表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「転校する君に、片想いのままなんて無理でした」

作者: 阪宮 レイ

教室の隅っこ。

窓側の席から見える空は、もう夏の色に近づいていた。


「ねえ、真奈(まな)。知ってた? 祐樹(ゆうき)くん、転校するんだって」


隣の席の奈々(なな)が、そんなことを言ったのは、6月のはじめのこと。

机に肘をついて、スマホをいじりながら、さらっと流すみたいに。


「……え?」


私は思わず聞き返していた。

聞き返すほどの関係でもないのに、口が勝手に動いた。


奈々は少し驚いた顔をして、でもすぐに笑った。


「なんか、お父さんの仕事の都合だって。あと2ヶ月くらいで引っ越すってさ。

 ……って、もしかして真奈、祐樹くんのこと好き?」


「そ、そんなことないよ!」


思わず声が裏返った。

何でもないふりをしたかったのに、どう考えても“何でもある”反応だった。


奈々がにやっと笑う。


「へぇ〜?」


その顔がちょっとむかついて、私は視線を逸らす。


窓の外では、まだ青いアジサイが風に揺れていた。



---


そこからだった。


——彼を目で追うようになったのは。



---


それまでは、「同じクラスの男子のひとり」だったはずなのに。


 話したことなんて、たぶん一年間で三回くらい。

 席は近いけど、授業中はいつも静かで、本を読んでいるか、ノートに何かを書いている。


 そんな祐樹くんを、私はずっと「関係ない人」として見ていた。

 だけど——「あと二ヶ月で転校する」って知ってから、突然、目が離せなくなった。


 


 朝、教室に入ってくるタイミング。

 黒板の前で、担任に何か話している横顔。

 机の上に置いてある、名前も知らない小説。


 全部、全部、急に意味を持ち始めた。


 


 声をかけたい。

 でも、何を話せばいいかわからない。


 休み時間。席を立った祐樹くんとすれ違っただけで、心臓が跳ねた。

 奈々が「真奈、見すぎ」と小声で笑ってくるたびに、耳まで熱くなる。


 ---


そんなある日。修学旅行の班決めが行われた。


 教室は、なんだかいつもよりざわついている。班は五人。男女混合可。自由に決めていいということになり、みんなあちこちで声をかけ合っていた。


「真奈、一緒に回ろ! あ、でも私、他に声かけられてるとこもあって……うーん、どうしよ」


 奈々は私の机にかがみ込んで、スマホを見ながら言った。どうやら数人と話が進みかけているらしい。


「いいよ、無理しなくて」


 そう言ったけど、心のどこかで、少し不安になっていた。誰と組むか、考えていなかったから。


「じゃあさ、祐樹くんとか誘ってみたら?」


「……え?」


「だって同じ班になったら、話すチャンスもあるでしょ?」


 奈々はイタズラっぽく笑って、ちょんと私の肩をつついた。冗談みたいに言っているけど、私が戸惑っているのをちゃんと見抜いてる。


「それに、静かだからって避けてたら、永遠に話せないよ?」


 ——奈々の言う通りだ。


 迷っているうちに、先生が「まだ班が決まっていない人は声をかけ合って」と言い出す。クラスのあちこちで、立ち上がる人が増えてきた。


 私は、机の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。


 そして、祐樹くんの席をちらっと見る。彼はまだ誰とも組んでいない様子で、手帳のようなものを開いて、静かにページをめくっていた。


「……行ってくる」


「おお、がんばれ!」


 奈々の笑い声が背中を押した。


 私はゆっくりと立ち上がり、彼の席へと向かう。心臓の音がうるさい。


「あの……祐樹くん、班……決まってないよね?」


 彼が顔を上げた。


 目が合う。思っていたよりも、まっすぐな瞳。


「……うん。まだ」


「よかったら、私と——じゃなくて、私たちと、同じ班にならない?」


 少し慌てて言い直す。私と、奈々と、あと二人はなんとかなる気がした。とにかく、一緒になりたかった。


 祐樹くんは、少し驚いた顔をして、それから小さく笑った。


「……うん、いいよ」


 その返事に、胸がじんわりと熱くなった。


 それから数日かけて班が確定し、修学旅行の準備が始まった。行き先は京都と奈良。お寺巡りや自由行動、班ごとのプラン作成——やることはたくさんあったけど、全部が楽しみになった。


