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いらない婚約



「婚約?」


 私用に与えられた研究室で、一昨日採取したばかりのアズナの実をすり鉢でゴリゴリと粉砕しながら父親に聞き返した。


 ノックも無しに勢いよく開けられたドアから、血相を変えた父と兄が雪崩れ込んできたから何事かと思ったが、長年相手を決められなかった兄の婚約が決まったのだろう。


 礼儀も忘れてしまうほど嬉しかったのかと、こちらも喜びに頬が緩んだ。


 肩下まで伸ばした黒髪を、一つに纏めた美丈夫の兄は、身内からの欲目を除いても美しいと思う。


「まぁ、兄様のご婚約が整ったのですか? おめでとうございます。お相手はどな……」


「お前だ! パレンティア! お前に結婚の申し込みが来てるんだ!」


 見せつけるように私の目の前に突き出された手紙にスリコギを回していた手と、思考が停止する。



「わた……し?」


「……そうだ。クレイトン公爵家から手紙が届き、是非長男のラウル=クレイトンとパレンティア嬢との結婚をとの手紙が……」

「無理です!」


 父の言葉を遮るように声を張ると、「そうだよな……。あぁ、どうしたもんか……」と頭を抱える父の手元には、クレイトン公爵家の家紋である鷲の絵が描かれた封蝋の印がはっきり見える。


「ラウル=クレイトン次期公爵と言ったら、『完璧公子』と呼ばれる今王国騎士団の団長をされている方だ。幼い頃から神童と呼ばれるほど優秀で、整った顔立ち。花婿候補ナンバーワンで常に女性が列をなしているというが……、なぜ社交界にも出ないティアに?」


 兄の言葉にそんなのこちらが聞きたいと心で叫ぶ。


 王国の盾と言われるクレイトン公爵家は代々武人を多く輩出する名門貴族。


 我が国、ソレイユ王国に二つしかない公爵家の一つだ。


「……貴族の御令嬢にモテモテで、騎士団長と言うことは、それはもう……『男らしい方』なんでしょうね」



 恐る恐る兄に尋ねると、気まずそうに兄が視線を逸らす。



「……そうだな。王国騎士団の団長だからな。いや、しかし以前お会いしたがゴツいという印象は無く、どちらかと言うと……」


 困ったように、言葉を選ぶ兄にそれ以上言わなくていいと手で制す。


「無理! 無理無理無理! 無理です‼︎」


 言いながら、ガタン! と勢いよく席を立ったのがまずかった。アズナの実と混ぜようと事前に用意していた薬液の入った容器が倒れ、中身が勢いよく零れた。


「ぎゃあぁぁぁぁあ! 一週間かけて魔法石の成分を抽出したのに!」

 

 三日三晩、満月の光に当てながら粘度が上がるまでこまめに混ぜて作った渾身の薬剤が!


 こんなうっかりで!



「落ち着け、ティア! 落ち着け! 兄がなんとかしてやるぞ!」

「いくら何でも『ぎゃあ』はないだろう……」


「お嬢様。ご安心ください。まだ薬液はあちらの瓶に残っておりますから」


 兄の焦りと、父の呆れた声に被せるように、私の助手兼侍女のブランカが、落ち着いた声で壁際の棚の中の瓶を指さして言った。


「よ……よかった」


「お前は、本当に魔道具のこととなると人が変わるな……」



 父親の呆れたような声など耳に入らず、ブランカと薬液のこぼれた机の上を片付ける。


 そうして、これ以上私の実験室に被害が出ないよう、内扉で繋がっている私の部屋に二人を案内し、ブランカにお茶の用意を頼んだ。






「で、……話は戻るが……」

「と、いうか。父様、私の悪い噂はきちんと流してくださっているんですよね⁉︎」


「もちろんだ。『贅沢が大好きで、わがまま放題。夜な夜な遊び歩き、父親も勘当寸前』と、お前に結婚の話が来ないように、お前の希望通りの噂を一生懸命流したんだ! 実際今まで一つも来なかっただろう」


