1-10.作戦開始!
それから暫く、それぞれがそれぞれの繰り返しの毎日が続いた。
1日の日課が、それぞれ固定した毎日。
ヴェニ君が公園に向かい、その行き道で襲いかかるメイちゃん。
容易く逃げて公園に辿り着き、ソフィアと子猫に挨拶をするヴェニ君。
子猫と至福の顔で戯れるヴェニ君を、時計塔の屋根から観察するスペード。
そして巻添えにするのを恐れてか、ヴェニ君と子猫が離れた隙を狙って襲撃するメイちゃん×3セット。
やがてソフィアが「夕飯の支度が」と家路につき、ヴェニ君も家へ足を向ける。
時によってはそんなヴェニ君にメイちゃんが再び襲撃を行って、1日が終了だ。
そんな毎日が、半年近く続いた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
とうとう、ヴェニ君との約束の期限が1週間後に迫って来ましたー!!
うわぁぁあん、まだ光明すら見えてないよ! どうしよう!?
狼狽しまくりな私に、ミーヤちゃんがにっこりと笑った。
「それじゃあ、そろそろ計画の実行しどきかな?」
え、なにか妙案でもあるの?
まだ6歳なのに、パパさんが学者さんだからかミーヤちゃんはとっても頭が良い。
そんな彼が、私ににんまりと笑った。
それはまるで、前世で見たアニメ映画のチェシャ猫のように。
「前にも言ったけど、意表を突く作戦は最初の1回だからこそ効果があるよね」
そう言って、ミーヤちゃんが提案した作戦は。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「うぅ…うまくいくかなぁ」
不安げに、羊娘が呟いた。
茂みの奥から覗いた先には、子猫と戯れる少年。
なんと心和む光景だろう!
微笑ましげに少年と子猫を眺めながら、ふわふわした笑顔の専業主婦はそろりとさり気無く位置を取る。彼女の甥っ子にあらかじめ指定されていた、位置へと。
それが完了してから、専業主婦は羊娘に目配せを送ってきた。
いよいよ、作戦決行の時である。
「うー…やるしかない。覚悟を決めよう、メイちゃん」
己で己を鼓舞して、羊娘がいざ出撃!
「メイちゃんいっきまーす! ヴェニ君、覚悟ー!」
そう言って駆け出す、メイちゃん。
そのおみ足を覆っているのは、最近作り始めた自作の蹄カバー。
少しでも自分の特徴的な足音を殺そうという試みだ。
しかし、しかしだ。
いくら足音を殺そうと、正体ばればれの掛け声あげては意味は全くないも同然。
………やっぱり彼女は、羊ではなくて猪なのかもしれない。
そして、やっぱり。
声を上げた為か、それとも気配を察知していたのか。
半眼でメイちゃんに視線を向けた少年は、物凄く疲れた顔をしていた。
いや、正確には脱力したのだろうか。
メイちゃんのいつまでも治らない間抜けぶりに、顔を顰めている。
だがその内心の苛立ちは…今日は、いつもと一味違った。
今日のヴェニ君は、かなり怒っていた。
「人の足下に子猫がいる時に襲ってきてんじゃねーよ!! 子猫が巻き添え食って踏みつぶされたらどうすんだ!?」
「ヴェニ君の猫マニアーっ!!」
「煩ぇ! 人が猫しか愛してないみたいに言うな! 俺はジャンガリアンだってゴールデンだって愛してる!」
「ハムスター一択!?」
「兎も小鳥も大好きだ!」
「ヴェニ君ってどこの白雪姫?」
「しらゆ…? 誰だそれ? っつか姫って何だ!」
とにかく、とりあえず。
捕まえればそこで賭けは成立。約束は成就。
捕まえさえすれば良い。
だけどその「捕まえる」ことが一年を無駄に浪費してしまうくらいに難しい。
いや、ミヒャルトの言い分によれば無駄なところなど何もないらしいのだが…
ヴェニ君の腕を、もしくは足を。
何が何でも捕まえてしまおうと、メイちゃんは手を出しては弾かれる。
パシ、パシッという軽い音が間断なく続く。
メイちゃんの攻撃を、ヴェニ君は軽く弾いていく。
そんな、最中。
「みぃー…」
