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ヴァレンシア・デイ 第一話 「こい」とはどんなものかしら

 門番の仕事を交代したアルバートが近衛隊詰め所へ戻ったのは、もう夕日が地平線に沈もうかという頃だった。城門の脇に設置された石造りの詰め所には数人の騎士がたむろっていたが、アルバートは彼らの話には加わらず、暖炉の火に冷たくなった手をかざしてゆっくりと息を吐く。

 背後から声が降ってきたのは、アルバートがちょうど息を吐き終えた時だった。

「あ、あ、あ、あのっ! 隊長!」

 ひっくり返った声でアルバートに呼びかけたのは、最近近衛隊に入ったばかりのジャックという少年だ。

「ああ、どうした? なんかあったか?」

 せっぱ詰まった声の調子にぎょっとして振り向くと、ジャックは顔を真っ赤にして両手と首を左右に振った。

「すいませんっ! し、仕事の話じゃないんですけど!」

 慌てて答えたジャックは、下級兵士に支給される鉄兜をかぶり、真新しい制服を身につけていた。どちらもまだ体に馴染んでいないのが、一見しただけでわかる。鉄兜の下からのぞく金髪はくせが強くあちこちはね散らかっていて、こちらを見つめる瞳はなんだかアルバートには理解しがたい情熱に輝く淡青色だ。

「いや、まあ、今休み時間だからいいけど」

 アルバートは勢いに気圧されながら頷き、ジャックを振り仰いだままでもう一度暖炉の炎に両手をかざした。

「ありがとうございますっ! 実は、実はその、俺……じゃない、僕、劇場の、ブルーエア劇場のグローリアさんにあこっ、憧れてて!」

 声がひっくり返るたびに顔を赤面させながら、ジャックは必死で言い募る。

「だ、ですから、僕に、あの、話したいんで、グローリアさんに紹介して下さい!」

 言い終わった瞬間、どうにか言い切ったという達成感に、ジャック少年の表情が輝いた。

「ああ、いいけど」

 ジャックの興奮ぶりと比べるとだいぶ素っ気ないな、と思いながら、アルバートは小さく頷く。

「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」

 いっそう瞳を輝かせてから、ジャックは深々と頭を下げる。アルバートは無言で頷き、暖炉に向き直る。背後では弾むような足音が遠ざかり、扉が開いてまた閉じて、今度は廊下から「ひゃっほう」とかなんとか歓声が聞こえた。

 アルバートは思わずため息をつく。自分ではほとんど言葉を発していないにも関わらず、不思議なほど疲れた気分だった。ジャックの緊張が移ったのか、勢いについて行けなかったせいか。たぶん後者だろう。

 それにしても、ジャックはグローリアのどこに憧れを抱いているのだろうか。ようやく暖まってきた両手をこすりあわせながら、アルバートは考える。

 紹介してくれ、ということはつまり、あの――まあ何と言うか、ユカイな性格についてはあまり知らないのだろう。とすると、やっぱり容姿に惹かれたのか。それとも歌声だろうか。

 冷静に考えるとどうでもいいようなことをつらつらと考えていると、突然背後から右の肩を叩かれた。

「んあ?」

「ご帰宅なさらないので?」

 見上げた先には、白いマントを羽織った男の顔があった。

 顔立ちはさして整っている方でもないが、優雅な物腰やら華やかな笑顔やら女性に対する礼儀正しさやらで、街中の女性たちからの評判がすこぶる良い男の顔だ。が、アルバートにとっては、騎士に志願した頃から何かと面倒事を押しつけてくる悪友の、うんざりするほど見慣れた顔だった。

「……アレク。この寒さなんだからな、ちょっとくらい暖まってから帰ったってバチは当たらねぇよ」

「まあ、それはそうですね。ところで」

 白騎士のアレクはにこやかに言葉を切り、扉の方へちらりと視線をやった。

「先ほどジャック少年が上機嫌で出て行きましたが、どんな話をなさってたんですか?」

 本題はそれか、と、アルバートは内心ため息をつく。どうせこの男のことだ、おおまかな内容の予想はついているのだろう。何もそれを復唱してやることもあるまい。ということで、アルバートは面倒な説明は省いてしまうことに決めた。

