善良な異星人に侵略された王国貴族の男女のお話
本作品は「異世界・恋愛」になっていますが、異世界の話ではなく、異世界に似た遠い別の惑星での話です。良さそうなジャンルがなかったため、申し訳ありません。
「ねぇ、アレク! この森を抜けたところの景色がとっても綺麗なの! 一緒に行ってみましょうよ!」
ゼクト王国上級貴族、エレクトル公爵家の三女ファティマが森の中の道を駆けていく。
「はぁ、はぁ……。ちょ……、ちょっと待って! 僕はこれ以上は走れないよ!」
僕はファティマを止めるが、お転婆な彼女は僕の言う事なんて聞かない。
「そもそも、公爵家のお姫様が専属侍女を騙して、一人で屋敷を飛び出してもいいの?」
走り疲れてゼェゼェと荒い息遣いのまま、僕はファティマに問い掛けた。
「構わないわ。だって、ここは私の家の庭だもの。この森を抜けた先の崖まで、不審者がいないことを公爵家の兵士達が確認済みよ」
「どうしてそんなことを知っているの? ……もしかして、ファティマがこうして屋敷を抜け出したのは、一度や二度じゃないってこと?」
僕の質問にファティマは一瞬だけ目を大きく開いた後、すぐに目を横に逸らす。
「べっ……別にそんなことはどうでもいいじゃない! とにかく、この庭は安全ってことよ!」
ファティマは踵を返すと、森の道をどんどんと先に進んでいった。そして、僕との距離の差が大きく開いたところで、彼女はこちらを振り返った。
「何をしているの! そんなノロマじゃ、私の将来の旦那様としては失格よ!」
ファティマは僕の婚約者だ。彼女は三年前の貴族間会議で、ジェレス伯爵家の三男である僕の下に嫁ぐことを命令された。当時ファティマは十五歳、僕は十二歳だった。
彼女は公爵家から伯爵家に身分を下げて嫁ぐことになるが、決して訳ありの令嬢というわけではない。公爵家の三女であり、正妻の子供だ。本来であれば、他国の王族や侯爵以上の令息に嫁ぐのが慣例だ。
それでも格下の伯爵家に嫁ぐということは、それなりの事情がある。
僕には詳しい事情は分からないが、どうやら公爵家には差し迫った金銭的な問題があるらしい。ファティマとの婚約は、資産家である父が公爵家を支援することへの見返りだそうだ。
野心家の父は、上位貴族に「恩を売る」ことによって早期の侯爵への陞爵を狙っているが、僕達の婚約はそのための布石だということがすぐに想像できた。
一方で、公爵家の娘と婚約させるなら、相手は次期ジェレス伯爵家当主のお兄様の方が相応しいように思うのだが、伯爵家を継がない三男の僕とファティマを婚約させたということは、父はまだ何か企んでいるのかもしれない。
噂では、お兄様の婚姻相手として、不遜にも第一王女殿下を狙っていると聞いたことがある……。
いずれにしても、ファティマは、公爵家の借金の肩代わりのために「高値で伯爵家に売られた公爵令嬢」だった。事情を全て聞かされることなく、一方的に婚約を命令された彼女の気持ちはどのようなものだったのだろう。僕ならきっと耐えられない。
「ファティマはどうしてそんなに元気なの? ファティマの姉君達もそんな感じなの?」
僕がそう言うと、ファティマは顔を真っ赤にした。
「どうしてお姉様が出てくるのよ! お姉様は関係ないじゃないの! 私は私よ! ……どうせアレクは、お姉様の方がお淑やかでいいと思ってるんでしょ!? 私のこと、ハズレを引いたと思ってるんでしょ?」
ファティマはプゥッと頬を膨らませた。
「でも、おあいにく様! 私達の婚約はお父様の命令だから、破棄はできないわ! 私はエレクトル公爵家のために命を捧げるの!」
威勢よくそう言った後、彼女は寂し気に視線を下げた。そして、聞こえないぐらいの小声で話す。
「……お金のために婚約したんだし、無理に私を好きになってくれなくてもいいわよ……。あなたもこんな年上と婚約させられて可哀想だと思ってる。本当なら、もっと年下の大人しい子と婚約するのが普通だし……」(小声)
ファティマの声がさらに小さくなった。
「……きっとあなたは別の女性のところに行っちゃうんだろうけど、別に責めたりしないから、婚姻前の少しの間ぐらい、小説で夢見てた恋愛ごっこをさせて……」(小声)
