提案_ー1ー
――数日前、アリシアが得意顔で見せた『リヴァイアサン討伐計画書』。
俺が彼女に与えられて、他人にできない事。
他家が彼女に求めて、俺が求めないもの。
数日考えたそれらが、目の前の机の上に置いた書類に綴られている。
四年前から心の片隅にずっと引っかかっていた彼女の笑顔。
薬草園での自然体の彼女を自分だけが知っているとどこか優越感に浸っていた。
それがなんだったのか、アカデミーで笑顔を他の男に向けられていた時に感じた胸の疼きで気づくべきだった。
でなければ、当たり前と思っていた彼女の幸せそうな笑顔を失うことなど無かっただろう。
四年前、彼女に一言でも声をかけていたら、何か変わっただろうか。
――彼女が傷つく前に何かできたかもしれない。
……二度と見つけられないと、諦めていた。
「見つけたからには、手に入れてみせる……」
彼女が何か俺にした訳ではない。
彼女が何か俺に言葉をくれた訳でもない。
ただ、あの好きな物へ向ける直向きさが、腐っていた自分を『騎士団長』という立場に押し上げてくれた。
――好きなものから逃げる道を選ばなくて済んだ。
そして、他の女性と付き合っても、触れても、湧き上がらなかった感情が確かにある。
思うだけで、幸せで、苦しくなるこの感情を何というか、分からないふりをするつもりもない。
『何人の男が彼女に求婚するんだろうな』という殿下の言葉に頭が真っ白になった。
「誰かに奪われる前に、側に……」
思わず小さく声が溢れる。
時計を見上げると、パレンティアとの面会の約束の時間が近づいてきた。
机の上にある、この日の為に用意した書類を納め、鏡を見て襟を正す。
「行くか……」
彼女に会える喜びと、面と向かって『断り』を告げられる恐怖が入り乱れるまま、玄関ホールに向かって足を向けた。
***
今日は、公子様に直接会って、婚約の件をきちんと断るために、時間を取ってもらった。
公爵邸の大きな門を越えて、お屋敷までの長い距離を馬車で進む。
気分は絞首台にでも上る死刑囚の気分だ。
「さすが国内屈指のクレイトン公爵家。立派なお屋敷ですね」
「そうね……」
馬車の窓から覗いた我が伯爵邸の三倍以上はあろうかという大きなお屋敷にブランカと圧倒されながらも、落ち着いて見えるように馬車を降りる。
屋敷の使用人の方全員出てます? と、思うくらいの人数と、公子様自らのお出迎えに笑顔が引き攣る。
馬車を降りて、緊張しながらも公子様に深く頭を下げた。
「改めまして、パレンティア=カーティスです。ラウル公子様、お時間を取っていただき感謝申し上げます」
「とんでもない。こちらこそ、パレンティア嬢の貴重なお時間をもらって悪かったですね。殿下もぜひ君にもう一度会いたいと言っていましたよ。レポートが面白かったと」
「ありがとうございます。機会がございましたら是非、お会いしたいですとお伝えください」
そう言って頭を下げるが、二度と会いたくはないんですが……と心の中の声が悲鳴をあげている。
あの、どこか面白そうにこちらを見ている目が、落ち着かない。
そういえば、アリシア様はいらっしゃらないのかしら。
そう思いながらチラチラと失礼にならない程度に彼女を探したけれど、いないようだった。
出来れば、アリシア様も一緒に同席してくださったら心強いのだけど……と思いながらも、あいも変わらず他力本願な自分にうんざりする。
長い廊下を抜けて、サロンへと公子様が案内してくれたのは、日の当たるとても気持ちのいい部屋だった。
たくさんの美味しそうなお菓子と、良い香りの紅茶が用意されるが、こんな緊張状態では食欲も出ない。
けれど、いつまでもこんなところでモタモタしていてはいけないと思い、頭を下げた。
「早速ですが、今日は、……頂いた婚約に関しましてのお返事を……と、思ってお邪魔いたしました。その……大変ありがたく、身に余るほどの光栄なお話なのですが、辞退させて頂きたいのです。現在私はカーティス家で魔道具の研究をしておりまして、完成の目処も立っておらず、途中で投げ出す事も出来ません」
「……結論を出す前に、こちらを見ていただけますか?」
さっさと断って帰ろうと思い、捲し立てて失礼感を出そうかと思ったところ、腰に響くような声で柔らかく言われる。
そして、落とした視線の目の前に差し出された一枚の紙に目を見張った。
「結婚契約書……?」
『一、社交界への出席は極力不要』
『二、夫婦の寝室は別々で夫婦生活も強要しない』
『三、専用の魔道具研究棟を建設』
『四、可能な限りの素材と、年間一億レガを研究費として提供』
その内容に、思わず固まる。
「これは……」
つまり?
