8-5.土壇場いっぽてまえ
あ、これ死んだ――と。
顔を引き攣らせて思った瞬間。
――『死んではなりません、メイファリナ!』
脳裏に弾けたのは神の声 (ガチ)でした。
それが本当に天界から送られてきたセムレイヤ様の声なのか。
それとも死を覚悟した私の心が生み出した幻聴なのか。
どっちなのかは、わからないけれど。
重要なのは、頭の中に響いた次の声です。
そう、頭の中で、こんな声が聞こえたの。
『貴女はこんなところで決意を、悲願を……リュークの雄姿を見守る偉業を成し遂げる、その覚悟を捨ててしまうつもりなのですか――!?』
声が聞こえた瞬間。
うん、本当にその瞬間。
メイちゃんの胸の奥で、熱いモノが弾けたよ!
「そんなの……そんなの、いやぁぁああああああああっ!!」
やだやだやだやだ!
絶対に、嫌だもん!
私、わたし……絶対絶対絶対!
リューク様達の冒険を見るんだもん!
ストーカーに、なるんだもん――!!
メイちゃんの中の駄々っ子が目覚め、叫びを上げる。
それはどうにも堪え切れない衝動で。
意地でも生き残る。そう強く、思った。
後から思うに、我ながら何とも残念な感情の爆発でした。
うん、でもさ。
それが私の活力になったのは間違いないんだよね。
流石は同志……メイちゃんのツボを良く心得ている。
あの声は幻聴だったのかもしれないけれど!
メイちゃんはどこまでいっても、メイちゃんで。
それ以外のモノになんて……まあ、なるはずもない。
そして私、メイちゃんの1番の行動原理は……
やっぱり、『これ』だったんだよ。
馬車から投げ出される形のまま、床を滑る。
だけど私の体は、途中でがくんと止まった。
「く……っ」
頭上から、苦痛にくぐもった呻き。
見上げなくてもわかる。
そこにいるのは、私の腕を掴んだミヒャルトだ――!
「み、ミーヤちゃん!?」
「めい、ちゃん……!」
つい口をついて出たのは、1年以上前にやめたはずの呼び方。
やっぱり咄嗟に出てくるのは、呼びなれた方の愛称。
でも呼び名を間違えたことなんて、気になる筈もない。
それより重要なのは、ミヒャルトの方。
私の身体と一緒に、床を滑っていたミヒャルトの小柄な体。
足を踏ん張れる体勢でもなく、私の身体を引き留められるとは思えなかった。
だけど、ミヒャルトの片腕。
メイちゃんを掴んでいない方の、腕。
その手で、馬車の床板の隙間に爪を立てている。
人間のままの指から、猫の爪を強引に生やして。
必死に、板と板の間に爪を捩じ込んで掴んでいる。
そうやって自分の身体と、メイちゃんの身体を引き留めた。
手指の先に、一気に2人分の体重がかかることも構わずに。
だけど人体の構造上、無茶だったんだと思う。
手ごと猫のモノに変えた訳じゃなくって、人間の手に猫の爪を生やすことが。
ミヒャルトの指から、今にも爪が剥げそうになっている。
爪と指の間からは、少なくない血が滴っていた。
「メイちゃん!? ミヒャルト! どうしたんだっ」
「何でもないよ、馬鹿犬! こっちを気にするより、自分の仕事をしてろ」
馬車の中の状況なんて見えない位置にいるなりに、異変を察したのか……スペードが、取り乱した声を上げる。
それに返されるミヒャルトの声は、明らかに強がったもの。
爪が剥げるなんて、痛くないはずがない。
なのに、苦汁の滲んだ顔をしているのに。
細心の注意を払って苦痛を取り除いた、平常を装った声。
でも、側にいるメイちゃんにはミヒャルトが無理をしているのなんて、目に見える分はっきりわかって。
「み、ミーヤちゃんっ 」
「メイちゃん、僕なら平気……」
「お、大嘘だぁっ……ミヒャルトの嘘つきー!」
む、無茶だよぅ……!
大事な幼馴染で、お友達で、修行仲間。
そんなミヒャルトが私を助ける為に苦痛を我慢している。
この状況に、叫び出したくなる。
ああ、この憤りをどこにぶつけよう。
……でも、すぐ側に怒りのはけ口、あるよね?
折よく、メイちゃんの目が近くにいた……がうがう狼さんの1頭とぴたっと合いました。
我ながら、怒りでぎらっと……こう、目が据わる。
メイちゃんは怒りを晴らせる。
ミヒャルトは負担を減らせる。
一石二鳥、OK?
