました。
しまった、このままだと天井直撃コース…!!
勢いがつき過ぎていたので、私は慌てて身をよじり…
……………計らずしも、それは三角跳びの要領を成していました。
勢いよく、両足で天井に蹴りを入れて。
私の体は、斜め下に位置した鹿の身体へと…
突 撃 ど っ か ー ん 。
そうとしか言いようのない、決着でありました。
勢いのつき過ぎた体当たりって、最早1つの凶器だよね☆
自分に威力がフィードバックしない為にクロスした、私の白い両腕。
結構良いところに入ったらしくて、鹿は蹲ってげほごほ咳き込んでいます。
その体は、定位置から3mばかり吹っ飛んでいて。
一緒に吹っ飛び玉砕☆
「め、メイちゃん、大丈夫か…?」
「あう~…頭くらくら、目がぐるぐるするよぅ」
「一連のアレ、目まぐるしかったしね。仕方ないさ」
心配したように恐る恐るペーちゃんとルイ君が声をかけてくれるけれど、目が回ったくらいで私自身には驚くほどダメージがありませんでした。
当初の目的通り、鹿の体は吹っ飛ばせたし!
とにかくこれで、条件は達成!
メイちゃん達の、大勝ぉー利、です!!
「………メイちゃんって容赦ないって言うか…」
「手段、選ばないよね…」
「甘いな。メイちゃんが自分の目的の為に手段を選ばないのは前からだ」
班員達の視線が何か痛かったけど、問題はありません。
勝利は勝利、です!
…というかさりげなくペーちゃんも混ざっちゃってるけど!
一言物申したいですが、私、ミーヤちゃんよりはマシだもん!
本当の意味で手段を選ばず形振り構わない比較対象がいるというのに、メイちゃんがさもやり過ぎたかのように言われるのはちょっと納得がいきませんでした。
ぽいぽい人のことを投げるような相手にどう加減しろって言うんだか!
鹿は保健室送りになりました。(2人目)
そして私達には、熊のお姉さんから笑顔で最後の札が進呈されました。
わあい、やったね☆
「これで課題は全部終わったわね。集まった札は、これで10枚」
「書かれている言葉は『政治・仮説・生血・澱み・苦無・リラ・世界・遺跡・実直・怒鳴り声』………」
確認の為にドミ君が読み上げるのは、今まで集めた札の文字。
うん、見事に関連性がわからない。
けど、きっとこれってそういうもの。
私は例の課題用紙の裏に書かれた枡目と合わせて確認です。
…うん、間違ってなさそう。
でも最後の言葉が………
「脈絡も関連性もないわね」
「何かの符号かな? わざわざ書いてあるくらいだし、何の意味もない言葉だとは思えないけど…」
ソラちゃんやドミ君も首を傾げていて、言葉の意味を考えてる。
私は私で、課題用紙と睨めっこです。
課題の数、合ってるよね………?
なのに、手に入れた札の数が合わないんだけど。
「取り敢えず、そこらへん含めて最後の場所に行けばわかるんじゃね?」
「そうだね。一先ずは最終地点に………って、そういえばミヒャルト君は!?」
「まだ戻ってこないわね………」
「伝言じゃ、『空中庭園で待ってる』…だって」
「伝言!? え、なにソレ初耳」
「さっきメイちゃん達が鹿先輩と戦ってる時に受け取ったんだ」
「へえ………じゃ、何にしても空中庭園に向かわねーとな」
そんな訳で、こんな訳で!
向かうは、最終チェックポイント。
先生方が課題を終えた子供達を待ち受けているという…空中庭園です!
白い柱に、白い敷石。
春の穏やかな花々と、草の緑。
それ以外をすべて白で纏め上げた空間が、北館の屋上に広がっていました。
古代神殿めいた印象が端々に香るデザインは、厳かな気持ちにさせてくれます。
ここが、最終チェックポイント?
そしてそこには、既に私達以外の先客…
元より生徒を待ち受けていた諸先生方とは、別に。
2つの班がそこで私達を待ち受けていました。
それぞれの班とは離れた場所のベンチに、ミーヤちゃんもいます。
「ミーヤちゃん、いたー!」
「あ! メイちゃん…っ」
私が思わず声を上げると、私達に気付いたミーヤちゃんが振り向きました。
それまで完璧に『無』だった表情に、一瞬にしてぱあっと花が咲いたような笑みが宿ります。
いそいそとベンチを飛び降りると、ミーヤちゃんは走ってやってきました。
「メイちゃん! 遅いから心配したよ…!」
「きゃあっ! ミーヤちゃん!?」
………と思ったら、飛び付かれました。
全身全霊で、ボディアタック!
ペーちゃんが後ろから支えてくれなかったら、危なかった…!
転んじゃうかと思ったよー………




