逃げ出した令嬢 ー2ー
「パ、パレンティア嬢⁉︎」
笑顔が消えて、真っ青になったその銀髪の女性の隣にいる侍女は、いつも、アリシア様の側にいたブラウンヘアの侍女ダイラさんだ。
二人の並んだ姿に、既視感を感じ、アリシア様を見つめた。
髪の色も、瞳の色も違うけれど、リアと名乗っていた赤髪の侍女が、目の前の女性と重なる。
――彼女が、本物のアリシア様。
「リアさん……が、アリシア様」
だったら、私の知ってるアリシア様は。
「あ、その……。パレンティア様。これは……」
困ったように、視線を泳がす彼女の声に、ザワザワと足元から這い上がるような不安が全身を覆う。
「パレンティア嬢?」
その、聞き慣れた声に、視線を向ける。
「こんにちは」
そこには思った通りの笑顔の公子様と、なぜかマダムがサイズ直しをしたドレスとネックレスを持って立っていた。
「公子……様」
呼んだ声に応えるような、彼の柔らかな笑顔に胸の奥がずしりと重くなる。
彼の位置からは観葉植物が重なって『妹』が見えていないのか。
こちらにだけ視線が注がれている。
あぁ、……どう見たって彼がアリシア様だ。
いつもアリシア様と公子様が似てると思っていたけれど、似てるどころではない。
――同じではないか。
どうして気づかないままでいられたのか信じられない。
「カーティス伯爵令嬢様。ご注文のお品が準備できましたので、ご確認下さい」
マダムが満面の笑みで机の上にドレスとネックレスを置き、呆然とそれを見つめる。
「ありがとうございます……」
小さく礼を言うと、少し驚いたように軽く目を見開いたマダムは、何かを察したようにチラリとラウル様を見た後、「どうぞゆっくりしてらしてください」と笑顔で去っていった。
「どうし……て……」
どうして黙っていたのか――。
ラウル様への挨拶も忘れ、頭を占領するその言葉だけが口から溢れる。
けれど、彼は何故ここにいるのか私が疑問に思ったと取ったのだろう、少し照れたようにドレスに視線を落とした。
「今日貴女に建国祭の前に贈り物をと思って来たんです。以前見たネックレスを贈りたくて……。ただ、マダムに先約がいると言われたのですが、貴女があのドレスに合うネックレスを探しに来てくれたと聞いて、思わずここまで来てしまいました」
いつものような、蕩けるような笑みなのに、胸の奥が抉られるように痛い。
何と答えていいのか分からず、言葉に詰まった。
「パレンティア嬢? どこか具合でも……」
心配そうに言って、こちらに伸びてきた手を思わず一歩下がって避けた。
「パレ……、え?」
「兄様……」
彼の視線が私の後ろから顔を覗かせた人たちに注がれる。
彼の表情は固まり、見開かれた目が私と『彼女たち』を交互に彷徨った。
「アリシア……、と殿下……?」
「お兄様……。ごめんなさい」
その言葉で分かったのだろう。
本物のアリシア様に会った事を。
公子様のさぁっと血の気が引いたその表情と、会話に、決定打を喰らったようで目眩すらして来る。
「お返ししても?」
「え?」
目の間にあった、先ほどマダムが持ってきたドレスとネックレスの入った箱を少し彼の方に押し出した。
あぁ、本当に惨めだ。
彼の目的は私の魔道具で、私ではない。
「好き」も、「ずっと忘れられなかった」も、『私の管理』のために用意された言葉。
アリシア様のフリをして私に近づいたのも、『本物の』公子様と私の距離を近づけるため。
男性では私が避けてしまうから、女に扮してそばに居たのだろう。
引く手数多の彼が、仕事のためだけに私に近づいたことよりも、全て嘘で塗られた言葉と行動よりも、何よりも騙された自分自身に腹が立つ。
何度同じ失敗をするのか。
「……このドレスは、どうぞ本当に好きな方に差し上げて下さい」
そう言って彼の瞳と同じ色のドレスを見つめる。
奥から湧き上がる苦しさに声が震えないように。
