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ブルーエア劇場の怪人 第一話 グローリアなりの気の利かせ方

 魔物討伐隊が無事王都エレゼアに帰還してから二週間後。

 アルバート・ディル・グリアは王都で一番の盛況を誇るショッピングモールの中で遠い目をしていた。

 ショッピングモールの一角に掲げられた案内図を難しい表情で眺めているのはどう考えてもグローリアだ。青い髪と瞳という目立つ特徴は、比較的人通りの多いショッピングモールの中でも間違えようが無い。

「久しぶりね」

 声をかけられたグローリアは、落ち着き払ってそう答えた。見れば腕には日用雑貨を詰め込んだ紙袋を抱えている。

「ところで一つ質問があるのだけれど」

「おう? 今度はどこに案内してほしいんでぇ?」

 エレゼアへ帰ってくる道の途中で、散々グローリアの方向音痴っぷりを目にしていたアルバートは、半分ふざけて訊ねる。

「国立ブルーエア劇場」

 アルバートはたじろいだ。国立ブルーエア劇場といえば王室御用達の施設だ。一般の人間で昼間から訪れるほど親しんでいる者はめったにいない。

「劇でも見に行くのか?」

「いえ、私、そこの練習生なの。買出しに出て、目的のものは買ったのだけれど、帰り道が」

「……ブルーエア劇場ってここから二キロも離れてるぞ。……どうやったらそんなに迷えるんだ?」

「わからないわ」

 グローリアは律儀に答えた。アルバートはため息をつく。

「仕方ねぇな。送ってやるよ」

「ありがとう」

 グローリアは軽く眉を上げて言った。


「練習生になってからどれくらいだ?」

「一週間とちょっと、といったところね」

 どうやら到着してすぐ練習生になったらしい。

「生活にはもう慣れたのか?」

「まだこれからね。今まで色々忙しくて、生活に必要なものを買いに行く暇さえなかったし。二度目の休日である今日にしてようやく少し暇が出来たから買い物に出ていたの。……そういえば、貴方はここで何をしていたの?」

「兄貴に頼まれた用事の帰りだよ。俺ん家ここの通りだから」

「……この通り、ということは、お店?」

「ああ、パン屋。ま、ちょっと引っ込んだとこにあるんだけどな」

「ふうん」

 グローリアは紙袋を抱えなおしながらうなずいた。

「あ、それ、持つか?」

「いえ、大丈夫。軽いから。それに私、歩いてるとき手ぶらだと落ち着かないの」

 アルバートは、以前妹が出かけるとき何か持っていないと落ち着かないと言っていたのを思い出してそんなもんかな、と納得する。

「もう友達はできたのか?」

「ええ、もう五人くらい。一番仲が良いのは寮で同室のファティマという子。ただ、彼女の重大な秘密を打ち明けてもらえるほど親しくなってはいないけど」

「じ……重大な秘密ってそんなさらっと……」

「アルは、ブルーエア劇場の七不思議、知ってる?」

「そうだな。一つか二つは。なんか有名だし」

 それがどうファティマという子の秘密につながるのだろうかとか他人の秘密を自分が聞いてしまっていいのだろうかとか、色々言いたいことはあったがなんとなく流されるままに答えてしまった。

「地下の鍾乳洞に迷い込んだ者は生きては帰れないとか」

「知ってるぜ。でもあれはただ単に迷いやすいからだろ?」

「でしょうね。じゃ、劇場に住んでいる怪人の話は?」

「あぁ、一番有名なアレな。鍾乳洞で人を惑わすっつー。それは眉唾だと思うんだが……でもほんとに住んでる奴いるんだろ?」

「いるわ」

 グローリアは眉一つ動かさずに淡々とうなずく。

「しかも、ファティマは彼と知り合いらしいの」

「……は? ウソだろ!?」

「本当よ。昨日の夜、歌が聞こえたの」


 その夜は土砂降りの雨だった。グローリアは机に向かって父への手紙を書いていた。

 私は今家出して、無事エレゼアに辿り着き、ブルーエア劇場の練習生となり日々練習に励んでいる、と(アルバートには、父親に家出を報告するグローリアの事情が良くわからなかった)。