僕は息を切らして、ファティマから数メートルのところに座り込みながら、顔を上げて彼女を見た。
「……ファティマ、ごめん。全部、聞こえちゃった」
「えぇっ!?」
僕は真っ赤な顔で驚いた表情の彼女に微笑みかけた。
「何か誤解しているみたいだけど、僕はファティマが婚約相手で良かったと思ってるよ。君はとても真っ直ぐな性格で魅力的だと思う。それに、すごく可愛いし、一緒にいるだけで元気になれる」
「……ぇ? ぇぇっ……??」
「僕はファティマのことが好きだよ」
ファティマは僕の言葉を聞いて、両手を真っ赤な頬に当てたまま固まった。そして、そのまま扉を閉じるようにして顔を隠してしまう。
僕達の間にしばらくの沈黙が流れた。しかし、一分ほどして彼女は正気を取り戻すと、地面に座ったままの僕のところにやってきた。そして、手を差し伸べる。
「しっ……仕方ないわね! あなたが私を大好きなのは分かっていたわ! それに、私はあなたの優しい妻になる予定だし、将来は二人三脚で生きていかなきゃいけないから、今からその練習をしてあげる!」
僕は立ち上がりながら、ファティマが真っ赤な顔を横に向けたまま差し出す手を握る。すると、彼女は視線を僕に合わせることなく前を向き、僕を強引に引っ張り上げて、森の奥に進み始めた。
そして、森の道をしばらく進んだところで、彼女が前を向いたまま口を開く。
「……ありがとう。実は私も優しいアレクが大好きよ。あなたが婚約相手で本当に良かった」
僕はそんな彼女を後ろから見て、ニコリと微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「……なに、あれ……。遠くの空に見える、あの黒い棒みたいなものは何なの?」
「……分からない。だけど、鳥じゃないのは分かる。……空に浮かんでいるのに、羽ばたいていない」
僕達は、崖からの落下防止の柵の手すりを持ちながら、遠くの空を見つめる。
「黒い棒の数が尋常じゃないわ……。あの辺りはヘーゼ王国の真上あたりだけど、一体何が起きているの?」
僕がファティマの問い掛けに答えられないでいると、彼女は元来た道を戻り始めた。そして、早歩きから徐々に小走りになる。僕も彼女を追って、駆け出した。
「ファティマ! どこへ行くの!?」
「お父様のところよ! あれはどう考えても自然現象じゃない。どこかの国が、へーぜ王国を魔法の機械で侵略しているのかもしれない。ゼクト王国も危ないから早くお父様に伝えないと!」
そのうち、ファティマは全速力で走り出した。僕はやっとの思いで彼女に付いていくが、彼女の足は速い。しかし、森を出たところで、彼女の専属侍女が待ち構えていた。
「お嬢様! 勝手に屋敷を抜け出してはいけません! 何度も申し上げていますが、事故や誘拐に遭ってしまったら、どうするのですか?」
「そんなことを言っている場合じゃないわ! 大変な事態なの! 今すぐお父様に……」
ファティマがそう言った瞬間、僕達三人は物凄い強風で吹き飛ばされた。
「きゃぁぁーー!!!!」
公爵家の庭全面に芝が敷かれていたのが幸いだった。僕達は芝生の上を転がりつつも、身体を強く地面に打ち付けることなく、数メートル吹き飛ばされたところで止まった。
芝生の上に俯せになった僕が視線を上げると、専属侍女は何とか一人で身体を起こそうとしているのが見えたが、ファティマは芝生の上に脇腹を下にして倒れたまま動かないでいた。
「ファティマーッ!!」
僕は急いで芝生の上に倒れているファティマの下に向かう。そして、彼女に近付いて身体を起こした。彼女は身体の痛みを堪えて目を少し開けながら、僕の手の上に自分の手を乗せた。
「ファティマ。無事で良かった……」
彼女は僕を見て、僅かに笑みを浮かべた。しかし、すぐに口を半分開けたまま、空を見て固まった。
僕はそんな彼女の呆然とした表情を見て、彼女の視線を追うようにして空を見上げた。
「……なんだ、この巨大な建造物は……」