「せっかくだし、班でお化け屋敷入ろうよ〜!」


「え、私ちょっとムリ……」


「祐樹くんはいける?」


「……たぶん」


 打ち合わせのたびに、彼と話す機会が増えていく。


 奈々がさりげなく話題を振ってくれることもあって、祐樹くんは思っていたよりも、ちゃんと受け答えしてくれる人だった。


 修学旅行の前日。配られたしおりに、班別のスケジュールを書き込んで、持ち物をチェックして、明日の集合時間を確認する。


 ドキドキと、そわそわが止まらない。


 ——明日、もっと近づけたらいいのに。


 そう思いながら、私はカバンにしおりをしまった。



---


朝早く、学校の体育館には教室よりも少しだけざわついた声が響いていた。

 普段は静かな私も、今日は胸の高鳴りを押さえきれない。


 


「おはよう、真奈!」

「おはよう、みんな!」


 


 奈々が笑顔で近づいてきて、私も自然と笑顔を返す。班のメンバーが集まり、ワイワイと荷物の確認をしている。


 


「今日は楽しもうね!」

「おー!」


 


 そんな元気な声に包まれて、私は緊張を忘れようと努めた。


 


 ほどなくして、体育館での集合時間を迎え、全校生徒でバスに乗り込む。窓の外には、まだ薄明るい朝の空が広がっている。


 


 バスの中では、ゲームが始まった。

 班ごとに座り、新幹線の席も決まっているけれど、まだ時間はたっぷりある。


 


「ねえ、トランプある?」

「あるよ!」

 奈々がバッグからトランプを取り出し、カードゲームが始まる。


 


 「ジョーカーを引いたら、罰ゲームね」

 「うわ、それ怖い!」


 


 笑い声が弾け、私は自然と笑顔になった。祐樹くんは、隣の席に静かに座っている。あまり話さないけれど、時々ふっと笑うのが見える。


 


 途中、お菓子の袋が回ってきた。ポテトチップス、チョコレート、グミ。みんなで少しずつ分け合いながら、気づくと車内の空気がぐっと和やかになっていた。


 


 「真奈、これ食べてみて」

 奈々が甘いグミを差し出す。

 私は頷いて受け取った。


 


 新幹線の窓の外には、流れるように田園風景が広がっていく。

 旅の始まりを感じさせる景色。


 


 私はふと隣の祐樹くんを見る。イヤホンを外し、小さな声で言った。


 


「カードゲーム、楽しい?」


 


 祐樹くんは目を細めて、うなずいた。


 


「うん、みんなが楽しそうだから」


 


 その言葉が、心にじんわり染みた。


 


 そんなふうにして、新幹線は奈良へと向かっていった。



---


奈良の駅からバスで揺られて、みんなで大きな公園に降り立った。

 青空が広がり、風が心地よく緑の葉を揺らしている。


 


「見て見て!お弁当、すごくない?」


 奈々が蓋をぱかっと開けると、中には彩り豊かなおかずが並んでいて、思わずみんなの声が弾んだ。


 


 班のメンバーもそれぞれのお弁当を見せ合いっこしながら、にぎやかに食べ始める。


 


 私はそっとおにぎりをつまみ、ひと口かじった。


 


 そのとき、誰かの視線を感じてふと横を見ると、祐樹くんが静かにこちらを見ていた。


 


 少し離れた木陰のベンチに座っているのに、まるで気づいていたかのように。


 


