絞り出した勇気 ー1ー
「お嬢様、また手が止まってますよ」
「え? ……あ! あぁ! 一部が固まっちゃった……」
「ぼーっとして、ちゃんと混ぜないからですよ」
「あぁ……。うん。もう一回作るから大丈夫よ」
「もう素材はありません」
「……そう。買いに行ってくるわ」
無いのなら買いに行かなくては……。
そう当たり前のことをぼんやり考えながら小さくため息をつくと、静かな研究室にブランカのため息がやけに大きく響いた。
「お嬢様、休みましょう」
「え? でも今日中に試したいことがあって」
「薬液あってのものでしょう。それが出来ないんだからスタート地点にすら立てません」
「……」
その通りなのだけど、全く作業が進まないのだ。
大好きな魔道具の反応実験をしたいのに……。
心が、弾まない。
「お嬢さ……」
その時、コンコンコンとノック音がして、母が入ってきた。
「ティアちゃん、ちょっと良い?」
「母様」
ニコニコと笑顔で部屋に入って来た母にどうぞと促すと、ブランカが椅子を持ってきて、そこに座った。
ブランカはすぐにお茶の用意をはじめ、出来た侍女だと久々に感心する。
家族の中で物理的に一番目線の近い母は、見ようによっては姉と同年代にも見える。
小柄で童顔の母はいつまで経ってもあまり歳をとっていないような気もする……。それはそれで怖いのだけれど……。
「どうされたんですか? 研究室にいらっしゃるなんて珍しいですね」
「だって、ティアちゃんが失恋して落ち込んでるって言うから」
「ブッ……!」
口に含んでいたタイミングで投下された母の言葉に、お茶を吹き出し、ゴホゴホと咽せた。
「あら、大丈夫?」
「だい……丈夫。です……ごほっ」
「そう? それでね、やっぱり母親としては娘の初恋の相談に乗った方が良いかと思って」
「……失恋でも、初恋でもありませんが」
ほんわかとしたのんびり口調の母の言葉に否定の言葉を返し、今度はきちんとお茶を一口飲む。
「……えーっとね?」
「……はい」
「……多分そう思っているのはティアちゃんだけよ?」
ガチャン! と大きな音を立ててカップが床に落ちた。
「ですから……!」
「だったらどうして、こんなに薬液を失敗してるの? 四年前、アカデミーから戻って来た時は、すぐにでも新しい魔道具を作るって目を輝かせてたのに」
「……っ」
あの時は、本当に悔しい気持ちでいっぱいで、あんなとこでなくても良いものは作れるんだとやる気に満ちていた。
けれど、今は何もする気が起きない。
体も重いし、全てが色を失ったようで。
ーー何にも心が動かない。
「……好きだったのね」
母の言葉に、頬を何かが伝っていく。
「わかり……ません。ただ、苦しいんです。ずっと離れないんです」
「うん」
母は小さく頷きながら側に来て、私の背中を優しく撫でた。
「ずっと……あの人の笑顔が……頭から離れてくれないんです。あの人の傷ついた顔も……ずっと、ずっと」
「そう……」
何が恋とか分からない。
けれど、これが恋ならなんて苦しいものなのだろうか。
そう自覚してまえば、呼吸すらできないほどに胸が苦しく重くなる。
「……好きに、なってはいけなかったのに」
思わずそう溢すと、母は背中をさする手をピタリと止めた。
「そう言われたの?」
「いいえ。だって……」
私は、彼に釣り合うような人間ではない。
「貴女の思いは伝えたの?」
「え? ……いいえ」
「何も伝えていないのに、なぜ落ち込んでるの?」
「だって……」
彼は私を『管理』するためだけに近づいたのだから、好きになどなってくれない。
あの日のブティックでのことを伝えると、母はきょとんとした。
「彼がそう言った?」
「……いいえ」
「では、きちんと思いを伝えて来なさい。それで失恋したら大人への第一歩よ。何もしてない貴女に泣く資格なんて無いわ」
そう言って、母が私をぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫。貴女なら乗り越えられる。好きと伝えて、もしもはっきりと『彼の口』から騙されたと知らされたならば、一発殴ってもいいと思うのよね」
「母様⁉︎」
いつもふわふわした母の口から飛び出した言葉とは思えず、驚きの声を上げる。
「大丈夫、何があっても私たちは貴女の味方だから。安心して、女心はナメたら怖いと、教えて差し上げなさい」
にこりと微笑んだ母に、ブランカがぽそりと呟く。
「さすが伯爵家の裏ボス。貫禄が違いますね……」
「なぁに、ブランカ?」
「いえ、奥様なんでもありません!」
あのブランカがビクリと背筋を伸ばした姿に笑ってしまった。
その時、ドアの外からドタドタと大きな足音と兄の悲痛な声が聞こえる。
「お待ちください殿下! いくら貴方でも、人の屋敷で勝手なことをしないで下さい!」
「しようがないだろう! 引きこもり令嬢に会うには多少強引に行くしかないのだから」
「あぁ! ちょっと! クレイトン公女まで!」
そんなやり取りと共に、私の部屋前のドアを通り過ぎる瞬間、殿下とばっちり目が合い、ゆっくりドアの前に戻ってきた。
「こんにちは、パレンティア嬢」
「……こんにちは」
満面の笑みでコンコンコンと開いたドアをノックしているが、何か色々手遅れではないかと思う。
その後ろからは、少し困ったようにこちらを見つめる『本物』のアリシア様がこちらを覗いていた。
「お邪魔しても?」
その殿下の笑顔に小さくため息をついた。
「ええ。ブランカ、殿下とアリシア様を応接室にご案内して。私もすぐに行くから」
そう言って、私は着ていた作業用の白衣を脱いだ。




