御令嬢の正体 ー2ー
その彼女がこんなところにいるなんて……。
間違いなく、彼女はあの時の少女『ティア』だ。
楽しそうに魔道具について、キラキラと輝く目で語る彼女をこんな近くで見られるとは思ってもいなかった。
「平民だと思っていたが……。カーティス家の令嬢だったんだな」
ボソリと呟き、目の前にあった彼女のポシェットをひっくり返し、背面の焼印をじっと見つめる。
革でできたポシェットの裏には、間違いなくこの領地を治めるカーティス家の家紋が焼印されていた。
魔道具の開発は金がかかるし、マジックバッグのような貴重なものを持ち主が分からないようにしているはずが無い。
盗難にあったとしても家紋が押してあれば、安易に売り払うことも出来ない。
『カーティス家』は代々優秀な魔道具師を輩出していて、先代の伯爵も素晴らしい魔道具を生み出してきた。
現伯爵である彼の息子は、魔道具の開発よりも商才に長けており、最近の領地の発展は更に目覚ましいものがある。
「こんな格好で再会するなんて、思いもしなかったよ……」
そう言いながら、自分の作り物の長い銀の髪に触れて、呆れたように小さく笑った。
***
――ことの発端は、カーティス領と隣接するミモダ領の境の山道に出没する山賊討伐会議での殿下の爆弾発言が始まりだった。
「女装して囮に? 俺がですか?」
なかなか尻尾を掴めない盗賊の捕縛のために、我が国の王太子がトンデモ発言を繰り出した。
この山道は王都へ続く主要道路で物流被害額も相当で、カーティス家、ミモダ家のみならず、他の貴族たちからも討伐要請が出ていた。
「そう。だってさ日々増える被害になぜ捕らえられないんだと王家にも苦情が殺到しているんだよ。騎士団が見回りしても、山の中を虱潰しに探しても見つからない。更には騎士団のいない箇所を突くかのように、商団や貴族を襲っている。もう囮作戦が一番いいだろう?」
「だからと言って、なぜ俺が女装をしなければいけないんですか? 我が騎士団には優秀な女性騎士もいますし、他にも女装できる人間はいるでしょう。というか、そもそも潜入捜査はできませんよ。通信機は不具合が多いし、雨の日は特につながりにくい……」
「そんな事分かってるさ。だから君が適任なんじゃないか」
「は?」
「追われるふりをして、騎士団の隠れているところに誘き出すんだよ」
信じられないと言葉を返すも、殿下は得意気だ。
「オルフェの足に勝てる馬なんていないし、あの子は君以外乗せないだろう?」
「……」
「と言うことで、君が適任だ。一般女性よりも背は高いが、肩幅はボレロや羽織ものでうまく隠せばいい。大丈夫。君なら間違いなく息を呑むほどの美しい御令嬢になれるよ」
「いや、待ってください。他に方法が……」
「何を言っているんだ。一刻を争うんだ。今いい案が出ないならこれで行くからな」
「……」
確かに。
それが一番手っ取り早いかもしれない。
いや、しかし……。
女装は嫌だ。
「……オルフェの次に足が速いのは、副団長のアルタの馬だな。彼で行くか?」
その名前を呼ばれたアルタに全員が視線を注ぎ、筋骨隆々のゴリラのような体躯のアルタの女装姿が全員の頭を過ぎる。
絶望の表情を浮かべて懇願するようなアルタと、そんなのは見るに耐えられないという騎士団の視線の前に言葉を無くした。
「……分かりました」
「よし、決まりだな!」
満足げな顔をした王太子がパンパンと手を叩くと、数人のメイドが会議室に入ってくる。
「え?」
「では、王家の誇る美の精鋭部隊よ! 彼を美しい令嬢に変身させてあげておくれ」
その王子の一言に、極上の獲物を前にしたかのようなライオンの如く、目をぎらつかせ、腕まくりをしながら「「「お任せください!」」」と彼女達は声を揃えた。
あの、悪夢から三日後、囮作戦を決行した時は、こんなことになるなんて思ってもいなかった。
一目で貴族令嬢とわかるように、煌びやかな王家御用達のドレスを身につけ、たった二人の護衛と街道を馬で歩いていると、早速盗賊たちが現れた。
当初の予定通り護衛はその場を離れ、私一人で逃げるという構図が完成だ。
騎士団は本来の駐屯地よりも手前の位置で待機させ、離れた護衛が襲われたという連絡をする手筈になっていた。
予想外だったのは、オルフェが怪我を負ってしまった事だった。
恐らく盗賊たちの想像以上に足の早かったオルフェが狙われたのは当然だが、ドレスで足捌きが悪くなり、避けきれず、オルフェの腿に弓が刺さってしまった。
驚いたオルフェから落馬するも、地面が柔らかく受け身をとったおかげで痛めたところも無い。
――このまま戦うしかないか。
十五人相手は分が悪いが、できない事もない。
しかし、他に仲間を呼ばれても厄介だし、取り逃したくない。
さらに悪いことに奴らはなぜか騎士団のいる場所がいつもより手前なのを知っていた。
本来なら、山の中腹ではなくもう少し降りた麓の領堺に駐屯地がある。
