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御令嬢の正体 ー1ー



 ――眠れる訳がない!



 目の前にはすぅすぅと安心し切ったように寝息を立てて眠る黒髪の小柄な少女。


 男性が苦手……というか、大嫌いと言っていた為、自分の正体が『男』だと言うことも、騎士団の任務でこんな女装……令嬢の格好をしていることも、打ち明けることが出来なかった。


 持っていた王国騎士団の通信機を先ほど確認した、オルフェから落ちた衝撃のせいか壊れており、救助も呼べず身動きが取れない。

 

 こんな狭い洞窟の中、夜に男と二人きりなど怖くて眠れないかもしれない。

 

 そう思いながらも、「あれ、同じ寝袋で寝る方がまずいんじゃないか?」とドツボにハマっていくことに気づきながら、今更言うこともできず、現在に至ってしまった。

 



 しかも、手を繋いで。


 

 どうしたものかと考えていると、香水ではない、彼女の柔らかく少し甘い香りが鼻腔をつく。


 

 今まで自分の知っている女性たちとは異なり、媚びるような甘ったるい香りではなく、優しく爽やかな、けれど少し甘い花の香りは彼女の香りだろう。



「……こんなところで会えるなんてな……」


 思わず寝袋に広がった彼女の黒髪を一房手に取る。

 

 しっとりと手に吸い付くような質感の髪はいつまでも触っていたいほどだった。


 ――その、安心して眠る顔には四年前とほとんど変わらないあどけなさを残している。


 四年前、俺は十三歳から入学できる六年制のアカデミーで騎士学部に通っていた。

 

 貴族、平民という枠にとらわれずに通うことのできるアカデミーは、優秀な人材を何人も輩出している。

 

 特に騎士学部では、将来騎士団に入団した際の人間関係の礎を作ることを目的としており、現在副騎士団長を務めている平民出身のアルタも同じ騎士学部で、入学当時からお互いを鼓舞し、信頼関係を築くことが出来ていた。

 

 最終学年に進学した春、アカデミーに併設されている食堂から研究棟に行く道中で、目の前を横切った黒髪の小柄な少女の腕に抱えられた本の隙間から、はらりと一枚の紙が落ちた。

 

「落ちたよ」

「え⁉︎」


 声をかけた少女はこちらを振り向いたと当時に、ギョッとしたような顔をする。

 

 太い黒縁で分厚い瓶底の眼鏡。

 長めの前髪で目元まで隠れているが、訝しげな視線は隠しきれない。

 

 目が悪いなら前髪を切れば良いのに、とふと思ったことを覚えている。


 このアカデミーでは学科と学年毎にバッヂの色が異なり、彼女の胸元にある緑色のバッヂと模様で魔道具学部の一年生と分かった。


 「これ、君の本の間から落ちたと思うんだけど」

 

 そう言って、拾って差し出した紙を彼女は目も合わせず「ありがとうございます」と言って受け取って去っていった。

 

「なあに、あの子。ひょっとして魔道具学部の平民の子じゃないかしら? 優秀だとは聞いたけど、失礼な子ね」

「まぁ、ラウル様ってば、平民にまでお優しくされるなんて。本当に素晴らしい方ですわね」

「それなのに彼女ってば、ラウル様にお声掛けいただいたと言うのに逃げるように去っていくなんて。無礼だわ」

 

 側にいた令嬢たちが、そんな話をしていたが、特に反応はしなかった。

 

 そもそも目の前で落ちたものを拾いもせず声をかけないと言う人間性の方が疑わしいし、それを優しいと評価すること自体がおかしい。

 

 けれど、女性にあんな態度を取られたのは初めてで、それ以降食堂や廊下で見かけては彼女に視線が自然と向いていた。

 

 それは決して恋とか、なんか気になってしようがないと言う訳ではなく、いつも一人で俯いて食堂の隅で食事をしていたり、誰も行かない様な中庭の茂みの奥にあるベンチや、図書室の一番奥の静かな席で、常に山のような本に囲まれていた事が要因だろう。

 

 ――変わった子だな。


 ただそれだけだった。

 

 あの学部は九割が男性で、女子生徒が少ない上に殆どが貴族だ。


 いつも一人でいるのは、優秀といえど、平民の彼女は過ごしにくい環境だからなのかもしれない。 


 その程度の認識だった。

 



 それからまた数ヶ月が過ぎた夏の季節、訓練の休憩がてら、誰も寄りつかない薬草園の近くの木陰で休憩を取っていた。


 あと半年ほどで卒業だからか、令嬢方の圧も激しく、やれ我が家に遊びに来てくれ、タウンハウスやお茶会に招待したいと、声をかけられることが引っ切り無しで、正直訓練の邪魔だと思う事も多かった。

 

 同い年の皇太子の婚約者はもう決まっているので、次にロックオンされているのは公爵家の嫡男である自分だと分かっている。


 自分もここで相応しい未来の公爵夫人候補が見つけられたら良いぐらいの気持ちでいたので、他人のことは言えないが、対応に疲れているのは事実だ。


 


 その為、ついてまわる女性に少しうんざりしながらも、当たり障りない対応を取るしか無かった。


 

 更に、当時、剣の腕が伸び悩んでいた時期も重なり、自分のことで手一杯で、輪をかけて令嬢方の相手をする事を煩わしく思っていた。

 

 あの日も、思ったように対人訓練が出来なかったことに気持ちは沈んでいた。

 