「ミヒャルト!」
「え、はい!?」
「投げて!」
「え、なにを」
「メイちゃんを!」
「えっ」
「四の五の言わずに、良いから投げて!」
「えぇぇっ!?」
問答無用、3・2・1……じゃーんぷ!
ミヒャルトの片腕に、瞬間的に結構な負担をかけてしまいますが。
怒りに燃える私は、その問題に自分勝手にも目を瞑り。
無理を言ってミヒャルトが掴んだメイちゃんの腕を離させました。
ついでに、十分な反動をつけてもらって。
そしてメイちゃんは。
我ながら素晴らしいまでに、勢いもたっぷり。
両足の蹄を揃え、先ほど目が合った狼の顔面目掛けて……
飛び蹴りを放ちました。
「ミヒャルトの…………かたきぃーっ!!」
「えっメイちゃん……? み、ミヒャルト……まさか、死!?」
「死んでない! 僕、死んでないよ、メイちゃん! だからスペード、お前も動揺するな!」
疾走する馬車。
並走する、狼。
その中の1頭に、顔面飛び蹴りをくれてやったメイちゃん。
このままでは馬車に置いていかれること、引いては狼に殺されること確定ですが……そんな未来は、認めない!
まあ、勢いで行動しちゃったけどね!
蹴り足の応えが、狼の頭蓋骨を砕いた感触を伝えてくる。
狼の身体から、がくりと力が抜ける。
だけどここでは止まれない。
十分に膝を曲げ、体を引きつけ……全身のバネを使って、私は再び跳躍しました。
体が崩れおちかけても、馬車に並走していた狼です。
まだ、馬車には手が届――……って、ああ、邪魔!!
激しい勢いで車輪が回転する。
それに巻き込まれたら、きっと死んじゃう。
だから馬車に跳び移るにも、位置は考えないといけないのに。
理想的な位置を遮る形で、涎をだらだらと撒き散らしながら他の狼が口を突き出してくる。
跳躍ルートを遮る狼の鼻面。
私は急遽、跳躍しながらも身を捻り……体勢を崩しかけながらも、回し蹴りを放ちました。
思ったよりも力が乗っていたようで、狼が沈む。
大きく、一歩。
前へと進む反動に逆らわず、体の軸も崩さないように注意して。
回転しながら前へ一歩、二歩。
馬獣人譲りの私の足なら、瞬間的には馬車の速度に迫れるけれど。
ああ、でも
でも。
この位置からじゃ、馬車に飛び移れない……!
そして長くは、6頭立ての馬車と同じ速度で走れない。
だってメイちゃん、まだ子供だもん。
瞬間的に無茶をやった時はともかく。
馬車に並走し続けるほどの体力はまだないんだよー……!
何より馬車から零れ落ちた私に向けて、狼が殺到してくる。
――ヤバい。
そう思ったけれど。
「――メイっ!!」
「!!」
馬車の後方へと警戒を続け、牽制する為に攻撃を続けていたヴェニ君。
考えてみれば、馬車から落ちたメイちゃんに、我らの師匠が気付かない筈がない!
ヴェニ君の放ったボウガンの矢が、メイちゃんに襲いかかろうとした狼達の頭を狙い過たず貫いていく。
私を取り囲んでいた狼が沈み、瞬間、周囲がぽっかりと開けた。
私の進路を塞いでいた、囲みが消えた――!
「受け取れ、メイ!」
「めっ!」
そうして、ヴェニ君は。
今の私が最も求めていたもの、欲しかったモノをくれました。
私の、愛用の槍を。
荷台に積んでて良かった……!
本当に良かった。
ヴェニ君を師匠に選んだ、5歳のメイちゃん偉い!!
今ほど、ヴェニ君が師匠であることに感謝したことはないかもしれない。
それくらいに、この支援が嬉しかった。
開けた視界の先に、前が見える。
未来はまだ見えないけど、活路は見える。
急場しのぎの、活路だけど。
槍を使って大ジャンプの増幅効果を引きずり出す手法は、この数か月でもう何度もやっていた。
私は再び迫ってくる他の狼を蹴散らし、置いていく勢いで短く走る。
馬に襲いかかろうとした狼の一頭に向けて、槍を放つ。
自分の身体ごと、飛びかかる様に。
もう慣れた、槍の扱い。←邪道
私は繰り返した動作手順に従って、空へと身体を跳ね上げた。
「メイちゃん!」
「メイ……っ!」
そして聞こえる、皆の声。
切羽詰った焦りが、私に浴びせかけられる。
「「「危ない……!!」」」
「めぅっ!?」
え。マジで?
