3:まだ見ぬ夫
老齢の女性は、あからさまに狼狽えて、私の前にツカツカとやってくると、深々と頭を下げた。
「ようこそアリーシャ様。私マリーと申します。こちらは娘のエミリーとミーナです。取り乱してしまい申し訳ありませんでした! ですがあまりにも聞いてたお姿と違うものですから」
「聞いてた……お姿?」
「はい、教会からお伺いしていたサイズでお召し物をご用意させて頂いたのですが」
マリーは気まずそうに視線を揺らす。
「サイズ……ですか」
聞くところによると、教会が伝えていた私の大体のサイズで服を用意し、多少の誤差は少しずつ手直ししようと思っていたが、実際に到着した私と大幅に違っていたらしい。
「どうしましょう。ドレスをとにかく詰めるしかないわ」
「そうよね、まずはそこから取り掛かりましょう」
「ドレス……」
侍女たちの慌てふためく様子を見ながら、視線を奥に向けるとそこには純白のドレスがトルソーに飾られていた。
たっぷりとした布に、星屑を散りばめたような宝石、繊細なレースとチュールが幾重にも施された美しいドレス。しかし、そのサイズは、どう見てもふくよかな女性向けのものに見えた。
あの人たち一体私をどういう風に思っていたのよ。
確かに自分が華奢だとは思わないけれど、教会での食事は質素そのものだったから太る要素などどこにもないのに。
でも、まぁ採寸をされたこともないのに、全てぴったりでも気持ち悪いから深く考えないでおきましょう。
私は深く深呼吸をして、自分を落ち着かせるとドレスの前に進み出た。
「このドレスを試着して、余った布を詰めて下さいますか? 出来る限りで構いませんし、必要のない部分はハサミを入れて貰ってもかまいません。多少型崩れをしても、ずり落ちることのないようにだけして頂きたいです」
「勿論でございます! すぐに取り掛かります。あとで細かい部分も採寸させて下さいませ。お召し物も順次直させますわ」
「ありがとう。では、お願いします」
私はすぐにドレスへと着替える為に、自分の着ていた服を脱ぎ捨てる。ソアラが慌ただしくそれを拾い上げていった。
「これは私たちの腕の見せ所ですね」
マリーが言い、後ろに控えていた娘二人も大きく頷き、ドレスの布を当てながら採寸していく。
「幸いお胸が豊満でいらっしゃるから、大きく詰めるのは腕とウエストだけで良さそうね」
マリーは慎重にまち針を差し込み、詰める布を固定していく。ドレスがAラインだったことでウエストより下はそのままでも問題ないようで、私も三人の安堵した表情を見て、胸を撫で下ろした。
「アリーシャ様、お湯が沸きました。採寸が終わりましたら、一旦湯浴みをしましょう」
そう言ってソアラが駆け寄ってくる。
「そうね、式まで時間があまりないですから。アリーシャ様の身支度を最優先にしましょう」
マリーは力強い声で、娘二人へと声をかけ、段取りを整えていく。
そうだったわ。着いてすぐに式を挙げることになっているのよね。だからドレスのことでこんなに焦っているんだわ。
どこか他人事のように感じていたけれど、この人たちはみんな私の為に動いてくれてるのね。
「式は、何時間後に行われる予定になっているの……?」
「四時間後です。今日は、城の横にある教会での挙式をされる予定です」
答えてくれたのはエミリーだった。
「そんなに急ぐのね」
「そうでなければ、アリーシャ様を正式にお迎え出来ませんから」
続けてミーナが、この国の王族は婚姻を結ばずにアリーシャ様と同じ部屋で過ごすことは許されないのだと補足する。
なるほど。婚約状態では様々な制約があって、とりあえず婚姻だけは急ごうということね。
「国王も大変な立場なのね」
「披露宴や民衆への公的なお披露目は後日、アリーシャ様の都合や体調を考えながら行うとラウディール様は仰っていましたよ」
そうだった。国王の名前はラウディールという名前だったわ。私は今更ながら自分の伴侶となる人間の名前を思い出す。
どうしても知識として頭に入っているだけで、実感が伴わないのよね。未だに顔も合わせたことがないし。ヴィランシュに居た頃は、悪評ばかり耳にしたけれど、こうやって国を見れば、この寒さの中でも国民はみな活気に溢れているし、城も豪華ではないけれど、全てにおいて必要なものは過不足なく揃っていて居心地が良い。
婚姻以外は、私の都合を優先してくれようとする辺り、案外、常識的な人なのかもしれないわ。
私は少しばかりの期待を寄せながら、侍女たちに言われるがまま支度を整える。
髪は暖炉の熱でゆっくりと乾かされ、香油を塗りながら梳かされていく。いつも洗いざらしだったから、まるで別人のように艶めいていく自分の髪に思わずため息が漏れた。
侍女たちは手際良く、二人がかりでドレスの手直しを、一人は髪を、一人は化粧を施して、私を身綺麗に整える。
ほんの少し前まで、私とは全くの見ず知らずの間柄だったのに、今は一丸となって一つの目的に向け動いている。その中に混ぜて貰えているというだけで私は胸がドキドキした。
こんなこと教会では一度たりとも経験出来なかったから、なんだか新鮮だわ。
「ネックレスは、これがいいわ。アリーシャ様の瞳の色と同じエメラルド。決して目を見張るほど大きなものではないけれど、アリーシャ様の清楚な雰囲気にきっとお似合いになりますわ」
差し出されたのは、美しい金細工の中央で輝くエメラルドだった。
「凄く綺麗……!」