太陽の光を隠すように浮かぶ細長く四角い塊。遠くから見ていた時は黒い棒にしか見えなかったが、間近で見ると、貴族の屋敷の敷地が数個入ってしまいそうな大きさだ。それが空中に浮かんでいた。
「……一体何が起こってるの? さっき遠くに見えていた黒い棒の正体が、これなの?」
ファティマが僕の手をギュッと掴む。
僕は彼女に何も答えられないまま、ただ彼女を守るようにして、その身体を抱きしめることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
四角く大きな黒い塊を操る者。
彼らは「アーシアン」と名乗る優しい侵略者だった。
彼らの侵略方法はとても効率的だった。
「あらゆる手段を使って、その地域の支配階級の存在意義を無くす」
ただ、それだけだ。
彼らはたったの一か月で、この世界に存在する全ての国を滅ぼしてしまった。物理攻撃が効かない光る網のようなものを使って、アーシアンに抵抗する各国の王族や貴族を全員捕らえ、四角く大きな塊に収監してしまった。
その後、アーシアンは占領地域に「自動工場」「自動農園」と呼ばれる施設を短期間で作っていった。自動工場では、ロボットと呼ばれる鉄の人形が生活に必要な衣服などを製造し、自動農園ではあらゆる食物を大量に生産した。
特に、自動農園は特殊な施設だった。通常、農作物を何度も同じ場所で生産するとその土地は痩せてしまい、農業向けには使えなくなってしまうのだが、彼らの自動農園ではそれが無かった。生産に土を必要とせず、水だけで栽培を行い、通常の三倍以上の早さで収穫が行われた。
しかも、不思議なことに「肉」が自動農園で製造された。動物の姿は見えないのに、肉が入ったパックが無数に自動農園から出荷されていった。後で知ったことだが、アーシアンは植物から肉を生成する技術を持っているということだった。
そして、アーシアンは、自動工場で生産したものを全ての人々に無償で配布した。占領した王宮に「配給所」を設置した上で、ロボットを使って昼夜を問わず衣服や食物を人々に与え続けた。
最初は自動工場で作られる得体の知れない食物や衣服に疑念を抱いていた人々も、それらの食物を実際に口にして、あまりの美味しさに感激したり、衣服の丈夫さと着心地に驚いたりしながら、次第に彼らを受け入れていった。
アーシアンの言葉で、これを「社会主義」と言うらしい。
全ての人々に住居を提供し、物を平等に分け与える。そして、飢えを無くし、貧富の差を消滅させる理想の世界だそうだ。
一方でアーシアンは、人々の農作や商売を否定することはせず、金銭の存在も肯定し、経済活動を続けたい者は趣味や娯楽で続ければ良いと言った。
支配階級である主人を失った人々、特に奴隷階級や小作人達は本来住んでいた場所を離れ、アーシアンが準備した住居棟に移り住んだ。その上で、希望者はアーシアンが与えた土地で農業を継続したり、ずっと夢見ていた商売を始めた。
アーシアンの強力な支配の下で、世界から戦争が無くなった。
仮に悪意を持って戦争を起こそうとしても、その首謀者はすぐに四角い黒い塊に収監された。
聞いたところによれば、アーシアンは星の世界からの来訪者だという。身体の見た目は僕達と全く変わらないが、天の星の海を航海する高度な技術を持っていた。
彼らが言うには、この世界は丸い球体の上に存在していて、その球体のことを「惑星」と呼ぶそうだ。天には他にも「惑星」が存在し、それぞれの恒星の周りを周回しているとのことで、彼らはそんな別の惑星から、移住先を求めて僕達の惑星にやってきたということだった。
アーシアンは、僕達の惑星のことをこう呼んだ。
『プレアデス・セブンティスリー・デルタ星』
どうやら僕達の星の近くには多くの星があるらしく、それを「プレアデス領域」と言い、その中で七十三番目の星にある四番目の惑星という意味だそうだ。
プレアデス領域に住む知的生命体は、アーシアンを含めて全て同じ種族だそうだ。見た目や身体構造が良く似ているのはそれが理由とのことだった。
いずれにしても、僕達の世界の国々は全て滅び、アーシアンの下で統一国家となった。
