ろめりあ戦記外伝 ロメリアの願い事
ロメリア戦記の外伝です
時系列的に一巻と二巻の間ぐらいです
ろめりあ戦記外伝 ロメリアの願い事
それはある夏の日のことだった。アイリーン港と名付けられたカシュー地方に開いた港で、私とクインズ先生は、机を挟んで向かい合わせに座っていた。
目を走らせる書類は、商船が持ち込んだ積み荷の目録だった。違法な物がないかどうか、事前に申請された物と相違がないかどうかの確認作業だった。
「ふぅ、慣れない仕事は疲れますね」
私の向かいの机で、書類から顔を上げたクインズ先生が息を漏らす。
「そうですね、慣れた人ならもっと手際よくやるのでしょうが」
私も自分の肩を揉みながら、目の前の書類を見た。紙には異国の品々が書かれている。だが正直半分も理解できなかった。
「商品名が現地語で書かれていたりするので、調べるのに手間がかかりますね」
クインズ先生が顔を顰める。例えば香辛料とかだと、同じ物でも原産国によって名前が違っていたりする。全く知らない国のものだと、それが何なのかもわからない。
食料品と思っていたら楽器だったり、武器のような名前の果物もある。交易に慣れた人なら、見ただけである程度判別がつくのだろうが、全くの素人である私達では、商品名を見る段階で手が止まってしまう。
「来月になると、この状況も改善されると思いますよ、先生」
「早く来月になるといいのですが」
クインズ先生の願いに、私も切実に同意した。
港を運営していくにあたり、私達は港湾事業の専門家を雇うことにした。この人を雇うことではひと悶着あったのだが、何とか話がつき、専門家を雇うことが出来た。しかし来るのは来月からであり、まだいない。
「来月までは、頑張るしかありませんね」
クインズ先生が息を吸い込み書類に向かう。私も倣って書類の確認作業に戻った。しかしその手はすぐに止まった。
「先生、これは何でしょう?」
私は目録に目を凝らした。凝視しても書いているものは変わらないのだが、どう考えても間違っているような気がする。
「なんです、お嬢様」
「これなんですが」
私はクインズ先生に書類を渡し、問題の個所を示す。そこには『ササ』と書かれていた。
「ササってなんですか?」
「さぁ、なんでしょう?」
私達は二人で首をひねった。
私は書類を片手に港の倉庫の前を歩いていた。書類に書かれている『ササ』というものを確かめるためである。
「おや、ロメリア様。どうかされましたか?」
私が歩いていると、兵士が声をかけてくる。眠たげな眼をしたメリルだ。その隣には、どこか品のある顔立ちをしたレットもいる。確か二人の今日の仕事は、倉庫の警備だった。
「ちょうどよかった、ちょっと手伝ってもらえますか? ある品物を探しているのですが見つからなくて」
「それは構いませんが、何をお探しで?」
「それが『ササ』というものなのですが」
「『ササ』ですか? それはいったいどういうものですか?」
レットが問い、メリルも知らないと首を傾げる。
「いい質問ですね、レット。とてもいい質問です」
私は二人に向かって顎を引いた。
レットは私の態度の意味が分からず、首を傾げた。だが察しのいいメリルは気づいたようだった。
「それが何なのかもわからないってことですね」
「そうです。東方から来た品物らしいのですが、大きさや形状も分かりません。ただもしかしたら食品かもしれません。東方の本を読んだときに『サケ』というものが出てきました、それに近いものかも」
私は無い知恵を振り、昔読んだ本の内容を思い出した。だがこれも記述が怪しい。ある本ではお酒のように書かれていたが、別の本では魚のことだったりする。手がかりになるのかならないのかも判然としない。
「そもそも記入のミスで、そんなものが存在しないかもしれません」
「あらら、それは問題ですね」
メリルは頭を掻いた。彼は書類仕事が得意で、よく手伝ってもらっている。そのため彼は、『ある物』を探すより『ない物』を探す難しさを知っている。『ある物』なら、それを見つければそこで終わりだ。しかし『ない物』を調べるには、倉庫の隅々まで調べて、存在しないことを確認するほかない。
「それを、この倉庫でやるわけですか」
メリルが倉庫を見る。赤い煉瓦で建てられた倉庫は巨大だ。レットに扉を開けてもらうと、中にはいくつもの木箱が積み上げられていた。
木箱のほかにも丸められた毛織物が壁の一面を占拠しており、麻袋に入った食料も山となって積み上げられている。他にもこまごまとしたものが棚に詰められ、植物の苗や植木なども鉢植えに入っていた。
「木箱は外に名札があるはずですので、それを見ていってください」
私の言葉に、メリルとレットは力なく返事をした。
メリルが木箱に書かれている名札を確認し、レットが毛織物を一つ一つ調べる。私はこまごまとしたものを確かめる。
