9.竜、落ちる
「なるほど! それはドレスを持ち出したくなるマルティナの気持ちがわかる! 義妹に婚礼衣装を売り払われるなんて、論外だ!」
「可能性だけどね。九分九厘の。私のものは今までずっと奪われてきたから」
エルマーと私が、互いの気持ちを確かめ合った後。
なぜふたりで酒盛りが始まってしまったのか、不思議で仕方ない。
照れ隠しに荷物の片付けを再開し、お酒が出てきたあたりから、記憶があやふやだ。
ベッドに腰掛けて、グラスと酒瓶を傾けている現状。
ラブロマンスはどこに消えたんだろう? とはいえ、エルマーはまだ幼竜。致し方な……お酒飲んでるしぃぃぃ?!
「ちょっ、エルマー、お酒大丈夫なの?」
「大丈夫! 俺は竜だぞ、酒など効かん」
「それは損な体質……じゃなくて、でもこのお酒、クヴェレで貰った"竜落とし"って名前なんだけど??」
クヴェレの地酒"竜落とし"。
竜に恋い焦がれた娘が、度数の高いお酒に甘い香りのスパイスを混ぜて生み出したという、竜を陥落させるためのお酒。
……という、触れ込みの蒸留酒。クヴェレの竜好きっぷりが溢れている。
ガバガバ飲んでたけど、本当に効いてない? 陽気じゃない? 気のせい? いつもより割増の陽気は気のせいということで、ダイジョブですかー?
あっ、私もちょっとヤバイ。
「だがそうなると、このドレス、どうしたものかな」
「そうなの。お針子さんたちが心を込めて、私にぴったりに縫ってくれたドレスだから、袖を通さずに終わらせるのも悲しいし、かと言って……」
他の男性とのお式のために作ったドレスを、エルマーにというのも。
ためらっていると、
「よし、この白いドレスを俺色に染めてやる!」
「えっ、竜の魔術に何かあるの?」
「そんな術はないが、針と糸で」
「え」
「貰った色ガラスのビーズ、竜のウロコっぽかった。あれを散りばめるというのはどうだ? 裾と胸元、こう斜めに……」
つー、とドレスに指で線を引くエルマーの目が半分、トロンとしているけど、平気なのかしら。
「マルティナ、針と糸は?!」
「えっ、早速? ここに仮の裁縫セットならあるけど、でも縫えるの、エルマー?」
「問題ない。俺は竜だ」
「待って、裁縫技術にそれ関係ない」
「うん? マルティナ、この針、穴がいくつもあるぞ。どこに糸を通すんだ……」
「エ、エルマー、穴は一個よ。目の焦点が怪しいわ。あなた、絶対酔ってると私は思うんだけど……」
「っつ! あ、血? なんで? うーん、まあ、いいか。よし縫おう」
「きゃあああ、やめて、エルマー。あなたの色というよりも、あなたの血の色にドレスが染まっちゃうからぁぁ!!」
慌てて、虚ろなエルマーからドレスを取り上げる。
ゆらゆら揺れてるエルマーが、激しく心配。
"竜落とし"に使われてるスパイスって、もしかして竜に効くマタタビみたいなものかしら?
明らかにいつものエルマーじゃない。
ぽてっ。
そのまま少年竜は、ベッドに倒れ込んだ。そうして肩を揺らし始める。
「くふっ、くふふふふふっ。マルティナが俺を好きだって言った」
喜びながら、笑ってる。言ったけど、言ったけどね?
「大丈夫? エルマー。お水持って来ようか?」
「水より、マルティナがいい」
「きゃあ!」
くいと腕を引かれただけなのに、力があるので簡単に引き寄せられてしまう。
エルマーの上に重なるように、私までそのままベッドに倒れ込んでしまった。
「マルティナ。どこにも行かないでくれ」
「そうね、行かないわ。でもお水はあった方がいいと思うの。かなりヤバそうだし」
「だから水は要らない。マルティナがいい」
すんと抱き着いてくるエルマーは私より小柄で、なんだか懐かれてる気持ちになる。
「結婚式を挙げたら、一緒に寝てくれると言った」
「いいい、言ったかしらね??」
クヴェレで同室を断った時の言葉を、よく覚えてると感心する。
「結婚式しよう。あのドレスをアレンジして」
「え、でも」
「どんな式を挙げたかったんだ?」
「それは……、教会で……」
慎ましやかでも、心が結びつくような神聖な式。
そんなお式に憧れていた。
「地下宮殿には、祭壇だった場所もある。神はいないが、俺がいる」
「?」
「山裾の里では、神ではなく竜に誓う式もある。俺たちは、互いに誓いあうというのは、どうだ?」
静かな声は、とても落ち着いていて。
顔を覗き込むと、どこともなく見ている目は、エルマーらしい理知的な目だった。
そんな彼が、くい、と私に顔を向ける。
「情けないけど、約束が欲しい。マルティナが俺の傍にいてくれるという……。俺もマルティナに、ずっと誠実であると誓うから」
ねだるような熱を帯びた目に、ドキリとした。
エルマーは時々、子どもにはない色香を発する。
(本当に、エルマーは何歳なんだろう)
本人も知らないのでは、きっとずっとわからないけれど。
彼の提案を検討しても、断る理由がなかった。
「いいわ、エルマー。誓いあう、結婚式をしましょう」
そう答えると、エルマーは嬉しそうに口元を緩めて、「じゃあ、用意して今度……」
と、そう言いかけた言葉は、す──っ、と安らかな寝息に変わる。
竜、落ちる。
クヴェレの地酒、恐るべし。
そんなわけで私たちは、地下宮殿の光射す大ホールで、互いに誓いあう、ふたりっきりの式を挙げたのだった。
◇
やがて王都で起こった問題に巻き込まれるなど、想像もせずに。