びくっと耳が跳ねる。
聴力を頼りに異変をさが……探すまでもなかった!
空に跳ね上げられた、メイちゃんの体。
空中で無理に姿勢を崩せば、末路は墜落一択。
だけど墜落するよりも、前に。
空中位置の私に向って、狼が飛びかかってくるぅぅううううっ!!?
あ。これ、今度こそ食われた。
「……チッ」
師匠の舌打ちを私のぴるぴるお耳が拾った。
次いで、急に私の肩に謎の過負荷がかかる。
あうっ!? 腕が引っ張られる!
がくんっと、体が揺れた。
至近距離で、ガチンッという堅い音。
私の目の前で、狼の凶悪な顎が力一杯に閉じられた。
本当に、間一髪の目の前で。
め、め、めぇぅぅぅぅ……狼さん怖いよぉっ!!
恐怖に硬直する私の体はぐいっと横合いから引っ張られる。
動けない状態だったので変に抵抗することもなく、引き上げられた先には……ヴェニ君の姿。
「なーにやってるんだ、よ、お前は!」
「め、めぇぇ……あう、ヴェニ君」
呆れ顔を隠しもせず、ヴェニ君は私を馬車の上に引っ張り上げます。
そのままメイちゃんの腕から、いつの間にか巻きついていた寸銅付きのロープを外し始めるヴェニ君。
……どうやら、メイが危ないと見て助けてくれたのはヴェニ君みたい。
恐らくメイにロープを引っ掛け、横から引っ張ることで私の軌道をずらしてくれた……ってことだよね?
ああ、うん。
さっきいきなり腕にかかった、がくんって感触はこれだね。
「あぅぅ……ごめんなさぁい、ありがとぉぉ!」
「……ったく、無謀点-50点。減点モノだぞ、おい」
「うぅー……生きて挽回するもん!」
「そうそう、死んだら挽回できねぇんだから気を付けろ!」
ヴェニ君は仕方ないなぁってお顔で。
怖かったから、驚いたから。
メイちゃんは気付いたら、ヴェニ君の胴体にぎゅっとしがみ付いていました。
……うん、無意識でもヴェニ君の腕を巻き込んで行動を阻害しないようにするあたり、メイちゃんもどことなく余裕ありそうかも。
そんなメイちゃんの頭をヴェニ君はぐしぐし撫で回すと、腕に握っていたもう1本の紐を引っ張りました。
あ、メイちゃんの槍。
ヴェニ君ったら、用意周到!
どうやら先を見越して、ヴェニ君はメイちゃんの槍に紐を結んでおいてくれたようです。
結構しっかり狼に突き刺さっていた筈の槍が、ヴェニ君の絶妙の力加減で手元に戻って来ました。
……うん、今度からメイも真似しようっと!
がたがたの道を暴走する狼と、疾駆する馬車。
護衛の人達もどんどんボロボロになっていく。
馬車の扉は吹っ飛び、もう馬車の中はなけなしの安全すら見当たらない。
ミヒャルトもするすると器用に馬車の上にあがって来て、深刻に詰みまくりな状況を見て険しいお顔。
「僕、こんなところで死ぬ気ないんだけどな」
ちらりと、横目で左右を流れていく木々を見る。
木に飛び移って逃げた場合のパターンを予想しているのかな。
……いくら木を伝って逃げても、地上を狼が蔓延していたら意味ないと思うよ! 木から下りたところを狙ってガブッとやられちゃう!
馬車の上から、御者や馬に襲いかかろうとする狼達を牽制する。
左右の分かれ道に差し掛かった時は、片側の道からも溢れんばかりの狼が向かってきた。
必然的に、馬車の進路は狼のいない方へと。
それ以外に選べる道はなかった、けど。
「……まずいな。誘導されてやがる」
「あ、やっぱり」
「どう考えても不自然だもんね、片側だけ狼がいないとか……」
馬車が走るこの山は、もう全体を狼に支配されているのかもしれない。
それほどの数がいて、それほどの勢いがある。
なのに行き先を固定されるってことは、この群狼の望む場に追いやられるってことで……
状況的にまずいということは、この場の誰もが知っていた。
だけどほんの僅かでも。
1分1秒でも延命する為には、それ以外に選びようがなかった。
不安と恐れを抱いたまま、私達は不自然な道を行く。
狼達の用意した、袋小路に向かって。




