4:寒空の結婚式
城を出ると、薄曇りの空から大粒の雪が舞い降りていて、凍てつく空気に思わず息を止めた。
目の前に用意された馬車に乗り込むと、同時に一斉に大きな歓声が上がった。
「聖女様だわ!」
「アリーシャ様がお見えになったぞ!」
「おめでとうございます!」
こんな寒い中、民衆は私の晴れ姿を一目見ようと城の前まで詰めかけていたらしい。騎士たちは彼らを必要以上に私の乗る馬車に近付けないように制止しながら、教会への道を先導してくれた。
婚儀を執り行う場所は、城を出てすぐの場所にある教会だった。
私が暮らしていた教会とは意味合いが違う。ただ民衆が祈りを捧げる為の場所だ。
普段着であれば、歩いてほんの数分の距離。しかし、今日は雪が降る中にも関わらず、沿道を民衆が埋め尽くしていて、馬車に乗っているというのに、本来にかかる時間の三倍は要した気がする。
重たそうな木製の扉の前で馬車は停まり、私はソアラと共にその前に立った。この扉の先に私の夫となる人がいるのね。でもやっぱり未だに実感は湧かない。
なんだかずっと夢の中にいるみたい。
でもここまで来て、逃げられないわ。
私は自然と早まる鼓動を何度も深呼吸をして、整えようとするけれど、あまり上手くは行かなかった。
呼吸は真っ白になって空気に溶け込んで薄れていく。
その様子をソアラは心配そうな表情で見詰めていた。
「アリーシャ様……? 大丈夫ですか、顔色が優れないようですが」
「ごめんなさい、少し緊張しているみたい」
周囲の民衆は、絶えず私を賛美する声を投げかけてくる。放置されることはあっても、こんな風に人に囲まれたことなんて無いんだもの。緊張して当然よね。
それなら、丸ごと受け入れてしまうしかないわ。
私は最後に大きな深呼吸を一度して、ソアラを真っ直ぐ見つめた。
「ソアラ、もう大丈夫。開けてくださる?」
ソアラに声をかけ、軽く膝を折る。私の意図を理解したソアラは彼女なりの覚悟を決めた様子で、小さく頷いた。
「はい。アリーシャ様」
分厚い毛皮のコートを脱がされると、冷たい空気が肌を刺す。同時に繊細なレースが施されたヴェールがゆっくりと私の視界を塞ぐように被せられる。
まるで今までの自分の人生に幕が下ろされたようね。
そんな皮肉めいたことを頭の隅で考えながら、もう一度扉と向き合う。
騎士達の手によって重たい扉が開き、私は一歩を踏み出した。
瞬間、教会に居た人々がざわめき、さざなみのように広がると、またシンと静まった。
少しの音を立てることも許されないような、緊張した空気を肌で感じながらゆっくりと歩みを進める。
私が歩く度に、ヴェールやドレスの裾がカーペットに擦れる音だけが教会の中に響いていた。
国の中央に位置している教会は決して広いものではない。しかし据えつけられた座席はもちろんのこと、横の通路まで人が押し寄せていて、まるで見せ物でも楽しむかのような好奇の目で私を見つめている。
教会の中は、暖炉の火と人の熱気で外よりも随分温かい。
私の足元には深紅の絨毯が真っ直ぐ伸びている。その先にいるのは私の夫となる人物。周りにいる人たちの誰よりも大きな体躯に思わず息を飲んだ。
距離にしてほんの二十歩程度。重い足取りに感じるのは着慣れないドレスのせいということにして、ゆっくりと歩いた。
国王の姿は、噂通り屈強な体格をしていた。
本当に大きいのね。身長だけではない、鍛えられた体つきだと一目見て分かる。ロッキードまで連れてきてくれた騎士二人でも、教会では見ないくらい大きいと思ったけれど、彼はそれ以上だわ。
王族らしいエレガントが装いは、彼には少し窮屈そうにも見える。それでも、その上に羽織っているたっぷりとしたマントはよく似合っているし、王冠の載った白銀の髪は思わず見惚れてしまうほど美しく見えた。
しかし、肝心の顔はヴェールのおかげで、しっかりとは見えなかった。
ソアラがあれほど恐ろしいと言うくらいだもの、見えないのは幸いかもしれないわ。
「旅は、大変だったのでは?」
「……え?」
それが彼の最初の言葉だった。低い落ち着きのある声が響く。
今から婚儀をするのに相応しい言葉とはとても思えないのに、何故かスッと耳に馴染んで胸に落ちてくる。
旅が大変? ただ馬車に揺られていただけの私には思い当たる節がなくて、どう答えるのが正解なのかは分からなかった。
私が明確な返答をできずにいると、彼は次の質問を投げかけてくる。
「騎士や侍女たちは失礼を働いたりは?」
あぁ、そういうこと。厳しい人だと言っていたものね。彼らの働きぶりを隈なく把握しておきたいんだわ。
「とんでもない。皆様にとても良くして頂きましたわ」
出来るだけにこやかに笑顔を作って返事をした。私のせいで良くしてくれた騎士や侍女が不興を買うなんてごめんよ。
私たちの会話は、今から結婚する二人のものにしてはよそよそしい。でも、国王として。そしてこれからここで暮らす者としての最低限の会話は、きっと今の私たちには必要なんだろう。
「そうか。俺はラウディール=ロッキード、今日から貴方の伴侶となる、よろしく頼む」
「アリーシャです。こちらこそ、よろしくお願い致しますわ」
私たちの会話が終わると、中央で待っていた神父が「始めても宜しいですか?」と私たち二人にだけ聞こえる声で尋ねてくる。
「あぁ、頼む」
「お願いします」
そう伝えると、式は順調に進んだ。
誓いの言葉を求められ「はい、誓います」とそれぞれ応じると、最後にキスをするように求められた。
え、キスをするの?