しかし、アーシアンが侵略を始めた日、ゼクト王国で彼らに抵抗を試みなかった者がいなかったわけではない。
僕の婚約者もそうだ。
本来、未成年の貴族に戦闘の義務は無かったが、ファティマは公爵家の三女として、侵略者との戦いに志願して参加した。
アーシアンの侵略が始まったあの日、彼女は父である公爵に面会をして思いを伝えたらしい。僕には彼女が本当に戦うことを望んでいたのかは分からないが、責任感の強い彼女のことだから、王国の民を守るために陣頭に立とうとした可能性は高い。
しかし、彼女はすぐにアーシアンに捕縛された。
戦争……いや、子供と大人の遊びのような戦いが終結した後、全ての武器を没収された王侯貴族達は、そのほとんどが空に浮かぶ黒い塊に収監された。
当初、囚われの身となった王侯貴族達は公開処刑されるものと覚悟していたが、実際には命を奪われることはなく、その後に地上に作られた「ガーデン」と呼ばれる教育施設に移送された。
そして、アーシアンはその中でも優秀な王侯貴族を選抜して再教育し、一部の従順な貴族達を新しい世界の運営に参加させようとしていた──。
◇ ◇ ◇
アーシアンの侵略から一年が経過した。
ファティマはゼクト王国の王侯貴族用ガーデンに収容されたままだ。アーシアンへの反攻を企てた彼女は、最も再教育が必要な「クラスA反乱分子」に属しており、比較的寛容な侵略者であるアーシアンの下でも、外部との連絡が禁止されていた。
しかし先日、役所となった旧王宮の政府ロボットにファティマの所在を確認したところ、彼女はある程度の更生が確認できたため、数週間前にガーデンの軟禁区画「クラスC」に移されたことが分かった。
クラスCでは、外部の面会希望者が申請すれば、収容者との面会が可能だ。
僕は早速ファティマへの面会を申請して、ガーデンへ向かった。
「ファティマ。久しぶりだね。元気にしていたかい?」
ガラスのような透明な板の向こうに座るファティマに声を掛ける。
「……元気な訳ないでしょ。こんなところに閉じ込められて、もう一年なんだから」
ファティマは不満げに目を逸らす。
彼女はアーシアンが供与した真っ白な服を着ていた。「制服」と呼ばれるその服は伸縮性があり、不思議と汚れが付着しない。デザインも悪くはなく、ドレスのようなボリュームはないものの、ブロンド髪の美人な彼女にはとてもよく似合っていた。
「アレクは随分と元気そうね」
僕は困った笑みを彼女に向ける。
「そうでもないよ。正直なところ、世の中の変化が激しすぎて疲れてる。生活必需品はアーシアンが供与してくれるけど、一人暮らしだから色々なことを一人でやらなくちゃいけないし……」
「えっ? アレク、一人で暮らしてるの? 伯爵家の家族や従者達は?」
「みんな、もうバラバラだよ。従者が僕達に仕える理由はもう無いからね。父上はこのガーデンのクラスA区画に収容されているけど、戦争に参加しなかった僕の兄弟姉妹は、アーシアンが建てた『住居棟』という屋敷で生活してる」
「……住居棟?」
「住居棟は物凄く便利な屋敷でね、『蛇口』という金属をひねったら、すぐにお湯が出てくるんだ。他にも、温かい風や冷たい風が出る『エアコン』という機械もあるんだよ」
僕が嬉しそうにそう伝えるも、ファティマは不機嫌な表情のままだ。
「そんなの、ここにもあるんだから知ってるわよ。……この裏切り者。国賊」
僕は以前と同じように憎まれ口を叩くファティマを見て、酷いことを言われているにも関わらず、なんだか安心して少しだけ笑みを浮かべた。ファティマは僕をじっと見る。
「アーシアンはそうやってモノで釣って、人々を騙して、最後は私達を奴隷にするのよ。喜んでいるアレクの顔が、いずれ涙で濡れるのが想像できるわ」
ファティマはそう言って僕を睨んだ。
「……絶対に侵略者の手からゼクト王国を取り返してみせる。私達の国が、こんなに簡単に滅びるなんて認められない。私はエレクトル公爵家の人間として、かつて王国に忠誠を誓ったのだから」
面会室には僕達以外の人間はいないが、僕はアーシアンが特殊な機械を使って監視していることを知っていた。きっと、彼女の声も拾われ、アーシアンに聞かれていることだろう。
