逃げ出した令嬢 ー1ー
「ティア、目的のものは見つかったかい?」
素材店の入り口からひょいと中を覗いた兄が声をかける。
「ええ。注文したものは全部揃ってました」
今日は、兄様が王都の取引先と商談があるということで私も魔道具の材料を注文していた店に取りに行くため一緒に王都に来ていた。
「見て下さいな。今日はダンゴロムシのヒゲと、フロシキヒラメの皮を手に入れました。中々手に入らない上にこんなに大きなものをゲットしました」
ニコニコと麻袋から取り出して見せると、兄様は一歩後退る。
「よ、よかったな……。ええと、荷物……持とうか?」
と引き攣った笑顔で言った。
「あ、じゃあこっちの器具類を持ってもらって良いですか? ちょっとツチガメの甲羅が入ってて重いですが……」
「あ、ああ。……重っ! と。ところでティア、もう帰るかい? 兄様の用事は全部済んだぞ?」
「実は……寄りたいところがあって」
「何だ? 別の素材店か?」
「いえ、……マダム・シュンローのサロンに……」
ドスン! と大きな音がして兄様が持っていた私の荷物を落とす。
「にににに兄様! 甲羅が! 待ちに待ってた甲……」
「マダム・シュンロー?」
信じられないワードを聞いたかのように兄が私に聞き返した。
「え? ええ。そう……です」
何となく気まずくて、兄の視線から自分のそれを逸らしながら答えた。
「何しに?」
「……」
「お嬢様は建国祭の為のアクセサリーをお買い求めに行かれるのです」
「え⁉︎ 幻聴⁉︎」
ブランカの言葉に兄様が驚きの声をあげる。
「いえ、お嬢様は、マダム・シュンローの、お店に、建国祭の、為の、アクセサリーを、買いに、行かれます」
一言一言、聞き取りやすいように、ブランカがはっきりと、ゆっくりと言う。
何だかわからないがまるで公開処刑をされている気分だ。
「……え? 夢?」
キョトンとした兄が、呆然と呟いた言葉にブランカがうんうんと頷く。
「ええ。そう思われるのが普通でしょう。私も、最初聞いた時は信じられませんでしたから。私もお嬢様のお手伝いで徹夜をしすぎて白昼夢でも見ているのかと……」
確かに、先週公子様と行った内覧会が終わった後、このことを伝えたら、ブランカは雷に打たれたかのような顔をしていて、あんな顔の彼女を見るのは初めてだった。
「うううう腕によりをかけて選びますわ! あのお嬢様が魔道具に関係のないものを買われるなんて! しかも真っ昼間に! 堂々と! なんてことでしょう!」と、震えていたので、大袈裟だと思ったけれど、兄の反応も大概だ。
「……え? そこまで……?」
「ティア、お前がまさか自分から、ブティックに足を運ぶとは! しかも王都で一番人気の『マダム・シュンロー』に!」
うんうんとブランカも相槌を打っている。
「今まで王都の素材店に来たら、すぐに帰って研究室にこもっていたお前が……お前が……ブティ……うう」
何それ、ちょと過剰反応すぎではないかと思ったが、確かに素材を手にする度、もらったばかりのプレゼントを楽しむ子供のように、他のことに目が行くことなど無かった。
「兄様……!」
「お前もとうとうお嫁に行くのかぁ……」
そのしみじみと言った兄の言葉にカッと顔が熱くなる。
父にはすでに公子様と婚約しようと思うと相談すると、本当に喜んでくれて、「幸せになれるよう、ずっと願っているよ」と抱きしめられた。
あの日の内覧会での出来事も父に伝えると、「お前の中で整理ができたのなら、何も言うことはないよ」と更に優しく抱きしめられた。
「結婚式の準備で忙しくなりますね」
「ああ、最高の結婚式になるようにしっかり準備を……」
父とのやりとりに意識が飛んでいたところで、話が飛躍していることにハッと気づく。
「婚約です! まだお嫁には行きません‼︎」
そう全力で否定すると、思った以上に大きな声が出たことに自分でも驚いた。
その時、「お客さん」と後ろから声をかけられ「はい?」と振り向く。
振り向いた先には、恰幅の良い素材店の店主が頬をヒクつかせながらも、笑顔でドアの外を指差していた。
「騒ぐんなら、外でやってくんな」
と、三人まとめて店を追い出されてしまった。
***
「お嬢様、公子様に頂いたドレスも持ってきて良かったですね」
「そうね、このドレスに合うようにってマダムに相談しやすかったものね、センスの無い私でも、プロが見立ててくれるから安心だわ」
アクセサリーの注文を終えて、マダム・シュンロー併設のカフェで一息つく。
ここ、『マダム・シュンロー』のサロンで注文したのは、公子様に頂いたドレスに合わす為のネックレスだ。
建国祭には、以前贈られたあの薄紫のドレスを着ていくことにした。
ブランカが、公子様はあのドレスを着て行ったら絶対喜ぶと言い張るので、ドレスに負けているんじゃ無いかと思いながらも勇気を出して着て行くことにしたのだ。
公子様が私を喜ばせようとしてくれたように、私も公子様に喜んで欲しいと思った。
