1-9.子猫とおばさん
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
物置を、がさごそと漁り始めて30分。
「あれ…? 母さんのことだから、この辺だと思ったんだけど…」
目的の物が見当たらず、僕は首を傾げた。
わからないんなら、当の仕舞った本人に聞こうっと。
「母さん、軍事用の遠眼鏡でいらないのを仕舞ったって言ってなかったっけ」
「ん? 遠眼鏡…?」
今日は珍しくお休みで、母さんは朝だけど家にいた。
いつもは垂らしっぱなしの髪も後ろで一つにして、リボンが揺れている。
あまり見ないスカート姿に、なんだか違和感。
「そう、メイちゃんの為に使いたいんだけど…」
「それなら遠慮せずに持っていくと良い。目的の物はそこだ」
そう言って母さんが指さした先にあるのは、どう見ても オペラグラス 。
………これは違うだろうと思って除けておいたんだけどな。
「母さん、軍隊用っていってなかった…?」
「如何にも。しかし開発部のたわけ者めが私に『似合いそうだったから』などという不届きな理由でこんなふざけたモノを作りおった」
「その気持ちはなんとなくわかるよ。それでプレゼントされたの?」
「私とて要らなかったのだがな。開発部が押しつけてきたのだ。こんなふざけたモノは軍で使えないとの言い分はわかる。しかし何故私に押し付けるのか…」
「似合いそうだったからじゃないかな」
「戦地で悠々とオペラグラスなど構えられるかと、怒鳴ってやったんだがな…」
「それ多分、ファンを喜ばせただけだと思うよ」
「嬉しそうに微笑まれて、寒気がしてな……以来、おぞましくて」
「気持ちはわかるよ、母さん」
「そんな訳で、私はそれを使わない。必要なら…特に、メイちゃんの為だというのなら勝手に持っていくがいい。私は壊れても気にしないぞ」
「ありがとう。じゃ遠慮なく貰って行くよ! 使うのはどうせ僕じゃないし!」
こうして僕は、約束のオペラグラスを手に入れた。
ちゃんと約束通り、スペードに渡してあげなくちゃ。
「…いや、自分が使う訳じゃないからってな、ミヒャルト」
「性能に問題はないって言ってたよ。遠慮せずに使って、スペード」
「俺が使うんだから気楽で良いよなぁ、お前は!」
「これもメイちゃんの為、しっかりと偵察よろしくね」
しっかりと言いきって、僕はスペードに遠眼鏡を押し付けて逃亡した。
すばしっこい分、逃げ足は僕の方が上なんだよね。ふふん♪
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「なんてヤツだ…」
俺の手の中には、ミヒャルトに押し付けられた遠眼鏡。
軍事用って聞いてたのになー…
遠眼鏡は遠眼鏡でも、これオペラグラスじゃん!
ひくっと口が引き攣ったけど、でも我慢だ。
これも、メイちゃんの為! ←合言葉
俺は与えられた指令を渋々思い出し、打ち合わせ通りにヴェニ君の監視に意識を切り替えることにした。
「でもうっかり近づいたら確実に気付かれるからなぁ…」
どこから観察しようか。
その為のオペラグラスだし。
「うーん………あ、そうだ」
思いついた妙案!
俺は近所一帯が見下ろせると評判の、時計塔に登ることにした。
その、屋根の上に。
そこから見下ろせば、付近一帯の監視はお手の物だろ!
狙い通り、いい眺め!
時計塔の天辺からはヴェニ君の活動範囲が全部見渡せてた。
これで監視は何の問題もなし!
俺ってば良い目の付けどころじゃん!
これならミヒャルトにも文句の付けようはないだろう。
そう思って、上機嫌で毎日の監視を始めたが…
………後日、命綱ぐらい付けろと盛大にミヒャルトにどやされた。
「ペーちゃんのばかばか! あんな高さから落っこちたら、死んじゃうよう!?」
「め、メイちゃん…! 俺が悪かった、だから泣かないでくれーっ!!」
「自業自得だよ、ばかスペード! メイちゃん、この馬鹿は計画からはずそっか。馬鹿がいると計画狂うし。大丈夫、僕は最後までちゃんと傍にいるからね」
「って、さりげなく俺を追い落とそうとしてんじゃねーよ! これからはちゃんと身の安全に気を付ける! だからメイちゃん、俺のことを見捨てたら嫌だ…っ」
「ばかばかばか! もう気をつけてよう!? 次はメイ、もう知らないもん!」
「メイちゃん、俺を許してくれんの…っ?」
「もう、今回だけなんだからーっ!!」
メイちゃんにわんわん泣かれて、困ったけどちょっと嬉しかった。
とりあえず、これからは命綱ぜったい!