ファティマもそれを知っているはずだが、躊躇なく反抗的な言葉を口にした。
「ファティマ。せっかくクラスCになれたのに、またクラスAに戻されちゃうよ」
僕が小声でそう言うと、彼女は視線を下げる。
「……私は別にクラスAでも構わないわ。アーシアンは何を考えているのかしら? 私みたいな反抗的な人間をクラスCにするなんて。……もしかして、こうして最後の余暇を与えられた後、いよいよ私も公開処刑されるのかしら」
僕がその言葉に驚いていると、ファティマは不安げに顔を上げた。
「第一王女殿下はどうしていらっしゃるの? 殿下は半年前にガーデンの外に連れていかれたんだけれど、どんな風に公開処刑されたの? やっぱり、ひどい辱めを受けて、首を切られたの?」
僕は困った笑みをファティマに向けた。
「王女殿下はとても元気にしていらっしゃるよ」
ファティマは大きく目を見開いた。
「えっ? 王女殿下はアーシアンに処刑されなかったの? 普通、侵略して捕らえた王族達は、反乱分子の核になるのを防ぐために皆殺しだと思うのだけど……」
「第一王女殿下は『アイドル』になったんだ。王族だった時よりも楽しくしていらっしゃる」
ファティマは固まったまま、ポカーンと口を開ける。
「アイドル……?」
「第一王女殿下はダンスと歌がとてもお上手だったでしょ? それに、とてもお美しい。だから、アーシアンが適性検査をした上で、数年間の限定で、ゼクト王国の民に希望を与える『アイドル』になったんだ」
ファティマはしばらく言葉に詰まった後、やっとのことで口を開いた。
「……ごめんなさい。アレクの言っている意味が全く分からないわ。そもそも、『アイドル』って何?」
「昔、一緒に歌劇を見たことがあるでしょ? その歌劇の女優をキラキラさせて、吟遊詩人のように町の人達にも分かる言葉で歌を歌うのがアイドルだよ」
「キラキラ……? う~ん、全然分からないわ」
ファティマは顎に手を当てて考え込むポーズをした。
「まあ、確かに想像できないよね。でも、あんなに幸せそうな王女殿下を見たことがない。ファティマがここを出たら、一緒に殿下を見に行ってみよう」
「アレク、ちょっと待って。第一王女殿下を『見に行く』ってどういうこと? そもそも、そんなに簡単に第一王女殿下にお会いするなんてことが……」
僕はガラスの向こうのファティマに手の平を向けて、話を止める。
「この世界には、もう身分はないんだよ。第一王女殿下も、僕もファティマも、平民も皆同じなんだ。道を歩いていても誰も頭を下げてくれない。アーシアンの配給所で物をもらう時は、王女殿下も僕も、ちゃんと列に並ばなきゃいけない」
「そんな……」
僕はショックを受けた表情のファティマをじっと見つめる。
「ファティマ。残念だけど、アーシアンの世界は素晴らしいよ。国民はゼクト王国の時よりもずっと幸せにしている」
ファティマは僕の言葉を聞いて視線を下げた。
「……アーシアンが『モニター』という板に映し出した外の世界を見て薄々感じてはいたけれど、あれは作り物じゃなくて本当の光景だったのね……。どうりでこの半年、ガーデンに新しく収監される人間が減っているはずだわ……」
僕達の間に沈黙が流れた。
しばらくして、ファティマは唇を噛んだ後に口を開く。
「……私は国民の敵ね。昔の身分のある社会へ戻そうとしている。私は公爵家の人間だから良いけれど、かつての奴隷や従者達は、元に戻りたくはないわよね……」
ファティマはゆっくりと顔を上げて、僕を見た。
「……それで、アレクはどうしてここに来たの? あなたもアーシアンの支配を受け入れているんでしょ? 彼らに私を説得するように強要されたの?」
僕はその言葉を聞いて苦笑した。
「何も強要されていないよ」
「それじゃ、どうして?」
「だって、ファティマは僕の婚約者だから」
僕がそう答えると、ファティマは「えっ?」と言って、驚いた表情を浮かべる。しかし、すぐに慌てた様子で口を開いた。
「なっ……何を言っているの!? ゼクト王国はとっくに滅びたのよ。あなたが言うように貴族階級が無くなったんだから、私とあなたの婚約も無効になったに決まっているでしょ?」
