Case3-4+謝
「おはよ!」
「あ…おはよう。」
登校中、友人に後ろから声をかけられた。今日は朝から眠気が酷い。
昨夜自殺屋の本に夢中になり、深夜までかけて三冊全て読みきったのだ。
睡眠時間は当然足りていない。
「なんか顔色悪いけど大丈夫か?」
心配する友人に何かを悟られないよう、少年は無理に笑顔を作り、一歩先を歩いた。
自殺屋に出会ったことが、借りたことがばれてしまえば、すぐに噂になるに違いない。
学校で人気のある秀才の少年が自殺を考えているなどという噂が流れればきっと騒ぎになるだろう。
それは少年のプライドに傷がつく。
それに、自殺屋の規約の中に『他人に自殺屋のことを話さない』というものがあった。
破ればどうなるかわかったものではない。
四時間目が終わり、数人の友人が少年をバスケットボールに誘った。
普段ならばすぐにでも参加するのだが、今日ばかりはその提案は受け入れられなかった。
出来る限り鞄から離れたくない。中に自殺屋の本が入っているから。
これが見つかってしまえば、どうにかばれないよう隠している努力が水の泡である。
放課後になり、教室には数人の男子が集まっていた。
その中には少年もいる。
早めに自殺屋に向かいたかったが、急に人付き合いが悪くなったら怪しまれるだろう。
多少ならば時間が取れるので、少しくらいこの普段のメンバーで騒いでから行くのもいいかと思った。
「あ、そういえばさ、近藤ってどうしたんだろうな?」
ひとりの男子がクラスメイトの名前を出した。
近藤とは、二年の時にいじめに遭い、登校拒否になっている生徒のことである。
こんな風にふと会話に出てくることがある。
「え、知らないの?近藤って死んだって話だよ?」
「え!?何で、病気!?」
「そんなわけないじゃん。自殺したらしいよ。」
少年の心臓がどくりと脈打った。
『自殺』という言葉に自然と反応する。
「だって自殺したならさすがに新聞に載ったり先生とか言うんじゃないの?」
「まあ噂だからな。でもそのうちするんじゃないの?あいつ生きててもしょうがないって!」
ふざけて笑いながら話す友人達を、少年は黙って見つめていた。
自殺がどんなものなのか少しでも知った今、こんなにも友人達の話すこの話題が重いものだったのかと思う。
こんなにも無責任なものだったのかと思う。
自殺などというものは、そんなに簡単に口に出せるものではないと思い知った。
「こんにちは…」
「ああ、いらっしゃいませ。」
疲れ果てた様子で店に入ってきた少年を、男は笑顔で迎え入れた。
その様子がおかしいことに気づき、そっと肩を押してソファに座らせる。
「どうかなさいましたか。」
男が静かに尋ねると、少年は床を見つめたまま口を開いた。
「あの…自殺って……すごく、辛いことなんですね…俺…今までなんにも考えたことなかった…。」
この言葉を聞いて、男は「やはり」というような顔で溜め息をついた。
すっと少年の前にしゃがみ、その震える手に触れる。
「ですからお薦めしませんと申しましたのに。申し訳ありませんが、この店の本を最後まで読みきるまでは返却は受付けられないのです。そうでなければ、あなたが自殺をすることになりますので。」
男がそう言うのに、少年は首を横に振って応えた。
「返却はしません…俺は自殺をする気はありません。」
「…そうですか。それならばいいのですが。」
男はじっと少年を見つめた後、俯いて立ち上がった。
カウンターに戻り、ぱらぱらと本を捲る。
その様子をしばらく窺っていた少年が、口を開いた。
「…あの…」
「なんでしょう。」
「この店を…近藤っていう人が借りたことありませんか…」
「近藤様…いえ、この店にはそのようなお名前の方は来たことがありません。…なぜですか。」
なぜなのだろうか。
気にもしたことが無い近藤のことが、不思議なほど気になった。
もしも本当に自殺を考えているのだとしたら、この店に訪れているかもしれないと思った。
この店に来ていないということは、自殺をするつもりはないということなのだろうか。
「…学校で、いじめに遭って登校拒否になってる奴がいて……そいつが、もしかしたら自殺するんじゃないかって…」
「心配なのですか?」
男に言われて、はっと気がついた。
自分が興味もなかった、話したことすらない人間を心配している。
そんな自覚はなかった。
これは心配なのだろうか。いや、どちらかといえば、同情に近いのではないだろうか。
「…同情、ですか。」
少年の心を見透かしたように、男が呟いた。
自分よりも立場の弱い人間に同情をしてしまった、そのことに嫌悪感を覚える。
自分はこんなにも嫌な人間だったのかと、自己嫌悪した。
「おや、いらっしゃいませ。」
突然男が開いたままの扉を見て言った。
咄嗟にそちらを見るが、人の姿はない。
少年が不思議そうな顔をすると、男は少しそちらを見て、すぐに俯いた。
そしてまた扉の方を見る。
「…近藤様、ですね。」
その名前が出たことに、少年は驚いた。
悪い冗談かと思ったが、その男の表情はとても冗談を言っている風には見えない。
しかも、徐々にその扉の前に何かの存在を感じるようになってきた。
そこに何かが、誰かがいる。
「近藤……?」
「ああ、残念ですね。自殺をする前に、この店を訪れて頂きたかった。」
その言葉は、近藤が自殺をしたことを示していた。
男の表情は、酷く悲しそうである。
「あなたが強く思ったことで、ここに引き寄せられたのでしょうね。もう少し早ければ、自殺をする前に来られたかもしれません。」
「そんな……」
男はカウンターから出て、扉に向かった。
そして、その見えない存在の横に立ち、肩に触れる仕草をした。
そのことで、はっきりとそれの姿が見えるようになる。
そこに立っていたのは、少しやつれた近藤だった。
「近藤……」
「あなたに感謝しているようですよ。」
「え?」
「誰も気に留めてくれなかった自分の存在を思い出してくださったことに。…よかったですね。自殺をした方の多くはこの世に恨みなどの想いを強く持ち、成仏できません。ですが、近藤様の心にもう恨みはないようです。」
男がそう言って近藤を見ると、近藤は少年を見てにこりと笑った。
「ありがとう、僕のことを思い出してくれて。心配してくれて。僕が自殺したこと、誰にも言わないで。その内わかることだと思うから、それまでは言わないでおいて。」
そして、その体がゆっくりと光へと変わる。
見たことの無い、神秘的で、少し怖い光景だった。
近藤の姿が完全に見えなくなると、少年は口を開いた。
「どうして…こんな小さなことで……今まで近藤がされてきたことに対して小さすぎるよ…」
「それでいいのです。追い詰められている人間にとってはどんなに小さなことでも大きく感じるものです。あなた一人が彼を想ってくれただけで、彼はとても嬉しかったのですね。」
何かが決壊したように涙が止まらなかった。
罪悪感と不思議な安心感が少年の心に溢れる。
男は少年に新しく三冊の本を渡し、そっと背中を押した。
「早めにお帰りなさい。泣きはらした顔で学校へ行ったら、あなたの友人が心配しますよ。」
 