「今の生活と何ら変わりなく、俺と結婚してほしいということですよ。魔道具に関しても、私は一切口を挟みません」
今までと何ら変わらないどころか、今の生活よりも格段に良い。
魔道具に関しては自由にして良いということは、今よりも好きなようにに研究できるという事だ。
現在、家の研究室は使用時間を決めれられているし、素材や専用機器なんかを揃えるのに、年間予算は三千万レガに抑えているところだ。
アカデミーは専用の機器がたくさん揃っていたので、その点は恵まれていたが、個人でやるには限界がある。
しかも結婚の最大の問題である夫婦の部屋問題。
別室というところが、良い。最高。
昼夜逆転にして魔道具の研究に専念するというのも良いだろう。
いや、でも……。
家族以外の男性と同じ建物内に一緒にいるのに私が耐えられるだろうか。
それ以前に……。
「……これって、ラウル様が結婚される理由あります……?」
「もちろん、あります」
……どこに?
「お世継ぎ問題とか、社交界での私の役割とか……。メリットは無いと思うのですが……」
彼の表情から情報を読み取ろうと恐る恐る目線をあげた。
それがまずかった。
初めてがっつりとぶつかった視線に、彼が嬉しそうに目を輝かせ、全身がとろけてしまいそうな微笑みを浮かべた。
「やっと目が合いましたね」
「……っ」
その柔らかい表情が、アリシア様にそっくりすぎて、断るという難しさのハードルを上げる。
この後光が差すほどの微笑みで数々の名だたる御令嬢を虜にしてきたに違いない。
と、サダ伯爵令嬢の言うことに納得する。
「貴女が好きだからという理由以外ありませんよ」
「……好きになってもらう理由がありません」
「勇気があって、優しくて、……好きなことに一生懸命な女性に惹かれるのはおかしいでしょうか?」
「それ、アリシア様からの話を聞いてイメージが美化しているだけですよ……?」
本当に大事な妹を守った私が聖女か何かのように美化されていることに、頭が痛くなる。
なんで名だたる令嬢と付き合っていたのに、アリシア様の話しか聞いていない私を『好き』になるのか理解出来ない。
「以前から貴女を知っていたと言って、信じてもらえますか?」
「……」
それは、取ってつけたような話だと思う。
元々引きこもりで、アカデミーに入っても目立たなかった平民を知っているはずなんて無い。
しかも、あんな濡れ衣を被されて退学したのだ。
もし、アカデミーで会っていたというなら、盗作疑惑のある令嬢に結婚を申し込もうだなんて考えるわけがない。
妙な沈黙が広がり、公子様がクスリと小さく困ったように笑った。
「……貴女に愛を求めないと約束しましょう」
「……は?」
突然変わった話題に一瞬混乱するが、その柔らかな声に含まれる強い意思を感じ、本当に何故私と結婚するのかという疑問が頭を埋め尽くす。
金は出す。
夫婦生活も不要。
愛も求めない。
だったら何故?
「それでも、そばにいて欲しいと……、願ってはいけませんか?」
その今にも泣き出しそうな、切ない紫の瞳に言葉を失った。