滲む視界から涙が溢れないように。
言葉になんの感情も乗らないように。
彼をまっすぐ見つめた。
「それから、私は建国祭にはいけません。……『あのお話』もお受けできません」
震える手で、紫水晶の髪飾りを頭から外してドレスの上にそっと置くと、公子様が息を飲んだ。
『彼』にもらったものを身に着けていることに我慢ならなかった。
アリシア様の瞳と同じ色と喜んでいた自分がバカみたいだ。
「ティア、話を……」
彼の紫の瞳に浮かぶ苦しそうな目の色に、思わずたじろぐ。
――どうして貴方がそんな目をするの。
傷ついたのは私だ。
全部知って、騙していたのはそちらなのに。
砕け散ったプライドをかき集めて何とか自制心を保ちながら、彼を見据える。
「さようなら」
「……っ。パレンティア嬢。説明を……!」
出口に向かった私の進路をさっと塞がれて、カッと頭に血がのぼる。
このまま、何も言わずのこの場を去りたいのに、口を開けば、止められる気なんてしない。
「……楽しかったですか?」
「え?」
「貴方がアリシア様と気づきもしない私は、馬鹿だと笑っていましたか?」
語気を荒げて彼を睨みつけた。
「そんな風に思っている訳がない。お願いだから説明を聞いてくれないか」
その説明とやらで、国のためだったとその口で言うの?
魔道具の管理ためで仕方なかったと。
「……どうして黙ってたんですか? いつから? 最初の出会いは偶然かもしれないけれど、あの日、話してくれるチャンスはあったはずです。魔道具が必要ならいくらでもお貸ししました。作ったものが問題なら言ってくれれば良かった。あの言葉も、時間も……全てその為なら……」
失敗ばかりで才能がないと落ち込んでいた時、かけてくれた言葉も。
嬉しかった。
この人となら、もう一度踏み出す事ができると思ったのに。
何度同じ失敗を繰り返せば良いのだろうか。
「こんな……、こんな惨めなことって……無い……」
思わず感情のままラウル様に言葉をぶつけた。
こんなところで泣きたく無い。
「これだから、男は嫌いなのよ……」
「え?」
小さく呟いた言葉は彼には届かない。
絶対に、泣く姿を彼に見られたくない。
「恋愛経験豊富な貴方なら、私なんて暇つぶしの相手にもならなかったでしょうね……」
「……っ」
その、さっと固まった表情に、心が抉られつつも、言葉は止まらない。
「貴方にはもっと、恋の駆け引きが楽しめる方がたくさんいるでしょうから」
自分で言いながら自分の言葉に傷つくなんて馬鹿げているにも程がある。
ああ、自分はどこまで愚かなんだろうか。
それでも……。これ以上ここに止まれば、涙を堪えることなんて出来ない。
「……さようなら」
「パレ……!」
「パレンティア嬢⁉︎」
そのまま腕の魔道具に触れ、自分の姿を彼の視界から消すと、カフェ内がザワリとどよめいた。
けれど、何も考えることは出来ず、ブティックを飛び出して、外に停まっていた馬車に乗り込み、魔道具を解除する。
先ほど買った魔道具の素材が入った紙袋を抱きしめて顔を埋めて目を閉じた。
「……これで何をつくろうかしら。……楽しみだわ」
何とか楽しい想像をしようと、……紙袋の中の素材を思い出そうとするも一つも思い出せない。
「……っ」
バカな夢を見るんじゃなかった。
四年前の愚かな自分を忘れ、二度と、あんな惨めな自分になりたくないと思っていたのに。
私はやっぱり一人で屋敷にこもっていた方がいいのだ。
お父様にも婚約の話は流れたと伝えよう。
悲しむかしら、それとも、やっぱり無理だったねと寂しそうに笑うだろうか。
カチャリと音がして、紙袋の隙間からチラリと視線をやると、兄とブランカが馬車に戻ってきた。
「帰ろうか」
柔らかく声をかけてくれた兄に、私は小さく頷くしか出来なかった。
流れる涙は、紙袋に吸い込まれシミを広げていく。
――去るしか、出来なかった。