僕はそれを聞いて、言葉を詰まらせた。
「大体、あなたと私が結婚したところで何の利益があるというの? あなたの家にとって、私は何の役にも立たないじゃない。私は、アーシアンに逆らう我儘娘でしかないのよ?」
僕は椅子に座ったまま、自分の認識の甘さに両手を握りしめる。
「……ファティマにとって、僕達の婚約はそういうものだったんだね……」
そして、そのまま視線を下げた。
「確かに、ファティマにとって、僕との結婚は何の利益もない。僕はもう財産を持っていないし、平民と同じ普通の男だし……」
ファティマは何かを話そうとしたが、すぐに口を閉じて黙り込んだ。そして、しばらくの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「……まさか、アレク。あなたはこの一年間、私を待っていてくれたの? 私と婚約しているつもりだったの?」
僕は彼女を見て、困った笑みを浮かべた。
「ごめん。僕は勝手にそう思っていたんだ。だから、こうして面会に来たんだけど、君には迷惑だったのかもしれない。……よく考えれば、僕に魅力があるわけじゃないし、ファティマが僕にこだわる理由もないね。……勘違いしていて、本当に情けない」
「アレク……」
僕は少し間を置いて、椅子から立ち上がった。
「僕はもう、ここには来ないでおく。ファティマは身体に気を付けて、元気に生きて欲しい。そして、もしガーデンから出られたら、どうか幸せになって。これは本当の気持ちだよ」
僕は軽く微笑んでそう言った後、面会室の出口に向かった。
「待って!!」
僕が振り返ると、ファティマが透明な板に両手を押し当てて、泣きそうな顔でこちらをじっと見ていた。
「どうして! どうして私なんかのことを今でも婚約者だって思ってくれているの? 私と結婚しても、何も良いことないじゃない! さっきも言った通り、公爵家の人間じゃなくなった私には何もない!」
僕はファティマを見て微笑んだ。
「僕はファティマが公爵家の人間だから婚約を受け入れたわけじゃない。君に実際に会って、その人柄に惚れたんだ。一緒に生活するのを、ずっと楽しみにしていた。アーシアンが侵略してくるあの日まで……。ファティマのことが本当に好きだったから」
ファティマは驚いた表情で後ずさりながら、尻もちをつくように椅子に腰掛けた。
「……これがアーシアンが仕組んだ私の説得工作だったら、ひどい……。ひどすぎる……。こんなに私の心を抉る言葉、ガーデンに来てから聞いたことが無い。私の一番大事な感情を利用するなんて……」
彼女はそのまま頭を抱え込んだ。
そんな彼女に、僕は声を掛けた。
「ファティマ。これは説得工作じゃないよ。よく考えてみて。仮に僕が説得工作をしてファティマを改心させたとして、アーシアンに一体何の得があるんだい?」
「…………」
「正直な話、アーシアンが君を生かしておく理由はない。反抗的な君は、真っ先に処刑されてもおかしくないと思う」
僕がそう言うと、ファティマは頭を抱えていた手を下ろして、ゆっくりと顔を上げた。
「……その通りね。アレクを傷付けてしまう私に、生きている価値はない。……そういえば、私、どうして生きているのかしら? 今後アーシアンに勝てる見込みもないし、アレクにも迷惑を掛けてばかりだから、さっさと自害すべきよね」
ファティマはそう言って、狂気に満ちた表情で少しだけ視線を下げる。
「私、今夜、命を絶つ。……でも、ガーデンで自害ってできるのかしら? 他の貴族が自害したっていう話は聞かないし、アーシアンに止められてしまうのかしら?」
相変わらず思い込んだら止まらない彼女に、僕は慌てて声を掛けた。
「ファティマ。本当に自害するつもりなら、その命を僕に預けて欲しい」
「えっ……?」
「ガーデンを出て僕と一緒に暮らそう。自害なんて、いつでもできる」
ファティマは驚いた表情を僕に向ける。
「……私に、アーシアンの軍門に降れと言うの? 奴隷として生きろと言うの?」