「ねえ、真奈。何かついてるよ」


 声は低くて静かだった。


 


「ん?」


 返事をした瞬間、彼が手を伸ばしてきて、私の口元をそっと指先で触れた。


 


 はっとして、思わず目を見開く。


 


 そこには、知らずについていた小さな白いお米の粒。


 


「あ、ぁあ……ありがとう」


 言おうとして、声が震えてしまった。


 


 まごつきながら、口を開けて言葉を探すけれど、うまく出てこない。


 


「ご、ごめん、なんか……恥ずかしくて……」


 


 慌てて顔を背けると、少しだけ笑みを浮かべた祐樹くんが、そっと一歩下がった。


 


 「気にしなくていいよ」


 


 その一言に、心臓が跳ねた。


 


 あたりは再び賑やかな笑い声と話し声に包まれ、奈々が手を振って呼んでいる。


 


「さあ、食べよ!」


 


 私は深呼吸して、ゆっくりと口元を拭いながら、改めてお弁当へと向き直った。


 


 でも、心のどこかで祐樹くんのやさしさが、ずっと残っていた。



---


お弁当を食べ終わると、班のみんなは少しずつ話題を変え始めた。


 


「ねえねえ、午後はどこから行く?」


 


「私はやっぱり東大寺に行きたいな!」


 


「じゃあ、鹿せんべい買いに行こうよ!」


 


「わあ、それ楽しそう!」


 


 奈々が楽しそうに声をあげ、私たちの班はまた賑やかになった。


 


 祐樹くんは相変わらず静かで、あまり話さないけれど、時折ふっと笑う顔が見られた。


 


 そんな彼の横顔を見つめていると、自然と心が落ち着くのに気づいた。


 


「そういえば、真奈、明日の班別自由行動の予定は?」


 


 奈々が振ってきて、少しドキッとする。


 


「まだ考えてない。みんなで話し合わなきゃね」


 


「うん、夜の旅館で作戦会議しようよ」


 


 その言葉にみんなが賛成し、笑顔でうなずいた。


 


 


 午後の観光へと歩き出すと、初夏の陽射しが少しずつ強くなってきた。


 


 私たちは鹿と戯れながら、次の目的地へと向かっていく。


 


 祐樹くんがふと、「気をつけてね」と私の肩に軽く触れた瞬間、胸が熱くなるのを感じた。


 


 その小さな優しさに、私はまた少しだけ強くなれた気がした。



---



 夕食を終え、旅館の廊下には静かな空気が漂っていた。


 


 男の子と女の子は別々の部屋に分かれ、私は奈々と一緒に布団に入っていたが、心はまったく落ち着かなかった。


 


「ねえ、真奈……」


 


 奈々が小さな声で囁く。


 


「祐樹くんの部屋、ちょっと見に行かない?」


 


 私は一瞬戸惑った。


 


「え? なんで急に?」


 


「だって、今日ぜんぜん話せなかったし、何か言いたいことがあるんじゃないかって思って」


 


 その言葉に、胸がドキドキして、逃げ出したい気持ちと反対に、行きたい気持ちが混ざった。


 


 「……うん、行こう」


 


 二人で静かに部屋を出て、廊下へと足を踏み出す。


 


 暗い廊下は月明かりと廊下灯がぼんやりと照らし、影が長く伸びていた。

 話さずに歩く二人の距離は近く、私の心臓の音だけがやけに大きく聞こえた。


 


 「真奈、緊張してる?」


 


 奈々が小さく笑いかける。


 


「うん……でも、行かないと後悔しそうで」


 


 祐樹の部屋の前に来ると、私は震える手でそっとノックしようとした。


 


 その瞬間——


 


「おい、そこの君たち!」


 


 急に先生の声が響いた。


 


 「こんな時間に廊下をうろうろするんじゃない!」


 


 慌てて振り返ると、先生が真っ直ぐにこちらを見つめている。


 


