手に入れるには
「え? それから? それからどうなったの?」
「それがですね、殿下。お兄様ったら彼女とお友達になってしまって、『ティア』と呼ぶ許可までちゃっかり取ってしまったんですのよ。ホホホホ」
「彼女、本当にラウルに見向きもしなかったもんね。気を引こうとしてるどうこう以前に、関わりたくないオーラ全開で……ラウルを見て顔を赤らめない女性を初めて見たよ。僕、正直『ラウル=クレイトン』として彼女に会ったら、コロッと落とせるかと思ってんだよね」
初めて会った時に訝しげに見られたのに、そんなことあり得るわけがない! と、騎士団長の執務室の真ん中に置いてあるテーブルで、これ以上の面白い事はないと話に花を咲かせている王太子と妹を睨みつけた。
こちらは、来週パレンティアと会うために休みを取ったので、前倒しにした仕事に追われているというのに……。
机の上には数十件の魔物討伐の案件や、新型の通信機の不具合が多いと言う苦情の書類に、貴族や商会からの盗賊被害の報告だのと書類が山積みだ。
そして書類仕事が終われば、今度は現地に行かなければならない。
さっさと帰って欲しい。
「殿下、今日の決裁に必要な書類は片付いているのですか? そして何でアリシアは王宮にいるんだ。更にはなぜアルタが給仕をしている」
アリシアが来ると、団員達が訓練や仕事に集中しなくなるからここには来ないように言ったはずなのに……とため息をつく。
「でも、パレンティア嬢はとっても可愛かったですね。噂の真相理由も笑いを堪えるのに必死で大変でしたのよ」
「え? 噂の真相まで聞いたの? 僕も聞きたいなぁ」
「オイ! アリシア。無視をするな」
「それにお兄様ってば、どうやら自分の正体をバラしたくなくて、私が『駆け落ち相手に振られた』設定にしてるんですよ。ひどくありません? 私フラれたことなんて一度も無いのに」
「ひどいね〜。名誉毀損だ」
「殿下! アリシア! 良いから出ていけ!」
部屋の主の発言を完全にスルーした妹が、得意げな顔をしてチラリとこちらに視線をやる。
「あら、お兄様そんなこと言っていいの? 私今日届いたパレンティア嬢からのお手紙を持って参りましたのに。『アリシア=クレイトン』宛の手紙を」
右手に掲げた白い封筒をこちらに見せつける。
「それをまず先に言え!」
慌ててアリシアのいる席に駆け寄り、手紙に手を伸ばすと、サッと避けられる。
「まぁ、お兄様。その前に言うことがおありでなくて?」
「……感謝する」
「ほほ。どう致しまして」
得意気な顔で渡された手紙を受け取り、差出人の名前を見て思わず口元が綻びつつ、ペーパーナイフを手に取った。
「何だって?」
「俺と会う日にアリシアに会えないかって言う話です。渡したいものがあるからと。後は、彼女の近況報告と、魔道具のことについて」
「ふぅん。君が仕込んでいたっていう例の『アレ』ね。君に会うというより、その手紙の枚数を見る限り、アリシア嬢が本命みたいだね」
そう揶揄う殿下の言葉にその通りだと思う。
俺との面会の日取りに関して送られてきた手紙は一枚で失礼は無いけれど、形式通りの手紙。
かたやアリシア宛の手紙は封筒から出すのが窮屈なほどの枚数に書かれていた。
舞踏会ではラウルでは彼女の笑顔は見られなかったが、アリシアにはアカデミーの薬草園で見ていた頃のような満開の笑顔を向けていた。
あの顔が見たいのに、俺では警戒を解いて貰えない。
彼女が心を許しているのは、『アリシア』で、俺であって俺でない。
「どうやったら、笑ってくれるんだろうか……」
ガチャン! と音がして、何事かと手紙から視線を上げた。
机の下には、殿下のカップが落ちていて、目を見開き、ブルブルと震えている殿下がこちらを見ている。
「おま、おまおま、お前が……」
「何です? 毒でも入ってました?」
「いやいやいや! お前がそんなことで悩むのをこの目で見る日が来るとは! 来るもの拒まず。去る者追わず。お前に愛されている気がしないと泣かせたご令嬢方は数知れず。そんな……そんなお前が……、恋に悩む日が来るなんて。まるで乙女じゃないか! 『どうやったら笑ってくれるか』なんて、生まれてこのかた思ったことないだろ!」
「……長い説明をどうも」
パレンティアにも指摘された内容で、思わず不愉快な思いでいっぱいになる。
「兄様、それをパレンティア様に指摘されていましたものね。兄様の女性遍歴なんて気にもしてらっしゃらなかったようですけど!」
くすくすと笑っているアリシアに、王太子は更に楽しそうに瞳を煌めかせた。