「さすが『マダム・シュンロー』のブティックだな。マダムも当然のこと、店員のセンスも良かったし、併設されているカフェもおしゃれで美味しい。良い勉強になるよ。ウチにもこんなお店を出すのも良いな」
「そうですね。お皿にもマダムのブランドの刻印がありますし、可愛いマカロンにも刻印がされているから、特別感も出て。お茶会でもこちらのお菓子がよく出ていると姉様が言っていましたね」
社交界での会話はいつも姉がたくさん聞かせてくれる。
ドレスに合うネックレスを、どこで探したらいいか姉に相談したところ、ここを勧められた。
腕は確かで、公子様もここでドレスを買って贈ってくださったのだから、合わせる小物もこちらで相談するのがいいと言われた。
実際ドレスを持ってきて相談してみると、ドレスのために作られたのでは無いかと思う繊細なデザインのネックレスがあると言われ、二つほど候補を挙げられた。
「ラウル・クレイトン公子様がご注文くださったドレスですね」
と、スタッフの方が笑顔で、それはそれは嬉しそうにネックレスを持ってきてくれた。
一つは真珠を繊細に編み込んだ物を。
もう一つは、銀細工にアメジストをあしらった物を。
どちらも素敵で迷ったが、銀細工を選んだ。
これならきっと、アリシア様に頂いた髪飾りにも合うはず……。
そう思って、購入する手続きをしたところ、せっかくドレスも持ってきてくださったのですから、サイズをきちんと測りましょうと言われる。
すぐ手直しできるから、併設のカフェで待っていて欲しいと案内されたのだ。
「お疲れですね」
「……そうね。疲れたわ」
採寸から、ドレスを試着させられ、三センチ裾を上げるだ、ネックレスはもう少し短い方がいいからチェーンを少し調整とか……。
ただでさえ朝早くから王都に来ているのに、いつにも増して疲れてしまい、もうクタクタだ。
「でも、とてもお似合いでしたよ。さすが公子様の目に狂いはなかったですね。三センチの丈の長さはニアミスですが、バスト、ウエスト、ピッタリサイズでちょっと私怖いです」
ブランカが遠慮無しに言った言葉に、兄様も頷く。
「僕でもティアのサイズは知らないからな。確かに……怖いな」
「偶然ですよ……、きっと」
「女慣れしてるのか、ティアのことを調べ上げたのか、……どっちにしても怖いな」
「兄様ってば!」
そんなことを話しつつ、窓の外の人の増えてきた大通りに視線をやる。
長年の癖で、一番奥の人目のつかない席に案内してもらったのだが、観葉植物のおかげで他の来店客は見えないし、意外にも窓から見える景色はとても綺麗だったので、いい席に座れたと喜んでいた。
昼前のカフェは今から混み始めるのだろう、少しずつガヤガヤとした人々の声が増え始めている。
このお店は、食事のみのお客様の席と、ブティックの利用客のお客によって席が異なっていて、こちら側の席にはまだ余裕がありそうだった。
その時、後ろの席で、どこか聞き覚えのある女性の声が聞こえた気がしたけれど、貴族令嬢にアリシア様以外私と会話をする人はいないので、勘違いだろとう、手元のカップを口に運ぶ。
「あれ? アリシア嬢?」
「殿下」
真後ろから聞こえた会話にピタリと体が固まった。
「君が『マダム・シュンロー』を懇意にしてるって話は本当だったんだね。ここのドレスも、『社交界のバラ』と呼ばれる君が着たものは全てが流行になってるね」
「嫌ですわ。私が着たからじゃなくて、マダムの腕が最高なのですよ。お兄様にもお勧めしたら、『パレンティア嬢に似合うドレスが見つかって良かった』と、とても喜んでくれましたもの」
その声に、心臓が早鐘を打ち始める。
ブランカも違和感を感じたのか、私の後ろの席をチラリと見ていたが、私は見る勇気も無かった。
――私の知っているアリシア様の声じゃない。
ドクンドクンと、鼓動が耳に響き、後ろの会話すら聞こえにくくなる。
いっその事、聞こえなければいいのに――。とすら願ってしまった。
「まぁ、アリシア嬢も大変だったけど、色々と上手く行ったようだね。ラウルがパレンティア嬢を建国祭でエスコートすると言っていたよ。婚約も間近だろう? 目的は達成かな」
「ほほ。兄の為ですから」
「いやぁ、本当にパレンティア嬢を落とすなんてな。さすが『落とせない女はいない』と言われたラウル=クレイトンだ。あとは彼女に騎士団に魔道具の協力をお願いして盗賊達の件も解決だ。ラウルと結婚すれば、彼女の魔道具の流出も確実に抑えられる。ラウルが彼女をきちんと『管理』してくれるだろうさ」
管理?
「ま、殿下。それは……」
思わず、ふらりと席を立つ。
無意識に足がそちらに向かい、どこか見慣れた銀髪の女性の背後に立った。
「……アリシア=クレイトン嬢……?」
「はい?」
笑顔で振り向いた彼女の顔が硬直し、私の知っている『アリシア様』と同じ紫の瞳が見開かれる。
けれど、その顔は私の知っているアリシア様では無かった。