「す、すみません!」


 


 私たちは息を飲み、慌てて部屋へと走り出した。


 


 心臓が破裂しそうなほどドキドキして、頭の中が真っ白になった。

 部屋の扉を閉めて、二人とも息を切らせて座り込んだ。


 


「はあ……はあ……」


 


 奈々が苦笑いしながら言った。


 


「こんなことになるなんてね」


 


「うん……でも、やっぱり行きたかった」


 


 私は窓の外の夜空を見上げ、遠くの山の影をぼんやり眺めた。


 


「祐樹くんも、同じ空を見てるかな」


 


 静かな夜に、私の小さな想いが静かに広がっていく気がした。



---


最終日、クラスのみんなで訪れたテーマパーク。

午前中はグループごとに自由行動で、私たちは絶叫系や食べ歩きを楽しんで、笑い疲れるくらい笑った。


そして午後。

一番の目玉(?)と言われていた「お化け屋敷」へ、祐樹くん、奈々、私の三人で入ることになった。


「やっぱりこれ、めっちゃ怖いって噂だよ……」

「真奈、叫ばないでよ?鼓膜やられる」

奈々がふざけて笑うけど、正直、心臓の音がもうお化け屋敷級。


中に入ると、薄暗い廊下に、ひんやりとした空気。

かすかに聞こえる音楽と、時折響く「キャー!」の悲鳴。


「うわ、なんか出た!?今の人形!?本物!?」

「奈々落ち着いて……」


祐樹くんの声も、さすがに少し緊張していた。


前が暗くて、足元もよく見えない。

私は祐樹くんの少し後ろを歩きながら、手に汗をにぎっていた。


──その時。


「ひゃああああああ!!」


何かが目の前にばっと飛び出してきた瞬間、私は思わず叫んで、逃げるように前へ走って──


「わっ……!」


足が何かに引っかかって、ぐらりとバランスを崩した。

そのまま、目の前にいた祐樹くんに――思いっきり抱きついてしまった。


「ご、ごめ……っ!?」


急いで離れようとした瞬間、激痛が走った。


「いった……!足……!」


崩れるようにしゃがみこんだ私は、思わず声を詰まらせる。

片足がつってしまったのか、引きつるような痛みに耐えきれなくて、涙がにじんだ。


「真奈、大丈夫……? 足、痛めた?」


祐樹くんがしゃがみ込んで、私の顔をのぞき込んだ。

その目は、すごく真剣で、優しかった。


私は黙ってうなずくしかできなかった。

みっともないし、恥ずかしいし、何より自分が情けなかった。


すると祐樹くんは、ふっと息を吐いて、立ち上がった。


「おいで。おんぶするから」


「えっ……!?」


思わず目を見開いたけれど、彼はもう背中を向けてしゃがんでいた。

迷っている私を振り返って、「無理しないで」と静かに言った。


私はそっと手をのばし、彼の背中に体を預けた。

ぎゅっと肩にしがみつくと、祐樹くんの体温が伝わってきて、顔が一気に熱くなる。


「……ありがとう」


声が震えて、かすれた。

ちゃんと言えたか自信がなかったけど、祐樹くんは「うん」とだけ、短く答えて歩き出した。


闇の中を、彼の背中に支えられながら進む。

お化け屋敷なのに、不思議と怖くなかった。


むしろ、心臓がどんどん早くなるのは、彼のせいだった。



---



「……やばい。カゴ、重っ……」


私はお土産売り場の片隅で立ち尽くしていた。

気づけば手にしたカゴはパンパン。ご当地限定のお菓子に、ゆるキャラのストラップ、友達へのバラまき用のお守りキーホルダー……。並べられているもの全部が、どこか“思い出”に見えて、つい手が伸びてしまっていた。


