微笑みの裏で糸を引く
王立学園の卒業記念舞踏会は、私――セレスティア・フォン・ルーヴェンにとって、長い仕込みの終着点だった。
絹のドレスを揺らしながら、私は完璧な淑女の微笑みを浮かべる。
周囲の貴族令嬢たちは、憐れみと蔑みの混じった視線を私に向けていた。
「まあ……あの悪役令嬢が、まだ王太子殿下に縋っているなんて」
ひそひそと聞こえる声に、私は心の中でくすりと笑う。
ええ、そう見えるでしょうね。
あなたたちの目には、私は“婚約者の座に固執する、嫉妬深い悪役令嬢”に映っているのだから。
――けれど。
(本当に愚かなのは、誰かしら?)
私の視線の先には、王太子アルベルト殿下と、彼の隣で可憐に微笑む平民出身の少女、リリアーナがいた。
学園に入学してきたその日から、彼女は“聖女のように純粋で優しい少女”として持ち上げられ、いつの間にか私からすべてを奪っていった存在。
ええ、表向きは、ね。
◇
私が「悪役令嬢」と呼ばれるようになったのは、リリアーナが泣くたびだった。
「セレスティア様に、ひどいことを言われました……」
その一言で、周囲は私を糾弾する。
証拠など必要なかった。
私は由緒正しい公爵令嬢。
彼女は健気な平民の少女。
物語は最初から決まっていた。
けれど私は、声を荒げることも、露骨な反論もしなかった。
ただ、微笑みを崩さず、丁寧に頭を下げた。
「もし私の言動で傷ついたのなら、申し訳ありませんわ」
そのたびに、彼女は少しだけ安堵したような顔をした。
――私が何も気づいていないと、信じて。
(腹黒なのは、どちらかしら)
リリアーナは確かに計算高かった。
けれど、詰めが甘い。
私は彼女が“わざと誤解を招く言い回し”をしていること、
人前では善意を装い、二人きりになると別人のように振る舞うこと、
そして、王太子殿下に同情を誘うため、涙の出る角度まで研究していることに、とうの昔に気づいていた。
だから私は、記録した。
すべてを。
◇
舞踏会の途中、アルベルト殿下が突然、楽団に合図を送った。
場の空気が変わる。
――来たわね。
「皆に、発表がある」
殿下はそう言って、私をまっすぐに指さした。
「セレスティア・フォン・ルーヴェン。君との婚約を、ここに破棄する」
会場がどよめく。
リリアーナは私の背後で、かすかに息を呑む音を立てた。
「そして私は、リリアーナを新たな伴侶として迎えたい」
拍手が起こる。
感動的な恋の成就。
――表向きは。
私は一歩前に出て、深々と礼をした。
「承知いたしました、殿下」
そのあまりに落ち着いた態度に、殿下は一瞬言葉を詰まらせる。
「……だが、君はこれまでリリアーナに数々の嫌がらせを――」
「その件でしたら、説明の機会をいただけますか?」
私はにこやかに言った。
「え?」
「殿下のお言葉通りなら、私は断罪される立場。ですが、罪には証が必要でしょう?」
ざわめきが大きくなる。
私は懐から、小さな魔導具を取り出した。
「こちらは記録用の音声魔導具です。ここ一年分、すべて残っていますの」
◇
再生された音声は、会場を凍りつかせた。
『……本当に、あなたって鈍いのね。少し泣けば、みんな私の味方なのに』
『セレスティア様? ああ、大丈夫ですよ。あの方は、私が泣いても何も言い返せないもの』
――リリアーナの声だった。
続いて、複数の場面が流れる。
彼女が自作自演で誤解を誘導する様子。
周囲の令嬢を扇動する言葉。
そして、王太子にだけ見せる、計算された弱さ。
リリアーナの顔から、血の気が引いた。
「ち、違います! こんなの、作り物で――」
「魔導具は改竄できませんわ」
私は静かに告げた。
「殿下。私は、あなたが真実を見ようとしないことも、すべて理解した上で、ここまで待ちました」
アルベルト殿下は、愕然としたまま立ち尽くしている。
「あなたは“都合のいい聖女”を求め、私は“邪魔な婚約者”だった。それだけのこと」
私は微笑んだ。
「――ですから、婚約破棄は願ったりですわ」
◇
その後は、まさに転げ落ちるようだった。
リリアーナは虚偽と扇動の罪で学園を追放。
殿下は王位継承権を大きく下げられ、政治の世界から事実上外された。
そして私は。
公爵家の後継として正式に認められ、
他国との外交を担う立場へと進んだ。
舞踏会の夜、テラスで夜風に当たりながら、私は一人、息をつく。
「……ようやく、終わったわね」
腹黒?
ええ、そうでしょう。
でも、先に嘘をついたのは誰?
人の善意を踏みにじったのは誰?
私はただ、微笑みを武器に、理不尽を返しただけ。
月明かりの下、私はドレスの裾を翻し、前を向く。
「さて。これからは、私の物語ですわ」
すべてを取り戻した悪役令嬢は、もう誰にも利用されない。
――すっきりと、幕は下りた。




