2-4.夢のなかの『誰か』さん
見事に柔らかな草原へと着地を決めて、顔を上げてみればそこは知らない景色。
さっきまで漂っていた、私のゆめのせかいとは一変した世界。
ここ、どこかな?
しらないところ。
全く知らない、誰かの領域。
どうやら夢の世界の垣根を飛び越えて、知らない人の夢まできちゃったみたい。
わー………自分の夢から誰かの夢まできちゃったのは、初めてのことです。
ここ、本当にどこだろ?
心当たりは、1つだけ。
だって私は、あの『泣き声』を辿ってたんだもの。
………途中で思わぬ飛び跳ね方しちゃって、よくわからなくなったけど。
でも、聞こえます。
声が聞こえる。
――さっきの、あの辛そうな泣き声!
着実に近づいた声の在処は、もうすぐそこ。
聞こえる感覚でわかります。
この夢は、あの声の持ち主の世界。
うん、行ってみよう!
夢の中の草原には、気持ちのいい風が吹く。
わあ、このユメ、凄くリアルだ…。
きっと夢を見ている人は想像力や感受性の豊かな人なんでしょう。
それにとても過ごしやすい。
夢にはその人の心がうつる。
こんな気持ちのいい夢を持っている人は、どんな人だろう。
人格だけはもう既に保証された気分で、私は耳を頼りに歩く。
歩いていたら、森の中になっていた。
うっそうと淡い色合いの緑が茂る、木漏れ日の降り注ぐ森。
いつの間に…。
森があった、とか。
森に入った、とかじゃなくて。
歩いていたらいきなり景色が草原から森になっちゃった。
それまでは、草原だったのに。
吃驚しながらも、『夢だから』で納得して。
森になった瞬間、『声』の距離が格段に近くなっていたし。
私の性能のよろしい白の長耳さんは、今日も夢の中でも良い仕事をするみたい。
ぴくりぴくりと耳を動かし、声の気配を探りながら近づく為に足を進める。
気持ちの良い、心地良い木漏れ日。
風の、葉を揺らすさやさやという音。
ここ…なんだかとっても落ち着いて好きだなぁ。
泣き声はますます近くて、それどころじゃなくて。
ふと思い出す節に、現実の辛さで自分の胸も締め付けられるけど。
ゆったりと時間の流れる、木漏れ日の森。
あまりに気持ちのいい空間に、なんだか私の心まで和みます。
がさり、がさりとひときわ大きな茂みをかき分けると…
――見つけた!
さえぎる物なく、探してさまよったあの『声』がまっすぐ耳に飛び込みました。
目の前には大きな木。
前世の世界だったら『御神木さま』とか呼ばれてそうな木。
あまりに立派で、あんぐりと口を開けて見上げてしまいます。
ああ、駄目だめ。
今はそれどころじゃないよ、メイちゃん!