「ジャックがリーリアに憧れてるって、お前知ってたか?」

「ええ、まあ」

 アレクはごく当たり前のことだと言わんばかりに、軽い調子で頷く。

「いったい……どこに?」

 おそるおそる訊ねると、アレクは心底楽しそうに満面の笑みを浮かべた。

「凛として気高く美しいところだそうですよ。あと心の内を表して澄みきった歌声とか、今にも壊れてしまいそうな儚げで可憐な容姿とか……」

 アレクはものすごく楽しそうな調子でとうとうと並べ立てる。

 アルバートは自分の認識とのギャップに、文字通り頭を抱えてしまう。


 そんな会話を交わした翌日、アルバートはブルーエア劇場の女子練習生寮談話室にいた。

「珍しいわね、貴方の方から面会に来るなんて」

 寮母の呼び出しに応えて談話室に現れたグローリアは、そう言ってアルバートの向かいに腰掛けた。ブルーエア劇場のきらびやかさとは打って変わって、談話室の壁はむき出しの質素な漆喰で、それを背景に小さく首をかしげるグローリアの服装も、飾り気のないねずみ色の練習着だ。

「ご用は何?」

「ああ、その」

 アルバートはどう切り出したものだか迷い、結局そのまま用件を伝えてしまおうと決意した。前置きから流れるように用件を切り出すとかそういう巧みな話術は自分にはない。それに、相手はグローリアだ。

「実は昨日、近衛隊の後輩の、ジャックってのにお前を紹介してくれって頼まれてさ。そんで、もし良ければ近いうちに時間取って、会ってもらえないかなと」

「……そう」

 グローリアはふと眉根を寄せ、視線を床へ落とした。

「悪いけど、しばらく忙しいわ。今度国賓を迎える席で歌うことになっているから、練習が厳しくて」

「国賓……って、もしかしてコードニア皇帝が二週間後にいらっしゃるっていうアレか?」

「そう」

 グローリアは重々しく答える。

「なぜ我が家の不良債権を歓迎しなければならないのかは少々疑問を感じるところだけど、一応晴れの舞台だから」

「ふ、不良債権……?」

 一国の皇帝を表現するにはあまりふさわしくない単語だ。何かの間違いじゃないかと疑いの目を向けるアルバートに、しかしグローリアはため息混じりに頷いた。

「そう言えば、アルには話したこと、なかったのね。先の内乱で荒廃した首都を、コードニア現皇帝が『他人の金』で建て直したことは有名な話でしょう? その『他人』の中に、私の父も含まれていたということ。まあ、父もあまり返してもらうつもりはないようだけど」

