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ピコン


 言葉を伝えるというのは、思いの(ほか)難しい。


 放課後の教室。そこはどこか薄暗い雰囲気を感じさせた。

 節電の為だと担任に電気を消されたとは言え、初夏の太陽はまだ高い位置にある。それなのに薄暗く感じてしまうのは、人っ子一人いない寂しげな教室が原因だろうか。

 それとも俺の(よど)んだ心が原因だろうか。


 ホームルームが終わってから三十分以上は経っている。クラスメイト達はみんな部活やら塾やら遊びやらで、教室から去って行ってしまった。

 高校入学から三ヶ月。普段から何もやることが無い俺だって、いつもならとっくに家に着いているはずだったのだが。


(すぐる)、来週の月曜部活オフだから遊ぼうよ』


 全ての元凶は、昨日の夜に幼馴染の前島陽介(まえしまようすけ)から送られてきたメッセージだった。


『おけ、じゃあ放課後教室にて待つ』


 すぐに俺は了承の旨を伝え、メッセージのやり取りはそれだけで終わった。

 どこに行くとか何をするとかは、その場のノリで決める。陽介と遊ぶ時はいつもそんな感じだ。

 気を遣わない気楽な関係。その距離感が俺にはとても心地が良い。


 だが、今回はそれが裏目に出てしまったように思う。


 今日は月曜日、陽介との約束の日。この時点で俺は疑問に思うべきだった。

 なぜ陽介は翌日のことを"明日"ではなく"来週の月曜日"なんて言い方をしたのか、と。


『今どこだ? 何かあったのか?』


 ホームルームが終わってから十分ほど経っても、陽介は教室に現れなかった。痺れを切らした俺は、遠回しに「約束、忘れたんじゃないだろうな?」と意味を込めたメッセージを送った。

