04. 視察の旅と思わぬ休暇
帰国の途につく大使を見送ると、その後はすぐ目前に迫った国内視察が待っている。
滅多に王都まで来られないような地方貴族の領地を巡り顔を繋ぐ。領地を確認すれば小貴族の予算では難しい街道整備など、必要か確認して支援することが可能であるし、王族に気をかけてもらえる領主として、家臣や領民から一目も二目も置かれることになる。
大人数の王太子一行を迎えるのは小貴族には大変だが、見返りは大きいのだ。
対する王太子一行はと言えば、謀反や不正の有無を調べるのに都合が良い。王都から離れれば離れるほど、目は行き届かなくなるが、王太子を隠れ蓑に、専門の査察官が不正を調べる。余所者が目立つ田舎でも「王太子一行が――」と言われれば簡単に納得するから、とても楽に調査ができるのだ。
「リア、今回の視察に君は同行しないで欲しいんだ」
「構わないよ」
私は二つ返事で了解する。
今は私以外の側近がいなくて執務室にフリッツと二人きりだから、お互い口調が砕けていた。
ほかに誰かいる席では主従の立場を崩さないけど、二人きりのときは幼い頃のまま気安い雰囲気になる。
視察の準備は全て済んでいるし、王太子はお飾りみたいなものだ。ちゃんと辺境まで気にかけていますよ、という。準備さえ終わっていれば、後は同伴する官吏と、受け入れ側だけの仕事になる。
フリッツはにこやかな笑みを浮かべながら接待を受けるだけでいい。外面が良くそれなりに優秀だから、卒なくもてなされてくれるだろう。
乳姉弟に甘え過ぎな面はあるけど、やれば出来る子なのだ。
「可哀想だとは思うんだけど、視察に同行させちゃうと、婚約者だと思われるからさ」
「確かにその通りです」
私を気遣ってという体裁だけど、実際は私と側近の板挟みになるのが嫌なのだと知っている。
普段、数刻顔を合わせているだけで嫌味の応酬になるのに、視察の間は寝ている間以外はずっと顔を合わせるのだから、フリッツも嫌気をさして当然だろう、私も嫌だ。
「視察の間、ずっと休暇をいただきたいのですが」
今まで常に一緒だったからか、フリッツは少し後ろめたそうで、居心地が悪そうな感じだ。
そこに付け込むように、すかさず休暇の申請をする。
「構わないけど、一月半もの間どうするの?」
「里帰りしたい。街屋敷には何度も行っているけど、領地に顔を出したことが一度もないから」
生後数ヶ月でフリッツの乳母となった母と共に王城に上がってからは、休暇らしい休暇は滅多に取れなかった。何故か王族の家族旅行にも同伴していたし、前回までは視察に同行していた。
年数回、一泊するくらいの休みしかとれなかったからだ。
だから王城を辞した母が実家に戻ったときも、父が亡くなった後も変わらず密な付き合いをしている父方の実家も、その後再婚した母の嫁ぎ先の領地、そのどれにも行ったことがない。
唯一、デビュッタントのときだけは数日の休暇を貰って実家に帰って入念な準備をしたけど、それだけだ。
しかもドレスが似合わないと言われて、それっきりドレスに袖を通したことがない。
今回、視察に同行しなくて良いなら、家族でのんびり過ごすことができるまたとない機会になる。
「そういうことならのんびりしておいでよ。仕事復帰は僕たちが王城に戻る日で良いから」
ふんわりと微笑んで、私の希望を尊重してくれる。
「ありがとう、ゆっくり骨休みしてくるね」
休暇中、何を過ごして過ごそうか頭に思い浮かべながら礼を告げた。
これを機に姉離れしてくれれば良いと思うけど、どうなんだろう?