 そのとき、雨の音にまぎれて、かすかに歌声が聞こえてきたのだ。哀しげなバリトンの歌声だった。消灯時間はとっくに過ぎている。誰が歌っているのか興味を持ったグローリアは、寝ている友人を起こさないようにそっと部屋から出て行った。ドアを閉めた音が予想以上に大きく響いてひやりとした。


 ブルーエア劇場はものすごく巨大な劇場だ。設計図が失われてしまったため、その複雑な構造を理解している者は今はいない。ただ一人、〈仮面の怪人〉を除いて。

 グローリアが歌声を辿って着いた場所は、劇場の規模に見合うだけの大きさを誇る巨大な玄関ホールだった(そのホールだけでダンスパーティが開ける、というのが劇場の練習生たちの間での定説だ)。ホールの入口から見て奥に噴水があり、その中央に天使の像が立っている。その上方に窓が開いていて、そこから射す日光が真っ直ぐ天使を照らすとき、練習生の代表が天使に向かって歌うのが劇場の恒例行事の一つだった。

 その時、その窓から射しこむ光は日光ではなく月光で、噴水の天使像ではなくホールのほぼ中央を照らしていた。

 歌声の主はその光の輪の中にいた。黒マントの男が月を見上げながら歌っている。着ている物は騎士団の正装にも似ていたが、全て黒で統一されていた。佩いている細身の剣さえも。


「誰を……」

 知らないうちに問い掛けていた。

「誰を待っているの?」

 男ははっとして振り向いた。その顔の全てを覆う仮面を通して、しかしはっきりと、グローリアは自分に向けられた感情を感じた。

 それは、殺意だった。

「……っ」


「私は、不覚にも腰を抜かして座り込んだわ」

 アルバートはこの動じることなど無さそうな少女が腰を抜かしているところを是非見てみたいと思ったが、口には出さない。

「でもすぐに、彼の視線は私の向こうへ行った。……ホールの入口には、ファティマが立っていたわ」


 沈黙が、その場を支配した。ファティマはホールの入り口付近の柱にすがるようにして立ったまま、黒マントの男と黙って見つめ合っている。グローリアはそこに渦巻く強い感情に酔って気分が悪くなりそうだった。

 沈黙を破ったのはファティマだった。

「……リヴィウス……」

 男はその声に怯えたかのように身を翻した。

「リヴィウス! 待って……!」

 男は待たなかった。男がホールの闇の中に消えるのを見届けたグローリアは、振り向いてファティマを見上げた。ファティマは泣きそうな表情で男の後を追った。

「そこの幕の後ろに入ったように見えたわ」

 グローリアの指した幕を、ファティマが開いた。


「そこにあったのは、ただの壁よ。他には何も無い。それ以上見てちゃいけないと思って、私は帰ったけど、ファティマは夜明け近くまで帰って来なかったわ。多分、泣いてたんだと思う」

 どちらかというと、明日の天気は雪でしょうと言った方がぴったり来るような言い方だった。

「……へぇ。お前、気なんて利かせられたんだなぁ」

「何その感想」

「いや別に。それで?」

「で、私は帰ってきたファティマにあれは噂の怪人かと訊ねたわ」


「……はい、そうですよ」

 一瞬の逡巡の後、ファティマは苦しげに微笑んでうなずいた。

「友達かなにかなの?」

「……ええ、そうでした……でも今は……わからない……。……私が……」

 ファティマは辛そうに目を伏せる。

「ごめんなさい……これ以上は……聞かないで」

「そうするわ」

 グローリアは淡々とうなずくと、窓の外へ視線をやった。雨はまだ降り続いている。グローリアは目を細めてそれを眺めた。

「私も言いたくないこと、あるもの」


「と、言うわけよ。まあ、親しくなったからといってこれ以上のことが聞けるかどうかはわからないけど。……それにしても、あの劇場は広すぎるわ。一週間で十五回も迷ったもの」