教会では、こういった華美な装飾品はほとんどお目にかかれない。身につけるなんてもってのほか。私は息をするのも忘れて、自分の胸元に輝く小さな輝きに目を奪われていた。
これで小さいサイズだというの? 私の指先くらいはあるのに。
「エメラルドは、幸福や愛っていう意味があるんですよ。これからのお二人にぴったりですね」
ソアラがにっこりと微笑みながらネックレスを付ける。
「あ……その、ラウディール様は、どういう方なのかしら。未だにお会いしたことがないから、気になって」
四人は私の質問に、ぴたりと支度の手を止め、顔を見合わせた。その表情はあまり芳しくはない。
変なことを聞いてしまったわけではない。夫のことを少しでも知っておきたい。そう思うのは当然だと思う。
でもこの反応を見るに、あまり良い話は聞けそうにないかもしれない。
私は少しの覚悟をして、四人へと視線を向けた。
「とても素晴らしい方ですよ。先王はただ玉座に座っているだけで、全ての仕事を下の者に投げるばかりで、当時の民の暮らしぶりは酷いものでした。しかしラウディール様は政務を真面目にこなされる方で、随分上向きになりました」
淡々と語ったのはマリーだ。
一緒にドレスを手直ししていたエミリーも横で深く頷いている。
「それに、とってもお強いんですよ! ラウディール様が即位してすぐに、騎士達の兵団を直々に鍛えられて、近辺に蔓延っていた魔獣をかなり倒してくれたので、凄く助かったんです」
そう言ったのはソアラだ。ソアラの出身である男爵の領地は常に魔獣の脅威に晒されていたので、昔は領地運営に苦戦していたが、今は少しずつ落ち着き始めているのだと説明してくれる。
「だからこうして王城にお仕え出来ているんです」
「我が家も似たような者ですわ。私は若い頃ここの侍女として働いていたのだけれど、先王と私は相性が悪かったんです。城を追い出されて一度は田舎に引っ込んだんです」
マリーは田舎での暮らしぶりはあまり良いものではなく、二人の娘を抱えて随分苦労をしてきたようだった。
「ラウディール様が即位されてすぐに力を貸して欲しいと便りが来て、今ここにいられるんで、感謝してますよ」
マリーもソアラ同様、娘二人を有望な人材を嫁がせたいという気持ちもあり、娘ごと侍女として迎えてくれるのならという条件付きで城に戻ってきたのだと言う。
「そう。賢王であらせられるのね」
「……そう、ですね」
ソアラの声が曇る。
「でも、厳しい方ですし、見た目も恐ろしいです」
「ソアラ!」
「……だって」
マリーにきつく言われ、ソアラは肩を窄める。
「そこは噂通りなのね。大丈夫よ、ソアラ、マリー。私、言い付けたりしませんから。安心してね」
「本当に立派な方なんです。でも、屈強な騎士団を纏め上げる人ですから、身体は大きいですし、目つきも怖いです。うちの父や兄は素朴な風貌だったので、私は最初見た時、魔獣が入って来たのかと思いました」
恐ろしい男という噂は本当なのね。私も今まで関わりがある男性と言えば、年老いた神官ばかりで、あまり男性に免疫はないのよね。でも、今回一緒に旅をしてくれた騎士たちは随分紳士的だったから、あまり怖いとは感じなかったから、なんとかなると思いたいわ。
でも、厳しいというのは、どういうことなのかしら。
私が能無しの聖女だと知られたら、一体どんな目に遭うのか。
あぁ、考えたくもない。
私は押し寄せる現実からそっと目を逸らし、準備に集中することにした。
いつもより少し重たい睫毛、綺麗に編み込まれた髪に乗せられたティアラ。胸元を飾るエメラルド。そして豪華なドレス。どれもが教会で暮らしていた時には縁の無かったものばかりで、気後れしてしまう。
ほんの三日前には、自分がここに居ることすら想像していなかったのだから。不思議な感覚だわ。
自分の意思など、どこにもない結婚。
でも、不幸せだとは思わない。だって、あのままあそこに居たって同じだもの。
「アリーシャ様、とっても美しいです!」
「皆さんありがとう。こんな短時間でここまで仕上げてくれるなんて、さすがだわ」
渡された手鏡には、華かやな淑女が映っている。田舎の農民の出自なんて、誰も思わないでしょうね。
聖女は、教会に連れられる際に苗字を捨てることになっている。だから今の私に苗字というものはない。親や故郷への里心を持たせない為だと思っていたけれど、こうやって王族と結婚という立場に立たされて初めて分かる。
私の出自が知られる可能性のある苗字は、ただの足枷だったのだと。
聖女であるアリーシャ。この結婚には今それだけあれば良い。
能力が殆ど失われているという事実を国王は知っているのだろうか。知っていて結婚を望んだ? そうでないとしたら、賢王だと言われる夫に私はいつまでそれを隠せるのかしら。
きっと無理ね。
バレたら国を追われるかもしれない。厳しいと言っていたし、すぐに処刑される可能性もあるわね
私は自分の運命を少しだけ呪った。
「アリーシャ様、お時間です」
扉の向こうから声をかけられ、私は「今向かいます」と返事をすると、ソアラがたっぷりとした毛皮のコートを持ってくる。
「行きましょう。外は冷えますから、こちらをお召しください」
「ありがとう、ソアラ。一緒に来てくれる?」
「勿論です、お供します」
マリーたちは、支度の為に散らかった部屋を、私が戻るまでに綺麗にしておきますと、笑顔を浮かべ頭を下げた。




