絞り出した勇気 ー3ー
クレイトン家の騎士達に同行してもらいながら、ゾフィ先生の家に着くと、目の前に信じられない光景が広がっていた。
先生の可愛らしい家の玄関の前には、十数人の男達が縄に縛られて王国騎士団員たちに囲まれている。
そして、彼らの前に公子様が立ち、ゾフィ先生は小さな子供を抱きしめていた。
「……先生……⁉︎」
まさか、盗賊に襲われたのかと慌てて駆け寄ると、先生は驚いたように顔を上げる。
いつも余裕な表情を浮かべて笑っている先生の顔は涙で濡れ、何が起きたのかとさらに不安が押し寄せた。
彼女の横には、三歳のお孫さんが先生にしがみつくように泣いていて、久しぶりに見たお孫さんの姿に安堵するも、何が起きているのか分からずに妙な心臓の鼓動だけが嫌に大きく聞こえる。
「パレンティア嬢⁉︎ どうしてここに」
先生のそばにいた公子様も驚いたようにこちらを見て、私の護衛でついて来てくれたクレイトン公爵家の騎士に目をやる。
「殿下と、アリシア様が来られて、……公子様は盗賊のことで『先生』のところに行かれたと聞いて不安になって来たんです。ゾフィ先生が襲われたんですか?」
その言葉に公子様が言いにくそうに眉間に皺を寄せた。
「……いや。襲われたのではなく……」
「あたしが、盗賊たちにラーガの森の騎士団の警備情報を流していたんだよ。……逐一ね」
何でも無い事のように先生が言った言葉に驚いて目を見開く。
先生が盗賊なはずなんて無い。
それなら私が襲われていてもおかしくないのに。
「情報って、そんなの……どうやって教えるんですか?」
「あのガーランドですよ」
公子様が、二階の屋根の前に飾られたガーランドを示した。
「ここに来た時、……街道の見渡しの良さに驚きました。山賊被害があった街道の端から端まで全て確認出来る。そしてここで、ガーランドの配置を街道に見立てて騎士団の警備状況を知らせていたんです」
「本当ですか?」
先生に尋ねると、彼女は小さく頷いた。
「公子様はどうしてそんなことが分かったんですか? たった一回来ただけで……」
「ここに来た時、一階のガーランドの色は同じ順番の色で並べてられているのに、なぜ二階のガーランドは不規則な並びをしているのかと不思議に思ったんです。それで、それ以降騎士団にこのガーランドの配色を確認させていました。……ただ、きっかけは……これを彼女の家の近くで見つけたことです」
公子様が胸ポケットから出した金の金具に何処か覚えがあった。
「通信機の……留め具?」
「そう。しかも最新型の騎士団に採用されている通信機のものです。ここに来た時、君がゲングク茸を見つけた直後に、これが落ちているのを見つけました。真新しいのから古い馬の蹄の跡も数頭分確認しています」
あの時、公子様はゲングク茸を見つけたと言っていたけれど、違うキノコを持っていた。
その時に見つけたのだろうか。
彼が馬から降りたのはあの時しか無かったはずだ……。
「通信機の留め具と馬の蹄から、ここら周辺に盗賊達がいるのかと警戒しましたが、ゾフィ殿のお宅にお邪魔した時、襲われた様子も盗賊達が出入りしている様子もなかった。食器の数や、生活用品もむしろ小さな子供のものが多く、普通の村人の家のようでした」
そう言いながら公子様はポケットから取通信機を取り出し。
「では、何故あそこにこれが落ちていたのか……。ゾフィ殿の家が拠点ではないとして、あの数の蹄の足跡から、この山に複数名が何度も来ていたのは確かだ。そのもの達が落とした留め具でしょう。失礼だが、ゾフィ殿の財力的に、通信機を購入する資金があるとは思えない。しかも、『この』最新型を」
「それで、……その複数名が盗賊だと? 彼らが通信機でやりとりしていたなら……先生は関係ないじゃないですか」
「ええ。けれど、通信機は故障も多い上雨の日は使えないに等しい。この騎士団のいる場所を認識するガーランドは山賊たちの生命線です。むしろ、当初盗賊が通信機という高価な物を使っているという発想がなかったほどです」
