7.白いドレス
宿の部屋で、髪を梳かしながら独り反省会をする。
(エルマーには悪いことをしたわ……)
夕べの温泉は、素晴らしかった。
広々とした浴場は屋外に開け、夜空を見ながらたっぷりのお湯に身を浸して、嫌なことを全部忘れるくらい気持ちが良かった。
疲労回復はもちろん、美肌効果のある温泉らしい。
いくつものお湯は、それぞれの宿屋の共同経営となっていた。
お部屋を借りて、思う温泉に行く。
私が入った温泉の横には、石で作られた竜の像があり、温泉にまつわる逸話が綴られていた。
"病気で肌が醜く爛れ、嘆いていた娘のために、イェルク山の竜が湧き出る泉を与えた"。
それがクヴェレの温泉の起源で、娘の肌は見違えるほど美しくなったと記されている。
娘は合意で竜にお持ち帰りされた。きっと何代か前の"花嫁"だ。
石像の竜はどこかずんぐりむっくりとしていて、エルマーの優美なフォルムとはずいぶん違う。
(きっと間近で竜を見たことがないからね?)
私にとってもずっと、竜はおとぎ話の中の存在だった。
(まさかあんなに近くで見ることが出来るようになるなんて)
紫色に輝く鱗は一枚一枚がとても頑強で、なんでも跳ね返しそうな強い力を秘めていた。
すらりとした首に、均整のとれた身体つきはしなやかで、尾の先までも美しい。
想像していた可愛い幼竜とは違ったけれど、完成された美がそこにはあった。
エルマーはまだ、馬より一回り大きいくらい。
成竜になれば、私をその手に包めるくらい大きくなると言っていた。
もっと生きれば、もっと大きく。
(エルマーの部屋、さらに改装されそう)
思い出して、くすっと笑う。
"花嫁"とほぼ交代で出ていったという父竜は、イェルク山をエルマーに譲り、新しく生まれた火山に向かったという。
"代替わり"。
生まれて長いのに、いつまでも成竜にならないエルマーを、独り立ちさせようという目的もあったらしい。
成竜になるために必要なのは、時間だけではないと言うことだった。
(エルマー、あんなにすごいのに、何が足りないんだろ)
「っはぁぁぁ……」
思い出して、ため息がこぼれた。
温泉に入りたくてウキウキしていた私は、エルマーが角と尾のせいで人里の温泉に入れないことを、全く気づかなかった。
上機嫌でお湯から出てエルマーと合流し、「男湯はどうだったのか」と聞いた時に、はじめて知ったのだ。彼が時間を潰しつつ、ずっと待っててくれたことを。
「穴があったら入りたい……」
エルマーは、気にする私をとても盛り立ててくれた。
満足してる私を見るのが、自分の満足だから。
自分はいつも、人には入れない地底湖で水浴びが出来るからと。
それでも気にしてたら、"成竜になったら角や尾も自由に隠せる。その時は混浴しよう"と迫り、慌てて拒否する私を笑って、心の負荷を取り除こうとしてくれた。
(しっかり、マルティナ! 竜が優しいからって、甘えてばかりじゃダメ。私も何か彼にしてあげれることがないか、考えなきゃ)
身だしなみを整え終えて気合いを入れ、食堂がある階下に降りて行った。
宿屋は大抵、食堂を兼ねている。上が宿泊施設、下が食堂といった具合だ。
朝誘いに来てくれたエルマーには、先に降りて貰っている。
先に降りて──。
(何してるの?)