「そ……そうだったのか……」

 毎度の事ながら、とんでもない人脈を持っているものだと、アルバートは呆気に取られる。

「まあ、忙しいならそう言っとくよ。ジャックには悪いけど、またの機会にでも」

「アルバート」

 グローリアは少しだけ語気を強めて、アルバートの言葉を遮った。

「どうして、私を紹介しようと思ったの?」

「え、そりゃ……ジャックに頼まれたからだけど」

 他に何かあっただろうかと、アルバートは結構必死になって考える。しかし、もちろん何も思いつかない。

「その人は、なぜ私を紹介して欲しいと?」

 考えている内に質問を切替えられた。どことなく暗い口調に、アルバートは思わず目を瞬かせる。

「えーと、お前に憧れてて、話したいって本人は言ってたな」

 グローリアは眉根を寄せ、落ち着かなげに指先でソファの肘掛けを叩いた。

「憧れる……私に? どこに?」

「ど、どこって……あの」

 もしかして何かまずいことを言っただろうかと、アルバートは慌てて身を乗り出す。

「ごめんなさい。……時間ができたら、その時に会うわ。それじゃ、今日はこれから練習があるから」

 グローリアは一息で言うと、いつもより若干速い動作で立ち上がった。

「あ、おい……」

 呼び止めるアルバートには答えずに、グローリアは早足で部屋を出て行く。

 談話室のドアが静かに閉められた後、一人取り残されたアルバートは眉根を寄せて考え込んだ。

「……一体何がまずかったんだ?」

 もちろん、何も思いつかなかった。


「珍しいよね、なんだかトゲのある対応」

 その夜、ペナンはグローリアの部屋へやって来てそう言った。談話室前の廊下でグローリアを待っていたペナンには会話が筒抜けで、立ち聞きをするつもりも口を出すつもりもなかったが結局我慢できなかったらしい。

「確かに、大人げない返事だったとは思うわ。反省してる」

 ベッドの上で枕を抱え込みながら、グローリアは眉をひそめた。

「……それにしても、どうしてこんなにむかっ腹が立つのかしら?」

「リーリア、それはね……」

 ペナンは腰掛けていた隣のベッドから、大きく身を乗り出して二、三度頷く。

「恋よ」

 得意満面を絵に描いたような表情で、彼女は重々しく言い放った。サイドボードに置かれた唯一の光源であるろうそくの光を反射して、ペナンの瞳は生き生きと輝いている。

「間違いないわ。恋する相手に他の男を紹介するなんて言われたから腹が立っているのよ」

 自信満々にきっぱりと言い切られると、説得力がなくもないような気がしてくるから不思議だ。

「……こい」

 ぼんやりと復唱するグローリアを、ペナンは半眼で見つめる。

「言っておくけど、魚の鯉じゃないわよ?」

「わかっているわ」

 疑わしげな調子を隣のベッドから投げつけるペナンに、グローリアはどこか上の空で頷きを返した。

「命令形の『来い』でもないわよ?」

「そうでしょうね」

「濃い薄いの『濃い』でもないからね?」

「ええ」

「ラブよ、ラブ! それは恋! ラブ!」

 ベッドの上に立ち上がってなおも言い募るペナンに、グローリアは深くため息をつく。

「わかってるわ。その推測は間違っていると思うけど」

「間違っててもとりあえず!」

 ペナンは再び座り込んで大きく身を乗り出し、不満そうにベッドの縁を叩いた。

「もっと頬を薄紅に染め両の手のひらで押さえて身悶えるとか、そうなのかしらどうなのかしらってうろたえるとか、もっとそういう大きいリアクションが欲しいんだよね、相談を受ける側としては。自覚がないだけで可能性はあると思うんだけどなー端から見てて。だめ?」

 そう言われてもね、と、グローリアは枕をきつく抱き寄せながらまたため息をつく。

「そもそもアルのこと……そういう対象として考えたことがないわ」

「まあそりゃ、普段あれだけバカばっか言い合ってればね」

 ペナンは半眼で頷き、一瞬間をおいてから満面の笑みを浮かべた。

「ともかくさ、せっかくヴァレンシア・デイも近いことだし……」

 ペナンの微笑みは野次馬根性に満ち溢れて輝かしい。今さら感情を隠す気もごまかす気もないらしいその態度に、グローリアは半ば呆れながらも少しだけ心が軽くなるのを感じる。

「みかん料理を作って、手渡してみるってなどうよ? 普段お世話になってるからってだけでも充分理由にはなるし、今年は魔物討伐隊の出陣が例年より早くてヴァレンシア・デイ当日だから感謝の贈り物にかこつけて渡しやすいし、もしかしたら渡したことで二人の間に流れる感情が何なのか見当つくかもしれないし、私は一緒にみかん料理作ってくれる人ができて大喜びだし!」


 その後ペナンは、元気よく勢いよくひたすら勧誘の言葉を演説し続けた。

 結局その勢いに押し切られるかたちで、グローリアはみかん料理作成隊の仲間に入ることを決意したのだった。

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