 誰とも話す気になれず、薬草園の木陰でぼんやりしていると……。



「ほぉぉぉおおおおおお!」

 


 突然聞こえた震えるような雄叫びに、何事かと覗き込むと、例の黒髪の彼女が小さな花を空に掲げるように持ちあげ、顔を真っ赤にして……恐らく歓喜に打ち震えていた。

 


 その横には、薬草園を管理する老夫婦がおり、二人とも満面の笑みを浮かべて彼女を見ている。

 

「こここここ、これは、ハスポポの花……。本物のハスポポを初めて見ました。あ、あれも! それも! あの木も! こんなに貴重な植物に出会えるなんて……」

 

「ははは、ティアちゃんはいつ来ても新鮮な反応だねぇ。あたしも植物の世話のしがいがあるよ」


「だって! だって! メグさん! どれも栽培の難しい植物ばかりじゃないですか! どれだけ丹精込めて育ててくださったか! ありがとうございます。ありがとうございます」


『ティア』と呼ばれた彼女は、かけていた眼鏡を外して、まじまじと手に持ったハスポポの花とやらをくまなく観察していた。


 花を見つめるキラキラとした表情に、眼鏡を取った素顔の方が可愛いのにと口元が綻ぶ。

 

「このふわふわした綿毛のような花! この花弁があれば浮遊系の魔道具が作れます! あぁ! ハスポポ可愛すぎる! 使うのが勿体無いわ‼︎」

 

「そんなに可愛いかのう?」

 

「トムさん! これが可愛くないとかあります⁉︎ 一日中眺めても飽きませんよ!」

 

 そんな彼女のハイテンションぶりに思わずぶっと吹き出して、腹を抱えて笑ってしまった。

 

 きっと俺しか知らない、楽しそうに老夫婦と会話する少女の『素』の姿を見た気がして、鬱々としていた気分もなんだか嬉しい気持ちに変わる。


「本当に魔道具が好きなんだな……」


 でなければ、あんなにキラキラした目で小さな花を見つめたりしないだろう。


 ふと、あんなふうに自分も剣の訓練を楽しんでいた時期があったな……と、思い出した。

 

 その後も、休憩時間にそこに行っては、盗み聞きは悪いと思いながらも薬草園の中を窺う。

 ここまで彼らが大きな声で話していたら盗み聞きではないだろう……と正当化をしつつ、薬草園の老夫婦とティア嬢が、薬草についてや、魔道具の試作品の話で盛り上がる様をこっそりと楽しんでいた。

 

 そして、食堂や、図書館、裏庭でも、常に山と積まれた本に囲まれて熱心に本を読む彼女を見る度に、……ただ一心に頑張る姿を見て、自分も頑張らなければ。腐っている場合では無い。と、訓練にも力が入った。


 

 数ヶ月が過ぎた時、食堂で見かけた彼女に思わず足が止まった。


 笑顔で、男子生徒と会話をしていたことに驚きを隠せなかった。


 その笑顔は本当に信頼しているかのような、雛が親鳥を見つけたかのような信頼しきった顔。


 誰にも心を開かないと思っていた彼女がこんなふうに笑うのかと思うと同時に、あの時、そっけない態度を取られたことにもどこかショックを受けている自分がいた。




 たった一枚。彼女の落とした紙を拾っただけだというのに。




 確か、彼女といる男子生徒はサダ伯爵のところの嫡男だったと思うが、以前彼の妹が声をかけてくれていたので覚えていた。


 たまたま会話が耳に入り、「あのレポートだけど、君が魔法陣の改良点と、改善法を教えてくれたおかげで、教授に『S』評価をもらうことが出来たよ」と、言っていた。


 なんとも色気の無い会話だなどこか安堵しながらも、その後も何か別の相談をしている会話にも自然と耳が傾く。


 

「力になれて良かった」そう話す彼女の明るい声と笑顔は、自分だけが知っているものだと思っていたのに……そんな昏い気持ちが、ドロドロと胸の奥で渦巻いていた。



 

 

 彼女を見かけなくなったのは卒業も間近の冬の頃だった。


 何度薬草園に足を運んでも彼女の姿はなく、食堂でも図書館でも見かけることが無くなった。


 どうしたのかと不思議に思っていると、魔道具学部に通う平民の女生徒が、盗作騒ぎで退学したという話を耳にした。

 

 まさかと思い、偶然サダ伯爵令嬢と一緒にいたサダ伯爵令息に聞いてみたら、「彼女は退学しましたよ。僕の研究内容を掠め取ろうとしたり、彼女の成績を上げるのにどうも教師に色目を使っていたようで。これだから平民出の女性は困ったものですね。実は、……教師だけじゃなく、僕にまで色目を使っていたのですから」


 その彼の言葉に呆然とした。

 

 彼女はそんなことをするような女性には見えなかったし、何かの間違いではと思ったが、調べる術は無かった。


 

 教師も個人情報は教えられないと口を噤み、『平民』でどこの出身かも分からない『ティア』を探すのは不可能に近かった。


 

 ――あの、薬草園での彼女の笑顔だけが、いつまでも、何年経っても頭から離れなかった。




 

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[気になる点] ・声はどうやって変えてんだろうか ・この男(性別が誤解されてるのを利用して同じ寝袋に入った卑劣漢)は剣術云々するよりまず頭の病気で医者にかかったほうがいい。 女のつけてる香水が趣味と…
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