三人で手分けして探すが、目的のものは見つからない。
「ロメリア様。木箱の中にはないですね、そっちはどうですか?」
「私の方でも見つかりませんね」
私は息を吐いて倉庫を見た。もうほとんど見たはずだが『ササ』なるものは見つからない。
「おーい、レット。そっちはどうだ」
「うん、こっちももう終わる。ええと、これがレモンの苗。こっちはオリーブの苗。この緑の植物は何だ?」
植物の苗や植木を調べるレットが、奇妙な植物を見て首を傾げる。
ナイフのような流線形をした葉っぱはもちろん、節くれだった細い幹や枝も緑色をした植物だった。
「ああ、レット、それは竹ですよ」
私はレットが見ている植物に心当たりがあった。東方の本の中で、竹と言う植物から生まれたお姫様の話を読んだことがある。本にあった描写に似ているから、おそらく竹だろう。
「タケ、ですか? 変な植物もあるもんですね」
レットは不思議そうに竹を見る。確かに奇妙な植物だ。樹皮のようなものはなく、表面はつるつるしている。しかも針金のようによくしなる。
「こっちもこれで最後です。と言うことは、やっぱりないってことなんですかね?」
レットが倉庫を見回す。漏れはないと思うので、やはり存在しないのだろう。
「分かりました、ありがとうございます。後で担当者に話しておきましょう」
私が礼を言うとメリルとレットはふうと息を漏らす。大変な仕事に付き合わせてしまった。
あとで何か埋め合わせをしようかと考えていると、倉庫の扉が開き、一人の男性が入ってくる。眼鏡に仕立てのいい上着を着たその人は、ヤルマーク商会の番頭セリュレ氏だ。
「おや、ロメリア様。どうかされましたか」
「いえ、書類に不備があったようでその確認を。この書類に書かれている『ササ』というものなのですが、どうも存在しないみたいで」
私が説明すると、セリュレ氏は不思議そうに首を傾げた。
「あの、ロメリア様。お探しの『笹』でしたら、そこにあるではありませんか」
セリュレ氏が指差すのは、先程レットが見ていた植物だった。
「え? これは竹ではないのですか」
「いえ、笹ですよ」
「笹?」
「笹」
セリュレ氏が頷く。
「ロメリア様が言う竹と似たような形をしていますが、実は違う種の植物です。竹は寒冷地に弱く、このあたりには適しません。笹は寒冷地や高地に強いと言うことですので、試しに数本取り寄せてみたのです。まぁ売れるかどうかは分かりませんが」
セリュレ氏は笹を見て説明してくれる。どうやら先入観から間違えてしまったらしい。確かに笹の根元には名札が括りつけられており、笹と書かれてあった。私が口を出さずに調べていればよかったのだ。
「そういえば知っていますかロメリア様。東方ではこれぐらいの時期に、『タナバタ』とかいうお祭りがあるそうで、その日に合わせて笹を飾り立てるそうですよ」
「飾り立てる? それは聖誕祭のモミの木のようなことですか?」
私は救世教の祭日を思い浮かべた。冬の日に行われるこのお祭りは、救世教会の創始者である癒しの御子が生まれた日とされており、モミの木に様々な飾りつけをする風習がある。
「おそらく似たようなものだと思います。なんでも飾り立てた後、紙に願い事を書いて吊るすそうです。そうすると願いが叶うんだとか」
「へぇ、植物に吊るすと言うのは、ちょっと変わっていますね」
私は改めて笹を見た。紙を何枚も吊るせば重そうだが、枝が良くしなるので、大丈夫なのだろう。
「やってみます? タナバタ」
「え?」
「いいですね」
「面白そうですね」
セリュレ氏の提案に、メリルとレットは乗り気だった。
「ではやりましょうか」
セリュレ氏の一言で、タナバタをやることになった。
アイリーン港の広場に、竿を差すように緑の笹が揺れる。
さらさらとした葉音は耳に涼しく、みずみずしい新緑の枝も目に美しい。だがその枝に極彩色の飾りが付け加えられる。
赤い靴下や帽子の飾りに、金色のベルや星、青い小箱に銀色の鈴がこれでもかと吊るされていた。
タナバタをやると言う話を聞きつけた者達が、思い思いに小物を持ちより、飾り立ててしまった結果だった。
絶対に何か違う。
過剰に飾り付けられた笹を見て、私はどうすることも出来ず立ち尽くした。私の隣にはクインズ先生もおり、諦念の溜息を落とす。
「よぉロメリア、なんか面白そうなことをしてんな」
後ろから声をかけるのは、無精髭にボサボサの頭をしたヴェッリ先生だ。
「気が付いたらこうなっていました」
私はどこで間違えたのかを反芻した。タナバタが聖誕祭のようなものだと、噂が広まってしまったことが原因だろう。
「はぁ、私が想像する東方の文化は、なんというか……こう、もう少し風流なものだと思っていたのですが」
