03. 嵐の翌朝
「清々しい朝ですね、おはようございます」
久々に満足いくまでたっぷりと寝たから身体が軽い。
心なしかフリッツやローレンツも機嫌が良さそうだ。
「ようやく地獄のような仕事の量から解放されたからね、清々しくもなるよ」
幼馴染の目の下には、まだクマがくっきりと残っているけど、それはもう一人の側近も同じだった。
「根回ししてからの大捕物でしたが、秘密裏に進めたため、いきなり負担が増えた人も多いでしょうね。恨まれてませんか?」
ローレンツの杞憂は思い過ごしだ。
「むしろ足を引っ張る者がいなくなって、楽になった人が多いと思いますよ」
書類を持って関係部署を回っていたとき、仕事をしないのに偉ぶっていたり、引っ掻き回して放り出すような連中が多かった。彼らが一掃されたのだから、これからは楽になると思う。拘束した者たちを尋問する刑部だけは忙しくて死にそうになっていると思うが。
ローレンツも関係者回りをすることはあるが、官吏よりも大臣級に向かうのが多いせいか、アウレリアよりも現場を知らない。
「既に我々ができることはやりつくして、仕事の申し送りも済んでいるから楽ですね。後は罪状に合う量刑を与えていくだけです」
証拠は全て積み上げている。横領や不正によって国に与えた損害は本人や家族に弁済させるのは大変だが、それだけだ。
「取敢えず我々は六日後の夜会を頑張って乗り切りましょうか。目の下のクマが消えなくて、今朝も母から小言をもらいました。今期は社交を頑張ると約束しましたのに、前回の夜会の後、仕事しかしていなかったので挽回しなくては……!」
「だから私情を持ち込むなと!」
慣れたローレンツは口やかましい。
皮肉家だとは早々に知ったが、付き合うにつれ口数が増えた。
しかも主に説教方面に。
――まるで母のようだ……。
「ソフィーアは厳しいからな、保身を図っても仕方がない。ローレンツも話してみればリアの気持ちが判るよ」
擁護してくれるフリッツは相変わらずヤンチャだけど、少し……ほんのちょっとだけ頼もしくなった。
「ところで、明日の第二段ですが――」
汚職を行っていた者を一斉摘発するには、数が多すぎた。
だから文官と武官と二度に分けて捕縛する計画を立てたのだ。
二度目の王城舞踏会の直前という、話題を提供するには絶好の機会で。
これは見せしめだ。
「次の三日後が楽しみです」
アウレリアは心底楽しみといった笑みを爽やかに浮かべた。
* * *
「おやすみなさい」
夕食後、居間で家族団らんを楽しんだアウレリアは、頃合いを見計らって席を立った。同じく宮仕えの義兄二人も、就寝時間とばかりに席を立つ。
社交期とはいえ、毎日夜会に顔を出している訳ではない。
普段と変わらない日常の風景がそこにはある。
しかし――
自室に戻りドレスを脱いだところで、夜着には着替えず仕事着に着替えるのは、日常ではなかった。
誰も見ていないとは思いつつも窓からできる限り離れ、カーテン超しに何をしているのか気取られないように行動し、着替え終わりと同時に灯りを消す念の入りようだ。
勝手知ったるというほど長年暮らしてはいない屋敷だが、それでも大よその位置関係は判る。まだ厚みのない月の光は暗い。とはいえ真っ暗ではない。食堂の前を通り抜け厨房から勝手口を出ると、そのまま使用人用の裏門を通って外を出た。門扉と勝手口を施錠するのは厨房で合流した執事だ。
二日前、汚職に手を染めた官吏が一斉に捕縛されたという情報は、翌朝には貴族街を駆け抜け、昼過ぎには王都に滞在する貴族の大半が知る事態となった。同時に上級使用人の多くにも耳に入っている。
クラルヴァイン伯爵家の執事も、情報をいち早く知った使用人の一人だ。
主家の一人が関わっているのに、気付いても知らないふりをするのは、機密に関わるのだと察しているからだろう。
アウレリアは夜遅く、普段ならとっくに就寝している時間に執事をこき使って悪いなと思うものの、秘密裡に行動しているのに声を出す訳にもいかず、無言で家を出た。
社交期だから表通りを通る馬車は多い。
しかし道の端までは馬車に取り付けられたランプの灯りは届くことなく、誰にも見とがめられずに移動できた。
もっとも見とがめられないように車通りの少ない道を選び、馬車の音が聞こえると隠れるように移動したから、そもそも気付かれにくかったが。
――思ったよりも馬車が少ないな……。
