最終話
そのままふわりと彼の腕のなかに閉じ込められて、周囲から令嬢達の黄色い悲鳴が上がった。
「……っ⁉︎ 公子様?」
「貴女はもう俺の顔も見たく無いだろうと思っていました。そのドレスも、礼儀上着てくれたのかと……」
「もの……すごく、勇気を出したんです……。本当はあのカーテンドレスにしようと思ったんですけど……」
「綺麗です……」
そう言った公子様が、ふっと腕の力を抜いて、私の顔を上に向かせて覗き込んだ。
そのタイミングで、その微笑みは反則だ。
彼の手が私の顔を固定しているから逸らすことも出来ない。
「……貴女の魔道具を、利用する考えなんて無かった」
「はい……」
「貴女を騙して会っていたのは、そっけない態度を取られたく無かったからで」
「……はい」
「貴女に、軽蔑の目を向けられるのが怖かったんです」
「……ごめんなさい」
公子様の言う通り、もしもあの日、洞窟で彼に正直に打ち明けられていたら、私は雨の中でも洞窟を抜け出し、無理してでも帰っていただろう。
本当のことを聞いて、軽蔑の目を向けませんなんて言えない。
それほどまでに私の態度は頑なだった。
「側で……貴女の笑顔を見ていたかったんです……」
そう抱き締められた腕に、ふわふわとした喜びと、胸を締め付けるような苦しさが体を襲う。
手遅れでもいい。
この腕の温もりだけでも、しばらくは生きていけるだろう。
頑張って魔道具を作って、世間に広めれば、彼が『それ』を使う度に私のことを思い出してくれるかもしれない。
とりあえずは、通信機を完成させてみようか。
目標が出来たじゃないかと、自分を叱咤する。
いつだって私はタイミングが悪い。
でも、サダ伯爵と同じく、これは私が招いた『結果』だ。
いつまでも彼の心が自分に向いていると思うのは愚の骨頂だ。
――彼にはすでにもう相手がいる。
「彼女と、あなたの幸せを願っています……」
今はそう思えなくても、いつかそう思えるようになれたらいい。
「……彼女?」
少し間の抜けた公子様の声に、こちらがキョトンとする。
ちらりとグリーンのドレスの女性に視線を送り、公子様と彼女を視線で往復する。
「……恋人……ですよね」
と、小さく呟く。
「あれは母です!」
「え⁉︎」
グリーンのドレスの美女は、ひらひらとこちらに手を振り、何故かとても嬉しそうだ。
「え、え? だって、さっき……奥の休憩室に……」
「あれは! 母がコルセットを締めすぎて苦しいと言ったから……。変な誤解をしないで下さい。父が見当たらなくて仕方なく……」
「まぁ、仕方なくですって?」
「母上、言葉のあやです!」
笑顔で怒りの反論をした公爵夫人に公子様が慌てて返事をする。
「もう、公子様には相手がいると……」
「そんなに簡単に忘れることなんて出来ませんよ」
「……だって、貴方は恋愛上級者だし……、すぐにいい人が見つかってもおかしくないって……」
「ですから、その考えは捨ててください。まるで私がそこら中の女性と恋愛していたかのような……」
「え、違うんですか?」
その問いに、公子様が固まった。
大きく息を吐いた彼が、コツンと私とおでこを合わす。
「忘れられたらいいと思います。でも、忘れられないからあんな……女装や、脅迫まがいの結婚契約書まで提示して……。貴方の純粋さも、直向きさも、全てが俺の心をとらえて離さない。こんな気持ちにさせるのは……貴女だけです」
彼の震える手に、震える声に目を見開いた。
「貴女が……好きなんです……」
その言葉に、涙が溢れ、私の顔に添えられた彼の手に、自分の手を重ねた。
「嬉しい……です」
そう微笑むと、彼の顔が更に近づいてきて、綺麗な紫水晶の瞳と視線がぶつかった。
「……君の目は、黒と言うより、スモーキークウォーツのような濃い茶色ですね」
「え?」
唐突に囁かれた言葉に思わず息を呑む。
「この距離で見ないと気づけない……」
「あ、あの?」
「君のこの綺麗な目の色を、他の男に見せないで下さい」
そう近づいてきた顔に思わず目を閉じると、柔らかくて暖かい何かが額に落ちる。
おそる恐る視線を上げると、腰から砕けそうなほどの微笑みを湛えた公子様と視線がぶつかった。
「公子さ……」
「「「「おめでとうございます‼︎」」」」
その時、大きな声がホールに響き、誰かと視線をやると、騎士団の服を着た屈強な男の人たちがわらわらとこちらに押し寄せてきた。
「え? え? え?」
その中でも、一際体の大きな男性が一歩前に進み出て、思わず体が強張る。
肩にある階級章を見たところ、副団長のようだ。
「お前ら! なんでここに……」
「だって、だって、団長の苦労がやっと……」
「うう。俺たち本当に嬉しいんです」
「本当におめでおうございます」
「あぁ、パレンティア嬢! どうか、団長のことよろしくお願いしますね!」
彼らに悪意はない。
むしろ喜んでくれているのは見てわかるのだが、男性陣の圧と、長年のトラウマが体を無意識に緊張させる。
「あ、あり……ありが……」
「大丈夫ですか?」
「は、はい。大丈夫……です」
そう言いつつも、心配そうに声をかけてれた公子様の服を、ぎゅっと掴んでしまい、一歩引きそうになる体をなんとか堪える。
その時、なぜか公子様の頬がほんのり桃色に染まる。
え? 今頬染める要素ありました?