「なるほど、それで舞踏会の後から不機嫌だったのか! 好きな女に他の女のことを指摘された上に、無関心とは、それは傷つくな。ははは。ツケが回ってきたな」
「まるで女遊びが激しいかのような言い方はやめて下さい。そもそも俺は女性を泣かせた覚えなんてありませんよ。お付き合いしていた女性がいる時は当然他の女性とかぶっていたことなどありませんし、別れる時もお互い納得していたはずです。不誠実なことはしていないつもりです」
「まぁな、お前はそう思ってるだろうよ。お相手の方々も納得で別れたんだろう。……『お前の心は手に入らない』と。しかし、お前がパレンティア嬢に興味を持ったことで今まで相手にされなかった御令嬢方のやっかみの集中砲火に会わないと良いけどな。それに、お前を僻む男性たちが手を出し始めるんじゃないか? お前の贈ったドレスを着なかったとあの会場中の人間が知っているんだから、我こそはと動き出すかもしれないな」
「その件に関しては失敗だったと思ってますよ」
あの時、彼女に贈ったドレスに合わせて自分の服も合わせたもので行った。
あのドレスは彼女に贈る際ブティックで一目惚れしたものだ。
彼女が俺の瞳の色のドレスを着てくれたらどんなに嬉しいだろうかと……。
けれど、会場に入ってきた彼女は淡い緑のドレス姿で、落胆は隠せなかった。
だから、周囲の視線が集まっていると分かっていたのに、気まずそうにしていた彼女に思わず聞いてしまったのだ。
気に入らなかったのかと。
『袖を通すのも恐れ多くて』
自分の我を押し付けていたことは分かっていたが、試着すらしてもらっていないことにショックを受けた。
「しかし、あの舞踏会は本当に面白かったね。僕、初めて女性からレポートをもらったよ。ラブレターをもらう事はあっても、レポートは……貴重な体験だった。しかも、ラウルが贈ったドレスを気に入らなかったかと聞いた時の周囲の令嬢の顔は忘れられないな。公開告白して振られたようなものだし」
「用は済んだと、そそくさと逃げ出すパレンティア嬢に会場もざわついてましたわね」
「しかも、あの後、僕すごいもの見ちゃってさ。彼女、ホールに戻ってきたと思ったらカーテンと一体化してたんだよ」
「まぁ、お兄様の選んだドレスを着て来なかった理由は本当にそれが理由だったのですね」
殿下の話に、カーテンの裏にちょこんと隠れる彼女を想像して、思わず笑ってしまった。
「で、そうやって逃げるパレンティア嬢となんとか話をするために、またラウルが女装したとか?」
「ええ。思わず兄様のメイクにも力が入ってしまい、会心の出来でしたわ。私に似て顔がいいものだから。ねぇお兄様、私を一緒に連れて行って正解だったでしょう?」
「その件は、感謝している……」
面白半分で赤毛のかつらを被り、変装メイクまでして私の侍女になると言った時は反対だったが、アリシアが用意していたドレスが無ければ、ティアと会話することすら難しかっただろう。
あの洞窟での彼女とは異なり、殿下や俺と話をするときは笑顔一つなく、何とか取り繕っていたようだが、震える手は隠せていなかった。
「しかし、……噂で耳にしていたのとは大違いな『パレンティア=カーティス嬢』に、会場の男性の視線は釘付けだったな」
「そうですわね。噂から想像していたのは豪華なドレスを着た高慢な女性かと思っていましたが……。大輪の花ではなく、まるで一輪の雪の華のように、清らかで慎ましそうな方でした。不安そうに会場に入ってきた姿がまた男性の庇護欲をそそったことでしょう。絹のような黒髪に滑らかな白い肌、桜色の唇が可愛らしさの中に計算されていない色気を添えて。今の社交界では中々お目にかからない御令嬢でしたものね。どうやって彼女を挑発しようかと思っていましたけれど、わたくし毒気を抜かれてしまいましたわ」
「あの後、どれくらいカーティス家に求婚の手紙が届いたんだろうね」
「お兄様がうかうかしていたら、あっという間にご結婚されているかもしれないわね」
彼らの言葉に、体が凍りつく。
確かに、あの日の彼女は可愛らしく、それでいて息を呑むほどに綺麗だった。
所在なげにダンスホールに入ってきた瞬間、会場の空気が変わり、一瞬呼吸を忘れたほどだった。
「男性嫌いと言っても、どこまでダメなんだろうな? 小さな男の子や、ヨボヨボの爺さんでもダメなんだろうか? 伯爵家も今は彼女の悪い噂で求婚を上手く避けているかもしれないが、取引先や王家、上位貴族が強く出た時には折れてしまうかもしれないしな」
クスクスと笑う王太子の意地の悪い笑みなど気にもせず、その言葉が気になる。
「少なくとも、騎士団には拒否反応を示していましたね……」