「僕だって、社交の場に出る度に『妹の贅沢と横暴ぶりに手を焼いている。嫁の貰い手は望めない』と頑張ってボヤいてるよ」


「だったら何故……」



 チラリと父が視線だけで『本当は何か心あたりがあるんじゃないか?』と視線を寄越されるが、心当たりはないとブンブンと頭を左右に振る………。


 こちとら引きこもり歴四年で、もう貴族男性とつながるような……。


「この手紙には、お前との結婚と、……それから先日のお礼がしたいと書いてあったが。何のことか分かるか?」


「さぁ……?」


 さっぱり分かりませんと首を捻り、たっぷり五秒考えた時点でハッとした。



「……‼︎ ああああ! 一昨日……」


「一昨日?」


「ラーガの森で……、ご令嬢にお会いして……」




「……どんな御令嬢だった?」



 父と兄がごくりと喉を鳴らし、息を詰める。


「美しい月の光のような銀の髪に、アメジストを彷彿とさせる紫の瞳。そして、女神を具現化したような、息を飲むほどの美しい方でした……」 


「銀髪、紫眼。美しい容姿……」

「間違いなく『社交界のバラ』と呼ばれるクレイトン公爵家のアリシア嬢だな」

「何でラーガの森なんかでクレイトン家のアリシア嬢に会うんだ?」



 兄の質問にまずいと一瞬言葉が詰まる。


「ティア?」

「パレンティア……お前、まさか」


「ええとですね。その……、アリシア様が……盗賊に襲われているところをお助けして、一晩洞窟で過ごした後、無事に騎士団の方がお迎えに来られまして」



「「……盗賊って……」」


 父も兄もふらりとめまいがしたかのように項垂れる。


「あ! でもでも! 父様と兄様の言いつけを守って護身用グッズを大量に持って行っていたのでことなきを得ました!」

「ことなきを得ましたじゃない! なぜそれを報告しない!」



 ごもっともの指摘に体が竦む。


「ごめんなさい。私のことは名乗っていないし、高貴な方とは思ったんですが、正体は明かしたくないようで名乗られませんでしたし、……お忍びかと」

「それだけじゃないだろう?」


 父がチラリと研究室に続く内ドアに視線をやる。



 まずい。見抜かれている……。



 たらりと冷や汗が落ちるも、正直に白状した。


「採ったばかりの、アズナの実の処理を一刻も早くしたくて……。ごめんなさい」


 はぁ……。と目の前の二人が深い……深ーいため息を吐く。


「無事だったからよかったものの……。どんなに護身用のものを揃えても心配でたまらんよ」


 外出時、私に護衛はつかない。



 理由は単純で、男性が苦手だからだ。


 かといって、カーティス騎士団の中に女性騎士はおらず、一人で外出する際は護衛をつけない代わりに、ありったけの護身用魔道具を持たないと外出させてもらえない。


 というか、あれだけ護身用魔道具があれば、数人の騎士に匹敵するので、こちらの方が安全な気もする。


 それでも一応基本的にはどこかに行く際はブランカと一緒に出掛けているが、今回はブランカに用事を頼んでいたので、一人で出かけた。


 でも、それはよくあることだ。



「そもそも、一昨日はトトルの丘に行くと言っていなかったか? 何でラーガの森なんだ? あそこには近づくなと言っただろう? うちの商隊も何度も山賊被害に遭っているというのに……」



「ごめんなさい。夢中で採取していたらいつの間にかラーガの森に入っていて」


 視線を逸らしながら白状すると、またしても深いため息が聞こえた。



「……で、助けたのは分かった。それで何故婚約という話になるんだ?」


「さぁ……?」


 首を捻り返事をすると、兄が「ハッ! 分かった!」と手を打つ。


「アリシア嬢は常に社交界の中心だから、お前の悪い噂話を聞かない訳がない。なんせカーティス家総出でそのことに注力しているぐらいだからな。そこで何かの時点でパレンティアがカーティス家の次女と気づいた。しかし、お前の優しさと聡明さと可愛らしさが噂と違うことに気づく」



「に、兄様……?」


「そして、ティアが家の中で爪弾きにされているのではないかと思ったに違いない! 家族全員で虐めて根も葉もない噂をばら撒いていると!」


 確信に目を輝かせて兄が拳を握りしめた。


「そして、お前に助けられたアリシア嬢がティアの素晴らしさをラウル殿に語り、お前を魔の巣窟のカーティス家から救い出すようお願いしたのでは……⁉︎ それで婚約に……」


 なるかー! 


 とツッコミたいが、これしかないと拳を握りしめて言い放つ兄の言葉に開いた口が塞がらない。


「王都で人気の小説ですね。『家族に虐げられた令嬢が王子に助けられ、幸せになる』という」


 と、ブランカが淡々と説明を付け加える。


「え、何それ。面白いの?」


「舞台化もされているとか。さすが敏腕実業家のシリウス様。流行には敏感ですね」


 はっはっはと得意気に笑う兄を思わず死んだ目で見つめてしまった。


「兄様、そんな小説の内容を真に受ける貴族なんていないでしょう? まして高位貴族のクレイトン公爵家ですよ」


 とにかく。と、父親に向き直った。


「と、父様、お願いですから、……お断りしてください」


「もちろんだ。……しかし、返事は急がなくていいので、一度見合いの席をと書いてあるから、その上で断……」


「父様!」


 祈るような、私の必死さが滲み出ていたのだろう。父は少し困ったように、それでも『すぐに断りの手紙を出そう』と微笑んだ。


「ありがとうございます! 私の至らぬ点をここぞとばかりに返事のお手紙に書き連ねて下さいね。盛りに盛って!」


「む……。うむ。最善の努力をしよう。ところで、またサダ伯爵の息子から『ティア』宛に手紙が届いていたが……」


 数ヶ月ぶりに聞くその名前に思わず眉根を寄せた。


 最近は手紙が送られてくる期間が長く空いていたから、諦めたかと思っていたけれど……。



『あれ』から四年も経つのに、しつこい男だとうんざりする。



「……いつものように廃棄しておいてください」


「分かった。これもこちらで処理しておく」

「ありがとうございます」


 次から次へと、……もっと楽しい話はないのかしらと思いながら小さくため息をつく。


「大丈夫だティア! いつも言っているが、お嫁になんて行かなくても、僕が一生カーティス家で面倒を見るから気にしなくていい。好きなだけカーティス家にいて、好きなだけ魔道具に埋もれればいい!」


「ありがとうございます。 兄様より素敵な殿方なんていませんわね」


「はっはっは! 兄に任せろ!」


 そう高らかに笑う兄の言葉を信じ、これで私の研究生活は守られると喜び勇んで軽い足取りで研究室に戻ったのに……。

 あの日、コトは簡単に運ぶと思っていた自分の頬をぶっ叩いてやりたい。

 


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