何を思ったのか、白い子猫がおぼつかない足取りで、ちょこちょこと。
攻防を続ける彼女達の足下に、子猫がまろび出てきて…
「!?」
ヴェニ君が、はっと息を呑む。
恐怖に染まった顔からは、ざあっと血の気が引いた。
その目には、子猫の身を案じる色だけが強く主張している。
「みーちゃんっ!!」
それは、咄嗟のことだった。
今にも踏まれ、蹴られるんじゃないか。
そんな位置に出てきてしまった子猫を庇わんと、その身はメイちゃんの相手を放り出し、子猫の方へと…
「メイちゃんチャンスターイム!」
身を屈めて子猫を掬いあげる。
その動作故に、どうしても隙が生まれる。
それを好機と見たメイちゃんが、ヴェニ君へと躍りかかった。
咄嗟にヴェニ君が目を走らせる。
ここで飛びかかられ捕まってしまえば、賭けに負けてしまう。
走ったヴェニ君の目は、ソフィアを捉えた。
咄嗟に、彼女を巻き込まない方…
それでいて、確実にメイちゃんの攻撃から離脱できる位置。
本来のヴェニ君であれば選ぶであろう進路は、どうした運命の悪戯か丁度ソフィアが立ちつくして塞いでいる。
ソフィアを少しでも遠ざける為に、ヴェニ君は逡巡すら捨てていつもは選ばない場所を…一方を林に塞がれた場所へと、全身のバネで跳躍した。
軽やかで、飛距離も高さも十分。
ヴェニ君の跳躍は、飛びかかってきたメイちゃんの頭上を越えた。
空中で、ヴェニ君が体を捻る。
くるりとそれこそ猫の様な半回転で、進行方向を背に。
そしてたった今、飛び越えたメイちゃんの方を前にするように姿勢を変える。
そのまま、子猫を抱えたまま華麗に着地を決めて。
すたっという軽い音が、妙に耳の奥へと残った。
――瞬間。
「 BOWWOW BOWWOW !! 」
ヴェニ君の着地点の、背後。
広がる林の茂みの中から、気性の荒い犬の声。
ヴェニ君の余裕にビシッとヒビが走り、体が硬直した。
「みゅぅぅ」
子猫の、心細げな声。
その声に気力を奮い、恐る恐ると背後を見れば…
「イヌ…じゃねぇえ!! なんで狼が此処に!?」
驚愕。
その瞬間、ヴェニ君の頭から冷静にして正常な思考能力が吹っ飛んだ。
極限まで見開かれた少年の目に映るのは、身を低くして唸る狼…の、子。
そして狼の子に率いられた、犬の群れ。
狼の子も、『子』といってもそれなりの大きさがある。
率いられた犬の群れは、悠に20匹以上はいるだろうか?
…本気で襲われ、噛まれでもすれば軽傷では済まないだろう。
まして小さな子猫が噛まれようものなら…それこそ、命に関わる。
今にも跳びかからんと身構える犬科の獣たち。
愕然と驚き固まる少年。
しかし狼が四肢に力を込める動作に気付き、顔を青褪めさせた。
彼は、幼い頃に狼に襲われかけた経験がある。
以来、正直言って犬や狼は苦手だ。
それが例え子犬であっても牙を剥かれると、もう駄目だ。
視線がうろっと彷徨い、逃げ道を探す。
「…畜生っ」
だが、何たることだろう。
絶好のルートには、ソフィアさんが立っている。
次点候補のルートには、メイちゃんがいる。
狼に立ち向かおうにも、懐には子猫がいてか細い泣き声を上げている。
子猫の泣き声に急かされるようにして、ヴェニ君はあまり気の進まない方向へ…狼の眼前から林に沿って脇に抜けるような、狭い進路を選ばざるを得なかった。
「!!」
…が、
選んだ方角へ走り始めて4歩か5歩の場所で背筋を悪寒が突き抜けた。
狼か。
背後を確認するが、追ってきてはいるものの何かが違う。
その時、足下に違和感。
咄嗟にヴェニ君は、違和感を得た足で地面を強く踏み抜いた。
「…っ落とし穴か!」
体が落ちる前に、踏み抜いた足の力で真上に跳躍する。
ジャンプ力に自信のあるヴェニ君。
その体は吸い込まれるように、頭上に張り出していた枝へと飛び乗り…瞬間、すぐ側で嫌な音がした。
樹上、音のした方へと視線を這わせる。
ヴェニ君が乗り上げた枝は、一際太くてしっかりした枝だ。
