タイトル未定
他の三人は、 http://ncode.syosetu.com/n4048bs/ (風白狼) http://ncode.syosetu.com/n4533bs/ (百佳) http://ncode.syosetu.com/n4259bs/ (清風 緑)です。そちらも・・・・・・
この国が数百年の安寧を享受するに至ったのは、立地によるところが多かろう。田畑にさえ適さぬ岩地、人さえ拒む深き森、僅かな平地を切り開いた農地には実りも少なく、国力の増強などは望めない。それに世界の辺境であり、軍事の拠点としての利点も乏しい。
しかし、民たちはこの地が他国に侵されぬ真の理由を知らぬ。
『かの地に精霊は集う。その力求めるものは精霊の統率者に許しを乞い、その愛を得よ。かの者は人を仮腹として降誕せしめり』
民衆は伝承の一部としてこの一文を伝える。すなわちおとぎ話だと。
しかし精霊は存在する。国家の高位機密として秘匿され、民衆の目には触れぬだけだ。
ならば、精霊の統率者もまた然り……?
ざざざざざ!
草根まで抉るほどの勢いで吹き飛ばされ、ケンタは呻いた。
「くそう……なんで俺がこんな目に遭うんだよ」
勇者になど選ばれなければ今頃は、城の一室で優雅な午睡などとっている時間である。末王子である彼には特に王族としての責務もない。気ままな眠りを楽しんだ後は湯など使って寝汗を流し、湯上りに冷やした果物など楽しむのだ。
その頃には決まって、あの愛くるしい幼馴染が訪れる。一緒に果物を食べようと、申し合わせたかのように、可愛い、俺のテンネが……。
「……お前ら、テンネを守れ!」
彼の意識は戦いの最中に引き戻された。ここは王宮では無い。蒼穹覆う木々の影、森の奥深く、対峙するは危険極まりない男だ。呆けている場合ではない。
ケンタの号令に弾かれて二人の従者が動いた。彼らは小柄な少女を抱えるようにして、後ろに引く。少女は僅かに抵抗し、声をあげた。
「だめっ! お兄ちゃんが死んじゃうっ!」
その声に誘われたかのように、木立の間にゆらりと動く人影。
「……ほう、『お兄ちゃん』、ね?」
その男が動けば、僅かに沈香が散った。禁術に侵された不死者の香りだ。
「それに、先ほど、『テンネ』と、呼び捨てにしませんでしたか?」
黒い長髪を書き上げながら現れたその男は、冷たく微笑んでいた。口元はかみそりのように上がり、細められた視線は真っ直ぐにケンタを見下ろしている。
「それほどに親密なご関係で?」
「そりゃあ、兄妹同然に育てられた幼馴染だ。親密に決まってる!」
その男の視線に、さらなる冷酷が加わった。詠唱が始まる。
「彼岸に灯りし霊炎を喚びて我が双掌に……」
木立の間を満たす空間の圧が、僅かに変わった。小枝がぴしぴしと裂ける音、ふるい落とされる緑葉。相当量の魔力が流れ出している証拠だ。
「ばかっ! 森ごとふっとばす気か?」
「私がそんなヘマをするとでも? 全魔力をただ一点、あなたの肉体のみに集中させて、骨の一本まで消し炭に変えて差し上げますよ」
やりかねない。
齢二十ほどに見えるこの男、己の肉体に禁術を施し、百年のときを永らえてきた不死者である。百年分の研鑽は彼の魔力を、人智の及ばぬ域にまで引き上げた。ゆえに、彼はこう呼ばれている……「魔王」
しかし、この世でたった一人、彼をその名で呼ばぬ者がいた。
「やめて! ヤン!」
叫んだのは脆弱な少女だ。もう十八になろうというのに、それより幾分幼く見えるのは小柄だからだろうか、それとも無垢な性格がそう見せるのか。自分を守ろうとする従者たちの腕をすり抜けて、彼女は魔王の前に立った。
「お願い、もうやめて。昔の優しいヤンに戻って!」
「ああ、その名前で呼ばれるのは、随分と久しぶりです」