一晩で二つ三つと夜会をハシゴするのも珍しくはないから、本来ならもっと往来は多い筈だった。
――捕り物が影響しているということか。
家族が捕縛された家が予定されていた夜会は、当然のように中止されただろうし、参加する側も自粛するだろう。
だが今期クラルヴァイン家の面々が社交を控えめにしているのは、アウレリアの仕事が理由ではなく、ディートハルトとのことがあったからとは想像に難くない。
申し訳ない気持ちもあるが、家族の誰もが口にしないから、当人も気づかないふりで大人しくしている。
王城に辿りつくと、幼いころにフリッツと二人で護衛を撒いて城下に遊びに行った、二人だけの秘密の道を通ってフリッツの私室に向かう。
「ローレンツは未だなのか」
室内には部屋の主が一人きりだった。
「リアほど王城に精通してないからね。人目を気にして隠れながらきてるんだよ、きっと」
集合場所が執務室ではないのは、今回の捕縛作戦も前回同様、秘密裡に決行されているからだ。
白日の元に曝されるのは全てが終わってからだ。
特に三日前の捕縛の余波は未だ引くことなく、貴族たちの間で情報が錯綜している。
今夜の捕縛は武官相手だから、前回以上に慎重にしなくてはいけない。
しかし不測の事態に備えて責任者が王城に待機する必要がある。
だから普段通りに帰宅し就寝したと見せかけて、こっそりと王城に戻ってきたのだ。
「執務室の方は?」
「バルヒュットの手の者が見張ってるね。でも王族の私的空間までは来られないから」
フリッツは表向き伯父となっている公爵を親戚とは認めていない。両親や自分を害そうとしている相手を、親族と認めないのはある意味正しいが。
「今夜は特に公爵の力を大幅に削ぐことになるから、向こうも殺気だってるでしょうね」
計画が漏れているとは思わない。
事実、監査室からは公爵たちが情報収集に躍起になっていると、夕方に報告が届いている。
文官の捕縛によって王兄派の主要官吏が失脚、王兄派に買収されそうな官吏も一掃。
今夜、武官の捕縛が終われば、政変を起こすときに主力となる戦力が消滅する。
不正を一斉摘発したという派閥を無視した作戦で、確かに国王派にも大きな影響は与えたが、しかしダメージは全くもってない。王兄派の一人負け状態だ。
「そういえば、ディートハルトとはその後どう?」
「全然。連絡すら取れません。領地に行っているそうですから、王都の様子が判らないというのもあるでしょうが」
少し前まで婚約者だった男は、実父と再会した直後、領地に戻っている。
ギレスベルガー公爵は家族を失った悲しみを上書きするように、生まれたことすら知らなかった息子を溺愛していると聞く。
自分が生まれる前に事故で父を亡くしたアウレリアとしては、親が生きているのなら会うべきだと思っているし、一緒に過ごす時間を大切にしてほしいとも思っている。だからディートハルトが王都に戻ってくる日まで、そっとしておこうと考えていた。
「まさか公爵に隠し子がいたとは思わなかったよ」
「家族を大切にしていましたからね」
先代には何人もの愛人がいたそうだが、現当主は愛妻家で有名だった。妻子を馬車の事故で一度に亡くしてからは、廃人同然の抜け殻になったらしい。
「結婚前に別れた恋人との子供だと言うし、生まれたことさえ知らなかったのだから、裏切りではないし良い結果だと思う」
会えないのは寂しいけど……という言葉は飲み込んだ。
「王位を争う理由が無くなれば、クラルヴァイン公爵のような悲劇も減るでしょう。だから頑張って潰しましょう」
「そうだね、思い合っていてもどうにもならないのは辛いことだから……」
話を変えるように言葉を誘導する。
「遅かったですか」
言葉が切れたところでローレンツが静かに扉を開けた。
極力音を出したくないからという理由で、今夜はドアを叩かずに入室するように取り決めてある。
「リアは慣れているからね。幼いときは夜中によく部屋を行き来していた。勿論、城を抜け出すのも一緒だったよ」
「そういうことなら納得です」
一瞬だけ見えた罪悪感を浮かべた顔は、すぐに普段通りの物静かな雰囲気にとって代わられる。
「外はどうでした?」
「まだ捕物は始まってませんね。安心させたところを一網打尽にするようです」
王族の私的な場所は、城の中でも特に厳重に守られて静かだ。
きっと政変が起こってもギリギリまで気付かないのではないかと思うほど。
だから最後に来たローレンツに外の状況を聞いたのだが、まだ始まっていなかった。