 それからさらに十五分ほど経ってから、ようやく陽介からの返信が来た。


『? 今から部活だから部室にいるけど?』


 返ってきたメッセージに、俺は自分の目を疑った。

 聞いていた話と違うではないか、と。


『? 部活はオフじゃなかったのか?』


 その質問にはすぐに既読が付いたが、返事が返ってくるのに少し間が空いた。


『来週の月曜日は、オフだね』


「だからそれは今日のはずじゃ......ん?」


 来週の月曜日。

 わざわざそれを強調するように送られたメッセージに、ようやく俺は自分の勘違いに気付き始める。


 立て続けに、陽介からメッセージが届く。


『もしかして昨日の約束、今日だと思ってた?』


『だとしたらごめん、来週の月曜っていうのは次の月曜じゃなくて次の次の月曜のつもりだった』


 文字で言葉を伝えるというのは思いの外難しく、正しく言葉を受け取るというのも同様に難しい。


「日曜で一週間は終わるんだから、来週の月曜は次の月曜だろうが......!!」


 どうやら俺は来るはずもない待ち人を待ち続けていたようだった。


『陽介、日曜から月曜で1週間数えるタイプだったのかよ。ショックだわ』


『そんなことでショック受けないでよ。そもそも翌日のことだったら明日って言うでしょ』


『確かに変な言い方するなとは思ったが、まあそういう時もあるかなと』


『無いでしょ。違和感を覚えてもまあ良いかって成り行きに身を任せちゃうところ、傑の悪い癖だと思うよ。

 僕の伝え方が悪かったのは間違いないんだけどね』


『いや今回は俺が悪かった。部活前に邪魔してすまんな』


『みんな話に花咲かせててしばらく始まりそうにないから、気にしないで』


『早よサッカーしろ』


 未練たらしく続いた陽介とのやり取りを終え、俺はスマホから目を離す。

 そして薄暗い教室を見渡し、盛大な溜息をついた。


 ......ああ、文字で言葉を伝えるって難しい。


 ありもしない架空の用事のせいで三十分も無駄にしてしまった。さっさと家に帰ろうとは思うものの、何となく椅子から立ち上がる気になれない。

 このまま陽介の部活が終わるまで待って直接恨み言の一つや二つぶつけてやろうか、なんて思い始めたそんな時のことだった。


 ピコン。


「っ!?」


 突如、静かな室内に響く無機質な音。

 思いもよらない不意打ちに、俺は思わず声にならない悲鳴をあげた。


 しばらくして冷静になってみれば、それがスマホの通知音だと思い当たる。念の為手元のスマホに目を向けるが、やはり新しい通知は来ていない。

 つまり、今の通知音は俺ではない誰かのスマホから発生したものだという事になる。


 ピコン。


 再び、音が響く。やはりスマホの通知音だと確信し、ではどこから鳴っているのかを考える。

 俺が座っているのは、黒板を正面に捉えてちょうど左後ろの角の席。そのニつ前の机が少しだけ震えた、ような気がした。


 椅子から立ち上がり、恐る恐るその席へと近づく。そーっと屈んで机の中を覗き見ると、予想通り誰かのスマホが取り残されている。

 誰か、とは言っても十中八九この席の人だとは思うのだが。


雛野(ひなの)さん、だったか?」


 雛野優姫(ひなのゆうき)。この席に座るクラスメイトの名前だ。

 いつも教室で目立つように会話しているグループの一人で、見た目は黒髪ポニーテール美人。可愛いより美しいが似合う感じ。

 雰囲気は近寄り難いが、実際は来る人拒まずな性格をしている。学校生活が始まって三ヶ月が経った今では、すっかりクラスの人気者という印象だ。


 そんな彼女のプライベートな情報が詰まったものが、目と鼻の先にあるわけで。流石にこのまま見て見ぬふりは、出来そうにに無かった。

 とりあえずクラスのグループチャットにでも、写真を撮って送ったほうがいいだろう。雛野さんの友達が見て伝えてくれるかもしれないし。


 「失礼します」と声をかけて、机の中のスマホへと手を伸ばす。親指とそれ以外の指でそれぞれスマホの端を掴み、ゆっくりと机の上へと運んでいく。

 その際、液晶部分に手が触れてしまったのだろう。眩い光を放ちながら、スマホのロック画面が表示される。


 映し出されたのは、つぶらな瞳でこちらを見つめる黒い毛むくじゃらな子犬。

 そして、その子犬を抱えて幸せそうに笑う白いワンピース姿の雛野さんだった。


 普段制服姿しか見ないクラスメイトのプライベートな一面を見てしまい、妙な背徳感を覚えてしまう。

 だが、これだけならまだ良かったのかもしれない。


 どうやら雛野さんは相当不用心らしかった。あろうことか、スマホにロック設定がされていなかったのだ。

 そのせいで、新しく来た通知が画面にそのまま表示されてしまっていた。


『ケンイチ:雛野のことが一人の女の子として好きだ。付き合って欲しい』


「やべっ!?」


 慌てて目を逸らすと同時に、スマホの画面を下に向ける。だが、もはや後の祭り。

 スマホの背面に描かれた白い羊のキャラクターは、俺を嘲笑うかのように満面の笑みを浮かべていた。


「......」


 おそらく通知が来たのはついさっき。

 つまり、雛野さんへの告白を本人より先に見てしまったという事になる。


 "ケンイチ"という名前には聞き覚えがあった。

 荒北建一(あらきたけんいち)。雛野さんと喋っているところを良く見かける、クラスメイトの男子だ。

 同名の可能性も頭をよぎる。だが表示されていたアイコンは荒北君の顔写真だった為、同一人物で間違いなさそうだった。


「どうすんだよ、これ」


 想定外よりも更に外からやって来た想定外の事態に、俺は頭を抱える。

 もういっそ、全部見なかったことにして帰ってしまった方が良いのではないか。そんな考えが頭を()ぎった。


 だが、運命の女神は既に背後まで迫って来ていたのだ。


「あれ? 後崎(あとさき)君?」


 ......今この状況において、一番聞きたくない声が聞こえた。


 鈴をチリンと鳴らしたようなその声は俺の耳へと入り込み、そのまま心臓をギュッと鷲掴みにする。

 心臓を人質に取られた俺は、強制的に首を後ろへと回される。


「えーっと、私の席で何してるの?」


 振り向いた先にいたのは、不審な目で俺を見る美少女(雛野さん)だった。


 スマホを忘れた事に気づいて戻って来たら、なぜか自分の席にいる喋ったこともないクラスメイト。

 怪しさ百二十点満点だ。


「......ぁ」


 度重なる不測の事態に、俺は上手く言葉を発せなかった。

 挙動不審な俺を疑わしげに見ていた雛野さんは、ふと何かに気付いたように俺の手元に目を移した。


「あ!! それもしかして私のスマホ?」


「っ、そ、そうなんだよ!! た、たまたみゃっ。偶然、さっき見つけて」


 声が上擦り、滑舌も悪い。意図的にではなく偶然である、と身の潔白を説明しようとして余計に怪しくなってしまった。

 これには当然、雛野さんも俺のことを怪しく思わずにはいられず。

 