本来であれば、ヴェニ君の体重など物ともしないだろう。
本来であれば。
ヴェニ君の乗った枝には、根元の辺りで深い切れ込みが入れられていた。
一見それと分からないよう、偽装までされている。
どう見ても、人為的処置。
誰が見たってノコギリで切れ込みを入れた後だ。
「な、なにーっ!?」
めきめきめき………
ヴェニ君の身体を支える枝から、嫌な音は響き続ける。
体が不安定になる、嫌な感覚もする。
焦って見回してみるが…
「根回し済みか、おい!?」
ヴェニ君の跳躍力で飛び移れる範囲に、ヴェニ君が飛び乗れるような太くてしっかりした枝はなかった。前はあった枝も、切り落とされている。
どいつもこいつも、栗鼠でもなければ落っこちそうな枝ばかりだ。
「ちっ…」
最早、取れる手段はいくつもない。
地上には狼がいる。
それを思うと戻りたくなどはなかったが………
しかし此処にいれば、落下するだけ。
しかも真下には落とし穴。
ここは自分から動いた方が断然良いに決まっている。
ヴェニ君は覚悟を決め、地上へと向かって思い切り飛び降りた。
反動で、今度こそ枝が本体とさようなら。
ヴェニ君は地上へ向けて大跳躍だ。
そして地上には、メイちゃんが待ち構えていた。
行ける範囲が限定的な物になる様に狭めれば、どこに行くかの行動予測は容易だと…そう言った、ミヒャルトの指示の通りに。
受け止めることはどう見ても、不可能。
誰が見たって体格差がある以上、それは無茶だ。
なのにヴェニ君の着地点では、ヴェニ君よりも5歳も年下の女の子がヴェニ君を受け止めようとしている。
ヴェニ君の意地が、炸裂した。
落下しながら己の身体に捻りを加え、回転を加え…その反動を使って、己の身体の予想落下地点に修正を加える。
さあ、着地の瞬間だ!
――そこで、ヴェニ君が見たモノは。
着地の、一番身動きの難しい時に唖然とする。
満面の笑みで、投網を構える男の子を見てしまったから。
その男の子の頭には、狼獣人の耳が生えていた。
男の子は、スペードだ。
「…っぜんぶ、罠か!!」
これは罠か。
ヴェニ君がそう悟ったのは、果たして投網を投げられる前か、後か。
そのくらいの、刹那の差。
着地寸前のヴェニ君に、スペードは一切の躊躇なく投網を投げる。
それでもまだ諦めずに逃げてみせようと、ヴェニ君の全身の筋肉が躍動するが…
「駄目だよ、逃がさない」
耳元で、声。
瞬間、腕の中がいきなりずしりと思くなる。
それは命の重さだ。
だけど先程まで感じていた頼りない重みとは、あまりに違う…
ぎょっと腕の中へ目を向けると、そこには1人の男の子。
にっこりと浮かべられる微笑みに、してやったりという色が見える。
白い髪に紫の瞳の、猫耳を生やした男の子…
ミヒャルトが、ヴェニ君の腕の中に納まっていた。
その白い両腕が、しっかりとヴェニ君を拘束している。
いくら鍛えているとしても、ヴェニ君はまだ10歳。
6歳の男の子を抱えて、十全の動きが出来る筈もない。
この段になって、ようやっとヴェニ君は全てを悟った。
自分の周りに張り巡らされ、準備されていた諸々に。
「畜生ッ はめられたぁーっっ!!」
少年の声は、公園中に轟き渡ったという。
そして逃げ場を失った少年の頭上に。
漁師並の巧みさで以て投げられた投網が、絡まることなく見事に広がった。
そのまま錘の重さで、落ちてくる。
網の真ん中に、ヴェニ君とミヒャルトを残したまま。
男の子2人の全身を、包み込むようにして。
身動き封じる完璧な包囲網は、こうして標的を絡め取るのに成功したのである。
そして。
協力したみんなの見守る、その中で。
白い羊の女の子の、喜びの声が大きく広く響き渡った。
「ヴェニ君、つーかまーえたっ♪」
ヴェニ君、つーかまった♪
約1年に及ぶ2人の鬼ごっこは、こうして幕を閉じたのだった。
メイたちはストーカー被害者を捕まえた!
「ヴェニ君ヴェニ君、いまどんな気持ち?」
「最悪だよ、こん畜生!!」