すぐそこにいるはずの目的を探して、きょろり。
顔ごと動かして、泣いている『誰か』を探しました。
きっと、見えるところにいるはずだから。
案の定、『誰か』はすぐ近くにいました。
私の視線を真っ先に奪ってくれた大木の、その根元に。
体育座りで、その顔をうずめて。
苦しげに、堪え切れない嗚咽を漏らしながら泣いている。
見ているだけで胸が締め付けられそうなくらいに、哀れな姿。
何がそんなに辛いのか、私はわからなかったけれど。
気がついたら何の逡巡も考えもなく、そっと『誰か』に近づいていました。
その子は、私よりちょっと年上くらいの子供で。
生傷だらけの足が、普段のやんちゃぶりを見せつけてくれるけれど。
へにょりと萎れた植物みたいに、男の子は泣き伏している。
近寄った私にも気付かないくらいに、懸命に。
「お兄ちゃん、どうしたのー?」
とりあえず、空気を読まずにのほほんと声をかけてみました。
まさか誰かいるとも、声をかけられるとも思わなかったのでしょう。
ぎょっと、吃驚した顔で男の子が顔をあげました。
その拍子に、零れそうな眦から更に大粒の涙がぼろっと。
大きな目の代わりに、こぼれ落ちました。
――おお、凄く整った顔をしている。
上げられた『誰か』さんは、思っていたよりも綺麗な顔をしていました。
きりっとした目元にかかる、『誰か』さんの蒼い髪がふわりと揺れた。
「き、きみだれ…?」
「メイは、メイだよー。獣人のメイちゃん6さい!」
「いや、聞きたいのは名前じゃなくてね?」
「お兄ちゃんはなんで泣いてるのー?」
「俺の話、聞いてないね? 答えてよ、気になるから」
「メイね、メイの夢の世界からきたの」
「………夢の世界?」
「うん。それでね、ここも夢の世界だよ? お兄ちゃんの夢の中なの!」
「夢………え、これ夢?」
いきなり夢がどうのと話しかけられ、お兄ちゃんはポカンとしてしまいました。
驚いたり呆気に取られたりで、涙も引っ込んだみたい。
よし、このまま煙にまいちゃ………いやいや、まいちゃ駄目だよ。
それじゃ、根っこの解決にはならないよね。
「あのねぇ、お兄ちゃんの悲しそうな声が聞こえて来たの。とどいちゃったの」
「え、とえ…? 夢? 夢なのに?」
「うん。それでメイね、お兄ちゃんが泣いてるの気になったから来たの」
「えーと………」
戸惑いながらも、お兄ちゃんもやっぱり子供で。
物凄い順応性と柔軟性を発揮してくれました。
「ええと、ここは俺の夢で?」
「うん」
「それで君は、えっと…」
「メイだよ! メイもね、寝てたところで夢の中にいたの」
「そこに、俺の………えっと声が聞こえた?」
「うん!」
泣いていた、とは自分では言い辛いんだろうな。男の子だし。
ちょっと耳を赤くしているのは恥ずかしいのかも。
涙が引っ込んだことで、冷静になっちゃったみたいだし。
気まずそうに眼を逸らしながら、お兄ちゃんは困惑気味。
「声って他の人の夢の中まで聞こえるものなの?」
「メイ、聞こえたよ? だから来たんだよ?」
「あのさ、聞こえたからって他人の夢の中に入れるかな。普通」
「無理だと思うよ?」
「自分でやっておいて平然と言うなぁ…」
頭を抱えてしまったお兄ちゃんの、光沢を帯びた蒼い髪が目元を隠します。
長めの前髪の間から覗く、朱金の目が綺麗でした。
もっとよく見たくて、にじりにじりとにじり寄る。
ほとんど真下から見上げたら、お兄ちゃんも私を見下ろしてきます。
「………」
「……………」
互いの出方を窺うように、無言でじっと見つめ合う。
観察する目が、メイのふわふわの髪や白い肌をなぞります。
ぴるる、と。
ちょっと恥ずかしくなって身じろいだ拍子、自慢のお耳が震えてしまいました。
そんな動物的な反応に、お兄ちゃんも和んだのかな。
緊張感の漂っていた目元がふっと和んで、柔らかくなりました。
多分無意識だろうけれど、お兄ちゃんの手がメイの頭を撫でています。
柔らかかろう、柔らかかろう。
そして気持ちいいでしょう?
ウール100%に勝るとも劣らない触り心地のはずです。羊獣人だけに。
メイの毛並みを撫でる手は、露骨に楽しげ。
感触に感化されたのか、お兄ちゃんの警戒心がみるみる溶けていく。
今なら、だいじょうぶかな?
今なら、聞いたらこたえてくれるかな?