とういうことは、公子様は始めから先生を疑っていたということだろうか。
「……結論から言いますと、ゾフィさんは、サダ伯爵と盗賊達に利用されたんです」
「……何故、そこにサダ伯爵が出てくるんですか?」
全く頭になかった貴族の名前に、驚きを隠せなかった。
「この通信機は現在騎士団のみで使用され、市場への流通は無いに等しい。ですから、騎士団に内通者がいるか、納品しているサダ伯爵家が融通したのでは……と思いました」
「サダ伯爵が商隊を襲わせていたと……?」
「ええ。サダ伯爵が盗賊の元締め……というか、雇い主だったんですよ。カーティス家の商団を襲わせて納期を遅らせたり、損害を出させたり、そのまま商品を横流ししたりしていたようです。前回捕らえていた盗賊達に、サダ伯爵の指示かとカマをかけたら簡単に口を割りましたよ。万が一捕まってもなんとかするし、今後の生活も面倒を見るから心配するなと言い含められており、口を割らなかったようですが……。そのサダ伯爵はすでに捕らえて牢に入っています」
「どうして、そんな事を……」
貴族がそんな暴挙に出るなんていったい誰が考えるだろうか。
「彼の話では、いつまで経ってもカーティス家を技術の面でも、生産性の面でも追い抜けない事をもどかしく感じていたそうです。それどころかカーティス家は多方面でも発展して行く一方で。おこぼれに預かるような仕事はもう沢山だと、……全く自分勝手な事を言っていましたよ。盗賊達は上手くいっているのに調子に乗ったんでしょう。サダ伯爵の指示以上の盗賊行為に及び、そのことが、特定の……カーティス家を狙った犯行だと気付けなかった」
その言葉に目を見開く。
「それだけの為に先生は、……通信機の欠点を補填するために利用されたと……?」
「そうです。……サダ伯爵も、自領で作っているとはいえ、これは高級なものだからいくらでも配れるというものじゃ無い。騎士団ですら各部隊に一つしかなく、緊急用としてしか所持していません。ただ、不具合が多いので今後は導入しないと思いますが」
「どうして……」
その話は本当なのか、信じられないと先生を見ると、彼女は抱きついている孫息子に視線を移した。
「……数ヶ月前に、盗賊たちがここに来て、孫を連れて行ったんだ。この子を返して欲しけりゃ……商隊や、騎士団の警備情報を教えろって……。二週間に一回は孫に会わせてやるからと言われてたんだ。あんた達が来た時、ちょうど孫に会っていた直後だったんだよ」
先生が足元にしがみつく子供の頭を優しく撫でた。
山賊や、それに加担した者は、一族郎党刑に処される。幼い子どもももちろん。
それは、貴族や、商人、多くのお金の流れを産む人間が被害に遭うことが多いからだ。
自分たちを守るために貴族は法を作っていく。
「娘夫婦が残したたった一人の孫なんだ……。あたしのたった一人の家族だ。私が助けなかったら誰が助けるんだい? 騎士団が孫一人のために動いてくれると思うかい? しかも奴らは通信機を持っていた。私が裏切ったと知られたらあの子はもう帰ってこないさ。……守りたかったんだよ。あの子を。だから……どうか、どうか、罪は私一人に。あの子はただの犠牲者なんだよ……。お願いだよ……」
小さな子供と、年老いた祖母が盗賊に太刀打ちなんてできるわけがない。
この数ヶ月、先生がどんな思いで過ごして来たのかを考えると、胸が苦しくなった。
呑気に魔道具だの薬草だのと話していた自分が恥ずかしく、彼女に何もしてあげられなかったことに、……自分の無力さに情けなくなる。
喉の奥に何か冷たく重たいものが詰まっているかのようで、何も言葉が出てこないのに、……止めることの出来ない涙だけが、頬を伝っていく。
どうして泣くだけしか出来ないのか。
「……っ!」
祈るように公子様を見ると、彼も辛そうな顔をしていた。
「……行きましょう」
「先生!」
公子様の側にいた騎士が気まずそうに先生を馬車に促し、小さな男の子は、優しそうな女性騎士に抱き上げられて、先生の後に続く。