もう忘れないように気をつけないと!
そうして命綱を腰に巻いて。
俺はほとんど毎日、ヴェニ君の観察に精を出し始めた。
「………ん? あれ、あの白猫は…」
そうしてある日。
毎日ヴェニ君がその辺をぶらついて。
それにメイちゃんが突撃をかけて、いなされて。
そうしながらもヴェニ君の身のこなしや仕草、癖ってヤツを観察する日々。
そんな日々に、変化が訪れたんだ。
その変化は、1匹の子猫とおばさんの姿をしてて、さ…。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「…ったく、あのチビ毎日毎日ぜんぜん懲りやしねぇ」
適当にいなしてりゃ、そのうちに飽きるか諦めるだろうと思ったんだけどな…
近所に住む獣人のチビ…メイは、全然ちっとも諦めやしない。
毎日毎日、暇さえ見つけりゃ頭突きをかまそうって勢いで追いかけてきやがる。
………お陰で、暇を持て余す時間もねえな。
半年前までは公園のベンチでぼーっとしてたってのに。
そんな半年前が、何かちょっと信じられない。
信じられないっつか………今ではどうやって暇を潰してたか、思い出せない。
思い出せないくらい、遠いものに感じられた。
過去を遠く感じるほど、年を食った覚えはねぇんだけどな…
今日も今日とて、チビ羊は「お前はイノシシかっ!!」って勢いで俺に突撃かましてくるし。不穏な眼差しがメラメラ燃えてっし。
あのチビ羊の熱意はどこから来るんだ…?
「ヴェニ君の、ばーかーっ!!」
そんな声が、響くのを背に。
ひゅるりひゅるひゅる、姿が遠ざかる。
とりあえず、今日の襲撃はこれで終わりか?
いつの間にか出来た、暗黙のルール。
…っつうか、チビ羊の体力の問題だろ。
俺にかかってくるのは、1日4回まで。
これが半年前は、1日1回だったんだけどなー…着々と体力付けてやがる。
この分じゃ、そのうちまた襲撃回数が増えそうだ。
本当、退屈してる暇もありゃしねぇ。
面倒そうに、内心で呟きながら。
けど心のどっか、退屈を嫌ってた部分。
そこが騒がしい日常を楽しいと言って、歓迎しているのも自覚しちゃいた。
メイの努力と根情と折れない頑固さを見ている内に、気紛れなちびっ子の癖にこんなに熱意を傾けてくれてるんなら、弟子にすんのも悪くないかなー、なんて……………………って、いやいやまてまて。
早まるな、俺。
本当に弟子になんてしたら、マジで面倒に決まってる。
うっかり場に流されて取り返しのつかない馬鹿は止めろ。
血迷いかけた自分に、心の中で右ストレートだ。
とりあえず頭を振って、他のことを考えた方がよさそうだ。
「………ん?」
公園の木に寄りかかって目を閉じていたら、なんか足下に温かい感触が…。
温かくてやわらかいっつうか、頼りねえっつうか…
ふにゃんって感じの、感触が………
「みぃ」
「……………ねこ」
足下を見たら、そこに猫がいた。
それも生後半年から1年くらいじゃねーの?ってくらいにちっさい子猫。
真っ白で、サラサラふわふわの毛がものすっごい柔らかそうだ。
風にそよいで、へにょってる。
「みぃ」
全身真っ白で、背中に灰色がかった斑紋がうっすら。
見上げてくる稚い瞳は、透明感のある紫。
うわ、めっちゃかわいい。
片手でぎゅっとしたら、握り潰しちまうんじゃないか?