「えっ、真奈!? ちょっと、これ全部買うの?」


後ろから奈々がカゴをのぞきこんで、目をまん丸にする。


「え、うん……そのつもり、だったけど……やっぱ多い?」


「多いどころじゃないって!これ、修学旅行っていうより引っ越しの荷造りだよ!?しかもさっき『高いな』って言ってたのにー!」


「う、うん……でもこれ、祐樹くんが好きそうなクッキーあって……つい……」


「おおおおい、祐樹フィルターかかりすぎ!笑」


奈々が笑いながら私の肩をポンポン叩く。

でも確かに、自分でもちょっと買いすぎたなって思ってきた。レジの前で財布を握りしめる想像をしただけで、軽く胃がキュッとなる。


「……あの、真奈?」


後ろから声がして振り返ると、ちょうど祐樹くんがいて、こっちのカゴを見て目を見開いていた。


「これ、全部買うの?」


「っ……! い、いや、えっと、そんなことない、よ?」


「……今、買うつもりだったよね」


「……は、はい」


観念して頷くと、祐樹くんはちょっとだけ吹き出した。


「買いすぎ。絶対持ちきれないし、絶対食べきれないよ」


「うぅ……でも、せっかくだし、思い出に……」


祐樹くんはしばらく無言でカゴの中を見て、ある小さなクマ型のクッキー缶を手に取った。


「じゃあ、これだけは一緒に買って。……俺も、ほしかった」


「……えっ?」


「さっき見てたの、これ。おそろいになるなって思ってたけど、見つかったか」


ふっと笑うその顔に、胸がドクンと高鳴る。


「じゃ、あとは必要な分だけ残して、半分くらいは返却コーナーに戻してこ。な?」


「……う、うんっ」


なんだか買いすぎを注意されてるのに、それさえ優しくて、嬉しくて、

私はちょっと赤くなった頬を隠すように、慌てて商品棚に向かって歩き出した。



---


「はい、みんなー!もっと詰めて詰めて!カメラこっちだよー!」


先生の大きな声が響く中、私たちは東大寺の大仏殿を背に、ぞろぞろと並んでいった。

青空の下、大きな屋根が広がっていて、ずっと見上げていたくなる景色。


「真奈、もうちょっと右。……そうそう。祐樹、そのままー!」


「はいはーい!」


奈々に引っ張られながら、私は祐樹くんの隣に立つことになった。

ドキドキしてるのがバレそうで、自然な顔を保つのが大変。


「はいっ、いくよー!3、2、1――」


カシャッ。


「もう一枚いくよー!変顔でもピースでもいいよー!3、2、1――」


「――わっ、鹿っ!?うしろ!うしろ!」


「ぎゃー!!せんべい持ってたー!!」


誰かが叫んだ直後、わちゃわちゃと笑い声が広がる。

その空気に混じって、祐樹くんが小さく笑った。


「なんか、最後まで騒がしいよな、うちらの班」


「……うん。でも、楽しかったね」


私がそう言うと、祐樹くんはちょっとだけ、照れくさそうに目を細めた。


「また、こういうの……あったらいいな」


「……うん。私も、そう思う」


その瞬間、ちょうど最後のシャッター音が響いた。

きっとこの写真、私にとって一生忘れられない一枚になる。

笑顔と、あったかい気持ちと、ちょっとだけ切なさと――全部が詰まった、修学旅行の終わり。


---


「ちょ、見てこれ〜!お化け屋敷のときの動画まだある!」


「えー!?やめてってば!消してよ〜!」


休み時間の教室。

教卓のまわりには数人がスマホを囲んで、動画を見ながら爆笑していた。

あの日のテンションがそのまま、教室に流れ込んでるみたい。


「うわ、これ私の絶叫!?ちょっと、声枯れてるんだけど!」


「お前、真奈に抱きついたとこ撮れてんじゃん祐樹〜!ニヤニヤしてんぞおい〜!」


「う、うるさいな……!べつに、あれはその、びっくりしてただけで……!」


顔を赤くしながら目を逸らす祐樹くんに、周囲からわっと笑い声が上がる。

私はといえば、自分の席でノートを開いたまま、耳まで真っ赤だった。


(ま、またからかわれてる……)