もし、私を捕まえられなければ、騎士団の近くまで行く前に逃げられてしまうだろう。
そんなことを考えながらドレスの下に隠していた剣に手を伸ばそうと思ったその時、甲高い音と共に眠気に襲われた。
朦朧とする意識の中、バタバタと目の前の盗賊達が倒れていく。
全く気配を感じることなく、突然眠気に襲われたことに困惑しながらも、完全に意識が落ちる直前、視界にぼんやりと見えたのは彼女の姿だった。
「一瞬夢かと思ったが、目を覚ましたら本当に君がいてどれだけ驚いたことか……」
意識を保たなくてはと思いつつも、どうすることも出来なかった。
これが、もし戦争中だったら恐ろしいことだ。
魔物の中には、そういった能力を持つものもいるが、その前の初動動作などで分かるし、訓練を積んで対策をとっている。
それすらもままならないまま、眠らされてしまった。
盗賊も全員眠らせたとの事だが、おそらく約束の時間に騎士団に合流出来なかった私を探しに来た団員が確保しているだろう。
更には彼女が作ったという信じられない魔道具で安全も確保されている。
「俺の立場が無いな……」
ふっと笑い、思わず彼女の顔にかかった一房の髪をそっと払う。
「女性に守ってもらうなど、初めてだ」
本来なら騎士である自分が守るべき立場にいる人間なのに、情けないことこの上無かった。
『ありがとう』とお礼を言ったにも関わらず、彼女は申し訳なさそうに「ごめんなさい」と言った。
『本当は隠れていようと思った』と、申し訳なさそうに言った彼女の言葉は、誰も責めることなど出来ない。
むしろ隠れている方が正しい判断だっただろう。
何の訓練も受けていない女性が、好戦的な男達の中に突っ込んで行くなど、無謀にも程がある。
彼女の言うように、黙って森の茂みに隠れていたならば、こんなことに巻き込まれることなく、今頃は家に帰って温かな食事を食べ、温かな寝床で眠れていただろう。
「今後は無茶をしないように言わなくては……」
穏やかな寝息を立てて眠る彼女に異常なほどの庇護欲を駆り立てられた。
こんなにも目の前の少女が気になっては眠れる訳がない。
が、彼女は本当に安心し切って眠っている。
「まぁ、こんな格好してたら警戒も何もあったもんじゃないよな……」
そう呟きながら、普段履くことのないドレスに視線を落とした。
「……ありがとう」
「……ん」
俺の声に反応したのか、彼女は眠ったままピクリと反応した。
彼女の小さく溢した声に体が固まり、少し開いた口元に視線が縫い付けられる。
「何をしているんだ、俺は……」
女性を抱いたことがない、初心な男でもあるまいに。
それなりに経験があるつもりだが、こんな腹の底からゾワゾワするような、落ち着かない気持ちになったことなど無い。
女装した姿とはいえ、ピッタリとくっついて眠る、柔らかな彼女を腕に抱いてぐっすり眠れる訳がない。
思わず伸ばしたくなる手をなんとか理性で押し留める。
なんの拷問だ、これは。
「……これなら訓練場を、百周、いや一日中でも走っていた方がまだマシだな」
黒い髪に黒い瞳、小柄な体躯。触れてしまえば簡単に壊れそうなほど華奢だ。
彼女は何度か建国祭や、王宮での催しで見かけたことのあるカーティス伯爵夫人の面影によく似ている。
確か夫人は伯爵が東洋に留学中に会った、他国の貴族と聞いた。
実年齢よりも幾分若く見え、年齢を聞いた時はそういう人種で、いつまで経っても子供扱いされて困ると笑っていた。
敏腕な実業家でもある伯爵に優秀な息子。日々資産は増えている一方だと社交界でももっぱらの噂だ。
数ある貴族の中でも、莫大な資産を持つ伯爵家の長男と長女には日々縁談話が絶えないと聞いたが、確か長女は婚約が決まったと隊員たちが泣いていた気がする。
ただ、そんな中三人兄妹の末の娘が社交の場に出てくる事はなく、いつも父親が『わがまま放題でとても人前に出せるような娘では無いんです。金も湯水のように使い、稼いだ金がいつ消えて無くなるのかと不安ですよ。根性を叩き直すために修道院にでも入れようかと……』といった話をしていたのを何度か聞いたことがあった。
「ふふ……。見つけた」
目の前の彼女が突然笑い、寝言を呟いた。
いったい何の夢を見ているのか。
なぜがモゾモゾと手が動き、何もないところで蠢かしながら、ニマニマと笑っている。
その柔らかな表情や、山菜採りにでも来たかのような地味な服装。そして今日の行動の中からは「金遣いの荒い、我儘令嬢」には到底結びつかないが……。
「だが、こんな表情でおねだりされたら、何でも買い与えてしまう気持ちも分かるな」
思わずこぼれた言葉にハッとし、いやいや違うと自分を窘める。
「いや、違わないな……」
目を輝かせて魔道具を語る彼女に。
熱心に魔道具に向き合う姿勢に。
一心不乱に、好きなものに心を向ける姿に。
「――きっと、私は四年前から君に囚われていたんだな……」
そうして私は彼女の香りと吐息に包まれたまま、眠れぬ夜を過ごした。