「お兄ちゃん、どうして泣いてるの?」
「………」
「メイ、おはなし聞くよ? お兄ちゃんが誰かもお家の場所も知らないし、きっと目が覚めたら会うこともないよ。だからメイに話したことは誰にもばれないよ!」
「そうかなぁ…」
「うん、そう。メイちゃんとお話しできるのは、今日だけなのよ。ちょっと特別」
「うーん、でも女の子にそんな話はできないし」
「そんなこと言わずに教えて? 何か困ったり悲しいことがあると、半分こすると良いのよ?」
「気持ちは半分こになんてできないよ」
「できるよー。お兄ちゃんがしようとすれば。ここはお兄ちゃんの夢だし、出来ないことなんて何もないもん」
私は言い渋るお兄ちゃんを結構必死に説得しました。
今はメイの存在に驚いて涙が引っ込んでいるみたいですけど、やっぱり根本解決に至っていませんし。
そうなると、また夢の中で泣くかもしれません。
そうして、きっとまた私の夢まで声が響くんです。
………そうなったら、気にならずにいられないじゃないですか。
さっきまでも気になって仕方がありませんでした。
『誰か』さんがどんな人か確かめた今となっては、きっと更に気になります。
問題を長引かせて何度も何度も来る羽目になるよりも、サクッと解決したい。
だから、必死にお兄ちゃんを説得するの。
でも気付いたら、何故か私のお悩み相談教室になっていました。
あれ…? なんでこうなった?
流れはこうです。うん。
お兄ちゃんから泣いている理由を聞き出す一環で、共感を引き出そうと思って…
私だって泣きたいくらい辛いことがある、と。
だから恥ずかしいことじゃないと続けようとしたんですがー…
今の私には、現実に大泣きするくらいの懸念事項があるんでした…。
ちょっとぽろっと。
ほんの少し、ぽろっと口が滑って、転んで。
ほんのさわりだけのつもりだったんだけどな…
気が付けば、がっつりお兄ちゃんに泣きついていました。
手元にテディベアがないから、代わりにお兄ちゃんにしがみ付いて。
うん、いつの間にかお兄ちゃんの膝に乗りあがってました…。
「ま、ま、ママがっ ママが、し、しぃし、死んじゃったら…っ!」
「死なない、きっと死なないよ。大丈夫だよ!」
ぼろぼろと涙を流して、泣き喚いて。
お兄ちゃんの胸にぐりぐりと頭を擦りつけて。
だだっこみたいにぼろ泣きの、私。
お兄ちゃんは背中をとんとんと叩きながら、抱きしめてあやしてくれました。
うん、メイちゃん、すっごい迷惑かけてる…っ!
わかっていても理性で感情をコントロールできない。
それが子供というものです。
そして私の感情は幼い体に引きずられて、頭の中味完璧にお子ちゃまでした。
自制利かないなぁ…。
「なあ、そんなに泣いたら目玉が溶けちゃう」
「………おにいちゃん、お友達のママと同じこと言ってる」
「そっか。なあ、あのさ?」
「うん……」
「これから2人で、君の『ママ』が大丈夫かどうか確かめに行こう」
「え?」
吃驚しました。
本気の本気で、吃驚しました。
お兄ちゃんが、いきなり凄いこと言い出したので。
「あのさ、君は別の場所…自分の夢の中から来たって言ったよな?」
「う、うん…」
「自分の夢から、俺の夢まで。別人同士なのに、その夢の垣根を飛び越えてきちゃったんだろ?」
「うん、そうだ…けど……」
「それじゃあ、君がとっても心配している『ママ』のところにも、行こうと思えば行けるんじゃないか? 夢の中で行くんなら、お留守番って言いつけも破ったことにならないだろ?」
「え、ええぇぇぇぇぇ………メイ、そんなこと出来るかなぁ」
というか、そもそも夢の中から現実の世界を覗けるとも思えないんですけど…
お兄ちゃんの夢まで来ちゃったことも、目が飛び出そうなくらい驚いてるのに。
自由自在に他人の夢を渡るなんて、私みたいなただの人に出来る訳ありません。
それが出来たら、私の天職が占い師になっちゃいますよ。
「こんな深夜の時間帯だし、病院にいるっていっても君のパパやママはもう寝てるんじゃないか? だからその夢をちょっと覗けば切羽詰って危険か安心して良いのかわかると思うんだ」