「……一日に二回は迷ってんじゃねぇか……」

 エレゼアへ帰って来るまでにグローリアが迷った回数を考えれば、妥当な線であるような気もするが。

「そうよ。酷いと思わない?」

「酷いのはお前の方向感覚だろ」

 グローリアが迷うたびに探して回った苦労を思い出して、アルバートは思わず天を仰ぐ。

「食堂の位置がわかりにくいのは良くないと思うわ」

「……無視してんじゃねぇ」

「練習室へはファティマについて行けば辿り着けるから平気なんだけど」

「……リーリア」

「問題はファティマと時間割の違う日に」

「着いたぞ」

「え?」

「聞こえてんじゃねぇかてめぇ」

 グローリアは劇場の入口の上にある彫刻へ視線をさまよわせる。

「……送ってくれてありがとう。後日お礼に伺いたいので、貴方の住所を」

 夢見るような口調で言うグローリアに軽い疲労感を覚えながら、アルバートは首を横に振る。

「来んでいい。って言うかできないことを言うな。頼むから」

「できないことって?」

 視線を彫刻からアルバートに引き戻したグローリアは、口調も現実的なものに改める。

「オレん家のあたり入り組んでるんだよ。旧市街区だから。お前が来たらまた迷子になるのがオチだ。お礼なんていいから、劇場の塔が見える範囲内で行動しろ。わかったな」

「善処するわ」

「善処……とっても素敵な言葉だな……」

 アルバートは遠い目をした。

「リーリア!」

 その時、劇場から出てきた少女がグローリアに呼びかけた。細く煙るような金髪を長く伸ばした、緑色の瞳の優しげな少女だ。

「ファル。そんなに慌ててどうかしたの」

 グローリアは無表情のまま少女に向き直って訊ねた。

「どうかしたのって、貴方を探しに来たんですよ? 買出しに行くって言ったきり三時間も帰って来ないから……」

「三時間も迷ってたのかお前は?」

「……ファル、こちらは王宮近衛隊青騎士のアルバート・ディル・グリア。例のずっこけ騎士よ」

 アルバートのツッコミにもグローリアは動じない。

「どういう意味だよ!?」

「最初見たのがずっこけてた時だもの」

 怒るアルバートにさらりと答えて、グローリアは続ける。

「で、こちらがファティマ。ブルーエア劇場期待の新人ナンバーワン。ちなみにナンバーツーは私」

 ファティマはアルバートに笑いかける。

「ファティマ・リルセリオスです。以後お見知りおきを」

「あ、い、いえ、こちらこそ」

 すごく真っ当に挨拶されてしまって慌てるアルバートに

「……アルバートは正統派の美人に弱い……」

 ぼそりとグローリアが呟く。

「何、言ってんだよ」

「いいえ。今日は送ってくれてありがとう。それじゃ」

 劇場へ足を向けかけたグローリアは、ふと振り向いてアルバートを見上げた。

「アル、わかってると思うけど、さっきのこと、他言は無用だから」

「さっきのことって、どういう意味?」

 ファティマが横から訊ねる。

「劇場一の美貌を誇る私と恋人同士になったことは、ふれまわらない方が身のためだ、という意味」

 ファティマとアルバートは絶句した。

「冗談よ。ファティマ、帰りましょう」

 平然と言い放つと、グローリアはまだ呆然としているファティマを引っ張って劇場へ入っていった。

 

 一人取り残されたアルバートはファルシア大深海より深いため息をつく。

 息を吐ききってふと目を上げると、劇場の予定表が張り出された掲示板が視界に飛び込んできた。

 明後日の演目は新人だけでプログラムが組まれたコンサート。出演者の中には、グローリアとファティマの名もあった。

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