魔圧が引く。
「あなたを傷つけるわけにはいきませんからね」
先ほどまで勇者に向けていた剣呑な視線は消え、ふんわりと慈悲深い微笑を浮かべた魔王は、その少女に向かってゆっくりと手を伸ばした。
「テンネ……」
愛しい想い人を呼ぶ、擦れ声。優しい欲情を込めて、頬に触れる指先。
「いつになったら、私の物になってくれるんですか?」
「も、物じゃないもん!」
「ああ、そういう初心さがまた、かわいい」
長めに整えられた美しい爪が、紅色の唇を求めて頬の産毛をなぞる。彼にとって彼女のそれは言葉を紡ぐ道具ではない。まして物を食らうための器官などでもなく、ただ愛を重ねるための……。
這い蹲っていたケンタがヨロリと立ち上がり、短い詠唱を試みた。
「喰らい火よ!」
ぼっと音を立てて中空に浮かんだ炎が、魔王めがけて飛ぶ。
しかし、魔王は詠唱の一つさえ見せず、生身の裏拳でそれを弾いた。
「本当に邪魔ですねえ。やっぱり殺しておくしかありませんか?」
テンネがその腕に取りすがる。
「やめて! ね、私と一緒に、帰ろう?」
「……嫌だと言ったら?」
テンネは大きく飛びのき、両手を前に突き出して構えた。
「鳥を召喚します」
鳥といっても、そこらにいる小雀を喚ぼうと言うのではない。2メートルはあろうかという、巨大な精霊鳥だ。
だが、魔王にはいささかも慌てる様子は無かった。
「どうぞ」
「本当によんじゃうんだからねっ!」
この言葉にむしろ慌てたのは、勇者ケンタである。
「ばか! 無駄だからやめろっ!」
「絶対、よぶモン!」
テンネは強情に腕を張って詠唱を始める。
それは人には解せぬ祝詞。精霊にのみ聞こえる存在しないはずの古代の言葉。人間どもの目には音を紡がぬ唇の動きしか見えぬ。それでも精霊の耳には確かに届く、紛うことなき魂喚びの歌。
詠唱に応じて、空中、何も無いはずの空間に裂け目が生じる。はじめは掌ほどの大きさだったそれは、みるみるうちに大きく裂け広がり、巨鳥が通るに相応しい大きさになった。
「おおお、今日はいけるんじゃないかっ!」
興奮したケンタは叫ぶ。テンネは両手を掲げ、音の無い言葉を紡ぎ続ける。
裂け目から靄が垂れ、辺りに魔力に似た圧がかかった。草木は震え、枝を下げて異形の降臨を待つ。
裂け目の奥から、何かが……
「来るっ!」
転がり出たのは鳥ではなく、『鶏』だった。しかも驚くことに、調理済みである。
夕食時のオーブンの前に立ったような、幸せな気分を呼び起こす香気。皮目はぱりっと艶のあるキツネ色だが、ナイフを入れれば閉じ込められた肉汁がじゅわっと染み出すに違いない。胸をすくのはウイキョウの香り、程よく芳ばしいクローブと、胃袋に染み込むスパイシーなコショウの……
「またかよ!」
ケンタは頭を抱えた。
「この……ばかっ! それでどうやって戦うんだよ!」
それを聞きとがめた魔王が儚い少女を片手に抱きよせ、もう片の手を勇者に向ける。
「ほう? ばか? ふうん、ばか? へえ~」
その声に険悪を感じて、テンネは大声を上げた。
「だめ! ヤン!」
「ち!」
手を下げた魔王は、いかにも憎々しげに勇者をねめつける。
「命拾いしましたね」
それから、うって変わったように優しげな、猫が喉を鳴らすような声を腕の中の少女に降らせた。
「テンネ、早く覚醒してくださいね。そして早く……私を殺しに来てください」
「ヤン……覚醒って……」
魔王はその問いに答えはしなかった。ただ、柔かく白い頬に口付けを一つ捧げて、別れの言葉代わりに小さな声で詠唱する。
「闇夜の仔たちよ、我が姿を霧に変えよ」
掻き消えるその姿を掴もうと、テンネが細い指を伸ばす。
「ヤン……」
しかし、そこにはもう、彼の姿は無かった。




