6.染み込んでる!
「はい、はい、はいー」
声がして診療所の扉が開くと、中から三十代後半くらいの男性が、乱れた髪と着崩れた白衣で出て来た。
ずり落ちたメガネを直しながら、私たちを見る。
「あの、お医者様ですか? この方が突然道で倒れて……」
「患者? とにかく入って。つ、ベンノ爺さんか、どうしたんだ」
良かった、かかりつけの先生だったみたい。
速やかに診療所のベッドに運び込まれた男性を、先生がすぐに診てくれている。
ちょっとホッとして、エルマーと顔を見合わせた。
こじんまりとした診療所の中を見る。
棚に並ぶたくさんの薬瓶に、小さな机と……。
(んんっ?)
たった今ぶちまけてしまったのだろうか?
箱と、山ほどの紙が床に散乱していた。
横に椅子が転がっている。
(ええと、椅子に足を引っかけて、その拍子に箱を落とした的な?)
慌てさせたのだとしたら、悪い事をしてしまった。
でも急患だったから、焦ってドアを叩いたのだ。
診察結果が出て、先生が症状を教えてくれる。
「脱水だね。十分な水分をとらないまま、酒を飲み過ぎたんだろう」
「大丈夫そう、ですか?」
「すぐに処置できたから。意識が戻ってないのは、これ……、そのまま寝てしまっている」
「寝……」
見れば苦悶していた表情は、穏やかな寝息に変わっている。
なんとも呑気な患者本人だと思う。
でも良かった。
「この街で見ない顔だけど、もしかして通りすがりで運んできてくれたの?」
「あ、はい。偶然目の前で倒れたので、びっくりして」
「君たち二人で?」
先生が問い返すのも無理はない。
女と子ども(竜だけど)。毛布などの補助具もなく、どんな方法で大人を運んだのかと訝るところだ。
「それは骨が折れたろう。ありがとう、君たちのおかげで、患者が大事に至らなくて済んだ。お茶でも入れるから、ちょっと座って待っててくれ」
「あ、おかまいなく……」
といっても既に先生はお湯を沸かしに、続き部屋に行ってしまった。
「待つことになってしまったな」
「ごめんね、エルマー」
ぽそぽそっと呟き合う。
ふと床に散乱した紙たちが気になった。
「これ拾うの、お手伝いしますね」
「あああ、申し訳ない。僕は整理が苦手でね。でも今日は一念発起して診療記録を整理しようと、まとめて出したらこのざまさ」
奥に声かけると、そう答えが返ってきた。
なるほど、カルテ。
「エルマーは座ってて、すぐだから」
「ん。ここ、いろんなニオイがするな」
珍しそうにエルマーが部屋を眺めている。きっとたくさんの薬のことだろう。
そういえば竜の鼻って、どのくらいの性能なんだろう?
「やあやあ、お待たせ」
「あっ、ありがとうございます」
「わ、カルテ、もう集め終えてくれたのかい。──って?! それ、何かに分けてる?」
トレイにお茶を乗せた先生は、数枚ずつ縦横交互に重ねた書類に目を剥いた。
「あ、ええと、勝手ですが仕訳けました。こちらの診療所の分け方がわからなかったので、とりあえず名前で、上からA、B、C……。それと同じく右側の束は5年前までが最後の受診記録で、同様にAから順に並べています。5年間診察がないものは、今後頻度も低いと思いまして」
「そ、そんなに細かく? いま十分も経ってないよ? えっ、結構な量なのに?」
「仕分けは得意なんです。それと、ベンノさんとおっしゃった患者さんの記録は、この用紙ですか」
「そ、う。間違いない」
手渡す紙に、先生が頷く。
「今日の記録を書き足されるかと思って避けました。でもどの書類も詳しい情報は見ていませんから、安心してください」
(やりすぎちゃった? でもここ、魔道具でデータ管理してないみたいだし、分け方わからなくて汎用的に分けたけど……。あとは先生が良いように直されるわよね。本当は、色分けするともっと便利ですよとお伝えしたい。でも余計なことだろうし……)
うずうずしていると、エルマーが目を丸くして呟いた。
「マルティナ……、すごいな……」
(はッ! 仕事が身に沁み込み過ぎている……!)
──十分な引継ぎをしてないけど、職場は上手く回っているだろうか。
心配など不要。むしろ私が欠けたことで痛い目みたらいいと思いつつ、気になる自分が情けない。
その後、問われた連絡先は、旅行者だからとお断りして、"ぜひ診療所の助手に"というスカウトには、エルマーが反対し(そもそも旅行者設定なのに、助手は無理なのでは)、"患者の家族には知らせに行くよ"という先生の言葉に安心しながら、私たちはお茶をいただいて診療所を後にした。
私のせいで寄り道になってしまったけれど、エルマーは文句も言わず、買い出しにつき合ってくれて、その後も縛られない時間を満喫して過ごした。
日が暮れかけると、街にはあちこちに明かりが灯り、照らし出された見知らぬ道が旅行気分を高めてくれる。
温泉あがりの人ともすれ違って、火照った肌とお湯の匂いに、すっかり浮かれてしまった。
「今度、ゆっくりとお泊まりに来るのも、楽しいかも知れないわね!」
「それも良いな。新婚だし、遠出してみるのも有りだろう。どこか行ってみたい場所はあるか」
「そうねぇ……」
互いに結んだ手の上で、言葉も結んでいく。
こうやって思い出も編み上げていくのかしら。
「とりあえず夜になる前に街を出よう。遅くなったから帰りは翼を使いたいけど、近くの森まで移動しないと、人に見られてしまう」
「翼?」
「ああ。マルティナ、初フライトでどうだ?」
「えええっ、そんなっ。まだ心の準備が出来てないわ! もう、今晩泊まってしまうというのはどう? そしたら温泉も入れるし」
実はすごく気になっていた。温泉、癒されそう。
「なっっ! それこそ心の準備が出来てないんじゃないのか?」
「? 何が」
「え、だって……、一緒の部屋で寝ようってことだろう……?」
かあああああっ。
赤くなってエルマーが言うものだから、思わずつられて真っ赤になる。
(な、なんで照れてるの私。エルマーはまだ子ども、子どもよ、見た目は)
こんなの私、すごく怪しいお姉さんになってしまうわ。
慌てて咳払いをする。
「部屋は別。エルマー、金塊で贅沢させて」
「えええええ……」
私はいつの間にか、エルマーに無理が言えるほど、彼に気を許していた。
「一緒でいいだろう。夫婦なのに……」
「だーめ。結婚式も挙げてないでしょう」
ぶつぶつと残念がるエルマーに答えて、チクリと胸に何かが刺さる。
(結婚式……)
痛みの原因が、地下宮殿に置いてきたトランクに眠るドレスだと気づいた私は、昇華しきれない思いにそっと顔を伏せたのだった。
悲しい職業病なマルティナ;つД`)
もっとラブ要素があればよいのに。でも相手が子どもという壁!
というわけで、本日はここまでで、明日どうにか地下宮殿結婚式回まで行きたい。そして短編の後編に繋げたら終わるから!!(笑) 全体で3万文字超えないつもりだから!!
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