提案 ー2ー
「公子様……」
彼は、視線を逸らすことなく、こちらを見据え、口を開く。
「パレンティア嬢。今、貴方が心を寄せている方はいらっしゃいますか?」
「いえ……」
「結婚を約束された方がいらっしゃいますか」
「いいえ……」
「クレイトン公爵家では、……俺では不服ですか?」
「そうではなくて……」
私にこの書類内容に示されている値段ほどの価値があるとは到底思えない。
それに、私はやっぱり……家族以外の男の人が怖いし、踏み出す勇気が無いのだ。
なんと答えていいのか返答に困り、落ち着かない沈黙が広がった。
「……ところで、貴方は先日の舞踏会でどれだけ注目を浴びたか分かっていらっしゃいますか?」
「え? その……。どうでしょう?」
痺れを切らしたのか、唐突に変わった話題に戸惑いながらも、舞踏会の夜を思い出す。
ちょっと殿下達に声をかけられたけれど、それも一瞬のことだったし、うまくやり過ごせたと思っていた。
「『噂の令嬢』が、想像と違っただけでなく、可憐な姿にどれだけの庇護欲をそそられた男達がいるとお思いで?」
「は? ……か、可憐?」
「更には、カーティス家という破竹の勢いで成長している家と繋がれるかもしれないとなれば……今後、今まで来なかったはずの婚約の申し込みが山ほど来るのではないでしょうか? それとももう来ているのでは?」
ぎくりと体が強張る。
公子様の言うとおり、舞踏会の翌日から婚約の申し込みや、釣り書が送られてきて、日に日に数が増している。
父はその対応に追われ、余計な雑務が増えているのは明らかだ。
「……今はまだ良いでしょう。だが、今後カーティス家と商いの関係がある家から申し込まれた時、どうなるかお分かりですか?」
それは考えていた。
だからこそ、父に私の悪評を立ててもらい、断りやすいように、むしろ結婚話が来ないようにしていたのだ。
最近のカーティス家の事業は観光業に注力しており、そのためにも領地の整備に大半の資金と労力を割いている。
新しい道を作ったり、ホテルや宿の建設など、まだまだ発展途中だ。
観光地として急激に成長したため、カーティス領の建築業者だけでは手が足りず、各領地の手も借りている。
一斉に引き上げられたら計画は頓挫してしまうだろう。
「決して脅すつもりはないけれど、公爵家の後ろ盾があれば誰も手出しできないと思うのですが」
そう言う公子様の目は、どこかそわそわと落ち着かない気持ちにさせる。
まるで、虎に狙われたウサギのような気分だ。
けれど、公子様の言葉はもっともだと思う。
破格の条件に、他家からも守られ、これほどの高待遇は後にも先にも無いだろう。
「それに、先ほどおっしゃっていた研究中という魔道具も当然こちらで続けて頂いて構いません」
先ほど言った断る理由が意味を無くし、退路が断たれた。
「……少し、考えさせてください……」
私の言葉に、公子様がふわりと微笑む。
「もちろん。『断る』から、『考える』に変わってくれただけで嬉しいです。それからこれを」
ことんと小さな箱を置かれ、何だろうと首を傾げる。
「どうぞ、開けてください」
「……はい」
恐る恐る開けた箱の中に鎮座するものに目を見開いた。
透き通った手のひらサイズの鱗。
ほんのりと青くキラキラと輝くそれに、思わず息を呑む。
しかも三枚。
「リヴァイアサンの……鱗……?」
海龍とも言われる深海の魔物で、以前艦隊を壊滅させたと言われる凶暴な魔物だ。
少しでも目撃証言があれば、港は封鎖され、漁師たちの生活を脅かす。
けれども、その鱗や骨は貴重な魔道具の素材となり、個体数の少ないことから入手は困難を極める。
しかもまだこの鱗は鮮度が高い。
行きつけの魔道具素材店で一度見たことがあるけれども、もっと乾燥していて、透け方もくすんでいるような感じだった。
これで魔道具を作れば、より高品質な物を作ることが出来るだろう。
こんな状況にも関わらず、うずうずと、好奇心が擽られた。
「ええ。貴女にお渡ししたくて、ご用意しました」
「そんな。こんな高価なものをいただくわけにはいきません」
欲しいですとも、喉から手が出るほどに! 欲しいけれども、理由もなく貰うわけには行かない。
タダより高いものは無い!