「いやー、自分だけに気を許す女性なんて、堪らない優越感だね」
「殿下!」
ひょいと横から顔を出した殿下に公子様が声を荒げる。
「でも、彼女のペースに合わせて物事を進めていたのでは、二人の結婚はいつになることやら。さっきのキスはおでこじゃなくて唇にするとこじゃないか?」
「本当、キスまでの道のりも遠そうですわね」
いつの間にかアリシア様までいらしていて、羞恥で思わず俯いてしまった。
ここは建国祭の中央ホールで最も人の多い場所だ。
そんなところで何をしているのかと……。
あぁ、顔が熱い。
「さて、これで息子の結婚の心配もなくなって嬉しいわ」
公爵夫人の言葉にハッとして公子様を見上げた。
「あの、例の契約のことなんですが……」
「俺が提示した結婚契約書ですか? 大丈夫。ちゃんとそれは守りますよ。貴女は好きなように魔道具を……」
「その、一箇所だけ書き換えは可能でしょうか……?」
「え……。あ、ああ!」
「あれね!」
アリシア様がなぜか嬉々とした声をあげ、公子様は頬を赤く染めている。
「二項……」「四項を!」
公子様と私の声が重なり、お互いキョトンとんとした。
「え? 夫婦の寝室じゃ……」
公子様のその言葉にカッと自分の顔が赤くなるのを感じる!
「え⁉︎ ち、違います、四項の『素材』の件です」
そう答えると、私たちの周囲に妙な空気が流れ始めた。
「……な、なんで四項なのか、理由を聞いても?」
「だって、……私のために危険なことはしてほしくないので……。『素材』のために、なんか……お仕事以上の討伐をされてしまいそうだし……」
「でも、必要でしょう?」
「素材より……、あなたの無事の方が大事に決まっているじゃないですか……。お願いですから……無理はしないで下さい」
あまりの恥ずかしさに、そう小さく言葉にすると、ぎゅっと抱きしめられ、苦しさと恥ずかしさで硬直する。
「貴女に心配をかけないと約束します」
「そういう約束は要りませんので、ただ……無理をしないでほしいと言っているのです」
そう答えると彼の腕の中に更に閉じ込められてしまった。
「彼女は男の扱いが上手いね」
「ええ、お兄様は早速討伐に行って狩り尽くしてしまいそうだわ」
そんな殿下とアリシア様の会話に、なんでそんな会話になるの? と思わずにはいられない。
「あ、公子様。それから……、私のことはティア……と『アリシア様』の時のように呼んでもらえると嬉しいです。それから敬語も無しで。何だか、年上の公子様に敬語で話されるのは……申し訳なくて……」
彼の腕の中から見上げて言うと、公子様が優しく頬む。
「分かった。じゃあ、君も『ラウル』と」
「……っ」
その微笑みが腰の奥に響くような破壊力を持ち、思わず足の力が抜けそうになり返事に詰まってしまった。
「どうした? ティア? 呼んでごらん?」
その言い方が耳をくすぐるような、吐息混じりで名前を呼ばれて、己の過ちに気付いた。
――失敗だ。
敬語を取ってなんて言うんじゃなかった。
どうした? と小首を傾げるそれだけの仕草が、あまりに破壊力が強く、お前がどうしたと叫びたい。
突然の今まで以上の色気の暴力に為す術もなく、ただただ彼の腕の中で硬直する。
「あー、パレンティア嬢やっちゃったね」
「ですわね。兄様の化けの皮が剥がれましたわ」
「敬語でなんとか理性保ってた感あるもんね」
「最後の砦的な?」
そんな会話など耳に入ることなく、ただ思考が停止する。
「……ラウルはさ、来るもの拒まず去るもの追わずって言われてるけど、気に入ったものにはとことん執着するからな。僕、昔ラウルのお気に入りの剣をくれって言ったら、いつもは譲ってくれるのにくれなくてさ」
「ああ、ありましたわね。そんなこと」
「で、後日その剣を無くしたって言ってたんだけど……」
「自分の部屋の宝物箱に、誰にも見られないように隠してましたわね」
「……らしいね」
「……ティアが心配だわ」
「あらあら、大丈夫ですわよ、アリシア様、殿下」
「「カーティス伯爵夫人」」
「あの子も、好きなものには『とことん』のめり込む子ですから」
「「……あぁ〜。確かに」」
いつの間にかやってきた母と、アリシア様達が、そんな会話をしていた事など、小一時間、ラウル様の腕の中にいた私は知る由も無かった。