「明け方より少し前かな、動き始めるのは」
今夜決行とは命令を出しても、何時開始というのは現場判断に任せているため、王太子でも予想しかできない。
夜明け前には使用人が起きて活動を始める。
その前、夜会に最後までいた貴族が帰宅したのを確認した頃合いに、捕縛するのかもしれない。
「今夜は特に慎重でしょうからね……」
ローレンツの言葉は、少し前まで同僚だった武官イザークを気遣っているのだろう。
本人は解任に納得しているものの、派閥に取り込んで利用しようと思う輩からすれば恰好の人物だ。「巻き込まれてなければ良いが」と続く言葉に気遣いが窺える。
「大丈夫でしょう、きっと。前回、夜会で顔を合わせたときにはふっきれた顔をしていましたよ」
アウレリアに謝罪した彼らは、自分の非を素直に認め、異動先にも納得していた。
事態が動いたのは、フリッツの予想通りの時間だった。
もうすぐ空が白み始めるという頃、騎士が部屋を訪れる。
「殿下、刑部に騎士が詰めかけています」
「判った、行こう」
官吏だけで対応できなくなれば呼べと予め伝えてあった。
足早に外に出ると、まさか側近まで居るとは思わなかったのか、呼びに来た騎士が少し驚いた顔をする。
「彼らも待機してたんだ」
疑問に応えるようと説明すると、直ぐに状況確認を求める。
「近衛騎士団からの逮捕者に、抗議の声が上がっています。容疑が不明だというのと、扱いが酷いと」
二度の大捕物は捕縛する人数が多い。
だから大臣級や将軍級は貴族牢、それ以外はたとえ貴族籍を持っていても一般牢に収監、抵抗して暴れるような者は全員地下牢だ。
本来、地下牢はよほどの重罪か凶悪な罪人でもないと入れられないから、かなり待遇が悪いのは事実だが、人数が多いから諦めるように伝えろとは言ってあった。
「騒いでいるのは誰だ?」
「近衛騎士団第十大隊の連中です。隊長と副隊長が同時に拘束されたのも理由でしょう」
仕事ができない騎士たちの隊か……。
アウレリアの心の内での呟きは、多分、フリッツとローレンツも思ったことだ。
見目が良い貴族の子弟だが、仕事ができない騎士が送り込まれる隊だから、当然のように重要な仕事は任せられない。変に放り出して、実家の権力を嵩に着られても問題を起こすだけだからと、囲っているだけの者ばかりだ。隊長は国王派、副隊長は王兄派だが、どちらも派閥の主流ではないからか、ウマが合うようだった。
「何を騒いでいる!」
牢の近くまで来たのと同時に、フリッツが大声で騒ぎを止めた。
「殿下! これはどういうことです!!」
リーダー格と思われる騎士が抗議の声を上げた。
「一斉捕縛により人数が多過ぎたからな。一般牢しか空きがない」
「そうではありません、どうして我々の隊長と副隊長が捕縛されたのです!」
不正をしていたからだと、胸中でツッコミむ。
「全ての証拠は確保済みで容疑は確定している。騎士団長も納得してのことだが、それでも抗議をするか?」
「当然です! 不当な対応には抗議あるのみです!!」
話を聞いちゃいねえ……と牢を守る騎士から言葉が漏れた。
「そうか……」
フリッツは呆れたように呟くと嘆息する。
「では騒いでいる者を纏めて拘束、地下牢に放り込め!」
大声で命令を出すと同時に、双方の騎士が剣に手をかける。
「抜いたら反逆罪だが、その覚悟はあるか?」
反抗する騎士たちを睨め付けながら、ハリのある声で問う。
普段、人前では人好きのする笑みを浮かべているフリッツは、その気になれば凛とした厳しい態度もできるのだ。両親に似た威厳ある態度に、第十大隊の面々はその姿に怯む。
「既に反論の余地もなく、彼らの罪は詳らかに明かされている。捜査の素人であるお前たちが口出しができない程に。何年に渡って泳がされていると思っているのだ?」
「……!!」
この捕物劇が昨今始まったものではないと言えば、騎士たちは一様に衝撃を受ける。
「先代、先々代の隊長たちの不正も判っている。代々、申し送りをされているのもな」
隊士の多くも加担していた。
今、集まっているのは実態を知らなかった騎士たちだけで、不正を知って加わっていた騎士は既に捕縛済みだった。
「沙汰が出るまでそう時間はかからない。朝には上官から指示があるだろうから従え」
実質的な解散命令を聞いて騎士たちが下がる。
自分たちに分がないどころか正義さえないと知って、引き下がるしかなかったのだった。