そんな子猫が、俺の足の甲の上に乗っている訳なんだが………
「みー」
後ろ脚でよたっと立ち上がって、前足の細くてちっちぇえ爪で俺の脛をかりかりっと掻いたかと思うと、よたっとよろめいて…
「う、後ろにすってんころりん…っ!!」
子猫はころんと後ろに倒れ、地面の上をころころと転がる。
転がりながら、つぶらな瞳で俺を見上げてきた。
マジでめっちゃかわいい。
「みい?」
「ね、ねこ…おま、どこの子だっ?」
うわ、ヤベ…撫でてぇ。手がうずうずする。
首に青いリボンを巻いてるから、野良猫じゃねーんだろうけど…
勝手に触ったら駄目かな、と思いつつも手が止まらん。
「ねこー…っ!」
俺は、思わず猫を抱きあげていた。
うわぁうわぁうわぁぁあああ…っ!
片手で掴めそうなくらいにちっちぇーんですけど!
手の中でふわふわで温かくって柔らかい生き物が、ふるふる震えてじっとして!
本当、心の中でうわぁうわぁと叫び通しだ。
考えてみりゃこの半年、ちびっ子に追いかけまわされて猫とか全然触ってない。
飼い主さんに失礼だけど、存分に撫でくり回したい!
俺は、あまりに可愛い子猫相手に、ちょっとおかしくなっていた。
「みぃみぃ」
「そっかー、きもちいっかー」
「み?」
「かーわーいー」
「みー」
もう一度言う。
俺は子猫相手に、大分おかしくなっていた。
「みーちゃん、どこにいったのー!?」
「み!」
「…ん?」
子猫相手に理性がぐずぐずになっていた頃合いで。
遠方から、声。
30歳くらいの人間の女の人が、地面に視線を走らせながらうろうろしていた。
「みーちゃーん! どこ?」
「みー!」
女の人の声に、答える様に鳴く子猫。
どうやらあの女の人が、猫の飼い主っぽい。
「お前、みーっていうのか? 安直な名前だなぁ」
「みー」
「おばさん、猫ならここー!」
「え…?」
振り返った女の人は、優しそうな顔をしていた。
困ったように下がっていた眉が、子猫の姿を目にして緩く上がる。
やっぱり、この猫の飼い主はこの人で間違いないっぽいな。
「みーちゃん、良かったぁ…このお兄ちゃんに構ってもらっていたのね」
「おばさん、猫つかまえててごめん」
「あら、良いのよ? みーちゃんと遊んでくれたのね。ありがとう!」
にこにこと笑う顔は、とっても人がよさそうで、柔らかで。
………母さんと、同じ歳くらいかな。
死んだ母親を、思い出さずにはいられなかった。
ソフィアさんと名乗った、女の人。
小さな子猫は、やっぱりソフィアさんが連れてきた猫らしい。
「妹夫婦のとこの子なんだけど、妹夫婦はどちらも忙しくて。私も暇してたものだから、日中遊んであげてって頼まれたのよ」
「へえ、忙しいのに猫がいると大変じゃん。おばさんとこの子にすれば良いのに」
「うぅん…そう言う訳にはいかないわねぇ。私も、こんな可愛い猫耳の男の子なら欲しいんだけどー」
「…? 猫に猫耳って面白い言い方するなぁ」
「あら、そうかしら?」
天然気味の、ソフィアさん。
ソフィアさんはしばらく、日中は子猫を連れて公園に遊びに来る予定なんだと。
「お兄ちゃんみたいな子が一緒に遊んでくれるなら大歓迎だわ。みーちゃんも喜ぶし、これからも見かけたら遊んであげてね」
そう言って笑うソフィアさんの顔は、母さんを思い出す。
こっちをじっと見上げて首を傾げる子猫は、悶絶もんの可愛さだし。
………うん。
しばらく公園通いが日課になりそうな気がした。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「ヴェニ君のばかーっ!」
「煩ぇっ子猫が怯えるだろうが! 出直してこい、ちびっ子が!!」
今日も今日とて、空は晴天。
羊娘は師弟の契りを賭けて全力疾走。
「だからお前はイノシシか!?」
「メイ、ヒツジさんだもんー!」
半年前に比べると、見違えて羊娘の身のこなしは鋭くなっている。
だけど鋭さを増しているというのに、その手足悉くをヴェニ君は容易くいなしてしまう。
彼の身のこなしこそ、電光石火。
目を見張ってみても、目にも止まらない演舞。
その、少年の凄まじい速度を、手足の動きを。
遠方から狼の少年が。
そして近くで白く小さな子猫がじっと、見逃すまいとするように見つめていた。