感情が声に乗らないように淡々と言いながら、封筒に手紙を収める。
――あの日、彼女は騎士団員や、近衛兵を避けるように会場や庭を歩いていた。
ティアが、『他の人と約束がある』と言って去っていった時は、思わず後を追ってしまったが……。
けれど、周囲の人影にビクビクと歩く姿を見ていたら、それ以上距離を詰めることなど出来ず、考えあぐねていると、アリシアが控え室に引っ張って行き、笑顔で「このドレスに着替えてくださいませ」と言われた。
「本当の事を伝えたかったのだがな……」
あの日、助けてもらったのは妹ではなく『俺』だったと。
きちんとお礼をしたかった。
けれど、彼女の顔が白くなるほどに緊張した顔も、合うことのない視線も、その仕草全てが全身で私を……『ラウル=クレイトン』を拒否していた。
『アリシア』として彼女の前に立った時、柔らかく微笑んでくれた笑顔がまた曇るのを恐れたのも真実。
そして何より、女装をしていたと言う事を言うのも恥ずかしかった。
『なぜ私なのか』とのパレンティアの問いかけにも、なぜ彼女に惹かれたのか本当の理由を話せなかった。
ただでさえ断りたいであろう婚約の話を、『アカデミーのことを思い出したくない』と言った彼女を更に嫌な気持ちにさせて、自分に対する感情をこれ以上下げたくなかった。
惹かれた理由を説明するのに、『アカデミー』の話は、避けては通れない話だ。
「……お兄様。私もお父様もお母様も喜んでますのよ?」
「え?」
唐突に言ったアリシアの言葉に、何のことかと顔を見る。
紫の瞳に先ほどのような揶揄う色は無く、嬉しそうに目を細めている。
「だって、お兄様は『結婚相手は然るべき時に、然るべき相手と。仕事の邪魔にならないなら誰でもいい』と仰っていたでしょう? 私、なんてつまらない人生かしらと思ってましたの」
「あ、あぁ……」
確かに。
ずっとそう思っていた。
公爵家に産まれたからには、家のため、国のため。
感情ではなく理性で。
『クレイトン公爵家』に相応しい相手と結婚すればいいと。
「そんなお兄様が、夜も眠れぬほどに焦がれる相手にお会いできるなんて。クレイトン公爵家嫡男であり、更には騎士団長というプライドすらをかなぐり捨て、女装してまで叶えたい恋は。そんな奇跡はきっとこの先二度と無いわ」
「アリシア……」
「ですから私、いくらでも協力いたしますわ」
「うんうん。僕も恋煩いのレアなラウルがおもしろ過ぎるからいくらでも手伝うよ。あ、後、魔道具のことも忘れずにね」
「殿下!」
「だってさ、あのレポート超面白くてさ。彼女の魔道具はすごいよ。この魔道具があれば、戦争も楽に進められそうだよね。彼女や、彼女の作ったものが他国の手に渡っては絶対にまずいことになる。国が管理すべきものばかりなのに……なんで魔道具研究棟に入らないんだろうね。これは国の損失だよ。カーティス家を尋問すべきか」
どこから出したのか、あの日の彼女のレポートをばさりと机の上に置いて殿下は天井を仰いだ。
「冗談でもよして下さい。俺はそんなことのために彼女と仲良くなりたいのではないですから」
「分かってるさ。でも頭の隅には置いておいてくれよ」
「殿下、二兎追うものは一兎も得ずですわ。パレンティア嬢と兄様の仲を邪魔されましたら、……いくら殿下でもわたくし容赦しませんことよ?」
口元は笑っていながらも、冷ややかに一瞥したアリシアに、殿下は「君たち兄弟を敵に回すほど愚かじゃないよ」と肩を竦めた。
「でも分かるだろ? 万が一にも王家に反感を持つ家や、金に目のない家が彼女を手に入れたらどんな方法で魔道具を売り捌いていくか分かったもんじゃない。お前のように信頼出来て、彼女を守れる力のある人間の元にいて欲しいものだね」
その通りだ。
「でも、彼女に会ったらお兄様は今度こそ『ごめんなさい』と、引導を渡されてしまうのは確実ね」
「だから、『アリシア』との繋がりを作ったんだろう」
けれど、これ以上どうやって彼女を繋ぎ止めたら良いのかわからない。
「エサを蒔いてみたらどうだい?」
「殿下、彼女は犬ではないんですよ」
ギロリと殿下を睨むと「言葉のあやだろう」とため息をつかれた。
「そうよ、お兄様。お兄様と一緒にいたらどんなメリットがあるのか、伝えれば良いのよ。ほら、お兄様じゃないと『出来ないこと』があるでしょう?」
「出来ないこと?」
うふふ、と笑いながら、アリシアは執務机の書類を一枚ひらりと摘む。
「あ、コラ! そこは勝手に触る……な」
妹に得意気に見せつけられたその書類内容に固まる。
「ね? 『兄様といるメリット』よ」
その書類の表題は、『リヴァイアサン討伐計画』――。