「これは、以前アリシアを助けていただいた件のお礼です。命を救っていただいた事に比べれば、たいした物ではありませんが」
「……う、受け取れません」
比べればっていうか、それにしては返礼が多すぎます。
「……そうですか。では処分するしかありませんね」
「処分⁉︎ 公子様、リヴァイアサンの鱗が市場で一体いくらで取引されているとお思いですか? これ三枚で私の一年分の研究費用の半分が賄えますよ」
「うーん。そうかもしれないけど、販売の手続きが面倒なんです」
「……はい?」
「もし売るとなったら、いくつか素材店を回って、高く買ってくれるところに売りたいじゃないですか?」
「ええ……もちろんです」
「でも、そうなると、時間がかかるじゃないですか?」
「返品するのが早いのでは?」
なんで、商品を返して返金してもらうという発想に至らないのだろうか……。
「返品も何も、返す店が無いんです。これは俺がリヴァイアサンを倒して手に入れた物ですから」
「……」
言葉を失って思わず見つめてしまうが、公子様は相変わらずニコニコしている。
「……はい?」
「先日、リヴァイアサンの討伐に行った際の戦利品です。常にではありませんが、稀にこういった討伐対象の素材を手に入れることができるんです」
にこりと笑って彼が机に置かれた結婚契約書の第四項を指差した。
「『可能な限りの素材』はこうしてお渡ししようと思います」
「……あ、頭に入れておきます」
「あぁ、そうだ。この書面には書いていませんが結婚の際には貴女の侍女ももちろん一緒に来てくれて構いません。当然クレイトン公爵家から給料を出しますから、もしそうなった時の雇用契約書です」
そう言って、私の後ろに控えていたブランカに笑顔で紙を一枚差し出した。
ブランカは素直にそれを受け取って、書面に視線を落とした顔が固まる。
「……かしこまりました」
小さく返事をすると、黙ってそれを綺麗に折りたたんで胸元に大事そうにしまった。
「では、私は用事があるので、失礼させて頂きたいのですが……。アリシアが君と会いたいと言っていましたので、この部屋でお待ち下さい」
そう言って、公子様が退席をしてほっと一息つく。
「お嬢様。破格の条件かと思いますが、焦らしたりせずに、即決してしまってよろしいのではないでしょうか?」
ブランカが、しれっと言った言葉に思わず睨みつけた。
「……ブランカ?」
「文句も言われず魔道具の開発ができて、研究費用も倍増。しかも専用の研究棟まで作っていただけると。更には婚約の煩わしさに困る事なく、夫婦の営みも不要。これ以上いい条件の結婚ってあります? 夢のような話だと思いますけど」
その通り。
夢のようだ。
けれど、そんなに簡単に頷けなかった。
長年私の心にある男性に対する嫌悪感と不信感は……簡単に消すことなど出来ない。
自分の世界を変えようと、引きこもりから勇気を出して飛び出してみたものの、見事に失敗して、逃げ帰った。
二度目なんて怖くて踏み出すことすら出来ない。
「お嬢様? 聞いてます?」
「え? ええ。もちろん聞いてるわよ。……やけに推してくるわね」
振り返った時、彼女の胸元からチラリと覗く紙が見えた。
先ほど公子様がブランカに渡したものだろう。
「それ、どんな雇用条件だったの?」
「黙秘致します」
「……ちょっと! まさかお給料の多さに惹かれて私をここに嫁がせようなんて考えていないわよね!」
「失礼なことおっしゃらないで下さい。私はいつでもお嬢様の幸せを祈っているじゃありませんか」
少し怒ったようなその口調に思わず「そうよね、ごめん」と謝ってしまう。
「でも、私の幸せを願ってくださるなら、公子様と結婚されるのがベストかと」
「やっぱりお給料良かったんでしょ‼︎」
そんな会話をしていると、コンコン……と、ドアがノックされて「はい」と返事をした。
「お待たせいたしました」
カチャリとドアを開けて入って来たのは、今日もキラキラと輝くほど美しいアリシア様だった。
「こんにちは。アリシア様」
「こんにちは、ティア」
先ほど、ラウル様にお会いした緊張はどこかに消え、彼女の柔らかな微笑みにこちらも自然と笑みが溢れる。
「……っ」