奈々がニヤニヤしながら私の肩をつつく。


「真奈、昨日もその話されたんでしょ〜?」


「うう……みんな忘れてくれたらいいのに……」


「まあまあ、しばらくは無理だよ。クラス全員で見たんだから、あの名シーン」


「名シーンって何……」


けれど、どこか嫌じゃなかった。

みんなが笑ってて、わいわいしてて、まるでまだ修学旅行が続いてるみたい。


「……なあ、次は文化祭か?」


「うん。準備、いつからだっけ?」


「お化け屋敷やるなら、もう一回入るか?祐樹」


「やだよ……あれ、ほんと怖かったんだからな」


教室の窓の外では、夏の終わりのような光が揺れていた。

日常が戻ってきたようで、でもちょっとだけ、特別な何かが残っている。

修学旅行で深まった距離感も、変わらずそこにある気がして、私はそっと笑った。



---


「じゃあ、また明日〜!」


「部活がんばってね〜!」


廊下に響く声と、ドタバタとした足音。

教室の扉が閉まり、だんだんと静かになっていく。


私は、まだ机に向かっていた。プリントをまとめて、ペンをペンケースにしまって。

荷物をゆっくり鞄に入れていると、教室の後ろの窓際に立つ人影に気づいた。


「あ……祐樹くん?」


「……あ、うん。真奈、まだ残ってたんだ」


「うん、ちょっとノートまとめてて……」


祐樹くんは、気まずそうに頭をかきながら、私の近くまでやってきた。


「……その、さ」


「……?」


「修学旅行のこと……ありがとな」


急に言われて、胸がきゅっとなる。


「な、なんで?」


「いろいろ。お菓子分けてくれたし、お弁当のときも……それに」


少し視線を逸らしながら、彼が続ける。


「お化け屋敷のとき、驚いたけど……あの、真奈が俺の背中にしがみついたとき、なんか、守らなきゃって思って……」


「……!」


「そしたら今度は足痛いって泣くし、びっくりしてさ。けど……ちょっと、嬉しかった」


祐樹くんの声は、照れ隠しのように早口になっていく。


「べ、別に変な意味じゃなくて!でも、なんか、ちゃんと覚えてたっていうか……」


「……うん。わたしも」


私はそっと笑って、頷いた。


「祐樹くんが、おんぶしてくれて、すっごく安心した。ありがとう」


「そ、そっか……」


二人の間に流れる、あったかい沈黙。

教室の窓から、夕陽が差し込んで、祐樹くんの髪の輪郭を金色に縁取っていた。


「……また、どっか行けたらいいな」


祐樹くんが、ふとつぶやく。


「え?」


「修学旅行、楽しかったからさ。今度は、クラス行事とかじゃなくて……もっと自由な感じで」


「……!」


頬が熱くなるのを感じながら、私は目を伏せた。

だけど──小さく、うなずいた。


「……うん、行きたい。楽しみにしてる」


またひとつ、「思い出」ができた。

けれどそれは、もう思い出にするにはもったいないくらいの、ちょっと未来の話の始まりだった。



---


夏の夕方。放課後の体育館裏には、セミの声と、湿った風が静かに吹いていた。


「……来てくれて、ありがとう」


真奈は、制服の裾をぎゅっと握りしめたまま、うつむいていた。

目の前には、数日前にLINEを交換したばかりの祐樹。

いつもの穏やかな表情で、黙って彼女の言葉を待っている。


「……修学旅行のとき、助けてくれたこととか、全部……ずっと、嬉しかったです」


勇気をふりしぼって顔を上げた。

でも、目が合った瞬間、心臓が爆発しそうになって――


「だ、だからっ、私……!」


そこまで言ったところで、顔が熱すぎて言葉が続かなかった。

「無理無理無理無理……!!!」と心の中で叫びながら、真奈はその場から走り出そうとした。


だが――


「待って、真奈!」