こんな観衆が見つめている前で……今顔を知ったばかりの相手と?
……そうよね。何で忘れていたのかしら。子供の頃に読んだ御伽噺では王子と姫が結婚式でキスを交わす場面があった。私はそれに少なからず憧れていたのに。
いざ自分の身に起こるとなると、すっかり頭から抜け落ちていたという事実に自分で驚く。
同時に自分にはあの王子と姫のような身を焦がすような恋の果てのキスは訪れないのだという現実に打ち砕かれそうになった。
嫌だとは思わない、でも、これが幸せの幕開けになるという期待もない。
あるのは、あぁやっぱり現実ってこんなものね、という諦めの感情だけ。もう長らくの間、私の中にはそれしかない。
私が呆然としている間に、大きな手が私のヴェールに指先をかけ、手には似つかわしくない繊細な動作でヴェールを捲った。
ひらけた私の瞳に映ったのは、左目に大きな傷が刻まれている男だった。きっと魔獣と対峙した時についたのだろう。深く抉るような爪痕が生々しい。傷ついた目はあまり見えていないというのは、眼球の動きの鈍さからすぐに分かった。
対して、右目の眼光は燃え盛る炎のように赤い色で、背筋が震えるほど鋭く、私は息を呑んだ。ヒュッと冷たい空気が入ってきて、身体が動かなくなる。
「目を閉じていろ、オレの姿が怖いなら尚更だ」
怖い? これが恐怖という感情なの? 大型動物に睨まれて動けなくなったウサギの気分だわ。
私は言われるがままに睫毛を伏せる。すると、唇に柔らかな感触が降ってきた。短く触れ合うだけの初めてのキスは想像よりもずっと温かで、離れるのが惜しい、と思っている自分に驚いた。
同時に周囲を歓声が包み、外まで広がっていく。
「ロッキード、万歳!」
「聖女様、ロッキードへようこそ」
「王に更なる祝福がありますように」
次々耳に飛び込んでくる祝辞で埋め尽くされて、私は呆然と立ち尽くしたまま、その様子を眺めていた。
「大丈夫か?」
穏やかな低い声が響く。優しい声色だとは思うが、目の前にいるのは、屈強な体躯に片目に傷を負った隻眼の男で、その迫力は私を竦みあがらせるには充分だった。
「は、い……」
私は小さく震える手を寒さのせいにして、震える唇で返事をした。
「行こう。歩けるか?」
目の前に差し出されたのは、ラウディール様の手だ。真っ白なグローブが嵌められた手は、私の手よりもずっと大きく逞しい。私は躊躇いつつもその手を取った。その瞬間、ふわりと身体が宙に舞った。
「きゃあ……っ!」
「早く民衆に姿を見せたい。貴方のペースじゃ遅すぎる」
ラウディール様は軽々と私を抱き上げると、そのまま教会へと颯爽と駆け出した。
扉が開くと同時に、割れんばかりの歓声に迎えられる。外で待っていたソアラがすぐに私に毛皮のコートを差し出した。
「あぁ、気付かなくてすまなかった」
ラウディール様は、ソアラからコートを受け取り私の肩にかけると、自分の羽織っていたマントを脱ぎ私の膝へとふわりとかけてくれる。
「雪が止んでるな、珍しい」
「……ほんの少し前に」
「そうか」
ソアラが頭を下げたまま、ラウディール様の言葉に返事をする。
「これも聖女の加護か?」
ラウディール様は私の顔を覗き込み語りかける。
確かに天候を操れる聖女は存在する。でも、私にそんな力はない。聖女の加護なんてそんなものが私に少しでも備わっていれば、今ごろ私はここに居ないのに。
そう言いたい気持ちをぐっと堪えた。
「……たまたまでしょう」
燃えるような赤い瞳を真っ直ぐ見ることは出来ず、ラウディール様からは目を背け、民衆の方に視線を投げながら応じた。
「ふむ、まぁいい。せっかくだ。祝福と受け取っておこう」
私の反応をラウディール様は深く気にする素振りなく、どうやら珍しく雪が降り止んだという曇り空を満足そうに見上げ、不敵に笑いながら、民衆の賛辞に手を振って応え続ける。
さっき大型動物に睨まれたウサギの気分だと思ったのは正しかったのかもしれない。まるで、私は狩りで取れた獲物だわ。
トロフィーワイフという言葉が一瞬頭を掠めたけれど、自分にはそんな価値すらないのだと思い直す。
「貴方も笑って。民衆の前だけでいい」
「……はい」
そうだった。この人たちが求めているのは聖女としての私だわ。能力は乏しくても、せめて慈愛や祈りは欠かさないようにしなくては。
私は精一杯の笑顔を作って、ラウディール様の動きを真似ながら、周囲へと手を振り続けた。




