8.潰えた縁
白いドレスがトランクからのぞいたのは、偶然だったけれど。
「……そうか。マルテイナは……、竜には食べられると思ってたんだったな……。つまりこのドレスは、俺のためじゃなくて……」
エルマーの苦々しい表情を見たのは、これが初めてだった。
「別のヤツのため、か?」
ほうっ、と、エルマーが息をつく。
「……っ」
「──沈黙は肯定だ。マルティナにそんな顔をさせるやつがいたんだな。なのに、俺だけ浮かれてた。マルティナは王都で、理不尽な人選の末に、差し出された"ハナヨメ"だったのに」
ズキリと胸が痛む。
エルマーはこれまで、私に心の傷を思い出させるような言い方をしたことがなかったのに。
でもそれ以上に。
エルマーの傷ついた横顔のほうが、私には痛い。
「あ、あのね、エルマー」
「そいつのこと、好き?」
「え?」
「そいつのところに戻りたい? ドレスがあるってことは、結婚の約束をしてたんだろ?」
「────!!」
◇
時は遡り。
マルティナが王都を発つ前、一組の親子に口論があった。
「なぜ僕に無断で、婚約相手を切り替えることを承諾なさったのです、父上!」
伯爵家長男ティバルト・オルラウ。
マルティナ・ロストンの元婚約者であり、ナディア・ロストンの現婚約者は、荒げた声で父伯爵に詰め寄っていた。
平然と、オルラウ伯爵が返す。
「会議の場で、マルティナ嬢が竜の花嫁候補に挙がった時、ロストン家から持ち掛けられた。お前の意向を聞く間などない」
息子の意志を介在させる気は一切ないという、冷徹な姿勢がそこにはあった。
「それだっておかしい! "婚約者がいる"と言えば、マルティナと竜の縁談は、避けることが出来たはずではありませんか! 他の令嬢たちは、それで回避したと聞いています」
この裏には、マルティナの父であるロストン子爵の思惑が絡んでいる。
"婚約者がいない娘となると、ナディアが候補のひとりに挙げられてしまう"。
暗黙に上位貴族を除いて、"年頃の娘"というだけでも限られてしまうのに。
大口の婚約相手を求めて、ナディアをフリーにしていたことが裏目に出そうになり、ロストン子爵は土壇場でマルティナとナディアを切り替えた。
そして持ち掛けられたオルラウ伯爵も、家の利益をはかりにかけ、提案を良しとしたのである。
ロストン子爵がマルティナに「ティバルトもナディアが良い」と伝えたのは、彼の父親、オルラウ伯爵の言葉を勝手に代弁したに過ぎない。
「もう決まったことだ。そもそもマルティナ嬢はいかん。婚約を結んだ昔はともかく、いまあの娘の評判は最悪だ。責任感がなく自堕落で、奔放が過ぎると。"竜のもとに送っても、何の損失もない娘"、それどころか"乱れた空気が良くなる"とまで言われているのだ。お前ももうずいぶん長く会っていないのだろう?」
「それは……っ。マルティナは訪ねて行っても、いないことが多く……」
反論することが出来ず、下を向きながら口ごもった息子を、オルラウ伯爵は冷めた目で眺める。
「で、代わりにナディア嬢とお茶を飲んで帰ってくる、というわけか。ならばナディア嬢でかまわないではないか」
「ッ! けれど! マルティナは噂されているような娘ではありません」
「なぜそう言える? 会わないうちに女は変わる。よしんばお前の言う通り、マルティナ嬢の噂が虚偽のものだったとしても。貴族社会では風評がものを言う。男遊びが激しいという嫁を迎えては、我が家も何と囁かれるか。出来た後継ぎの種さえ、疑われかねん。それでなくとも傍流の家々が、虎視眈々と当主の座を狙っているというのに、リスクは避けるべきだ」
「──マルティナの良くない噂など、我が家に嫁げば僕が消してみせます」
「そう言うなら、なぜこれまでに行動しなかった!」
食い下がる息子に業を煮やし、ついに痛烈な一言が、怒気を孕んで空気を揺らした。
「考えれば方法はあったはずだろう! それにだ。マルティナという娘、王城で何度か見かけたが、いつも随分と顔色が悪かった。話では先日も倒れて休んだと聞く。嫁は健康に限る」
「父上!!」
「くどい! もう決まったことだ! 大体マルティナ嬢は、明後日にはイェルクの山へ発つ」
「!!」
「急がねば、竜が指定した刻限までに間に合わないからな。言っておくが、追って連れ戻すことはならんぞ。国の決定に逆らえば、オルラウ家の叛意を疑われる」
「そんな……」
「諦めろ。お前とマルティナ嬢の縁は、終わったのだ」
こうしてティバルト・オルラウは家長の意に従い、長年の婚約者と言葉を交わすこともないまま、マルティナとの別れを受け入れた。
マルティナには知る由もない。
……が……。
そして時は、現イェルクに戻る。
◇