後ろから、あたたかくて大きな手が、彼女の手首を優しくつかんだ。


「走って逃げるの、なし。俺の気持ち、聞かせて?」


祐樹の声は低くて優しくて、背中からすこし汗ばんだ風をまとっていた。


真奈は、止まった。


動けない。


振り返るのがこわくて、そのままうつむいたまま、小さく口をひらく。


「……す、すき、です……。ずっと、前から……。」


風の音にかき消されそうな声だったけれど、

それでも祐樹は聞き逃さなかった。


彼はそっと真奈の横に並び、ふわりと笑った。


「……俺も。好き。真奈のこと」


一瞬、時間が止まった気がした。


真奈は、ぽかんと彼を見上げ――


「……う、うそ……」


「うそじゃないって」


「……え、えええ……っ……!」


もう無理。感情が爆発する。

顔を手で隠して、ぐしゃぐしゃになりながら笑ったり泣いたりしてる真奈を見て、

祐樹はやわらかく笑った。


「じゃあさ、夏休み、どっか行こうよ。LINEするね」


「……うんっ」



---


夏の朝。まだ少し肌寒い駅のホームに、真奈は立っていた。

人のざわめき、アナウンスの音、スーツケースを転がす音。

そんな中で、祐樹の姿を見つけた瞬間、心がぎゅっとなった。


「……来てくれたんだ」


祐樹が、驚いたように目を丸くして笑った。

大きなリュックを背負って、Tシャツ姿。

いつもと違う私服が、少し遠くに行ってしまう人みたいで、真奈は一瞬だけ言葉を失った。


「言ってたでしょ、私、ちゃんと見送るって」


そう言った声は、ちょっと震えていたかもしれない。

だけど祐樹は何も言わずに、そのまま横に立ってくれた。


「……そっか。ありがとう」


列車の発車時刻まで、あと3分。

時間は、優しくも残酷に流れていく。


「LINE、するね。うるさいくらい送っていい?」


「うん。どんとこい」


「……ちゃんと返してね?」


「真奈のは、絶対既読つけてすぐ読むよ」


そう言って祐樹が笑う。

その笑顔があたたかすぎて、涙がこみあげそうになる。


「――じゃあ、行ってくる」


祐樹が列車に足を踏み入れた瞬間、

真奈は思わず駆け寄って、彼の袖をつかんだ。


「……行かないでって言ったら、困る?」


祐樹は一瞬驚いた顔をして、でもすぐに優しく微笑んだ。


「困るけど……言ってくれて、嬉しい」


ドアが閉まりかけていた。

祐樹はぎりぎりのタイミングで手を伸ばして、真奈の頭をポンと優しく撫でた。


「またすぐ会おう。すぐ帰るよ」


そして――新幹線のドアが、静かに閉まった。


列車が動き出し、だんだん小さくなっていく車体を、真奈は黙って見送った。

手を振ることも、涙を流すこともできなくて、

ただ胸の奥が熱くなっていた。




---


真奈が祐樹を見送った後、駅のベンチに座り込み、スマホの画面をじっと見つめる。


そこには祐樹からのメッセージが届いている。


> 【ゆうき】

「夏休み、体に気をつけて。俺もがんばる。絶対また会おうな。」




小さく息を吐いて、真奈は頷く。


「うん、絶対……」


画面を見つめるその瞳には、もう少し大人びた、強い決意が宿っている。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

真奈と祐樹の夏の恋を描くのは楽しく、私もワクワクしながら書きました。

続編やスピンオフも予定していますので、よければまた読んでくださいね。(たぶん)

暑い季節、どうかお体に気をつけてお過ごしください。


もしよければ、感想や評価を一言でもいただけると励みになります!

それでは、また!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