Case4-3+鬱病
鬱病という病をご存知ですか。
誰でも、病名くらいは耳にしたことがあると思います。
鬱病とは何らかの原因で気分が落ち込み、生きるエネルギーが乏しくなった結果、身体に不調があらわれる病気です。
現在の日本では5人に1人が、一生のうちで一度は鬱病を経験するといわれています。
鬱病は日々のストレスからくるものが大半なのです。決してなる可能性の低い病ではないのです。
特にまじめな方や完璧主義の方、几帳面であったり、人目を非常に気にする方は鬱病になりやすいといわれています。
そして鬱病は、自殺に繋がりやすいのです。
「自分の存在理由がわからない」
「なにもする気が起きない」
「周りの人間にとって自分は必要のない存在なのではないだろうか」
そのような考えが、結果的に自殺という行為を引き起こす。
鬱病は不治の病ではありません。当然治療法がございます。
それでも、なかなか鬱病から立ち直れず、苦しんでいる方は大勢いらっしゃいます。
これからお話するのは、そんな病に今も苦しんでいる、一人の女性の話です。
彼女は普通の家庭に、普通の子供として生まれました。
小さな頃から母親に、
「女の子らしく」
育てられた彼女。
しかし彼女の人生は途中で急激に降下を始めるのです。
父親の転勤、そして転校先で受けた、幼い子供達のある意味では純粋な、いじめという行為。
純粋で、重く、暗く汚い。
暴力、罵倒。いじめは彼女の体と心を蝕んでいきました。
そして、いじめにあっていた事が両親の耳に入る。
その時の親からの仕置。助けを求める対象であるはずの親からの、厳しい言葉。
彼女の心に、深い恐怖が植え付けられました。
そんな彼女に、更に不幸がふりかかります。
中学生になり、彼女には友人ができました。
しかし、平和な日々がまたも崩れてゆく。
彼女は、様々な濡衣を着せられていました。
してもいないことで、"正しい教師"の皮を被った人間に責められ、酷い言葉を浴びせられ、彼女は何を信じたらいいのか、わからなくなっていきました。
そうして歪んでしまった心が、今度はいじめという行為をする側に姿を変える。
彼女は、今まで自分の心に切りつけられた傷を癒すかのように、いじめを続けました。
しかし、そのようなことでは傷は当然癒えない。
その時は快感を得ても、最終的に残ってしまうのは、深い後悔のみ。
高校に入り、彼女は変わります。
人当たりをよくする。
勉強をし、成績をよくする。
彼女は"優等生"を演じることに徹しました。
しかしそれには、酷く精神的疲労が伴いました。
それが、彼女の罪滅ぼしだったのでしょう。
そして大学生になり、彼女に告げられた病名――鬱病――。
周囲の励ましの言葉が、辛い。
「頑張って。」
何が?
「大丈夫だよ。」
どうしてわかるの?
「楽しいこと考えようよ。」
楽しいことって?
「あなたには私達がついてるから。」
私の気持ちなんてわからないくせに。
彼女は現在でも、生きることを悩んでいます。葛藤を続けています。
人は誰でも、生きる意味、自分の存在理由はわからないものです。
悩み、苦しみ、それでも生きた先に、本当の存在理由が見付かるのではないでしょうか。
苦しまずに生きる方はいません。
悲しまずに生きる方はいません。
そして誰もが人生の中で自分の生きる意味を探すのです。
それは簡単には見付かりません。
しかし、見付からないことを悲観することはないのです。それが、大抵なのですから。
けれど、私は思うのです。
存在理由などそれほど重要ではない。
私達は、"生きる"ために"生まれる"。
それだけなのです。
今回の話は、実在する方の話です。
鬱病の苦しみを、理解して頂けたらと思います。
あなたの周りには鬱病の方はいないでしょうか。