クインズ先生は首を横に振って唸る。とはいえ、正式な七夕がどういうものか私達も知らないので、違うと指摘することも出来なかった。
「まぁいいじゃねぇか。皆も楽しんでいる。それに、お祭りなんて楽しんだもの勝ちだろ。お前らも楽しめよ」
ヴェッリ先生は懐から小さな紙を取り出した。
「先生もやるんですか」
「おう、好きな願い事を書くんだろ?」
「なんて書いたんです?」
「そりゃお前、あれだ……。世界平和だ」
ヴェッリ先生は一拍の間を開けて答えた。クインズ先生が白い目を向け、細い指先でヴェッリ先生の願い事を書いた紙を奪い取る。
「あっ、こら、やめろ」
ヴェッリ先生は取り返そうとしたが、クインズ先生は返さず、願い事が書かれた紙を見た。
「……こんなことだと思いました」
クインズ先生が私にも紙を見せてくれる。紙には『平日でも昼間まで寝ていたい』と書かれていた。
「全く貴方と言う人は、自分の願望ばかり。もっとまじめにしなさい」
クインズ先生は呆れながら紙を返す。
「そういうお前は何を書いたんだよ」
「決まってます『早く仕事を手伝ってくれる人が来ますように』です」
クインズ先生は自分の願い事を書いた紙をポケットから取り出す。
「お前も自分の願望じゃねーかよ」
ヴェッリ先生は呆れながらも、クインズ先生と共に笹に向かう。そして二人は笹に願い事を書いた紙を吊るしていく。
「ロメリア、お前は書いたか?」
「いえ、私はいいですよ」
私は軽く手を振った。
「そういうなよ。お祭りなんだし、お前も楽しめ」
「そうですよ、お嬢様」
クインズ先生が一枚の紙と、木炭のペンを差し出す。
紙を渡されて私は迷った。正直何を書けばいいのか分からない。
私は迷いながら笹に歩み寄った。派手に飾られた異国の植物には、幾つもの紙が吊るされている。
私は何かの参考になればと、一枚を手に取ってみた。
そこにはやや丸みを帯びた字で『おいしいご飯が食べられますように』と書かれている。
これは……ベンだな。
私は願い事をした人物が誰かすぐにわかった。ベンは食いしん坊で食べることが大好きなのだ。
ベンらしいと思ってみていると、裏にも何か書かれていることに気づいた。
『ロメリア様の好きな苺が手に入りますように』
そんなことが書かれている。
確かに私は苺が好きだが、人に言ったことはない。だが好きなことがばれていたらしい。
別の紙にはややたどたどしい文字で『ポーラより早く出世しますように』と書かれていた。
これはガットのものだろう。彼はポーラさんと言う女性と付き合っているのだが、上昇志向のある女性で、最近は記入係としてよく働いてくれている。この分だとガットより出世しそうだ。
負けないように頑張りなさいと思っていると、これにも裏に別の願い事が書かれていた。
『ロメリア様の肩こりが治りますように』
確かに最近は事務仕事ばかりで、肩こりに悩まされている。だがこれも皆にばれていたらしい。
ガットの願い事の隣には『ポリセラ母さんが無事出産できますように』と書かれた紙があった。これはボレルの物だろう。彼の母親のポリセラさんは妊娠中で、そろそろ出産予定なのだ。私も出産がうまくいってほしいと願う。
これも裏返してみると、別の願い事が書かれており『ロメリア様の腰痛が治りますように』とあった。
どうして皆、私の健康を願うのだろう。
笹を見ていると、ヴェッリ先生とクインズ先生が先ほど吊るした紙があった。こちらも裏を見てみると『ロメリアが適度に休みますように』『ロメリアお嬢様がゆっくり休めるように』とあった。
先生達も私のことを気遣ってくれている。
ほかにもメリルとレットの願い事を書いた紙があった。
メリルは丁寧な字で『仕事が予定通りに終わりますように』と書いており、レットは『実家の母が健康でいますように』としたためてある。
そして裏を見ると、メリルは『寝不足のようなので、ロメリア様が安眠出来ますように』と書いており、レットは『母と同じくロメリア様の健康もお願いします』と書いてある。
私はさらにアルとレイが書いたと思しき紙も見つけた。
力強い筆記で書かれた紙には『いい馬が欲しい』と書いてあった。馬にも乗れるアルは、最近馬術に凝っているのだ。裏返してみると『ロメ隊長がゆっくり休日を過ごせますように』と書いてあった。
レイの方はと言うと、流れるような字で『孤児院のみんなが元気でいますように』とあり、裏には『ロメリア様と……』と私の名前が書いてあるのだが、書き間違えたのか上から二重線で消していた。そして別の場所に『ロメリア様の願いが叶いますように』とあった。
皆が私のことを願うので、私が書くことが無くなっていた。どうしようかと迷っていた時、いい願い事を思いついた。
私はクインズ先生からもらった紙に、木炭のペンを走らせる。
『また来年、皆とタナバタを祝えますように』
私は願いと希望を込めて、笹に紙を吊るした。