一話【憂鬱なゴールデンウィーク】
「翔ちゃん。最近ちょっと不機嫌っぽい?」
「ちょっと不機嫌っぽいんじゃない。かなり不機嫌なんだよ」
学校からの帰り道、自転車で隣を走る璃恩が出し抜けに訊いてきた。
五月二日(木)。明日から始まる四連休を前に、クラスのみんなは浮き立っていた――のだが、俺は例外だった。
「やっぱり、進さんが帰ってくるのが嫌なの?」
「はっきり言うなよ。俺がガキっぽいじゃん。……まあ、そうなんだけど」
俺が憂鬱になっている原因は、まさにそれだった。
天宮進は俺の三つ年上の兄だ。
小学生の頃から成績優秀、品行方正。俺は兄さんが叱られている姿を見たことがない。
中学に入ってからは周囲とテスト結果を比べられることも増えてくるが、俺が聞く限り、校内での順位は常に一桁。高校に入ってからは全国模試でも百位以内に入る秀才っぷりを発揮し、現役で東大に合格してしまった。
おまけにスポーツ、美術、音楽、コンピュータ等も平均以上の成績を残しているのだから恐ろしい。親も弟も平凡なのに、兄さんだけは突然変異のような存在だった。
ただ、俺は兄さんが嫌いではないし、むしろ尊敬している。小学生までは特にそうだった。
だけど、苦手なんだ。俺には到底手が届かない才能を持ち、親からもたっぷりの愛を注がれる兄さんの姿を見ると、俺が酷く矮小な存在に思えてくるから。〈善活〉だって、そんな兄さんの威光から逃れるためにやっていたようなものだ。
「璃恩の四連休の予定はどうだっけ?」
「金曜日と日曜日は丸一日バイト。土曜日と月曜日は特に予定もないから、家にいづらかったら遊びに来てもいいよ」
「……ああ、ありがとうな」
そう言われても、俺のわがままのために璃恩と璃恩の母親との時間を奪うのも気が引ける。一応「俺のことは気にしなくていいから」と言っておく。
その後は現実逃避するかのように、あいつはハワイに行くだとか、あいつは徹夜で新発売のゲームを遊び尽くすだとかクラスメイトを話の種にしながら他愛ない話を続ける。
「じゃあ、いい休日を!」
「おう。璃恩もな」
互いの帰路に分かれ、俺はキイキイと音を立てる自転車を一人でゆっくり走らせる。
「はあ……嫌なゴールデンウィークになったな」
帰宅し、自転車を車庫の中に仕舞う。どことなくいつもと家の雰囲気が異なるのを感じていた。
「…………」
ここで突っ立っているわけにもいかず、ただいまと言いながらいつもより重い玄関の扉を開ける。
三和土には見慣れない黒の革靴が一足置かれていた――いや、一回だけ見たことがある。大学入学前に兄さんが買ってきた普段使い用の靴だ。あまり服装に気を使わない兄さんにしては珍しくおしゃれな買い物をしたなと感心したことを覚えている。まだピカピカだ。
靴を脱いで、とりあえず何か一杯飲むかと思ったときだった。キッチンのほうから普段見かけない大きな影が姿を見せた。
「久しぶりだな、翔」
黒く艶のあるショートヘアに、知的さを一層引き立てるスクエア型の黒縁眼鏡。女性のように白く滑らかな肌に華奢な体、しかし俺より若干身長が高く男らしさも兼ね備えている。俺は兄さんが文武両道なだけでなく、意外とモテるという事実を忘れていた。
「久しぶり、兄さん」
天宮家が誇る秀才、天宮進との一か月ぶりの再会だった。