私が公子様をここに案内しなければ、先生は捕まる事は無かった。
でもそれでは被害者は増える一方で、先生も自分の罪の重さに苦しむことは間違いない。けれど、相談された私が先生を助けることが出来ただろうか。
それを止める手立ても、守る術も何も無かった。
「……貴方が、あの日くれた、どんぐり型刺激噴煙剤と、対魔物対人用捕縛栗」
「え?」
ゾフィ先生が馬車に乗るのを見ていると、公子様が小さな声で呟く。
「あれを使って盗賊達の捕縛とお孫さんの救出に成功しました」
どこか遠い目をしている公子様に胸が締め付けられた。
私と絡むことのない視線が、……拒絶が胸を締め付ける。
「……ゾフィさんに盗賊の拠点を聞いて、お孫さんを必ず助けると約束したんです。お孫さんを盾に使われる前に、刺激噴煙剤で奴らの動きを止めることができました。盗賊を捕まえるのは簡単でも幼い人質がいるとなると救出が難しいですから。最悪、やけを起こして殺されかねない。貴女の道具がお孫さんを救ったんです」
公子様はそう言うけれど、ちっとも助けられたなんて思えない。
先生を盗賊に突き出したのは私のようなものだ。
けれど……。
「お役に立てたなら……良かったです。先生の……お孫さんを助けてくださって、本当にありがとうございます」
先生が抱きしめていた小さな少年はこの数ヶ月どんなに怖かっただろうか。
先生に会えてあんなに泣いていた。
怖い人たちは捕まって、先生のそばにずっといられると……。
でも……。
「必ず、先生とお孫さんの命は……守ります」
公子様の言葉に身体が硬直する。
それがどれだけ難しいかわからないほど世間知らずではない。
ましてや平民だ。
それでも、希望を抱かずにはいられなかった。
「よろしく……お願いします」
そう言うのが精一杯だった。
「……すまない」
「え?」
小さくポツリと、苦しそうに、声を押し殺すように公子様が言った。
「俺は、君を傷つけてばかりだ……。君を利用して先生を捕らえたかった訳では……いや。言い訳だ。結果が全てだ」
先生が連れて行かれたのは彼のせいではない。
サダ伯爵が自分の私欲のために先生を巻き込んだのだ。
何より、カーティス家が彼女を巻き込んだに他ならない。
「貴方のせいでは……ありません」
むしろ、あの通信機は私が昔がアカデミーにいたころ構想を練っていたものだった。
魔精石と魔法陣の相性が悪く、上手くいかずお蔵入りにしていたが、ダレスに盗まれていたのに、私が何もしなかったツケだ。
サダ家が作った通信機の留め具は不良品としか言いようがないが、でも、もし、私が完璧に通信機を作っていたら先生が巻き込まれることなどなかったのだろうか。
考えても答えは出ない。
「ありがとう。……もう貴方の前に姿を見せることはないと……約束します。例の件については別の形で謝罪させてもらいたい」
彼の言葉にハッと顔を上げるも、私と視線が絡むことはなく、クレイトン家の女性騎士たちに私をきちんと送り届けるように指示を出していた。
「公子様……あの!」
「……申し訳ないが、今からこの件で王都に戻らないと行けませんので、私はお送りできませんが、彼女達が無事にお屋敷までお連れします」
仕事と言われるとこちらはどうしようもない。
かといって、手短に終われるわけでもないので「はい」としか言えなかった。
「先生のこと……どうか……、お願いします」
「……はい。必ず」
公子様はこちらを見ることなく去って行った。
そのまま、王国騎士団と盗賊達を乗せた荷馬車が去っていくのを見つめるしか出来なかった。
「タイミングが悪すぎて、泣けてくるわ……」
やっぱり私は男運がないのかもしれない。
踏み出そうと頑張ったのに、ちっとも上手く行かない。
「いえ、今はそんな事を言っている場合じゃないわ……。先生のコト、お父様にも相談しなくては……」
働かない頭をなんとが動かそうと、小さくこぼれた私の独り言は、夕焼けの中に溶けていった。