一瞬固まったアリシア様にどこか変だったかと思わず視線をドレスに落とすも、「今日も可愛らしいですね」と声をかけられた。
「ありがとうございます。アリシア様に褒めていただけてとても嬉しいです。今日は、先日お手紙でご連絡した通信機を修理して来ました」
「え⁉︎ 修理までしてくださったのですか⁉︎」
高価な通信機は貴族の家庭にも一つあるか無いかだ。
しかも私の手元にあるのは明らかに最新型。
たまたま舞踏会に行く前日、採取に行くためにポシェットの中を整理したら出てきた。
考えられる持ち主はアリシア様ぐらいで、一緒に寝袋に入った時にでも落とされたのだろうと思った。
舞踏会で渡したかったのに、なんやかんやと私が一人プチパニックになっていたので渡すのを忘れていた。
「ええ。ちょっと中の魔精石をはめる部分が緩んでいたのでそこを直すだけでした。ちょっとした衝撃で外れやすくなってたので。以前これと似たような構造の試作品を作ったことがあったので、簡単に直せましたよ。あと、会話傍受不可の機能もつけておきました」
「え⁉︎ そんなものまで」
驚くアリシア様の手にそれを渡して、侍女の方達がお茶の準備に集中していることを横目で確認し、手をちょいちょいと上下に小さく振って、アリシア様に「少し屈んでください」という仕草をする。
「?」
何の疑問も持たず少し屈んだアリシア様の耳元に顔を寄せて外に声が漏れないよう手で隠す。
「もし、次にそれを使う機会があっても、誰にもバレることはありませんからね。安心してくださいね」
「……っ」
顔を真っ赤にしたアリシア様が、あまりに可愛いかった。
「これが壊れていたからお相手の方とご連絡取れなかったのでしょうか? いつの間にか鞄に入っていて……気づくのが遅くなってごめんなさい」
「いえ、壊れていなくても、結果は同じだったと思い……ます」
ちょっと気まずそうに言ったアリシア様になんと声をかけたらいいか考えあぐねる。
こういった時友達とはどんな声掛けをしてあげるべきなんだろうか。
恋愛経験もなければ、コミュニケーション力の低い自分ではどうしていいのか分からなかった。
「コホン。お話中失礼致します。パレンティア様、お願いがあるのですが」
「「え⁉︎」」
突然の赤毛の侍女の言葉に、アリシア様と同時に声が上がる。
赤毛にそばかすの綺麗な顔立ちをした侍女は、にこりと微笑んでこちらを見据えた。
「アリシア様は例の失恋の一件で未だにお元気が無くて……少し気分転換がご必要ではないかと思うんです」
何だか分からないけれど、赤毛の侍女から発せられる圧に、「……はい」と小さく言葉を返す。
「それで、以前からアリシアお嬢様が見たいと言っていたカーティス領で、かの有名な『四季の森』の幻想的な景色をご覧になれば少しは気分が晴れるのではないかと思うのです」
「『四季の森』ですか……」
「ですが、……公爵領から距離もあるせいか旦那様の許可が降りず。もしよろしければ『カーティス家から正式なご招待』ということでお嬢様の夢を叶えていただけませんでしょうか?」
「え? え?」
アリシア様は困惑しているようだったが、『四季の森』に関心を持ってくれていることがとても嬉しかった。
あれは、兄の肝入りの観光事業の一つだし、父が母に送った愛の込もった贈り物。
友達として彼女を元気づけられるかもしれないと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「も、勿論です! 是非ご招待させて下さい。アリシア様がお元気になられるなら尚更! カーティス領には他にも素敵な場所がたくさんあるので、ご案内させてくださいな」
嬉し過ぎて顔を近づけ過ぎたからだろうか、途端、なぜかアリシア様が赤面した。
「ええと。ティア自ら案内してくださるのですか?」
「ええ、勿論です。ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんて……。嬉しいです」
そのはにかむような言い方に、キュンと胸が締め付けられ、世の男性方はこれに囚われてしまうのねと納得してしまう。
可愛らしさと美しさを併せ持つ彼女の魅力の何という破壊力。
そうして、私は彼女をお迎えする準備をするべく、意気揚々とクレイトン邸を後にした。