エルマーの座った卓が人に囲まれ、とても盛り上がっていた。
お皿が山と積み上がっている。察し。
「小さい身体でよく食べるなぁ!」
「このお店の料理、すごく美味い」
「そうか、そうか。次はこれも食べてみろ。名物の壺焼きだ」
「壺焼き?」
「肉と野菜と調味料を壺に入れて、壺ごと長時間煮込んだ料理でな、ほら」
「おおおお! 面白い!!」
壺に詰まった料理に、エルマーが目を輝かせている。
(……お料理、覚えてみようかな)
家と職場の往復な上、子爵家の料理人が食事を賄っていたので、私は簡単なものさえ手作りしたことがなかった。
でも、あんなにエルマーが喜ぶのなら……。
きっとこれからは必要になるだろうし、作ってあげたら喜んでくれるかもしれない。
壺焼き、は、いきなり無理だろうけど。
(──エルマーの火があればイケる? 待って待って、それじゃあエルマーにも料理させることになっちゃう。それは私の手料理と言えるの? うううん?)
「マルティナ! こっちだ!」
首を傾げていると、エルマーが私を見つけて手を振った。
視線が私に揃う。
うっ、恥ずかしいけど。
「おはよう、エルマー」
自然な笑顔で、挨拶を返した。
◇
「はあぁ、堪能したわねー」
「すごく楽しかった! マルティナが居たからだな!」
さらりと言って来る少年竜に、思わず頬が染まる。
地下宮殿に戻った私たちは、大量の荷物を部屋に運んで、旅の余韻を味わっていた。
「でも驚いたな、昨日の医者が宿に来るとは」
「本当に! ベンノさんのお孫さんが、お礼を言うために私たちを探してたって」
「医者って……暇なのか?」
「そんなこと言わないの。きっと忙しい中、時間を割いてくれたのよ。こんなにガラスビーズ貰っちゃった」
家業がガラス職人だったらしい。
銀箔が入った美しい色ビーズと、地元酒をお礼にと渡され、逆に恐縮してしまう。
「変わったガラスだよな」
「透明ガラスに色ガラスで模様をつけながら溶かして、馴染ませていくんだって。竜のウロコみたいなモチーフなのは、クヴェレが竜好きな街だからね」
実際、クヴェレでの竜人気はすごかった。
イェレク山の裾にある里だけあって、潤沢な水や温泉はじめ、山の恩恵を竜のおかげと神のようにあがめているらしい。稀に、空を飛ぶ影を目撃出来る点も、影響してそう。
王都では、あんなことはなかった。
王都での竜はどちらかというと恐れられ、厄介な存在のように思われている節がある。
国王より人気が高まると困るという、政治的なものもあるのだろう。
(ところ変われば、なのね……)
世間を知らないということが、いかに自分の視野を狭めてしまうか痛感する。
きっとクヴェレの住民なら、竜の"花嫁"と言われても、大きな悲観にはならなかったかもしれない。
(本当の竜は、こんなにも優しいのに)
エルマーの姿を追うと、荷物を片付けようとしてくれていた。
「マルティナ、この荷物、どこに置く?」
「あ、それは……」
ガタンッ。
いろいろ動かした拍子に、王都からのトランクが、棚から落ちた。
蓋がずれて、中から真っ白なドレスがこぼれ見える。
「ああっ、悪い。えっ!! これ、もしかして結婚式用のドレスか?」
「!!」
「すごくキレイじゃないか。キラキラの刺繍があって! マルティナ、こんなドレスを用意してたなら、言ってくれたら良かったのに」
(私の馬鹿! テイバルト様とのお式用に準備したドレス、なんで持ってきたりしたのよ!)
満面の笑みで振り返ったエルマーが、私の様子を見て、ピタリとその表情を変えた。
声の、トーンも。
「……そうか。マルテイナは……、竜には食べられると思ってたんだったな……。つまりこのドレスは、俺のためじゃなくて……」
息がとまりそうになった。
ああああれ? おかしいな、地下宮殿の結婚式までなかなか進まないのはナゼだー!!
温泉っていいよねー。壺焼きケバブって憧れるよねー。トンボ玉もホタルガラスも大好きー。
……こんなこと言ってるからだと、わかってる(´Д⊂ヽ
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