キュッと目を閉じながら、エルマーが言葉を絞り出した。
「もし、王都に戻りたいのなら俺が……」
「──……いいえ」
「ぇ?」
「いいえ、エルマー。戻らなくていい」
「マルティナ……?」
「私はあなたとここに居たい。エルマーが私を望んでくれるなら、私はエルマーと居たいわ」
私は顔を上げ、エルマーの金色の目を見すえて、きっぱりと言った。
エルマーが戸惑うように眉をあげる。
「無理をしなくてもいいんだぞ? もし、マルティナが戻ることでとやかく言うやつがいるなら、俺が黙らせてやる。イェルクの竜には、その力がある」
(ああ。この竜は、どこまでも相手を思いやれる竜なんだ──……)
自分が今にも泣きそうな顔をしていても、私の気持ちを優先しようとしてくれている。
"ドレスが見つかったから"と揺らいでいた自分が、酷く滑稽に思えた。
私の答えは、とっくに決まっていたのに。
「私には、婚約者がいたの。名前はティバルト・オルラウ様」
「っ!」
「幼い頃に結ばれた約束で、だけど今回、反故になった」
「だから俺が言って──」
しっと唇に指をあて、「最後まで言わせて?」と伝えると、エルマーは黙って私に譲ってくれた。
「未練がなかったかと言われたら、嘘になる。でも、私の未練はたぶん"好き"だとか、"愛してた"とかじゃない」
「??」
「私はきっと……、逃げたかっただけ」
そう、仕事に追われ続ける毎日から。
罵倒され、馬鹿にされる視線や声から。
竜に捧げられる恐怖から。
「でも自分の力で逃げ出すことが出来ずに、ティバルト様を頼っていた。お嫁に行けばきっと、苦しい毎日から抜け出せるって。好きだと思ったのは錯覚。愛だと思ったのは幻想。だって私、もうずっと長く、ティバルト様とは会ってなかった。それでも耐えられていたのは、私とティバルト様の間に、何も生まれてなかったからだと気づいたの」
もし、エルマーと会えなくなったら、私は毎日悲しくて、寂しくて、泣いてしまう。
こんな感情、ティバルト様に抱いたことはなかった。
「結果的にイェルクに逃げて来たことになるかもだけど……。もし、自分の意志で残るなら、それは選択よね?」
「……本当にいいのか? 俺がこう言っているうちに戻らないと、俺はマルティナを手放せなくなるぞ?」
こんなに全身で求めてくれる相手からの想いに、気づかないはずがない。
エルマーならきっと、私がイケニエになると決まったら全力を尽くしてくれる。
私も必死で、彼のもとに戻ろうとするだろう。
違いは、明白だった。
知らなかったから、気づかなかっただけだったのだ。
この気持ちの名前に。
(おそらくティバルト様は、私のことを求めてなかった。私も逃げようとして、ティバルト様をアテにしてた……)
助けてもらいたくて……、せめて話を聞いて貰いたくて、日中、仕事のお使い途中にティバルト様の職場に訪ねて行ったことがある。
同僚に囲まれたティバルト様は私に──、気づかなかった。
あの時はそう思ったけれど。
本当は、合った目を逸らされた現実を、受け入れたくなかっただけ。
ティバルト様は面倒ごとはお嫌いなのだ。
波風が立たない道を歩きたい方だから。
婚約が続いていたのも、変化を良しとされなかったから。
私の噂をどう思われていたかはわからないけれど、私が大人しいことはご存知だったから、結婚して外に出なくなれば自然に消えるとお考えだったのかもしれない。
だって私も……、そう思っていたもの……。
私はこれまで、自分から強く望んだことがあった?
自分のためにより良い未来が来るようにと、行動したことがあった?
エルマーは言った。欲しい未来は、自分で引き寄せるのだと。
「帰る必要なんてない。私がずっと一緒に居たいのは、エルマーだから」
そして心から、彼の運命の番になることを望む。
「イェルクの山に、置いてくれる?」
「いて欲しい。……けど、俺の身体はまだ幼くて、マルティナの隣に立つと姉妹に間違われて……。いつ成竜になれるかわからないことが、こんなに悔しいなんて。はじめて感じてる」
「──どんな姿でも、エルマーが好きよ」
「俺も。はじめて手を握ってくれた時から、いや、出会った時からずっと。マルティナが好きだ」
真っ白なドレスがトランクから流れ落ちて、床に広がる。
さようなら、ティバルト様。私たちの縁は、潰えたわ──。
引きで続きたかったけど、まあ、切りが良かったので。
もちろん、まだ続きます(*´艸`*) お付き合いくださいませね♪
そんなわけで、短編の感想欄で問い合わせがあったティバルト様でした。
三人称と一人称が混ざった回で、すみません~。
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