1:アリーシャの旅立ち
「国王様、聖女様、万歳!」
「お二人とロッキードに末長い繁栄を!」
高らかに祝いの言葉が飛び交う。
その中心で、私は静かに固まっていた。
「大丈夫か?」
穏やかな低い声が響く。優しい声色だとは思うが、目の前にいるのは、屈強な体躯に片目に傷を負った隻眼の男で、私を竦みあがらせるには充分だった。
「は、い……」
私は小さく震える手を寒さのせいにして、震える唇で返事をした。
凍てつくような寒さの中、大勢に見守られ、私は今日からこの人の妻になる。期待ハズレの聖女の烙印を押されるその日までーーーー。
「アリーシャ、お前はロッキード王国に行って貰うよ」
夜間部屋を訪れた老年の神官は冷ややかな視線で私を見据えると実に事務的に言い渡す。
いつかこういう日が来るとは思っていた。私は大きな驚きもなくその言葉を受け止める。
「ロッキード王国、ですか……」
それは、ここから馬車で三日ほど北に真っ直ぐ行った場所にある隣国。
「そうだ。明朝五時に迎えが来る。婚儀は到着と共に行われることになった」
「明日の朝? それに婚儀ですって? それってどういう……」
「ええい! うるさい! お前のような能無し聖女を貰ってくれる場所があるだけでもいいと思え。あそこは聖女が輩出されない土地、故にお前のような無能でも、国の母として迎えてくれるというんだからな」
神官は厳しい目で私を睨め付け、古ぼけた鞄を放り投げると「いいから荷物をまとめておけ」とだけ言い捨てて、強く扉を閉め部屋を出て行った。
「なんてことなの……!」
私は無惨に投げられた鞄を見ながら自分の運命を嘆いた。
覚悟はしていたわ。自分が聖女としてここに連れて来られた日から、いつか政治的な役割を担わされることを。でも、まさかこんなに急だなんて。
それに嫁ぐというのは、一体どういうことなの。
ロッキード王国は、北に位置する氷で閉ざされていると言われる国だ。数週間前に長く派遣していた聖女が逝去したばかり。そこの穴埋めとして私が命じられたというのは理解出来る。
しかし、前の聖女は、王族だけでなく誰とも婚姻などは結ばず、普通に聖女として扱われていたというのに。
それに、あそこの国王はろくに社交界にも顔を出さない偏屈者という噂じゃない。随分、粗暴だとも聞くわ。そんなところに私が?
身震いしそうになるのを、ぐっと自分を抱きしめて耐える。
あぁ、こんなことをしてる場合じゃない。時間がないわ。
あちらは険しい山脈に囲まれた、雪が降り止まぬ日は無いと言われている地域、せめて寒さを凌ぐ用意はしておかないと。
私は少ない手持ちの服の中から、数少ない冬用の装いをまとめ、渡された鞄に詰める。随分古い鞄を用意したのね。もう今にも壊れそう。
私が向こうに行って、嫌になっても帰って来られないようにするためかしら。
あぁ、気が重い。
残された時間はたったの数時間。私は出来うる限りの荷造りを済ませて、教会の出入り口へと向かった。
朝の澄んだ空気の中、整然と立っていたのは、先刻命令を伝えにきた者とは違う、老年の神官だった。
それ以外には、誰の姿もない。
今までお世話になった誰にも、挨拶ひとつ出来ずにここを離れなければならないのね。
別れを惜しまれる存在だなんて思い上がったことは考えて居なかったけれど、ここまで侘しい離別になるとは。
十五年以上、ここに居たっていうのに。
でも、仕方ないわね。半分以上は穀潰し状態だったんだもの。
逃げ出さない為の監視の役割だったとしても、見知った顔が一人見送りにいるだけ有難いことだわ。
「お世話になりました」
「……あぁ」
神官は刺すような鋭い視線で私を見下ろすと、顎で外の扉を示した。
勝手に出ていけってことね。
私は鞄をひとつを引きずりながら、外へと出た。
教会の外へ出るのは数ヶ月ぶりになるかしら。それも別の聖女が任務を執り行うための付き人のような役割で一秒の自由もなかった。
……それはきっとこれからも変わらないわね。
でもずっと私に許された外気浴といえば、庭園で過ごす程度だったから、朝の空気というのは、新鮮ね。
一歩、二歩。重たい足取りで踏み進めると、外門に付けられていた馬車から、兵士が二人慌てた様子で降りてきた。
「聖女アリーシャ様でございますか?」
「え……あ、はい」
「私ども、ロッキード王国から迎えに参りました。マイヤーとゾッドと申します。お荷物はこちらだけで……?」
うやうやしく騎士流の挨拶で膝を付いた二人は、私の荷物を見て顔を見合わせ、困惑した様子を見せた。
無理もないわね。向こうからすれば輿入れにくる聖女が、花嫁道具どころか満足な衣服も持たされずに来るとは思っていなかったはず。
「……あちらは寒いのでしょう? 手持ちの服では間に合いそうもなくて。ほとんど置いて来たの」
「そうでしたか」