「そうだよ。公爵家三女としての君にはもう価値はない。でも、アーシアンの奴隷になるわけじゃない。皆、幸せに生きている。僕と一緒に、実際にその目で、ガーデンの外の世界を見て欲しい」
僕がそう言うと、ファティマは僕を見て嘲り笑った。
「……プロポーズの言葉としては十点以下だわ。本当に最低最悪の言葉。夢見ていた恋愛小説の世界とはかけ離れていて、反吐が出る。貴族女性としての矜持を捨てて、薄汚い言葉であなたを罵りたい。……裏切り者! 国賊! 売国奴!」
彼女は怒りに満ちた表情でそう言うと、しばらく下を向いて黙り込んだ。
僕が彼女をじっと見ていると、瞬きのたびに、その目からポロポロと涙が零れ落ちるのが見えた。
「……だけど、なんて心動かされる言葉なのかしら。とても魅力的な提案で、私は今すぐにでもこの透明な板を蹴破って、あなたの側に行きたい。……もう、ゼクト王国のことなんてどうでもいい。……私もとんでもない裏切り者ね。ごめんなさい、お父様……」
彼女は頬を涙で濡らしたまま顔を上げる。そして、ニッコリと微笑んだ。
「あなたのこと、ずっと忘れたことは無かった。会いに来てくれて、本当に嬉しかった。アレク、大好き。ここを出て、あなたと一緒に暮らしたい。……でも、こんなに我儘で、口が悪くて、全然良いところがない私を受け入れてくれるの?」
僕は笑顔で頷いた。
「もちろん。ファティマの口が悪いのは昔からでしょ?」
ファティマは泣きながら苦笑する。
「それに、僕は今日、大好きな君を迎えに来たんだ。受け入れないわけがない」
彼女は僕の言葉を聞いて、涙に濡れた頬をほんのり赤くして、ニコッと笑みを浮かべた。
「あなたが私を大好きなのは分かっていたわ。……アレク。こんな私を待っていてくれて、本当にありがとう」
僕はその日のうちに、ファティマの身柄を引き受ける手続きを始めた。
そして、ファティマはガーデンを出るための社会適合テストをいくつか受けた後、約一週間後に外の世界に出た。
◇ ◇ ◇
ファティマがガーデンを出てから数年が過ぎた。
「お母さん! 早くしないと、プレアデス・イレブン行のスターシップが出発しちゃう!」
「はいはい。でも、まだ時間はあるから大丈夫よ。転ばないように、ゆっくり行きましょう」
彼女はまだ幼い息子にそう言いながら、旅行のためのキャリーバッグを引く僕の方を振り返った。
「何をしているの? そんなノロマじゃ、私の旦那様としては失格よ?」
僕は一旦キャリーバックを引く歩みを止めて、彼女に話し掛ける。
「ファティマはどうしてそんなに元気なの?」
すると、彼女は片手を腰に当て、じっと僕を見た。そして、頬を赤くして、言いにくそうに口を開く。
「……こうして家族で旅行できるのがとても幸せだからよ。悪い?」
彼女は照れながら踵を返して息子の手を引くと、僕から視線を逸らしたまま前を向いて、宇宙港の入口に向かって進み始めた。
僕が駆け足でキャリーバックを引いてファティマの隣に並ぶと、彼女は僕の方を少しだけ振り向いて、小さな声で言った。
「……幸せだけれど、私はまだ心のどこかでアーシアンによる占領を認めていない。どんなに善政を敷かれても、私の人生を台無しにした彼らを一生許すことはできないと思う」
「ファティマ……」
「だけど、この子が平和な世界で生きていけるなら、私は自分の気持ちを押し殺せる。アーシアンの支配を受け入れられる。逆に、この子がアーシアンのせいで不幸になることがあれば、私はすぐさま剣を持って立ち上がるつもり。たとえ一瞬で殺されようとも、私は一人でアーシアンに立ち向かう」
僕は隣を歩く彼女を見て、キャリーバッグを持たない方の手で彼女の手を握った。
「その時は一人じゃないよ。僕も一緒に戦う。もう絶対に、君を一人にはしない」
彼女は僕の言葉を聞いて意外そうな表情を浮かべると、そのまま優しく微笑んだ。
【おわり】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
久々に短編を書きました。
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