* * *
ガタガタと揺れる馬車はお尻が痛くてしかたがない。
義父に揺れの少ない馬車を用意してもらって、クッションも多めに乗せているけど、如何せん道が悪いのだ。
街道を逸れた田舎道なんて、さほど整備もされていないから仕方がない話かもしれない。
でも私にとっては希望に続く道でもある。フリッツの補佐官としての給金をつぎ込んで買った荘園に続く道だからだ。
すでに行かず後家に片足を突っ込んでいる十九歳。今年の社交シーズンは終わっているから、来年、結婚相手を探しても結婚するのは二十歳を超えてからになる。
今はまだ辛うじて十代とはいえ絶望的な年齢だ。
だから諦めて荘園を買った。
もし結婚したら持参金代わりに持っていけば良いだけだし、自分の財産があった方が、買い物の度に夫の顔色を伺わなくて済む。何より王都にいればフリッツから呼び出されることがある。
本人が王都から遠くに居たとしても、早馬を駆って届けられた指示書によって仕事が舞い込む可能性は皆無ではない。
確かに可愛い弟分だけど、フリッツが結婚してまで、今の距離で傍にいるのは妃に対して失礼だ。
どんな土地かしら?
荘園を訪れたことは一度もない。
買いたいと相談したら、義父が探してきた滋味豊かな土地を買っただけだ。街道沿いではないものの、少し離れた程度で、王都からは馬車で五日と程よい距離だ。母の嫁いだクラルヴァイン伯爵領と隣接していて、領地の屋敷からその日のうちにどうにか到着できる距離、母の実家からは二日と近い。
荘園にある屋敷は小さいながら、それほど古くない上に手入れされていて直ぐに住めると、アウレリアより一足早く確認した義父が教えてくれた。
二人いる代官も不正をしていないらしく、問題らしい問題はない。
休暇がてらのんびりすると良いよと言われて、大喜びで馬車に乗り込んだのだ。
(荘園に行けるのは嬉しいけど、街道を逸れた途端にこの揺れはないわー)
自分の土地だけは絶対に道を整備してやるわ、と初めての道のりで決意しながら、自分の荘園という言葉の響きににやにやが止まらない。
「――うわっ!!」
突然の急停車に、アウレリアは前につんのめり、向かいの席のクッションに顔を埋めた。
「何があったの!?」
「すみません、道端で人が寝てて」
確認の声に、御者が済まなさそうな声を上げた。
「人ってどういうこと?」
馬車を下りながら前方を見れば確かに人だ。それも若い男。
しかし寝ているのではなく、倒れていると言った方が正しい。
「寝てるんじゃなくて、怪我をして倒れているじゃない!」
暗い色の服だし、あちこち汚れているから判りにくいけど血を流している。
近づいてみれば明らかに剣で斬られたような服の裂け目から、ばっくりと傷が開いているのが見て取れた。
「布! きれいな布と水!! それと馬車に運ぶのを手伝って!!」
手当てをしなければ死ぬというほどではなさそうだったけど、放置していたら自力で動けない程度には傷が深そうだった。布といっても包帯などがある筈もなく。念のためにもってきた傷薬を塗った後に、服を引き裂いて傷を保護した程度だ。
幸いにもさほど深い傷はなく、倒れていたのは怪我よりも疲労が原因かもしれない。
「お嬢様、どうするんですか? こんな怪我、ゴロツキか後ろ暗い連中じゃないですかね。旅人って訳でもなさそうですし」
「ゴロツキではないよ。見て、汚れているけど服は絹でできているし、貴族の若者がよく着るものだ。どちらかというと、追いはぎにあったんじゃないかな? 持ち物が消えているし」
濡らした手巾で顔の汚れを拭取れば、端正な顔が現れた。
年のころは二十歳前後といったところか。
髪や爪はよく手入れされていて、着ているものは年齢の割に少々地味だけど品が良い。
きっと良い家のご令息なのだろう。
「どこの誰だか判らないけど、取り敢えず屋敷に運ぼう」
「お嬢様! 女性の一人住まいに男を上げるんですか!?」
御者が猛反対した。
義父からくれぐれも危険が無いようにといい含められているのだろう。
「このまま放置するというのは、人道に反すると思わない?」
「でも」
「でもじゃありません!」
私は有無を言わさず男を馬車に連れ込むことに決めた。