「言われてみると、そうかもだけどー…」
それでもやっぱり、それは物凄い無茶振りで。
子供ゆえの単純さや、物事を簡単に考える習性が影響してるんだろうけれど。
思いもしなかった手段を示され、私は思案に暮れます。
「試してみるだけ、試してみよう? もしかしたらうまくいくかもしれないし、うまくいかなくても気を紛らわせるくらいは出来るんじゃないかな。それに、夢で出来ないことなんてないんだろう?」
「……………」
心配そうに私の顔を覗き込む、お兄ちゃんの顔。
……………。
………たぶん、お兄ちゃんも半分くらいは、言ってみているだけで。
今、お兄ちゃんが言った気を紛らわせるって言葉。
それがもしかしたら、本当の狙いなのかもしれない。
何も出来ないし、心配することしか出来なくて。
それで泣いていた私に、出来ることをさせてみようって。
何かを頑張ることで、一所懸命になることで、焦燥感を和らげさせようとしているのでしょうか。
私のことを気遣っている気持ちが、凄く伝わってきたから。
私が泣いているのを何とかしたいって気持ちが、温かかったから。
だから出来る筈のないことでも、ちょっと頑張ってみようかと。
私は、気付かない内に血迷っていました。
うっかり空気に乗せられたとも言います。
「そ、それじゃー、ちょっとだけ。試しに、やってみるだけ…」
「うん」
怖々と言ってみたら、お兄ちゃんがそれで良いというように頷いてくれたから。
私は、どうやって頑張ったものかもわからないまま。
だけど感覚的に、気が昂るまま足に力を込めて…
――やっぱり、わかんないや。
「お、お兄ちゃん? どうやったらママのところまで行けるかなぁ…?」
「え。いや、それを聞かれても………此処にはどうやって来たのさ」
「えー…お兄ちゃんの声が、聞こえて? それで何となく、声を辿って?」
「………本当に、俺の声を聞いて来てくれたんだ」
ちょっと照れくさそうに、耳を赤くして。
気を紛らわすように、お兄ちゃんがわざとらしく考え込みます。
その待っている時間に気弱に、心細さに負けそうになる。
「そもそも此処はお兄ちゃんの夢だから、メイが何とかするのもちょっと大変じゃないかな…無理じゃないかな……」
「え。いやいや行けるよ。
行けるさ! 君の、パパとママのところへ! 」
お兄ちゃんが、叫んだ瞬間でした。
私とお兄ちゃんの足下から、眩しい銀色の光が溢れだしたのは。
弾ける閃光、吹き上がる衝撃。
私とお兄ちゃんの間、ちょうど真ん中のところ。
そこに、勢いよく光が付き抜けて行く穴の様なものが…
「お、お兄ちゃんっ」
「掴まって!」
な、何事なんでしょうか、これーっ!?
前世と今生合わせても、他人様の夢に来ちゃうなんて初めてでした。
でもコレだって初めてですよーっ!!
足下から付き抜けて行く光に、煽られて。
体勢のバランスを崩してしまった私は、足下から崩れ落ちる様に…
光の溢れている穴に、落ちました。
そりゃもう、零れ落ちる砂時計の砂みたいにぴゃーっと。
私を腕に縋りつかせていた、お兄ちゃんを道連れにして。
「「う、う、うわあぁぁああああああああああっ!!?」」
どちらの口から出ているのか曖昧な悲鳴は、実は両者の口から出ていました。
そうして私達は、悲鳴ごと真っ逆様に落ちていったのです。
どこに落ちていくのか、夢の世界に慣れていた私は感覚的に分かりました。
お兄ちゃんの夢への境界線を突き破った時と、似たような感覚を発達した第六感が感じ取ったみたいで。
私達は落ちていったのです。
夢の、外へ。
――自分の感覚で夢を操れる。
それが秘かな特技だった、前世+今世。
だけど今日は本当に慣れた夢の中でも初めて尽くしで………
本当に、こんな体験あんな体験、全部全部初体験ですよ!!
夢の中から零れ落ちた私達は、どうなるのでしょう。
全部が初めてだった私には、私達がどうなるのか全然わかりませんでした。