それは半分は嘘ではない。衣服については、気候が大きく違うゆえ、ロッキードで役立つような服はあまり必要ないし、今は街に出ても分厚い冬物が手に入る時期でもない。そう伝えれば、二人は多少は納得したのか、頷いて私の荷物を軽々と荷台に乗せ、私へと手を差し出す。
馬車に乗り込むと、ゆったりとした柔らかい布張りのシートが身体を包んでくれる。三日間、馬車に揺られるのはどんなに辛いのかと思っていたけれど、これなら想像よりも楽に過ごせそうだわ。
「お召し物については、こちらで充分賄えるように用意はしてありますので、ご安心ください。ご趣味に合えばいいのですが、不足の物がありましたら遠慮なく侍女に申しつけ下さい」
「ありがとうございます」
あちらに到着すれば、侍女がいるのね。
そうよね、形ばかりとはいえ、国王に娶られるのだもの。
でも、今までは自分が侍女のようなものだったから不思議な感じだわ。
「あとこちらどうぞ。近くなると寒くなって参ります。お使いください」
「……どうも」
騎士はふかふかの分厚いブランケットを二枚差し出すと、人の良さそうな笑みを浮かべた。
「険しい山道を通る場所もありますが、我々は慣れておりますので、どうか、ご安心ください」
「三日ほどかかると伺っております」
「雪道に慣れていない馬であればもっとかかるでしょうが、この馬達は、雪道は慣れていますから。半分で到着してみせますよ」
安心をさせる為なのかしら。調子良くウインク一つする騎士に、もう一人の堅そうな騎士が「馴れ馴れしいぞ」と指摘する。
仲が良いのね。微笑ましいやり取りに、思わず笑みを零してしまった。
「我々は、前後に控えておりますので、何か必要な物がありましたらいつでもお申し付けください。では」
騎士二人は一礼してから、颯爽と馬に飛び乗り、場所は出発した。
ロッキード王国、どんな場所なのかしら。いい噂はひとつも聞いたことが無いけれど、あの二人の振る舞いを見ていると、とても野蛮な国民性のようには感じないわ。
昨夜、一睡も出来なかった私はブランケットを膝にかけ、背もたれに体重をかけると、安堵と共に睡魔が襲って来た。
私の生まれついたのはヴィランシュ王国という大陸の中心にある国。昔から聖女が多く生まれる土地でもあり、その恩恵もあってか、周辺国に比べれば随分栄えた都市をいくつも抱えた、大陸きっての大国だ。
しかし、そんな国の中であっても貧富の差はある。私は国境付近の貧しい農民の夫婦の間に誕生した。
私が聖女の才覚に目覚めたのは三歳頃のこと。農作業中に怪我をした実父を治療したのがきっかけだった。瞬く間に噂は広がり、教会が迎えを寄越すまで時間はかからなかった。
両親は余分な食い扶持を減らすことが出来るため、二つ返事で私を手放した。更には聖女を輩出したとして、、国から報奨金を受け取ったようで、今では悠々自適に暮らしているのだと聞かされた時は、なんだか複雑な気持ちになったものだ。
聖女を正しい聖女として導くため、などと教会は表向きの聞こえのいいことを言うが、やっていることは人身売買と違わない。
とは言ってもあのまま、両親の元で暮らしていたら、餓死してもおかしくなかったから、私としても命拾いはしたのよね。
教会には、私以外にも何人もの聖女が国中から集められ、集団で暮らしながら、聖女としての研鑽を積む。
そして十分な素養を身につけた後、国王の居る城にうつり、国民の平穏を祈り、国家の安全の為に力を発揮するのが慣例だ。
しかし、私は違った。十歳くらいまでは聖女として高い能力があったが、徐々にその力が失われ始めたのだ。七年経った今、私に残っているのは転んだ子供の擦り傷を治す程度のものだ。
非常に稀だが、そういうことはあるらしい。こういう聖女の行き先は大概他国への派遣だ。国にとってはいわゆる厄介払いに近い。
今回の私の処遇は、正にこれね。
しかし、聖女が自国で誕生することが殆どない近隣国は、こんな能力の低くなった聖女でも居ないよりマシとでも思うのか、それとも役立たずでも、大国と余計な摩擦を生まない為に甘んじて受け入れているのか、こうしてわざわざ高級な馬車まで用意して迎えに来てくれる。
能力がもうほとんど失われていて、今はせいぜい祈るくらいのことしか出来ない私。国の為に力を使えないなら、せめて諸外国との関係ぐらい上手くやれということなのでしょうね。
そう考えると、ロッキード王国にも同情してしまうわ。以前派遣されていた聖女は、元々は能力が高く、国に十分貢献した後、お年を召してから本人の希望もあって移住を兼ねての派遣だったはず。
晩年は、その力を充分に発揮は出来なかったかもしれないけれど、よっぽど今の私よりマシだったわよね。
……私、本当にやっていけるの?
選択権の無かった私にはどうしようもないことだけれども、ロッキード王国の皆はそれでいいのかしら。
こんな無能でも、国交の為には居れば良いと思う? それとも、役立たずなど不要と切り捨てる?
私は一抹の不安を抱えながら、眠りについた。