「そうなんだ、見つけてくれてありがとね!!」


 なんて事は無かった。


 雛野さんは人当たりの良い笑みを浮かべると、俺の方へ右手を差し出す。

 握手を求めてきた、なんて勘違いをする訳も無く、俺は持っていたスマホを雛野さんに手渡した。


「良かったー、見つからなかったらどうしよって思ったとこだったから。ほんとありがと」


 雛野さんは、スマホが戻ってきたことを確かめるように両手でぎゅっと握り締める。

 心なしか、スマホケースの中の羊も嬉しそうだ。


「いや、俺は特に何もしてないから気にしないでくれ」


「? スマホ見つけてくれたでしょ?」


「ここに雛野さんがいるって事は、俺がいなくても見つかってたって事だろ? だから、俺は何もしていない」


 これは謙遜ではなく、事実だ。だから雛野さんが感謝する必要は無いし、俺はその感謝を黙って受け取りたくもない。

 格好つけていると言われると否定はできないが、少なくとも間違った事は言っていないはずだった。

 

「......え、めんどくさ」


 突然、心底呆れたような声で放たれた言葉。

 それが目の前の少女の口から聞こえた事を、俺はすぐには理解できなかった。


「人が感謝してるんだから素直に受け取りなよ。いちいちそんな事考えてたらキリないでしょ?」


 どうやら雛野さんは、俺が素直に感謝を受け入れなかった事に不満があるようだった。

 

「でも、"ありがとう"って何かをしてあげた時の対価であってさ。何もしてないのに貰うのって違うだろ?」


 感謝はされどもまさか「めんどくさい」と言われると思わなかった俺は、ついムキになって言い返してしまう。


「スマホ見つけてくれたじゃん」


「だから、それは俺が見つけなくても雛野さんが」


「でも見つけたのは後崎君でしょ?」


「それは結果論であって」


「結果的にそうならそれで良いじゃん? ありもしなかった事実を考えたってしょうがないんだし」


「だから俺の行動がどうであれ結果が変わらなかったのに、それについて感謝されても」


「後崎君がスマホを見つけてくれたのは変わりようの無い事実なんだから、それに感謝するのは間違ってないでしょ?」


「だから、そもそも俺がスマホを見つけても見つけなくても雛野さんの元にスマホは戻った訳で」


 話は平行線。俺にも雛野さんにも意見を譲る気配は全く無い。

 無意識に自分の言葉に熱が込められて、段々と語気が強くなっていくのが分かった。


 そして、俺たちの言い争いはデッドヒートし始める。


「いちいち細かいこと気にし過ぎ!! そんなんだからずっと教室で一人でいるんじゃないの!?」


「それは別に関係ないだろ!! 考える事を放棄してバカになる方が俺はゴメンだ!!」


「なに? 私がバカだって言いたいの?」


「そんな事は言ってない!! 文脈も理解できないのか?」


 雛野さんの柔らかそうな頬が、風船のようにプクーっと膨らんでいく。


「あ、またバカにした!!」


「してない!!」


「した!!」


「してない!!」


 風船は膨らみ過ぎると、()()()()


「あー!! もーうるさい!!」


 パン!! と爆発するように、雛野さんは大きく叫んだ。

 うるさいのはどっちだ、と口から反射的に出かけた言葉を俺はグッと唇を噛んで飲み込む。


「......」


「......」


 お互いに目を逸らし、次に発するべき言葉が見つからずにいた。

 沈黙が続く中、身体中に張り巡らされていた熱が徐々に冷めていく。


 ふと我に帰る。なぜこんなくだらない事で言い争っているのだろう、と。

 雛野さんの言い分が正しく、俺の言い分が間違っている。それで良いじゃないか。

 だって、感謝を素直に受け止める事こそが最も正しい形だなのだから。所詮は俺のプライドとか考え方の問題で、それを雛野さんに押し付けるのは間違っている。


 そんな当たり前の事に気付くと、自然と俺の口は動き始めていた。


「......雛野さん、ごめ」


「今日はもう帰る!!」


 俺の謝罪を遮るように放たれた、雛野さんの帰宅宣言。

 そして軽快に振り返ったかと思えば、ぽかんとする俺を置き去りにして教室を出て行ってしまう。


「......え?」


 一人取り残された俺の呟きは、薄暗い教室の静寂へと吸い込まれた。


 ......ああ、直接言葉を伝えるって難しい。

 

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